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そんなことよりカレーが食べたい。  作者: すけさん
第四章 その種はメイプルのような香りがありどこかほろ苦く……
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 18

佳奈は今、うすぼんやりとした視界の中で、見慣れたけれど馴染みの薄いお貴族様向けのベッドの天蓋をぼーっと見つめている。


この天蓋付きのふかふかのベッドがどうしても馴染めないのは、それが佳奈にとってお貴族様相手の男女の睦み事の時にしか縁がなかったからだとなんとなく思い至る。


見上げる天蓋は佳奈が男性を受け入れている思い出の中でしか記憶になかったので、こうして一人ただ眠るためだけに横たわっている今の状況にどうしても違和感を覚えてしまうのだ。

佳奈たち異世界転移組の女の子たちの普段の寝床はもっと硬くてペラペラの板だけの安いベッドか、そうでなければ戦場の中にあってマントに身をくるんでみんなで肩を寄せ合い身体を休めるのがせいぜいだったのだ。


ああ。


佳奈は心の中で大きくため息をつく。


私たちは本当に心を操られていたんだ。明らかにおかしな立場に追いやられ酷使されていたのに、それが当然のことだと考え、むしろ聖王国の皆さんに感謝までしていたのだ。


ああ!


佳奈はこみ上げる複雑な感情に戸惑いばかりを覚える。


全然気づかなかった。おかしいとも思わなかった。当然のように悪事に手を染め、殺人を犯し、男に媚び、女を売った。

生きるため、日本に帰るためと言い訳して、むしろ自ら積極的に酷いことをいっぱいした。


「ああっ!」


我知らず佳奈は大きく声を上げていた。


今さらながらに襲ってくる大きな罪の意識に、心が張り裂けんばかりに悲鳴を上げる。佳奈の感情は制御がつかなくなり、見慣れぬ天蓋は溢れる涙に滲んであっという間によく分からないぼんやりとした塊になった。


「カナっ!」叫び声とともに駆け寄ってきた美しい女性がいる。ハイエルフの姫、ナリャはベッドの上に飛び乗るようにして佳奈の脇へと近づくと、そのまま両手で抱えるようにしてギュっと佳奈を抱きしめてくれる。


「しっかりなさい! カナ! もう終わったのですよ! もう恐ろしい事はすべてなくなったのです! もう大丈夫です! あなたを苦しめるものはもう何もないのです! カナ! カナ!」


エルフはみなとてもよい匂いがする。ハイエルフの姫ともなればそれは極上で、大輪の花を思わせるかぐわしい香りと、最高級の絹にも勝る期目の細やかな美しい腕に強く抱きとめられ、爆発しそうだった佳奈の感情が少しずつ落ち着きを取り戻してゆく。


するとだんだん佳奈は自分がとても汚らわしいものであるかに感じられてきた。この花のように美しい姫が自分をこのように抱きしめているのはとても失礼な事であるように思えてきたのだ。

佳奈は身をよじるようにしてナリャ姫の抱擁を解き解こうとする。ナリャ姫は慌てた様子で佳奈の背中に回す手を強くした。


「カナっ! どうしたのですカナっ! そのように暴れられてはあなたを抱きしめられません! 大人しくなさいカナっ!」


「だって……。」佳奈は抗議の声を口にする。「私は汚い存在だから……。ナリャ様がそんなふうにしてはあなたが穢れてしまいます……。」


「何を愚かな事を!」ナリャ姫はぷりぷりと怒り出した。「あなたが穢れているはずがないでしょう! あなたはとっても可愛らしい素敵な女の子です! コージが愛する世界でただ一人の大切な女の子です! それがどうして汚らわしいなどという事がありますか! あーもうっ!」

それからナリャ姫は首を後ろに回して、「コージは一体何をしてるネ!? お姫様のお目覚めは王子様のキスと相場が決まってるネ!? どうして肝心な時にだけあのバカはいないネ!? さっきまですぐそこにいたのに、あのバカはどこに行ったネ!?」と、いつもの胡散臭い片言の台詞でわめき出した。


あれれっ?


佳奈は思わず首を傾げた。さっきまでの流暢なお姫様言葉は何だったのだろう?

ついついうんうん考えてしまい、最初のは古代アールブ語で最後になってダナン語に切り替わったのだとようやっと思い至った。女神様がくれた翻訳の力はとっても便利なはずなのだが、こういう時に却ってヘンな伝わり方になるのでちょっと困る。

あと途中でコージの愛がどうとかよく分からないセリフもあったような気がするが、佳奈にはよく分からないのでその事については考えないようにする。


それでなんだかいろいろ拍子抜けしてしまい、佳奈はようやっとまともに物事を考える頭が働き始めた。


考えてみればナリャ様みたいな国宝級の美人に抱きしめてもらえるのなんて一生の宝だよね。


そんなしょーもない事まで思いついた佳奈は、せっかくの役得だと、しれっとナリャ姫の背中に手をまわした。

高貴なるハイエルフの姫は触り心地も最高で、すんげーいい匂いがします。くんかくんか。



そうこうしているうちにどたどたと音を立てて伊丹くんがやってきた。


「目を覚ましたか! いいんちょ! ……うおっ!」何やらびっくりした顔になり、そのまま後ろを向いてしまう。

「……その。なにやらお楽しみの最中だったか。すまない。二人がそういう関係だとはつゆ知らず……。」

「そんな訳ないでしょ! バカっ!」少し遅れてやってきた成美ちゃんがすぱーんといい音を響かせて伊丹くんの肩のあたりをはたいた。


それから少しして、なにやら自分が誤解の元となっていることに気付いたナリャ姫がぱっと佳奈のそばを離れた。


ああっ! かぐわしい花の姫君が佳奈の前から去ってしまうっ!


