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満里奈ちゃんがこの世を去ってもう5年になる。
佳奈は満里奈ちゃんの最後を思い出すたびに、胸がキュッと痛くなる。
満里奈ちゃんは大好きな伊丹くんの事を想いながら、戦場の中にあってみんなに見送られてあの世に旅立った。
満里奈ちゃんは男兄弟に囲まれた末っ子で男の子と遊ぶ方が楽でいいなどという性格の女の子だったから、一部の女子からは悪く言われていたこともあったそうだ。
男に媚びを売ってる遊び人の女。そんな酷いうわさを佳奈も人づてに耳にしたことがある。
けれども満里奈ちゃんは、仲のいい男の子達の事は友達としか思えず、恋愛感情などは一切持てなかったようである。お兄ちゃん達に対する関係と同じようなノリで付き合っていただけだと佳奈は生前の満里奈ちゃんから直接聞いている。
そんな満里奈ちゃんが初めて本気に好きになった相手が伊丹くんであった。異世界に来てどうしようもなく追い詰められて、そんな中でクラスの女の子たちで押しかけた伊丹くんのカレーのお店。
その料理を通じて満里奈ちゃんはどうしようもなく伊丹くんを好きになってしまったそうなのである。
それからの満里奈ちゃんはびっくりするほど乙女だった。
明るくてさばさばした正確のはずの満里奈ちゃんがすっかりしおらしくなって、二言目には「浩二は可愛いって言ってくれるかな?」だとか、「浩二は喜んでくれるかな?」とか、そんな台詞しか言わなくなった。
異世界の中世然とした古臭い世界の中で、一生懸命可愛い服を探したり、ダイエットに勤しんだり、お化粧を頑張ってみたり。
「正直うぜぇ」と毒吐きの成美ちゃんにからかわれながらも、一生懸命女の子をしていた。乙女第一人者の成美ちゃんは知識も経験もすごいので、満里奈ちゃんは成美ちゃんに助けを求めるしかなかったのだ。
そんな満里奈ちゃんはだが、肝心の伊丹くんの前ではまるでポンコツであった。顔を真っ赤にして、あわあわとしどろもどろになって、最後には顔を伏せてこくこくと頷くばかりで。
そんな満里奈ちゃんを相手に伊丹くんはびっくりするほどフツーの対応だった。
「よく来たな。」とか、「美味いか?」とか当たり障りのない事を言って、満里奈ちゃんがこくこく頷くと、嬉しそうに笑ってすぐに厨房に引っ込んでしまう。
満里奈ちゃんの態度はどう見ても好き好きオーラに満ち溢れていたけれども、どうにも伊丹くんには伝わっていない様子だった。
当時の伊丹くんはなんか小麦の改良(?)みたいな大仕事に取り掛かっているらしく、目の下に隈なんかを作っていて疲れた様子だったから、満里奈ちゃんの気持ちを汲み取る余裕なんて全然ない感じだった。
まあその結果として、ある日の食事会でお好み焼きもどきやたこ焼きらしきものが出てきたときはみんなで「すごいすごい!」と大騒ぎになったので、伊丹くんは本当にすごいものを発明しようとしているんだなって、だから大変なんだろうなって話で終わってしまった。
満里奈ちゃんは「頑張ってる浩二の邪魔になることはできない」などと言って、率先して先に帰るようなそぶりを見せた。本当は一秒でも長くそばにいたかったろうに、満里奈ちゃんはそういうタイプの女の子だった。
だから、満里奈ちゃんは最後まで伊丹くんに自分の気持ちを伝えることはなかった。
だから満里奈ちゃんの死を伊丹くんに伝えた際にも、伊丹くんは「そうか」と一言呟いただけで、特にそれ以上のことはなにもなかった。
それで佳奈は一度、伊丹くんに亡くなった満里奈ちゃんの想いを伝えてあげようとした事がある。この時は成美ちゃんを始めとするみんなにものすごい勢いで止められた。
「あんたがそれを代わりに言うのは絶対に間違っている!」
佳奈にはなんだかよく分からなかったけど、とにかくみんなに止められたので余計なことは言わない事にした。解せぬ。
だから満里奈ちゃんの恋心は今でも宙ぶらりんのまま、多分伊丹くんの周りにそこはかとなく漂っているように、佳奈には思える。
そんな満里奈ちゃんの最後の言葉は「浩二にもっといろんな種を届けなきゃ」であった。その遺言はみんなの心の指標となり、佳奈たちはより一層スパイスやハーブ、野菜や果物の収集に熱が入った。
大豆らしき豆を持ち込んだ時はすごく喜ばれた。大豆は異世界では近縁種であるツルマメという原種と交わり合いやすいらしく、持っていった豆もちょっと違ってたらしいけど、それでも工夫をすれば味噌や醤油や豆腐の元になるかもしれないと伊丹くんは嬉しそうに頷いてくれた。
赤しそを見つけたときは伊丹くんに笑われた。カレーにはちょっと使い道がないとのことだったが、翌年の食事会には何故か柴漬けが出てきて、更にその次の年には真っ赤な梅干しまで出てきたのでみんなで笑った。こんなものが異世界で食べられるとは思ってもみなかった!
