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そんなことよりカレーが食べたい。  作者: すけさん
第四章 その種はメイプルのような香りがありどこかほろ苦く……
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フェヌグリークを加えたカレーは、びっくりするほど日本のカレーの香りがした。

このころには伊丹くんのカレー店の料理のクオリティーは半端なく高くなっており、何でもフランス料理の究極のソースだというドミグラスソースをベースにした欧風カレーなどがフツーに食べられるようになっていたが、これにフェヌグリークを加えた一皿は、日本の高級レストランとかで出てきてもおかしくないすごいご立派な超高級な日本のカレーであった。

満里奈ちゃんが生きていたら「スゲーうめー!」とか少ない語彙で大喜びをしながら沢山おかわりした事だろう。

もっとも佳奈だって大した語彙など持ち合わせていないから、「美味しい! 美味しい!」と連呼しながらおかわりもしたのだが。



伊丹くんはそんな佳奈たちの様子を嬉しそうにニコニコと笑いながら見ている。


伊丹くんはすっかりナイスミドルなオジサマになってしまっていた。

長身で筋肉質な体形は変わらずだったが、髪には白いものが混じりはじめ、笑う目じりには皺が刻まれている。

それもそのはず。伊丹くんはもう30代も半ばごろの年齢なのだ。対する佳奈たちは女神の加護のおかげで未だに16~17歳のころの容姿を保っており、そんなみんなの中にいるとついつい時の流れを忘れてしまいがちになるけれど、本当はもうそれくらいの時間が過ぎているのだ。


未だに魔王へは手が届かない。

戦いは決着がつかない。

一進一退の攻防がまだ続いている。


原因はさまざまではあったが、そのうちの一つに人族側の決定力不足が上げられる。強力かつ多彩な能力を女神より与えられたタレント集団である異世界転移組だが、それでも戦局を決定づけるに足りる強力な攻撃力が初めから足りていなかった。


これについて、まことしやかな噂がある。本来あるべき役職を司る転移者がいない事が問題だというのだ。


その役職名は『勇者』。


佳奈たち異世界転移者はみなが勇者と呼ばれていたが、職業としての『勇者』は別にあるらしく、魔王を斃すための特効戦力として本来ならば必要不可欠なのだそうだ。

むろん、過去の人魔大戦の折には不慮の事故などで『勇者』抜きで戦線を戦った記録もあるのだそうだが、こういう場合は大抵が苦戦し、戦いは長引くことがほとんどで、勝った先も荒廃が待ち受けており大変な事にしかならないのだそうである。

しかし最初から『勇者』がいない異世界召喚というものは一度もなかったらしい。


そこで召喚時の状況を知る誰しもがある可能性を思いつく。


いるじゃないか。一人だけ。召喚してすぐに逃げ出した男が。女神の加護を受けずに消えた人間が。彼こそが今代の『勇者』なのではないか。


そう。伊丹くんの事である。


伊丹くんは未だにクラスの男子から毛虫のごとく嫌われている。一人だけ逃げ出した軟弱ものという嫌悪感もさることながら、そんな伊丹くんが『勇者』かもしれないという可能性が男子たちの心情的にどうしても受け入れがたいのだろうと成美ちゃんは言う。


クラスの男の子たちは女子を守るため、より危険な役どころを引き受ける苦労を買って出てくれたから、結果としてより沢山死んだ。クラスの女子が未だに15名程残っているのに対し、男子の数は10人を切ってしまった。

そんな彼らにとって、伊丹くんに対してはとても複雑な思いがあるらしい。


すこし前にクラスの女の子がぽろっと伊丹くんが伯爵様に叙爵された事を話した際の男子たちの腹の立てようはすさまじいものだった。

「あんな奴が貴族になるなんて!」普段は温厚な山崎くんが激昂する瞬間には佳奈もギョッとなった。

阿久津君などはその場で転移魔法の使い手であるあかねちゃんに詰め寄って、「今すぐ奴のもとに転移しろ!」などと、半ば脅迫めいた詰問を長きに渡って繰り返した。

お陰であかねちゃんは恐ろしさのあまり、しばらくは男子を連れての転移魔法が使えなくなってしまったくらいである。


クラスの女の子たちの中には男子たちとそれなりに仲がいいものも何人かいる。だから成美ちゃんは最悪を見越して、伊丹くんの居場所、どの国の何という町にいるか等はごく一部の人間しか分からないように差配していた。

佳奈はやりすぎではないかと最初は思ったものだが、今では考えの甘さに昔の自分を叱りつけてやりたいくらいである。成美ちゃんの機転のおかげで伊丹くんの所在は男子たちにははっきり伝わらず、お陰で阿久津君たちが彼のもとに乗り込むことを阻止出来ているのだから。