佳奈が名残惜しくもナリャ姫を見送っていると、成美ちゃんがやれやれと言った顔になる。

「思ったよりも元気そうでなによりだわ。あんた三日三晩寝込んでたのよ。浩二くんなんかあなたが死ぬんじゃないかって真っ青になっちゃって。みんなすごく心配したんだから、もう少ししおらしい態度でもしてなさい。」


「えーっ?」佳奈はちょっとびっくりする。どうやら自分は3日間も寝呆けていたらしい。


「いや、まあ、大事がなければそれでいいんだ。」とこれは伊丹くん。いい歳こいた大の大人が、飼い犬みたいに不安げな表情で佳奈の顔を覗き込んでくる。


そんな伊丹くんの様子に、佳奈の心の奥底から先ほどまでの罪悪感が再びせりあがってくる。この優しい男の人に対して、佳奈は先日命を刈り取ろうとしてしまったのだ。


「ごめんなさい。」思わず口をついて出た謝罪の言葉に、伊丹くんは「えっ?」と疑問の声を上げた。

「私は伊丹くんを殺そうとしてしまいました。どんなに謝っても許されることではありません。それでも謝罪の言葉を述べさせてください。本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい。」それから佳奈は深々とその場で頭を下げた。


いつまでも頭を上げない佳奈の前で、更に低い位置から伊丹くんの返事が返ってきた。

「俺のほうこそすまなかった。もっと早くに助けに来ればよかったのに、18年もかけてしまった。長い間辛い思いをさせた。本当に申し訳ない。本当にすまなかった。」


驚いた佳奈が顔を上げると、そこには深々と頭を下げる伊丹くんの姿があった。


「バカっ!」成美ちゃんがすぱーんと伊丹くんの頭をはたいた。「あんたたち二人ともどうしようもないバカっ! あんたたちは自分が相手に許されたいからことさらへりくだって自分を卑下してるだけの大バカものよ! けれども二人とも違うでしょうっ!? 佳奈も浩二くんも、相手のことなんて最初からとっくに許しているでしょうっ!? 二人とも相手に謝らせる理由がどこにもないでしょうっ!?」

顔を上げた伊丹くんが「いや……、だがしかし……」と反論しようとするも、成美ちゃんが「うるさい、黙れ。」と一言凄むだけで伊丹くんは口を閉じた。


「それから佳奈。あなたは最初に言うべき言葉をそもそも間違えているわ。あなたが浩二くんに言うべき最初の一言は『ごめんなさい』じゃない。あなたは一番に『ありがとう』って言うべきでしょう? 何やってるの! バカっ!」


ああ。それは本当にその通りだ。佳奈が伊丹くんに言うべき最初の一言はまさにその通りだ。


だから佳奈は改めて深々と頭を下げ、「助けてくれてありがとうございました。」とそう感謝の言葉を口にした。


「よろしいっ!」成美ちゃんは満足げに頷くと、「でもまあ、これですべてが終わった、というわけではないのよね?」と伊丹くんに会話の矛先を向ける。

「うむ。まあそうだな。」

佳奈が顔を上げると、険しい表情になった伊丹くんがぽつぽつとこれまでの経緯や現状、更にはこの先の事について語り出した。



そもそも今回の騒動、事の始まりは異世界召喚された佳奈たち一行の生存者数が少なくなって戦力の低下が顕著になってきたことが発端らしい。

非業の死を遂げた満里奈ちゃんを始めとして、強力な武力を持った優れた異世界転移組は聖王国にとって重要な戦略兵器となるので、数が減っては色々困るらしいのだ。


なぜ困るのか? これまた酷い話で、佳奈たち異世界転移組は聖王国が他国への政治的、軍事的圧力をかけるためのコマとして使われていたそうなのだ。

魔族を相手ではない。同じ人族同士で領土や資源の奪い合いのために異世界転移組を使ってきた、これがこの18年間の聖王国の国家戦略だったのだ。今まで佳奈たちが争ってきた相手は、魔族だけではなく人族も多数含まれていたらしい。


もっと酷い話もある。聖王国は魔王討伐にそれほど乗り気ではなかったというのだ。というのも、魔王を討伐してしまえば佳奈たちの持つ『女神の加護』は失われてしまう。加護とはあくまで魔王を斃すために与えられる特別な力だからだ。

だが聖王国としてはこの強力な力を人族同士の争いに使いたい。だから魔王相手の戦争はある程度適当に三味線を弾いて、つかず離れずの適当な争いに終始していたのがこの18年の無駄に長い戦いの真相だったらしいのだ。


こんなふざけた目的の争いが、それでも曲がりなりにも聖王国の意図する通りに展開できていたのも、佳奈たち異世界転移組があまりに強力なタレント揃いだったことが一番の要因だったのだそうだ。


通常なら圧倒的に不利な状況で全滅を覚悟すべき局面でも、後から異世界転移組を数名送り込むだけで一挙に立場が逆転し、対魔戦線は戦局が簡単にひっくり返る。

だから魔族相手の戦争はここぞという場面でのみ異世界転移組を投入し、あとは適当に現地の各国に押し付けていたそうなのである。

こんな酷いやり口が通用するのもそれだけ強力な戦力を保有している異世界転移組あってこそである。佳奈たちがあまりに強いから聖王国による世の中を舐め切った国家戦略はどうにかまともに機能していたらしい。


だがそれでも18年も戦争をしていれば人員も欠け、戦闘能力に陰りも見えてくる。異世界転移組の人数が少なくなるにつれ、聖王国は世界を相手どってのふざけた三味線を奏でられなくなってきた。つまり冗談抜きで負けが込んできたのだ。


