23
玉座の間の中央、台座の上に乗せられた魔王の首。その首を前に、涙に目を溜めたリシャーナ姫が、声を震わせながら浩二に告げる。
「コージ・イタミ! 父上からの遺言である。
――余は413年の生涯の中で一度たりとも新たになにものをも生み出せなかった。
だが最後にそなたにこの首を差し出すことで、そなたのいう新しいものの礎となりたいと思い至った。
好きに使え。
後のことは全てペアル王国ナキニ伯コージ・イタミに託す。
以上だ!」
リシャーナ姫は最後まで言い切ると、毅然とした態度で玉座の前から一歩踏み出すと、眼下に置かれた魔王の首に小さく礼をし、さらにそのまま広間を出ていった。
控えの間あたりに姿が消えたところで、姫のいるであろうばしょから「うわああああっ!」と大きな泣き声が聞こえてくる。
とても痛ましい慟哭であったが、対する浩二もまた呆然としていた。
なんだこれは?
どうしてこんな事になっている?
困り果てた浩二があたりを見回し、そしてギョッとなる。
玉座の間には四天王を始め、大勢の臣下が控えていたが、その全員が浩二に向かってこうべを垂れていた。
遺言には全てを浩二に託すとの一文があった。そしてこれが正統なる後継者であるはずのリシャーナ姫の口より発せられた。
なればこの瞬間より、魔王領の全ては浩二のものとなったのだ。
期せずして浩二は聖王国、魔王領の二つを手に入れ、世界の支配者となった。
どうにか控えの間に戻ることが出来た浩二は、突然の展開にくらくらする頭を抱えながら、よろよろと手近な椅子に腰を下ろす。
「魔王は一体何を考えているのだ!」
吐き捨てるように呟く浩二の独り言を拾い上げるものがいた。
「陛下はもう何年も前から自らの死期を悟っておりましたからな。
以前より親しいものには『最後に一花咲かせたい』などとよくおっしゃっておられた。『ならば人族を打ち滅ぼしましょう』などと持ち掛けてもどうにもこれには消極的でな。なにより晩年に出来た可愛い姫様に良いところを見せたいなどと考えておられるようでしたな。血みどろの争いなどではないものを娘に残したかった、そう考えての決断でしょうな。」
顔を上げた浩二の前にたたずむはノーライフキング! 路傍の石ころを積み並べてかりそめの迷宮としたその奥に潜む、この世ならざる死者の王。魔族四天王のうちで最も恐ろしい、正真正銘の化け物である。
だが今の浩二にとってはちっとも恐ろしく感じられなかった。
見かけだけで言えばこの化け物はただの好々爺であり、浩二の傍らにはより恐ろしい魔王の首が収められた箱があるのだ。
「だからといってこのオレに命を差し出すなどと……。」そう一人ごちる浩二に向かってこのバケモノは「ほっほっほ。」などとわざとらしい笑い声をあげてみせる。
「イタミ卿のお言葉になにか思うことがあったのでしょうな。
己が望みを託したいと、そういうことでしょう。
まあ陛下も思い付きで突拍子もない事をされる方ですから、これはこれであの方らしいとみな得心しているのですよ。
ともあれイタミ卿。あなたのご用意されたゴブの実シチューは、あれはなかなか面白いものだった。まあその調子で何でも新しいものを作ったらよい。
そなたが面白い事をしている間は、このワシもまあ力を貸してやってもよい。何せ魔王との約束がありますからな。好きにやりなされ。」
誠に勝手な言い分をつらつらと連ねては、この恐ろしいノーライフキングは掻き消えるように浩二の前から姿を消した。
数瞬後、慌てた様子で飛び込んできたのはリリム将軍である。
「イタミ卿! 大丈夫か! バケモノに襲われていると聞いたぞ!」
その剣幕に驚きつつも浩二は顔を上げ、「大丈夫だ。」と返事をする。
「そ、そうか。」ホッとした様子のリリム将軍。だがすぐさま、気落ちした様子の浩二に気付き、気遣わし気な表情で話しかけてくる。
「どうした? イタミ卿。どうしてそんな不安そうな顔をしている? なにがそんなに心配なのだ?」
浩二は力なく笑ってみせる。
「ははは。いやな。あまりに突然の事なので混乱している。いきなり魔族の頂点に立つお方から全てを任せるようなことを言われても、さすがにな。
魔王陛下というのはもしかして、その。強引なお方だったのか?」
「どうだろうな。」少し困ったふうのリリム将軍。「まあ、突拍子もない事をおっしゃるお方ではあった。サキュバスの中では落ちこぼれだったわたしを見い出し、武の道に誘ってくださったのはあの方だ。
言われた初めはなんだと反発もしたのだが、今となってはその慧眼に心服するばかりだ。結果として閣下の見立ては正しかったのだ。」
懐かしそうに眼を細めながらそんな事を言い出す。
「イタミ卿のことも、閣下ならではのお考えがあるように思う。あなたが託されたのには訳があるのだ。色々難しいところもあるとは思うが、どうか胸を張ってもって引き受けてほしい。」
だが浩二の顔色は冴えぬままだ。
「自信がないのだ。聖王国の面々を呪い返しで手に入れただけでも大変なのに、更に魔族領の事まで、とてもではないが手が回らん。」
「何を言う! イタミ卿! あなたは閣下に後を託されたのだから、今の魔族は全てあなたの配下に下ったのだ! どうして我らを頼ろうとしないのだ!
