ショットバー「パープルナイト」② 謎の美女「若駒由美」
「どうぞ。お好きなお席へ。」
マスターが少し警戒気味に女性を見ながら言った。おそらく初めてのお客さんなんだろうと思った。俺もこの女性はこの店で見たことはなかった。
「ありがとう。」
にっこりと笑いながら女性は言い、店の中に入ってきた。
「こちら、いいかしら?」
そういいながら、その女性はなんと俺の横のカウンター席に座ってきた。
「どうぞ。」
びっくりした俺は少しぎこちなく答えた。
「一緒に飲んでいい?」
その女性が今度は俺に聞いてきた。
「もちろん。いいですよ。」
少し落ち着いて俺は答えた。
「マスター。ミモザをお願い。」
その女性はメニューを見ることもなくマスターにオーダーをした。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」
マスターも何も変わったことがないような様子でカクテルを作り出した。「ミモザ」とはシャンパンまたはスパークリングワインとオレンジジュースを合わせたカクテルだ。アルコール度数もそんなに高くはなく比較的飲みやすいカクテルの一つである。俺も好きでよく飲んでいる。
「お待たせいたしました。」
ヒロさんは洒落た黒色のコースターの上に出来立ての「ミモザ」を注いだ細長いグラスを女性の前に置いた。
「ありがとう。」
女性はにっこりと微笑みながら言い、グラスを口元に運んだ。
「とても美味しいわ。」
ゆっくりとグラスを傾けて女性は言った。
「ありがとうございます。当店は初めてですよね?」
ヒロさんがにこやかに尋ねた。
「ええ。そうよ。たまたま近くを通りかかったらお洒落なバーがあったから寄ってみたの。お店の中もとてもお洒落で綺麗ね。」
女性は店内を見渡しながら言った。
「ありがとうございます。」
ちょうど、客は俺しかいなかったので、今は店内には俺とマスターとこの女性客を合わせて3人だ。
「あなたとは何処かで会ったことがある気がするのだけれど、気のせいかしら?」
女性客は俺の方を向いて聞いてきた。
「いえ、僕は初対面のような気がしますが・・・。どこかで会っていたらごめんなさい。」
全く心当たりのない俺は警戒しながらもなるべく当たり障りのないように答えた。
「あら、私の勘違いだったかもね。ごめんなさい。まだお若いわね。学生さんかしら?」
女性客はグラスを傾けながら言った。
「違いますよ。僕はもう30手前ですよ。」
俺は笑いながら言った。学生とは少し盛り過ぎだろう。
「そうなの。私のことはユミって呼んでね。あなたのお名前は?」
女性客はユミと名乗った。
「僕の名前は柊太です。」
俺はあえて苗字を名乗らず、下の名前を名乗った。
「あら、素敵なお名前ね。あなた、私のこと警戒してるでしょ。無理もないわよね。いきなり隣に座られたら誰だってそうなるわよね。でも、警戒しなくても大丈夫よ。私はこういう者なの。」
そう言ってユミさんはバッグの中から名刺を取り出して俺の前に置いた。そこにはこのように書かれてあった。
「日本伝統呪術研究所 所長 若駒由美」
「呪術って何ですか?」
差し出された名刺を手に、俺は当然の疑問を質した。
「呪術っていうのはね、神様や精霊などの力に働きかけて、いろいろな願望を叶えようとする行為のことなの。その中でも私は「祈仙術」を主に研究しているの。」
「「祈仙術」って何ですか。」
俺は少し興味を惹かれて言った。
「「祈仙術」っていうのはね、いわば呪術のひとつよ。先程言ったようになお祈りのような行為をして願望をかなえようとする行為のことよ。」
「何か怖いですね。」
俺は少し恐怖を感じて言った。
「「祈る」っていう字が使われているから人に呪いをかけるような印象があるけど、そうでもないのよ。」
ユミさんが微笑みながら言った。
「例えば、巫女さんが雨乞いの儀式をやっていたことがあるでしょう。あれも言ってみれば呪術の一つで、祈仙術にも通ずるものなの。」
「そうなんですか。でもなんだかピンと来ないなあ。」
俺は名刺を眺めながら言った。
「具体的にはどんな活動をしているのですか?」
少し興味を惹かれた俺は聞いてみた。
「そうね。普段は呪術や祈仙術に関係する雑誌を発行したり、インターネットのサイトを運営したりしているわ。あとは、全国各地の祭祀などを研究したり実地調査をしたりもしているわよ。意外とやることは多いのよ。」
そういってユミさんはスマホのアルバムの写真を見せてくれた。なるほど、そこには儀式の写真や遺跡発掘の様子の写真などが多数写されていた。
「ところで柊太さんは、何の仕事をされているの?」
出したスマホを手元に戻しながらユミさんが聞いてきた。
「僕ですか?僕は介護のヘルパーをやっています。」
「そうなの。若いのに偉いわね。お年寄りのお世話もたいへんでしょう?」
「少し違うんですけどね。僕は障がい者の方のガイドヘルパーを主にやっています。」
「へえ。私がイメージしていたのとは少し違うみたいね。どんなことをされているの?」
今度はユミさんが興味を引かれたみたいで俺に聞いてきた。
「そうですね。主に利用者様が外出されるサポートをしています。例えば、映画館だったり、買い物だったりといろいろですね。」
俺はグラスを傾けながら言ったが、グラスは空になっていた。
「柊ちゃん。次は何にする?」
ヒロさんが空になったグラスを引き上げながら聞いてきた。
「うーん。次はベリーニをもらおうかな。」
「ベリーニ」とは、スパークリングワインに白桃のピュレを合わせた、フルーティーで飲みやすいワインベースのカクテルである。ユミさんが、「ミモザ」をオーダーしたのを見て、俺もワインベースのカクテルを飲みたくなったのだ。
「はい、了解!」
ヒロさんがそう言って「ベリーニ」を作り始めた。その間、俺とユミさんはいろいろな話をしていた。
「マスター、お手洗いはどこかしら?」
ユミさんがマスターに聞いた。
「あちらになります。」
ヒロさんが奥の方のレトロ調の扉を指さして言った。
「ありがとう。お借りするわ。」
ユミさんがお手洗いに立ち上がった。
そのとき、ヒロさんが出来上がった「ベリーニ」を俺の前に置いてくれた。そのコースターの下に一枚の紙が挟んであることに俺は気付いた。
『早く逃げなさい!』
その言葉は赤いマジックペンで書かれていた。少し字が震えていて、まるで血で書かれた文字のようだった。
「ヒロさん、これはいったい・・」
俺はヒロさんにこれは何のことかを聞こうとしたが、ヒロさんは黙って首を振って入り口のドアを指さすばかりだった。まるで、「今は何も聞くな!」と言わんばかりの状況だった。
「柊ちゃん。とにかく早くここを出なさい。お勘定はいいから!」
小声だが、しっかりした声でヒロさんは言った。その雰囲気に圧倒された俺は、手早く荷物をまとめてバーを後にした。