これに慌てた聖王国が目をつけたのが、かつて出ていった伊丹くんだった。

異世界召喚というのは大変なコストがかかる為、ちょっと数が減ったくらいですぐに新たに呼び寄せるわけにもいかないそうである。ならばまずは伊丹くんを何とかする方がよっぽど手っ取り早いと、まあそんなソロバンを弾いての方向転換だったそうだ。


もともと伊丹くんが『勇者』であろうことは聖王国の面々も予測していたが、始めのうちは、正直それほど欲しいタレントではなかった。魔族特攻のある『勇者』だが、聖王国が欲しいのはあくまで対人戦闘や対軍戦争に優れた力なのだ。だから召喚の最初に逃げた伊丹くんのことを特に気にする素振りもなかった。そもそも過酷な異世界を加護もないただの地球人が数年も生きられないだろうというのが聖王国の見解だった。


だが聖王国の予想に反し、伊丹くんは生きていた。発見したのは佳奈だが、呪いの力によって嘘がつけない佳奈は気付かず聖王国のお偉方に伊丹くんの存在を報告していたらしい。その後の伊丹くんの動向も逐一佳奈たちが伝えていたから、伊丹くんの様子は聖王国の人々には全て筒抜けだった。

だがこの時点でも聖王国の上層部は伊丹くんを泳がせる決断をした。加護を得る前、ただの一般人である伊丹くんを捕まえてどうこうするなどは、軍事大国たる聖王国にしてみればいつでも出来る。

それよりもこのまま放置していた方が色々と都合がよい事が分かったそうなのだ。

というのも、そこはかとなく伊丹くんの生存の件を阿久津くんたちクラス男子にリークするだけで、彼らは日頃の不満のはけ口として伊丹くんを憎むことで団結したし、佳奈をはじめとするクラス女子は伊丹くんのお店と料理を生きがいにみなが励むようになっていったから、そのままにしておいた方が聖王国にとってのメリットが大きかったらしい。


「『勇者』などは初めから放逐しておいたほうが却って良い働きをしますな。」などと大臣のラッツェルなどはうそぶいていたそうだから、聖王国の面々は伊丹くんのこともいいように利用している気分だったようである。


そうこうしているうちに満里奈ちゃんなどの強力なスキル持ちが相次いで亡くなった。それで聖王国の首脳陣が伊丹くんの本来の使いみちを思い出し、伊丹くんを呪いで縛りつけようなどと算段を立てはじめた頃に、あろうことか伊丹くんはお貴族様に叙爵されてしまったのだ!


小国の伯爵とはいえ背後にはなにやら得体のしれぬハイエルフの影響力なども察せられ、正攻法では手出しできぬ存在となってしまった伊丹くん。だが事ここに至っては伊丹くんのは喉から手が出るほど欲しい人材だ。そこで聖王国の悪い人々は悪知恵を働かせる。

佳奈をうまく使って伊丹くんをおびき寄せたのだ。


ある日佳奈は突然、伊丹くんに『女神の加護』を与えなければならないと、どういう訳だかそう強く思った。

佳奈がどうしてそんなふうに思ったのか、言われてみればそのきっかけは曖昧だ。

ともかく『女神の加護』がなければ伊丹くんはヤバい! と奇妙な使命感があり、後付けで地球で戻ったときにどうこう、だとか、このままだと伊丹くんだけが一人で年老いて死んでしまう、だとかそんな理由がどんどんくっついていった感じもする。

だがもともと伊丹くんのことを心配する気持ちは佳奈の中にずっと前からあったのだ。それを利用され、いいように佳奈の心をもてあそんだ聖王国の人々に対し、佳奈は初めて怒りの感情を覚えた。


「そんな……! 私はただ、伊丹くんの事が心配で……!」憮然となる佳奈に対し、成美ちゃんは苦笑いを返してくる。

「まったくうまい事を思いついたものだわ。自分のことは二の次で他人のためにばかり動こうとする佳奈と、佳奈が相手となると絶対断れない浩二くん。そんな二人の性格を知りぬいた巧妙な罠だったわね。」


「その事で一つ詫びなければならないことがあるのだ。」ここで伊丹くんが沈痛な面持ちで佳奈に語り掛けてくる。

「実はこの俺はまだ、『女神の加護』を受けていないのだ。加護を受ける前に聖王国のやつらとの決着がついてしまったこともあるが、他にも故あって加護はない方がよいと考えているのだ。

いいんちょとの約束では加護を受ける話になっていたが、出来ればそれはなかったことにしてほしいのだ。すまぬ。」そう言ってぺこりと頭を下げる伊丹くん。


「えーっ?」佳奈としては事情がよく分からないので、こんなふうに頭を下げられても困ってしまう。

どうしたものかと悩んでいると、成美ちゃんが「いきなり謝罪されてもわけが分からないわ。ちゃんと事情を説明しなさい」と助け舟を出してくれた。


そしてここからは伊丹くんの事情。


そもそも伊丹くんは佳奈との約束通り、『女神の加護』を受けるつもりで聖王国までやってきたのだそうだ。『女神の加護』は今の伊丹くんにとっては色々デメリットも多いそうなのだが、ほかならぬ佳奈との約束を反故にする方が伊丹くんにとってはよほどのことだったそうである。

ただし人の心を縛る呪いまで受けるつもりはさらさらなかったから、ハイエルフの権威や王国の権力などを誇示して、かなり露骨に牽制をしてきたつもりだったようだ。


ところが聖王国の面々は平然とこれを無視した。大国の驕りとでもいうべきか、伊丹くん程度の立場や権力程度どうとでもなるとそう目算を立てていたようである。


特に伊丹くんの背後についたハイエルフたちについては、太古の昔からこの世にある世界的な権威ではあっても、大勢の人間を支配するだけの権力はいっさい持ち合わせていないから、さほど脅威だとは考えなかったらしい。