このわたしは今やあなたのものなのだ! わたしを使ってくれ!」
リリム将軍が浩二に詰め寄ってきて、まくし立てるようにしてそんな事を言い出す。
それからその美しいかんばせをほんのり桜色に染めながら、「なんなら夜のお相手をしようか? 男性というものは自信が持てぬ時、女を抱くことで前向きになれると聞いた事がある。
こう見えても私はそれなりに男を満足させる技も知っているのだ。どうだろうか?」
などととんでもない事を言い出した。
「あ……。いや……。」どう返答していいか分からない浩二がまごまごしていると、「いけません! コージ様!」と血相を変えたタリアが間に割って入ってきた。
タリアは浩二の身体を引っ張るようにしてリリム将軍との距離を取ると、「何を言い出すのです、リリム様! コージ様に必要があれば、そういった手配はこちらで致します! どうかお気遣いなく!」とぴしゃりと言い放つ。
「そ、そうか。」顔を真っ赤にしたリリム将軍は、今さらながら自分の発言に恥ずかしさを覚えたか、顔を隠すようにしてその場から逃げるようにしていなくなった。
「まったく油断も隙もありません!」何やら怒り心頭のタリアであったが、すぐに切り替えて浩二に報告をしてくる。
「それよりも、大変ですコージ様。ナルミ様のご様子が朝からおかしいのです。すっかり取り乱してしまわれて。
何とかお助けしようとしたのですが、私たちではうまくいかないのです。
言葉が通じぬのです。
恐らく『女神の加護』が失われたせいではないかと考えられます。
エルフにはニフォウン語というものが分かるものがいないのです。
どうかご同郷のコージ様にお力添えいただきたいのです。」
「なんだと?」
浩二は慌てて成美のいる客間へと大急ぎで戻った。
「浩二くん……。」浩二を待ち受けていたのは、呆然とした様子でうずくまる成美あった。
「ねえ、浩二くん。私の中の『聖女』の力、朝起きたらなくなってたんだ。
この18年間さんざん振り回されて、さんざん嫌な思いをして、でもさんざん縋って助けてもらった『クソ女神の加護』、なくなっちゃったんだ。
いくら願ってもどうやっても消えなかったくせに、こんなにあっさりなくなっちゃうなんて、どうしたらいいか分からないのよ。
ねえ? どうしたらいい? 私はどうしたらいいの? これから私はどうすればいいの?」
浩二にはかける言葉がなかった。異世界に召喚されて19年間、只人としてこれまで過ごしてきた浩二には、『女神の加護』の何たるかを知りえない。
その辛さを共有してあげることが出来ない。
だから今成美が感じている喪失感を共感することが出来ない。
だからどうしてよいか分からないまま、ただただ成美の隣に立ち尽くすしかなかった。
成美はそんな浩二の足元に縋るように寄ってきた。
見上げる顔は弱々しく、上目づかいで話しかけてくる。
「ねえ? 浩二くん。お願い。どうかこの私を抱きしめてほしいの。
むろんあなたが佳奈一筋だってことは分かっている。けれども今だけはあなたにぎゅっと抱きしめられたいの。
別にいやらしい事がしたいわけじゃないの。ただどうしようもなく混乱して、誰かの温もりを感じて落ち着きたいだけなの。
だからお願い。」
浩二はその場に膝をつき、成美と目線を合わせた。だがこの先どうしていいか分からない。
「オレは女の扱いがよく分からないのだ。どう抱きしめればいいかも分からない。すまない。」
けれども成美は嬉しそうに微笑みながら、「大丈夫だよ、浩二くん。私のほうから抱きしめてもいい?」と聞いてくる。
「ああ。」と返事をするや否や、両手を広げた成美が浩二の背中に手を回し、しがみつくようについて抱きついてきた。
柔らかな成美の身体と、鼻をくすぐる豊潤な女の香りに、浩二の脳みそはくらくらとなった。
浩二の耳元に顔を寄せた成美がささやく。
「浩二くんも私を抱きしめて? 両手を後ろに回して、ぎゅーってして?」
浩二が言われたとおりにすると、成美は「ああ!」と感嘆のため息を漏らす。
「ああ! 浩二くん。浩二くんの背中は大きくてあったかくてとっても落ち着く! ああ!」
それから成美はさめざめと泣きだした。
「ああ! 浩二くん! 私、怖かったの!
私バカだったわ。いざとなったらその場で魔王を殺してしまえばいいなんて余計な事まで考えて、この魔王城に乗り込んで。
でもそんなつまらない目算は、あの魔王を目にした瞬間に消し飛んだ!
