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深泥池① 「深泥池の太公望」

「それでは、いろいろとありがとうございました。」

俺は瑞翁院の山門を出たところで寂明さんに深々とお辞儀をした。

「いやいやこちらこそ、とんでもないことに柊太君を巻き込んでしまって申し訳ないと思っているよ。くれぐれも気を付けて行きなさい。」

「分かりました。とりあえず、早急に深泥池に行くこととします。」

「そうしてくれるか。何かあればすぐに私に連絡してくれればいいよ。」

「ありがとうございます。」


 こうして、俺は瑞翁院を後にした。さてこれからだが、どうやって深泥池に向かうとしようか?いったん帰って、自転車かバイクにするか?このまま、タクシーかバスで行くか?はたまた、時間はかかるがトボトボと歩いていくか?考えがまとまらないまま、少し歩いていると後方から急速に迫ってくる車の排気音がした。俺は「轢かれる!」と思って反射的に道路脇に身を躱したが、なんとその車は身を躱した俺の身体スレスレまで迫ってきて止まった。

「あら、お兄さん。こんな朝早くからどこかへお出掛けですか?」

友好的とは対極の口調で車の主は言った。

「やっぱり、いずみか。俺を轢き殺す気か!」

俺は車の主、蒼ノ京いずみに向かって抗議するように言った。

「あんたなんか、少々轢かれても死にはしないわよ。また、私に黙って飲みに行ってたのね。」

いずみが俺の方を睨みながら言った。いずみの車は二人乗りスポーツタイプの軽自動車だ。

「別にいいじゃないか。ちょうどひと月のサービスが終わったところだったんだし。」

「とか何とか言いながら、しょっちゅう飲みに行ってるじゃない。少しは貯金しなさい!」

「はいはい。分かりました。」

俺は少しおどけて言った。

「やっぱり一回轢いとこうかしら。」

いずみが下を向いて首を振りながらボソッと言った。

「どうせあんたは、ナントカ術で蘇ってくるんでしょ。」

「ああ、そういえばいずみも祈仙術についての話を聞いたんだっけ?」

俺は昨晩の流れを思い出しながら言った。いずみは、バーでマスターのヒロさんから話を聞いているはずだった。

「そうね。私もその祈仙術とやらの血を引いているみたいだわ。」

「そしたらいずみも術を使えるんだね?」

「私も使おうと思ったら使えるらしいんだけれど、ヒロさんとそこのところを聞きそびれたから帰ってからお兄様に聞いてみたの。」

「お兄様はなんて言ってた?」

「お兄様は、『私やいずみは確かに祈仙術の血を引いているが、今、術は使えない』という返事だったの。」

「どういうことなの?」

俺はあまり事情が呑み込めない感じで言った。

「祈仙術っていうのは基本的には一子相伝らしいの。今は、お父様だけが術を使える環境なんだって。私やお兄様も使おうと思えば使えるけれど、お父様がお兄様や私の術を使う能力を封印しているらしいのよ。」

「何でそんなことをするんだろう?」

「なんかね、祈仙術っていうのは、超科学的な力があり、世間の常識や秩序を破壊してしまう恐れがあるから、あまり広く伝播させたくはないらしいのよ。兄弟が生まれるたびに、分派していったら際限なく増えてしまうでしょ。いつのころからか、そういった規律というかルールになったそうよ。」

いずみが真面目に答えた。なるほど、と俺は思った。確かに、こんなにとんでもない術が世間に広まったら、悪用する奴が必ず現れるし、今も、その恐れが現実のものとなっている節がある。

「で、柊太はこれからどこに行こうとしていたの?私は、マスターに瑞翁院まで柊太を迎えに行ってあげてとしか聞いてないのよ。」

「ああ、今日は深泥池に行って人に会ってくれないかって言われているんだよ。」

俺は、いずみに昨日の話をかいつまんで説明した。

「分かったわ。乗りかかった船だし、私も一緒に行ってあげる。乗りなさいよ。」

いずみはニッコリとして言った。


 しばらくして、俺といずみは深泥池のほとりに到着した。いずみの車は近くのコインパーキングに停めてきた。今日のいずみは、ブルーのデニムジーンズに半袖の白いTシャツを着用し、その上から赤系のカーディガンを羽織っていた。カバンは小さめのショルダーバッグを持っていた。

「柊太の今週の予定はどうなってるの?」

「偶然というか、キャンセルやらもともとの休みやらで、ここ何日かは休みなんだよ。」

「そういえば、どこかに行きましょうって言ってたけど、どうやらここ何日かはこの一件で消えていきそうね。」

「そうだね。なんか、いずみを巻き込んでしまったみたいでごめんな。」

「何言ってるの。私も関わっているみたいだから別に巻き込まれたって思ってないわよ。それに私はこの成り行きを結構楽しんでるのよ。」

そう言っていずみはニッコリと笑った。

「それにしても、柊太の会おうとしている人はこの池のどこにいるの?」

「俺もよく分からないんだけど、『行けば分かる』ようなニュアンスで言われたよ。」

「まあ、いい加減なものね!それぐらいもっときちんと聞いてきなさい!」

「ごめんなさい。」

俺は何だか訳もなく怒られた。

「あら?あんなところで座って絵を書いている人がいるわね。あの人に聞いてみようかしら。」

 そう言うやいなや、いずみはその人物のところに駆け出した。小さい折り畳み椅子に腰かけ、前に置かれたイーゼルスタンド向かって筆を動かしているように見えた。年のころはかなりの年配で、80歳前後かと思われた。服装は少しくたびれた青色のジーンズに赤色系のパーカーという少し若めの服装だった。この特徴はどこかで聞いたような気がするなと俺が思っていると、いずみはすでにその人物のそばに到達していた。

「おはようございます。何を書いているのですか?」

虫をも殺せないような可愛らしいにこやかな笑顔でいずみはあいさつをした。いったいどこからそんな声が出るのかと俺は思った。

「おやおや。これはこれは、今日はなかなか面白い色がかかったぞ。可愛らしい青いお嬢ちゃんに、あっちは紫のお兄ちゃんではないか。」

その人物はいずみと俺の方を向きながら言った。

「青と紫ってどういう意味ですか?」

いずみが不思議そうに尋ねた。


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