さて、人の心を支配する呪いというやつは、『女神の加護』を受けた特別な人間には効きづらいのだそうだ。佳奈たち異世界転移組は加護により風邪や病気に罹りづらくなっていたが、それは心への負荷や負担に対しても効力があるのだそうだ。

だが、すでに従属の呪いを受けた人間に対しては違う。『女神の加護』はその時、その瞬間にある人間の状態を健全なものとして維持、修復しようとするから、すでに受けた呪いもまた保全されようとしてしまうのだそうだ。

これは例えば、佳奈たちの手足が欠損した場合に『女神の加護』はこれを復元しようとするが、元より残った火傷の跡などはいつまでもそのままであるのと同じことだという。


ここで佳奈はふと思いついた疑問を口にする。

「あれ? そうしたら私たちに掛けられた呪いもまだ残ってしまっているんじゃないの?」

伊丹くんが慌てた様子で返答をくれる。

「まあそれはそうなんだが、今のいいんちょ達は『呪われた直後のまだ健全な精神状態』へ戻ろうとするだけだからな。その上で呪いの大元は解除されているから、いいんちょ達を従わせようとする元となるものがもうないんだ。呪った相手もいないままただ呪われているだけという奇妙な状態になっただけだからまあそんなに心配することはない。」

「そっか。」と佳奈は納得するふりをしてみたものの、正直よく分からない。けれども成美ちゃんも大きく頷いているので、佳奈はそれを信用することにした。


ともかくそんなわけで聖王国の悪い人々は、佳奈たちを呪ったうえで加護を与えその心の自由を奪ったのと同様に、伊丹くんにも同じような事をしようとした。


「どんだけ頭が悪いのか、正気を疑いたくなるような愚行だわ。」とこれは成美ちゃん。


というのも、王国の人々はハイエルフが何の権威であるかを忘れていたのである。


ハイエルフとは、知の権威である。

呪いに対する知識も、呪いに対抗するための知識も、世界中の誰よりも精通しているのである。


そして知っているという事は、ただそれだけで時に最高の力となるのだ。ちょうど伊丹くんが『異世界』というものを知っていたがために一人だけ逃げ出すことが出来たように、ハイエルフは聖王国の人々が仕掛けてくるであろう呪いの事を十全に理解していたがために、伊丹くんに対し最高峰の呪い返しの法を予め仕込んでおくことが出来たのだ。


そして呪い返しは発動した。


神殿の奥へと一人伊丹くんを呼び寄せ、女神の加護と称してまるで関係のない呪術を発動させた次の瞬間、伊丹くんを支配しようとした312人もの愚かな関係者たちは、呪法返しにより全員が伊丹くんの支配下に入った。

聖王国の主要な人物はほぼすべて、それこそ生まれたばかりの王孫達なども含めてすべてが伊丹くんの呪いを受けただけでなく、近隣の協力国の王族や教会最高位の枢機卿たち、更には何故か阿久津くんたち転移組の男子陣も全員が伊丹くんの所有物となってしまったのだそうである。

つまりそれだけの人物たちが伊丹くんを支配しようと目論んでいた証左でもあり、同じだけの人々が佳奈たちを今まで支配していた恐ろしい証拠でもあるのだが、呪いが返されてしまえばそこから先は冗談みたいな話である。


「魔王に譲られずとも自力で世界の半分を手に入れてしまった気分だな。」伊丹くんは力なくハハハと笑い、「ある意味究極の『ざまあ』と言えなくもないわね。ざまあしたはずの浩二くんが心底嫌がっているのが玉にキズだけど。」と成美ちゃんは楽しそうにケラケラと笑った。


人を呪わば穴二つ。


そんな当たり前の事も知らずに伊丹くんに服従させられた高貴なる方々の中には今でも怒り心頭で顔を真っ赤にしているものもいるそうなのだが、そんな人たちに対しては伊丹くんは王宮の庭園に穴を掘ってはまた埋めてを繰り返すという謎の指示を出して、延々と無意味な土木作業に従事させているそうである。

なんでもバカを黙らせるための軍隊式の伝統的なお作法らしいのだが、佳奈にはちょっとよく分からなかった。


お妃様や神官長様といったやんごとなき立場の人々がギャーギャー文句を言いながら庭のあちこちを穴ぼこだらけにしている様を優雅に眺めながら楽しむお茶が最高の楽しみですと嬉しそうに微笑む成美ちゃんは生粋のサディストだと佳奈は思います。


「ともかくそんな訳で、このオレは未だに『女神の加護』を受けておらぬのだ。」


そしてここからはこれからの伊丹くん自身の話。


伊丹くんとしては出来ればこのまま『加護』は受けず、生身の人間として事を進めていきたいらしい。

というのも、伊丹くんが考えている次の一手は魔王軍との停戦交渉なのだそうだ。


これにもいろいろ事情がある。

もともと聖王国を始めとする人族側の各国は三味線を弾くような適当な戦争を何年も続けていたが、こんな馬鹿げた戦いが何年も続いた経緯には魔族側にもなにか事情がありそうだというのが伊丹くんの見立てなのだ。


「これは非公式な情報なのだがな。今代の魔王はすでにかなりの老齢で、余命いくばくもないらしい。

そもそも魔王という役職もまた勇者に似て『邪神の恩恵』によって得る称号なのだそうだが、今代の魔王は恩恵を受けた時点ですでにかなり老いていたそうだ。それが20年以上も無理を重ねて生き永らえてきたが、いよいよそれも怪しいようだとの噂が複数の情報筋から入ってきているのだ。」


さて、魔王の命が僅かであるとするならば、魔族軍が考えるのは以下のような戦略となる。確かに魔王が崩御するのは大きな戦力ダウンだ。しかしながら、魔王が死ねば勇者たち『加護』組もその力を失う。総体としてみると未だに20人以上の異世界転移組の高戦力を保持している人族連合の方が圧倒的に上なのだ。これが失われることの方が魔王軍にとってはよっぽど好ましいのだ。

だから魔王が死すまでは魔族軍もまた三味線を弾いて適当な戦闘に終始しているのではないか、どうもそういった観測情報が流れてきているらしい。


えええええっ!?