クローブというスパイスを持ち込んだ際には頭を下げんばかりに感謝された。佳奈にはなじみのないスパイスで使い道がよく分からなかったけど、伊丹くんにとってはとても重要なものだったらしい。
「喫煙者なら知っている人も多いのだが、ガラムという銘柄のタバコがまさにクローブそのものの味と香りなんだがな。コーラの味付けにもクローブは使われているな。まああるとないとでは大違いのとても大切なスパイスだ。ありがとう。」
佳奈としてはその感謝の言葉は満里奈ちゃんに伝えてあげてほしかったけれど、まあ今さらな話ではある。
ともかくもっとたくさんのスパイスやハーブや野菜や果物を伊丹くんに届けよう、そう決意した矢先のことだった。
ついに出会ってしまった。
伊丹くんから望まれていた、最重要スパイスのフェ……なんとかかんとか? とかいう名前のスパイスを。
伊丹くん曰く、件のフェなんとかは日本人向けのカレーを作るうえでもっとも重要なスパイスで、これがあるのとないのとは大違いらしい。
大豆と同じマメ科の植物で、エンドウのような鞘を作って、その中には小さくて黄土色っぽい種がぎっしり詰まっているらしい。
その種はメープルのような甘い香りを漂わせて、でも食べてみるととっても苦いらしい。
地域によっては葉っぱの方を大事にして種ではなく芽の方を食べる風習があるかもしれない。
種を発芽させて、最初の新芽が出てきたくらいで収穫して、もやしとか豆苗みたいな感じで使う事もあるらしい。でもやっぱり苦いらしい。
なにそのヘンなスパイス。ただただ苦いだけじゃない。
園芸部の花梨ちゃんはハーブには詳しいから知っているのかと思ったけれど、花梨ちゃんも聞いた事がない植物だそうだ。
「見たことも聞いた事もないので、どんな草なのかすら想像もつきません……。」
申し訳なさそうに頭を下げる花梨ちゃん。
けれども伊丹くんにとってはとても大切なスパイスらしく、
「頼む! 見つけてきてくれたらどんな礼でもする! これがないとオレが作りたいカレーにどうしてもならないんだ!」などと、地面に額をこすりつけんばかりに懇願してくる。
伊丹くんはいつの間にか引っ越しをして小国の伯爵様(!)にまでなってしまい、今ではちょっとした権力者だったけど、その力をもってしてもどうしても見つからないスパイスらしい。
「そんなに探して見つからないんだったら、もうこの世界では絶滅してるんじゃないの?」と成美ちゃんが辛辣な意見を述べるも、伊丹くんは首を横に振った。
「このスパイスは栽培がとても容易なんだ。水と土が合えばいくらでも増殖できる。日本でも知っている人間ならプランターなどで栽培しているものが結構いたんだ。だから早々絶滅するような種ではないはずなんだ。
本来ならすぐにでも見つかっておかしくないスパイスのはずだったんだが、ここまで出てこないとなると唐辛子の時みたいに誰かが意図的に独占しているか、ただ単に未開の地で誰に食されないまま野放図になっている可能性が高い。
世界中のあらゆる場所を訪れる機会のあるみなだからこそ、このスパイスに出会える可能性が一番高いとオレは踏んでいる。
もしそれらしきものを見つけたらぜひ持ち帰ってくれ!
どんな謝礼でも喜んで返そう!
……あーでも、あからさまに敵対する相手が独占しているような場合に殺してでも奪い取るような無茶はしないでくれ。余計な火種をみながかぶる必要はまったくないからな。出来る範囲でうまくやってくれればそれで十分だ。」
そんなこんなで発破を掛けられた私たちはあちこちうろついて、ちっちゃなインゲンの鞘みたいな種をつけるメープルみたいな香りのそれを探し回った。
まさか本当に見つかるとは思わなかったよ。
それは北方の魔王領に近づこうと東部から戦線を押し上げていった先、簡素な獣人の村の外れの草原。
奇しくも前回の攻勢で満里奈ちゃんが命を落とした戦場から数キロも離れていない草むらで、足元に生える小さな草がそれであると佳奈たちは気付いてしまった。
「こんなところに、フツーに生えてたじゃない……!」最初に見つけた成美ちゃんがわき目も憚らずに大泣きした。
佳奈の視界もあっという間に歪んで水浸しになった。
まるで満里奈ちゃんが自らの命と引き換えに残してくれたスパイスであるように思えてならなかった。
涙に濡れた佳奈の目線の向こうで、恥ずかしそうに顔を赤らめながらこのスパイスを伊丹くんに手渡す満里奈ちゃんの後ろ姿が見えた気がした。
そのスパイスの名はフェヌグリーク。
日本人が愛する日本のカレーを生み出すために必要不可欠な、クミン、コリアンダー、ターメリックに次ぐジャパニーズカレー第四のスパイスである。