魔王はとても恐ろしい存在だった。とてつもない魔力に恐ろしい眼光。私なんて一撃で消し炭に出来るほどの強大な力を隠そうともしない魔王に、私は自らの愚かしさを呪ったわ。
19年。異世界に来てからもう19年も経って、私たちは強くなったと勘違いしていた。
あんなバケモノ! 今の私たちがどれだけ束になっても勝てるはずがない!
寿命が僅かだとか、もう全盛期の力はないとか、そんな噂は間違いだった! アレは今でもバケモノだった! あんなものを倒せるわけがない。私たちがこの先どれだけ強くなっても、多分一生アレには勝てない。私たちはいつまでも『女神の加護』に呪われたまま、異世界でアレに殺されるのを順番に待つしかない!
魔王を見た瞬間、そう気付かされた。
だから私は絶望した。恐怖に身がすくんで動けなくなった。どうにもならないと全てを諦めた。
けれども浩二くん? あなたはそんな魔王に向かって、料理を武器に平然と立ち向かい、最後にはあのバケモノを倒してしまったの。」
「いや、オレは別に。オレが魔王を倒したわけでは……。」しどろもどろになりながらもそう弁明をしようとする浩二の耳元で、成美の言葉は続く。
「ううん? 魔王は浩二くんが倒したようなものよ? どう頑張っても死にそうにない魔王を、浩二くんは料理を食べさせただけで自殺へと追い込んだ。
それって浩二くんが倒したようなものなのよ?
そりゃあ当の浩二くん自身に納得がいかない結末だろうってのは私にも分かる。混乱してしまう気持ちもよく分かる。
でも私にとっては浩二くんが魔王を倒したも同然なのよ?
だって内容はどうあれ、こうして私の『女神の加護』は失われてしまった。
だからありがとう。心の底からありがとう。
例えそれが、佳奈を助けたい一心での結果のおこぼれだったとしても、私はあなたに救われた今日の日の事を一生あなたに感謝し続けるでしょう。
ありがとう浩二くん。
ありがとう、私が大好きな人。ありがとう私の素敵な王子様。」
それから成美は浩二の腕の中で身をよじらせて、くねるようにして浩二から離れた。
ぱっと立ち上がった成美の顔には、先ほどまでの呆然とした様子は微塵も見受けられない。
「ここまでで充分よ、浩二くん。ありがとう。お陰で落ち着いたわ。それにこれ以上続けていると……。」不意に黙った成美がじいっと浩二の下半身を見つめてくるので、浩二は慌てて手で覆った。
「まさかこのタイミングで浩二くんが私に興奮してくれるとは思わなかったけど、これ以上はまずいわよね。でもよかったわ。浩二くんってもしかしてEDか何かなのかと心配だったのよ。
ちゃんと男性としての機能が働くようなら大安心だわ。
でも今の私がこのままあなたのお相手を務めるわけにはいかないわ。さすがにそれは佳奈に申し訳ないもの。続きがしたかったらまずは佳奈にお願いしてね。」
天使のような笑顔でそんな事を言われると、浩二としてはどうしていいかも分からずに赤くなった顔でもじもじするばかりとなる。
「ああ」とか「うむ」などとみっともない返事くらいしか口からついて出てこない。
そんな浩二に一瞥をくれて、成美は大きな声で宣言をする。
「さあ、帰りましょう! 聖王国へ! 今から私たちは凱旋帰国よ!」
こうして、勇者召喚の前から数えて足かけ30年もの長きにわたる魔人戦争は終結した。
だが浩二の戦いは終わっていない。浩二にとっては魔王よりも恐ろしい相手が最後に一人、残っている。
浩二はその恐るべき相手に心の底から震えながら、なけなしの勇気を振り絞って思いを打ち明けた。
「好きだ。いいんちょ。出会った時からずっと好きだった。オレはお前に思いを告げるためだけに魔王まで倒したのだ。だからどうか……」
「ストーップ! すとぉーっぷ!!」話の途中で佳奈がぶんぶんと両手を振り回す。
「伊丹くんそれ告白だよね!? ものすごーく大切な話だよね! だったらなんで私の事『いいんちょ』って呼ぶの! それ私が中学の時のあだ名だよね! 高校入ってから別に学級委員とかしてないし、未だに『いいんちょ』って呼ぶの伊丹くんだけだからね! みんなにからかわれてめっちゃ恥ずかしい思いしたんだからね! 伊丹くんは変人だし今は命の恩人だしずっと我慢してたけど、ホントはすごい嫌だったんだからね!
それが告白の時にも『いいんちょ』呼びとかありえないよね!?」
浩二は佳奈に思いっきりダメ出しを食らった。
「私の名前は、か! な!
りぴーとあふたーみー! か! な! さんっ! はいっ!」
「か……、か、にゃ……?」
「なぜそこで噛むーっ!!」
浩二の戦いは始まったばかりであった。