佳奈としては初めての情報にびっくりとなってしまう。


そもそももともと魔王を始めとする魔族の動向は謎のベールに包まれている。聖王国を始めとする人族のスパイが幾度となく潜入を試み、そのことごとくが返り討ちにあっている。


だから魔王軍の事はほとんど何も分からないと言っていい。

今聞いた伊丹くんの情報も、そもそもどれだけの信ぴょう性があるのかすら判断のしようがない。


とても信じられないといった佳奈を前に、伊丹くんはニヤリと笑ってみせる。

「そもそもオレはこの世界でカレーを作るためのスパイス集めに奔走しているのだぞ。当然魔族領にもお目当ての植物は山のようにある。

だからオレは魔族相手にも18年かけて多くのコネを作り、沢山のスパイスを北方から仕入れてきたのだ。

ターメリックにシナモン。ダシの大元の昆布の主産も魔族の支配する北海になるし、最近では花椒が大きな発見だったな。

いいんちょがこの間うまそうに食べていた麻婆豆腐の原材料は殆どが魔王領産だぞ。」


うげえっ!


佳奈たちが一月ほど前にナキニ領に遊びに行ったときに唐突に麻婆豆腐が出てきたので、みんなしてびっくりしながらも美味しく食べた。だがあれが魔族ゆかりの食べ物だと分かってしまうと、途端におぞましいものであるかのように感じられ、今さらながら嫌悪感に吐き気を催してくる。

見れば成美ちゃんも同じ様相で、顔を真っ青にして片手を口に当てていた。


「ああ、すまない。」と、そんな二人の様子を察した伊丹くんが頭を下げてきた。

「『女神の加護』の弊害だな。これは聖王国のクズ共が施したちんけな呪いとは違う。女神と邪神はもともとが争い合うように設計されているから、女神の眷属となってしまったいいんちょたちは必然的に邪神にまつわる全てを本能的に嫌わざるを得ないのだ。

そしてこれこそが、この俺が『女神の加護』を忌避する一番の理由なのだ。」


続けて語られる伊丹くんの考えとは、つまりはこういうことである。


魔王の容態がどうであるかはあくまで観測情報であり、真偽を確かめるためにはそれこそ停戦交渉などの理由をつけて直接様子を見に行くしかない。

だが伊丹くんが『女神の加護』を受けてしまうと魔族たちとは敵対関係を強制的に結ばされてしまうから、交渉どころの話ではなくなってしまう。


そこで、魔族、人族のどちらとも話の出来る只人のまま交渉にあたり、その過程で相手の実情を直接探ってこようと、こういう算段なのだそうである。むろん魔王老衰の噂が事実であれば、むしろ停戦交渉は互いにとっての本命になるだろうから、その際は本気で停戦の約を取りに行くつもりでもある。


「果たしてそんな簡単にうまくいくのかしら?」成美ちゃんの疑問は佳奈自身の疑問である。

対する伊丹くんは拳で自らの胸をドンと叩いてみせた。


「安心しろ。最初からこの俺は魔族とも付き合いを密にしていたのだ。

18年も彼らと付き合っていればそれなりの伝手もある。四天王の一人、サキュバスのリリムなどとは特別に親しくさせてもらっているからまあどうとでもなるだろう。」


サキュバスのリリム! 魔王軍のお色気担当の色ものかと思いきや何故かバリバリの武闘派で、オスどもから巻き上げた大量の精気を直接拳に乗せて殴り掛かってくる、佳奈にとっての長きに渡る因縁の相手であった!

なによりあの無駄にエロい顔とでかくていやらしいおっぱいが気にくわない!


「リリムなんかと仲良くするのは許しません!」佳奈の口から思わずついて出た言葉に、何故か伊丹くんはぺこぺこと謝りだした。

「そ、そうか。すまん。まあ他にもコネはあるから何とか別口で当たってみる。ともかくこの俺が直接魔王サイドの状況を探ってくるから、この先どうするかはまずはこの俺に任せてほしいのだ。

どうだろうか?」


佳奈と成美ちゃんは二人して顔を見合わせた。

付き合いの長い二人は、語らずともある程度の意思疎通は出来る。うんうんこくこくとお互いに頷きあい、佳奈は成美ちゃんが自分と同じ気持ちである事を確かめると、返答は全て成美ちゃんに任せることにした。


「どうもこうもないわ。浩二くんの好きにしてちょうだい。

だいたい私たちは18年も異世界に暮らしてきて、魔族どもの事情も世界の状況も未だに全然分かっていない。

聖王国のクズどもにいいように使われてきたという事情を差し引いても、状況に流されてまともに情報収集すらしてこなかった結果、今色々と教えてくれた浩二くんの話が正しいかどうかすら判断がつかないの。

だから本当は今からでも異世界の社会情勢を一から勉強して自らの頭で判断して返答したいところだけれど、恐らくそれには何年もかかることでしょう。

けれども状況は流動的で、今は一刻を争う状況なんでしょう? 私たちが結論を出すまで何年も待っていられない状況でしょう?