もし男子たちを伊丹くんを引き合わせたらどんな酷いことが待っているのか、想像するのも恐ろしい。

佳奈は知っている。阿久津くんたちがいかに残虐に魔族たちを殺すかを。そしてその残虐性は、時にいともたやすく人にも向けられることがある事を。

そして彼らが、伊丹くんに対しても恐らくは平然とそれを行おうとするだろうことを。


だから佳奈たちは何としても彼らを伊丹くんに引き合わせるわけにはいかなかったのだ。


だから男子たちは未だに知らない。

彼らが「逃げ出した」と悪く言う伊丹くんが、実際には異世界で大変な努力を重ね、日本にいた頃と遜色ないかそれ以上の素晴らしい料理を提供できるまでに至ったことを。

クラスの女子たちの希望にすらなっているその美食の品々を、彼らは味わうどころかその存在すら未だに知らないという事実は佳奈の心に小さなとげとしていつまでも残り続けているが、結果として男子たちと女子たちの仲は今や一部を除いてすっかり冷え切ったものになってしまってた。



そんな男子たちとの事情はさておいても、ともあれ伊丹くん一人だけが未だに『女神の加護』を受けていないことは間違いないから、佳奈はその事がずっと気がかりであった。


このままずるずると何年も魔王と戦っている間に、伊丹くんはどんどん齢をとり、やがていつかは老いさらばえて死を迎える事になるだろう。

佳奈は今でもみんなで地球に帰る心積もりがある。そして伊丹くんから教えてもらった異世界マメ知識が確かならば、こちらの世界と日本の間では時間の過ぎる速度が全然違うから、いつまでも齢をとらないクラスのみんなが戻ったとしてもそれほど違和感は持たれないだろう。

魔王を斃し地球に戻りさえすれば女神の加護は失われ、再び体内の時計が進みだすであろうという話は異世界転移でよくある話らしいのだ。


だが伊丹くんはもう遅いのだ。今の伊丹くんが地球に戻っても、一人だけ30代の大人になってしまっており、まともに社会復帰などとてもできるとも思えない。

それが更に齢を重ねてしまうと、もはや地球に戻ることすら叶わないのではないか? そんな恐れが佳奈にはあった。

だからなんとかこれ以上年齢が進まぬよう、今からでも『女神の加護』を受けてもらうべきなのではないか? 佳奈が以前から考えている事である。


もちろん、伊丹くんが『勇者』であり、みんなと一緒に戦線に参加してくれるようなことがあればそれはとても嬉しい話だ。

だがそれは佳奈の本意ではない。正直佳奈としては、伊丹くんには女神の加護による不老措置だけを受けてもらって、後は領地運営や料理の研究など、今まで通りの暮らしを続けてもらったらいいと考えている。


まず何より、いままで一般人として過ごしてきた伊丹くんがいきなり過酷な対魔戦線についてこれるとは思えない点が一つ。

更にはクラスの男子との関係性がとても心配な点が一つ。クラスメイト達は魔族を殺すことには抵抗がないが、同じように人間を殺す事にもすっかり慣れてしまった。そして、伊丹くんを悪く思う阿久津くんたちが、伊丹くんに害を加える可能性は非常に高かった。


あとは、正直な印象として、伊丹くんが勇者をしている絵づらが思い浮かばない事が一番大きい。

伊丹くんはタリアなどの仲間たちとともに領地経営にせいを出しつつ、たまに訪れる佳奈たちに美味しい料理を振舞ってくれる、そんな関係性が佳奈にとっては何よりも心地よい。


かつて生前の満里奈ちゃんは、伊丹くんの経営するお店の事を「第二の故郷」と呼んでいた。そしてそれは、佳奈たちクラス女子の総意でもあった。

どこか懐かしく、何故かホッとする。日本にいた頃とよく似た、でも少し違う不思議な料理と、居心地の良い空間。

最初の都市国家のお店もよかったが、伊丹くんが領主様になって館を構えるようになってからのお屋敷の雰囲気はさらによくなっていた。

お陰でみんな、休みを作っては転移魔法で押しかけて思い思いにくつろぐ日常が当り前のようになってしまっていた。

今ではお屋敷の一角に、クラスの女の子一人ひとりの個人部屋まであったりするのだ。


佳奈は何としても地球に帰るつもりではあるが、異世界にいる間帰りたいのはいつの間にか伊丹くんの治める伯爵領になっていた。


そんな大切な場所を守る伊丹くんには、いつまでも今まで通りでいてほしいと、佳奈は強く願ってしまうのだ。

だからこその『女神の加護』による不老化処置であり、この相談をクラスの女の子たちに持ち掛けた際はみんなは満場一致で賛同してくれた。



フェヌグリークを探してほしいと頼んできた際に伊丹くんは言った。


「見つけてきてくれたらどんな礼でもする」と。


だから佳奈はお礼の代わりにそれを願った。


「どうか女神の加護を受けてください」と。


「そうか……。」呟いた伊丹くんはそのまま黙り込んでしまう。隣に立つタリアたちが不安そうに伊丹くんの様子を伺う中、たっぷり時間をかけて大きく息を吐いた伊丹くんは「分かった。」と頷いた。


「ただし出来れば数か月ほどの準備期間が欲しい。構わないか?」そう付け加える伊丹くんに、佳奈は一も二もなく首を縦に振る。


けれども準備って何をするんだろう? 佳奈は少しばかり不思議に思った。


けれども伊丹くんに断られる可能性ばかりを考えていた佳奈は、大きな心配事が片付いた安心感からそれ以上深く考えることをしなかった。


だから5か月後にまさかあんな大事になるだなんて、当日になるまで思いもよらなかった。



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