だったら私たちに出来ることは、浩二くんを信頼できるか否かの判断だけなのよ。


そして私も佳奈も、あなたを全面的に信頼します。


例え信じた結果、あなたが間違えて私たちがとてもひどい目に合ったとしても、佳奈も私もあなたを恨みません。それくらいに私も佳奈も浩二くんの事を信じているの。

異世界で再会してから13年。私も佳奈も、それほどまでにあなたの事を信じられるだけの積み重ねがありました。

だから全てをあなたに託します。必要とあらば私たちの事も好きに使ってくれてかまわないわ。

私たちのことは一切気にせず、浩二くんの好きなようにしてください。


よろしくお願いします。」


言い切った成美ちゃんが深々と頭を下げるのを見て、佳奈も合わせて「お願いします!」と大きく頭を下げた。


「分かった。全てを任されよう。」

そう返事をした伊丹くんも深々と頭を下げ、そんな佳奈たちを見たナリャ姫が「コージはすぐにペコペコ頭を下げてどうかと思っていたけれど、カナもナルミもコージと一緒ネー。」などとぽつりとつぶやき、顔を上げた「そういう国民性なんですよ」と成美ちゃんが返すことでこの一幕は笑い話となった。


「それにしても、強大な魔王を倒すのがレゾンデートルな勇者ともあろうものが、ただ魔王の老衰死を待つばかりって物語としてはどうなのかしらね?」

そんな疑問を口にする成美ちゃんに、

「勝てばよかろうなのだ!」などと伊丹くんが返し、三人でアハハと笑ったりした。



さて、最後に残るは佳奈がこの先どうしたいかについてのお話。


まず一つ目は復讐について。佳奈たち女の子の中には、王侯貴族たちの支配下の中でオモチャのように扱われたものも大勢いる。

多少のけがや傷は何事もなかったかのように復元してしまうし、心の健全性が強制的に担保されてしまう『加護』持ちの美しい娘たち。

これが呪いの力によって自分の自由に出来る上に、異世界から来たこのものたちは世俗的なしがらみが一切ない。

少しでも邪な心がある人間であれば良からぬことを考えるものも当然出てくる。男だけではない。女性の中にも酷いことを考えるものは沢山いる。

そんな悪しきものたちにいいように弄ばれたものは佳奈以外にも何人もいたから、立場が逆転した今、彼ら、彼女らに復讐を望むのは当然の権利だと伊丹くんは言う。


「だがこれだけは忘れないでほしい。もしいいんちょが地球に戻ることを今でも願っているのなら、個人的な感情から復讐をすることはとてもお勧めできない。

人の心は一線を越えてしまうと、もう二度と元には戻れないというどうしようもない性を持ち合わせている。

どれほど許せぬ相手を前にしても、残虐な方法で痛めつける味を占めてしまうと現代日本に帰ったときにまっとうな社会生活を送るのは困難になる。

いかなる理由があろうとも他者を個人的にいたぶるのは日本では違法行為だからだ。


そりゃあいいんちょたちも、今まで彼らに命じられて残虐な行為に手を染めた事もあったろうと思う。だが、呪いの力で強制的に罪を犯すのと、自らの意志で能動的に犯罪行為に手を出すのではその本質的な意味が異なってくるとオレは思う。

前者にはまだ救いがあるが、後者になるともう後戻りは出来ん。


だから彼らに罰を望むのであれば、それはこの俺に任せてほしいと考えている。

きちんと日本的な立場に則り対処を希望するのであれば、この俺に制裁を任せてくれれば然るべき手順を踏んで正しく彼らを罰すると誓おう。

それならば法治国家たる日本に帰ってもいいんちょ達はさほど苦労はせぬだろう。

オレとしては出来ればこの件はすべて任せてほしいと考えている。


だが復讐は前近代的なこの世界では正当な権利として認められているのだ。いいんちょが彼らを個人的に嬲りたいというのであればこの俺に止める権限はない。

だがどうするかはよく考えてから決断してくれ。」


この話を聞いた佳奈は即座に首を横に振った。

「私の望みは初めからずっと、日本に戻ることだけだよ。それ以外のことは何も望まない。正直あの人達とは顔も見たくないって気持ちはあるから、そこだけ配慮してくれれば後は復讐なんて望まない。私は復讐なんて望まないよ、伊丹くん。」


「そうか。」大きく頷く伊丹くん。


「あら? 佳奈? それでいいの? なんならあなたにご執心だった騎士団長辺りはこの私がボコボコにしておきましょうか?」と成美ちゃんが爆弾発言を投下した。


えええええっ。


「いや、そういうのは別にいいです。」佳奈がおずおずとお断りの一言を伝えると、「あら残念。」と成美ちゃんはさして残念そうな様子もなくそう言ってのけた。


「その。柿野坂は出来れば少し遠慮してもらえると有難いのだがな。彼らは国の中枢としてこれからも生かさず殺さずで使い潰していく予定なのだ。あまり酷く心を折るような事をされると使い道がなくなってしまう。」


うわぁ……。成美ちゃんは復讐を選んだんだね。まあ、それはそれで成美ちゃんらしい気もする。

「はーい」などと可愛い返事とともにペロッと可愛らしく舌を出してみせる成美ちゃんだったが、あざといとかってレベルを超えてちょっと怖いよ!



「それで続けて、聖王国の者たちの取り扱いについてなのだがな。先に少し話してしまったが、出来れば彼らはこのまま使い続けたいのだ。」


今回伊丹くんが従えることに成功した312名もの聖王国を始めとする各国の重鎮たち。彼らはいずれも劣らぬ世を統べ人を従える権力者たちである。

それを例えば一斉に処刑してしまうと、南方地域の国家群は大きな混乱をきたし、ほかならぬ一般市民たちの暮らしに大きな影響が出てしまう。為政者というものは特に何の役にも立たないようなものであっても、集団をまとめるための要としてただ存在するだけでもそれなりに機能している事がほとんどだからだそうだ。

だからとりあえず生かす。


彼らのしでかした悪事はもちろん、本来許されるべきことではない。だが日本人の感覚で彼らを法の下に裁き厳罰に処したとして、非文化的な異世界では後に続いて国をまとめるものもいないのが現状なのだ。

例えば彼らの罪をあまねく世界に公表したとしよう。これを返り討ちにし、ナキニ伯コージ・イタミが彼らを支配下に置いたと世間に発表したとしよう。

すると次の瞬間に聖王国に虐げられた周辺各国はこぞってこの国に攻め入ってくるだろう。その先にあるのは不毛な民族争いだ。北方に恐ろしい魔族も控えている世界情勢の中で人族同士の争いが激化しては世界そのものの崩壊の危機に晒される。

だからこのまま何もしない。表向きは今までと一切変わらないように振舞わせる。


もちろん、今回の悲劇の元となったいびつな異世界転移の呪法などは徹底的に破棄させる。二度とこのような邪法が用いられないよう、全ての証拠を消滅させる。

だいたい本来において、異世界召喚と女神の加護の付与は二つで一つのワンセットだったはずが、聖王国の歴史の中で天才的な魔術師がこれを分離させる悪魔の魔法陣を生み出したことが全ての発端だったそうなのだ。

このような悪魔的発明は徹底的に隠滅させる。むろん、この先の未来において同じような着想を得る第二の天才が生まれる可能性は大いにあり得る。だがそれはあやふやな未来の話だ。幸いにも長命なハイエルフたちがこの邪法が二度と生み出されないよう監視の役を買って出てくれているそうだから、早々酷い事にはならないだろうというのが伊丹くんの見解である。


それでともかく、政治的な事柄に関しては今まで通り彼らにすべて任せてしまって、ある程度いびつな部分には目をつぶりほったらかしにしようという心積もりなのだそうだ。


「正直なところ、聖王国のような大国を差配するなどとこのオレの手には余るのだ。かといって他に適任も思いつかん。

いっそのこと魔王にでも権限を譲渡してやろうかとも思ったが、恐らく史上最悪のジェノサイドが行われて人族が絶滅して終わるだろう。

誰も治めるものがいないなら、もともとの当人たちにやらせてしまおうという魂胆なのだ。」


ここで成美ちゃんが「はーい。」と手を上げた。

「誰も治めるものがないなら、私が代わりに治めてもいい?」まるで最後に一つだけ残ったお菓子を食べてもいいか尋ねるような気安い口調で、とんでもない事をしれっと言ってみせる。


えええええっ!?


混乱する佳奈を尻目に成美ちゃんは続ける。

「私、いっぺん国家運営ってものをやってみたかったの! 300人以上の国の主力メンバーを自由に動かせるんでしょ? ある意味究極のシミュレーションゲームじゃない! 私が差配して最高の国造りをしてみせるわ! 私にその権限をちょうだい?」などと、可愛らしく猫撫で声で伊丹くんにおねだりをする成美ちゃん。


「ダメだ!」伊丹くんは即答した。「まつりごとは遊びじゃない。僅かな選択の間違いがそのまま市井の無辜の民の命に直結するんだ。大勢の人間に害を為した後で間違えましたで謝れば済むような問題じゃない。」

これに対し成美ちゃんが吠えた。

「その間違えましたの一言も言えないのが今の聖王国じゃない! あんな奴らに治めさせておくくらいなら私の方がまだましだって言ってんのよ!」

「それでもダメだ!」伊丹くんは取りつく島もない。「他人の命を左右する力を得るんだから、自ら自身の命をも賭けるくらいの覚悟を見せてもらわなければ困る。

聖王国のやつらに覚悟があるかどうかじゃない。ほかならぬ柿野坂自身の覚悟を問うている。」

「覚悟ならあるわ!」伊丹くんを睨みつけるようにしてそう宣言する成美ちゃん。

突如始まった謎の諍いにハラハラ見守るしか出来ない佳奈を前に、二人はバチバチと無言で睨み合う。


数分ほどして、先に折れたのは伊丹くんだった。

「分かった。柿野坂よ。お前が本気なのはよく分かった。だが柿野坂よ。覚悟とは口に出せば伝わるものでもない。お前が本気で国政を意のままにしたいというのであれば、その覚悟を態度で見せてくれ。少しづつ行政の一部をお前に任せてゆくから、己が力をこの俺に示してくれ。

お前がこの俺の信用に値すると判断した時点で、お前にすべてをゆだねよう。だがまずはこの俺にその覚悟を見せてくれ。全てはそれからだ。」

「分かったわ。必ずあなたの信頼を勝ち取って見せる。だから私の覚悟をちゃんと評価してちょうだい。」


「いいだろう。お前の覚悟を見せてみろ。」

そして二人してうんうんと頷きあった。


それにしても、と佳奈は思った。成美ちゃんが女王様かーっ。ある意味すごく似合ってそうでちょっと見てみたい気もする。

そこまで考えて佳奈はあれれ? と思った。だから疑問をそのまま口にした。


「あれっ? 成美ちゃんはいつまで聖王国に関わるつもりなの? 魔王が老衰で死んじゃったら日本に帰らなきゃだよ? あんまり変な関わり方しちゃうと帰りづらくなっちゃうよ?」


そしたら成美ちゃんはヘンな顔になった。

「なに言ってるのよ佳奈。私は日本に帰るつもりはないわよ。」


「えええええっ!?」思わず声を上げてしまう佳奈。


「そう言えば佳奈にはまだ話していなかったかしら?

もともと私は親関係で日本にあんまりいい思い出ないし、出来る事ならこの世界に留まるつもりだったわよ。」


「聞いてない! 聞いてないよ成美ちゃんっ!」

佳奈はずっと一緒だと思っていた成美ちゃんとの突然の別れ話に動揺してしまう。


「そんな事言ったら佳奈。浩二くんだってこの世界に残るつもりでしょう? みんながみんなあなたみたいに地球に帰りたいわけでもないのよ? こればかりは仕方がない話だわ。」


「えええええっ!」佳奈は二度目のびっくりだ。「伊丹くんもこっちに残るつもりなの!?」


そんな佳奈に対し、申し訳なさそうにぽりぽりと頭を掻く伊丹くん。

「いや、まあ。オレは爵位を拝領した時点で領民に対し責を負う約束をしたからな。彼らのためにもこの世界に骨を埋める覚悟をしている。

まあ、うんと先の未来にすべての責務から解放された暁には、最後にちょっと日本に戻るようなことはあるかもしれん。けれどもまあ、それは随分と先の話だ。志半ばでこの世界に命を散らすような可能性の方がよっぽど高いように思えるな。」


「そんなぁ……。嫌だよぅ……。」佳奈はボロボロと涙をこぼしていた。「成美ちゃんや伊丹くんと分かれるのは嫌だよぅっ……。」


そんな佳奈を前に、成美ちゃんがベッドの脇にまで移動してきてくれて、そっと佳奈の肩を抱き寄せてくれた。


「バカねぇ佳奈。そもそも魔王が死にかけかどうかもまだ分からないのよ? もしかしたら死ぬまで一生魔王軍と争い続けなきゃいけないかもしれないのに、そんな先の未来のことなんて心配するだけ無駄よ?

今はまずは魔王との戦いがどうなるかを見守りましょう?

この話はもっと先に悩むべき事柄だわ。」

「でも……。でも……。」なおも愚図る佳奈に向かって、伊丹くんも優しく語り掛けてくる。

「まあ、まずは魔王との謁見が全てだ。それも少し先の話だ。そのころにはお互いに気持ちが変わっている可能性もある。それまで銘々がどうするかを考えればよい。人の心など移ろうものなのだから、あまり深刻に考えないでくれ。」


そんなふうにして二人にあやされているうちに、佳奈の心も次第に落ち着いていった。

だがそれでも一抹の不安は得体の知れない荒寥感として心の奥底にとどまって、佳奈をいつまでもさいなませる小さなとげとなった。



「なんだかしんみりする話になってしまったな。すまない。」

申し訳なさそうな顔で謝意を示す伊丹くん。それからきりりと真面目な顔になり、佳奈に向かって改めて質問を投げかけてきた。

「それでこれが最後の話なんだが、改めていいんちょに問いたい。いいんちょはこのオレに何を望む? オレはいいんちょの為に何をすればいい? 最後にそれを聞かせてくれ。」


佳奈は思わず「えっ?」となった。


「いやその、フェヌグリークを見つけてきたお礼が反故になってしまっただろう? オレは『女神の加護』を受けると約束したのにこれを破ろうというのだ。

何でもすると言った以上、あらためていいんちょの望みを叶えたい。このオレに出来る事なら何でもしよう。

何かこのオレに頼み事はないだろうか?」


「えええええっ」佳奈は困ってしまった。いきなり急にそんな事を言われても思いつくことなど何もない。


困った佳奈は成美ちゃんに話を振った。

「もともとあのスパイスはクラスのみんなで見つけたんだから、みんなでお願いを相談したほうがいいんじゃない? あの時は私が勝手に『女神の加護』を望んでしまったけど、本来権利は女子たちみんなにあると思うんだけど。」


けれども成美ちゃんは首を横に振った。

「あのスパイスは満里奈が見つけたものを佳奈に託したんだと私は考えているの。

乙女チックで夢物語みたいな発想だけど、なんだかそう考えるのが一番しっくりくると思いついてしまったのよね。

みんなにこの話をしたら、全員一致で賛同してくれたわ。だから願い事は佳奈が決めてほしいの。だからあなたが好きに願いを言ってちょうだい。」


えええええっ。


佳奈としてはさっぱり意味が分からない。何故ここに満里奈ちゃんの名前が出てきて、何故乙女チックな理由で佳奈が託されるというのか。

みんなめんどくさいから佳奈にすべてを押し付けようとしているだけではないのか。


だが成美ちゃんの顔を横目にチラリと見てみると、割と真剣な真面目な表情をしていた。どうやら冗談とかではないらしい。


困った。


何も思いつかない。


いや待てよ?


一つだけ頭に思い浮かぶものがあるぞ?


いやしかしそんなお願いでもいいのか?


でも他に何も思いつかないぞ?


……ええいっ。


ままよ!








「そんなことよりカレーが食べたい!」



「よし分かった!」満面の笑みで頷く伊丹くんの横で、「あーいたたたっ」と頭に手を当てる成美ちゃんの顔があったが佳奈の知ったことではありません!


こうして佳奈は、いつでも好きな時に好きなだけ伊丹くんのカレーを食べる権利を手に入れた。



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[良い点] 作者さんのこだわり [一言] 不穏な空気は漂ってたけど生々しい方向に行ったなあ
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