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そんなことよりカレーが食べたい。  作者: すけさん
第三章 小麦をめぐる冒険
17/31

 14

浩二は完成した製粉機を使ってなにをしたか?


浩二はこの製粉機を製粉には使わなかった。


浩二は始めのうち、この機械を使って真っ白な小麦を大量生産し流通させることで大儲けし、財力による地位の向上を目標とした。

ミモザなども同じような考えを持っており、知り合いの商人などに掛け合って販売ルートなどをあれこれ確保する準備を進めていた。


だが、浩二は直前になって方針を転換した。

この世界の商人の地位は低く、いくらお金を儲けても財力がそのまま権力にならない恐れがあったからだ。稼いだ金を国家や特権階級が我が物顔で奪っていく危険性が常にあった。


また、出来上がった白い小麦粉はこれ自体がすでにある麦市場の既得権益を大きく阻害し、小麦商人たちにあらぬ恨みを買う恐れもあった。


現在浩二たちの暮らす地域では、小麦の製粉に領主の許可などは不要ではあったが、製粉機自体が極めて高価なものなので一部裕福なものしか持っておらず、地域の農民などは様々な賦役と引き換えに製粉をしてもらうようないびつな関係であったから、浩二の商売がこれらに対しても大きな影響を及ぼす恐れもあった。


人類文化圏における製粉業は巨大な利権産業であり、これに一石を投じる浩二たちの製粉機は、一言で表せば危険であった。


だから浩二はこの製粉機は自分たちの儲けのためには使わず、そっくりそのままとある国の王家に献上した。

真っ白な小麦は世界初めての品であり、その希少価値は王侯貴族に真っ先に重宝されるであろうことは容易に想像がつく。

そんな中、特定の王家が専売するようになれば大変な既得権益を得ることになるだろう。


浩二は幹部たちとよく話し合い、ハイエルフの権威などを背景に南西のある小国と交渉し、これを譲渡する代わりに爵位と土地を手に入れた。


浩二は製粉機を使ってペアル王国ナキニ伯爵・コージ・イタミとなった。



これに激怒したのがドワーフのミモザである。

ミモザはこの製粉機を我が子のように愛していた。手塩にかけて作り上げたこの機械を使って、世界中の料理に革命を起こそうと夢想していた。その為の最高のパートナーとして、浩二に対し特別な感情まで抱くようになっていた。

これら全ての想いを踏みにじったのだから、ある意味当然の結果と言えよう。


「失望したよコージ。あんたは誇りある人間だと思っていた。優れた技術と知識に敬意のある男だと思っていた。

まさか下らない権力争いに現を抜かす、クソみたいな人族の一人だとは思っていなかった。

あんたとの付き合いはこれまでだ。

二度と顔も見たくない。今すぐアタシの前から消え失せろ。」

静かだがたぎるような怒りを腹の底から吐き出すミモザ。

そんな彼女に対し、浩二は「ふふふん。」と笑ってみせた。「買いかぶりすぎだな、ミモザよ。オレはそんなご大層な人間じゃない。ちっぽけな虚栄心を満たす事に喜びを見いだす愚か者よ。見る目がなかったな、ミモザ。

だがお前のお陰でオレは自らの野望を満たすことが出来た。感謝している。報酬の金はたんまり弾んでやるから有難く受け取ることだ。」」

「いるかっ! そんなもん! 手切れ金だと思ってテメーで収めろ! そして二度とアタシの前に顔を出すな!」


その一言に、ニヤリと笑って黙って席を立つ浩二。

そのままミモザの工房を後にする。もう二度とここへ足を運ぶこともないだろう。とても奇妙な感慨深い思いが溢れたが、その思いが外に出ぬよう、浩二はしかめっ面をつくりつつ足早に立ち去ろうとする。


ふと違和感を覚え、振り返った。

そこにはあの陰気臭い助手の女、三番目の開発者カリンがいた。


「なんだお前? このオレに何か用か?」訝しんだ浩二が問いを投げかける。


「いえ、その。お、お仕事がまだ終わっておりませんので……。どうしてよいかと……。」おどおどと怯えながらも、懸命にそう言葉を口にするカリン。

「仕事? 製粉機は完成したのだ。仕事はもう終わったぞ? 」浩二は少しばかり語気を強くして問い質す。

だがカリンはふるふると首を横に振る。

「むしろ、これからが仕事です。じょ、助手の大切な仕事なのです。

き、機械は必ず壊れます。製粉機もいずれは動かなくなります。誰かが直さねばならないのです。

師匠が作ったものを補修するのは弟子の仕事です。

わ、わたしの仕事はこれから始まるのです。」


浩二は返す言葉がなかった。全くもってカリンのいう事はすべて正しい。あれだけの巨大な機械がノーメンテナンスでいつまでも動き続けるわけがない。

むしろ日ごろから面倒を見て、毎日少しづつでも手を施さないと、あっという間におかしくなるだろう。


むろん浩二も補修作業についてはぼんやりと考えがあった。仕組みについては浩二も充分に把握しているので、ときおり様子を見に行く程度でいいか、といった考えである。

むろん、日々の製粉作業については浩二の息のかかったものと王家からの信用のおける技術者を折半で出しこれを運営させ、後は手引書を充実させればよいだろうなどと考え、すでに準備も始めていた。


だがもちろん、カリンのような専門知識のある技術者が専任でついてくれればこれに勝る話はない。だがカリンはミモザの工房の人間なのだ。勝手に引き抜いていい訳がない。


「だがカリンよ。工房はどうするのだ? お前はミモザの大切な右腕だろう? ミモザのそばにいて共に工房を支えるのがお前の大切な役目だろう?

王国はここから少々遠いぞ? 気軽に行き来できる場所ではない。

お前がついてきてくれるというのであればこれに勝る喜びはないが、お前もミモザに勘当されてしまうぞ?」


だがカリンは頑なに首を横に振る。

「し、師匠もきっとわかってくれるはずです。わ、私は鍛冶師ミモザの一番弟子なのです。弟子としてすべき事をするだけです。」



こうしてカリンはペアル王国についてきてくれることになった。

この件ではミモザは浩二に対して以上に激怒した。勘当どころか絶縁状を叩きつけ、二度と顔を見せるなと強い口調で何度もカリンを罵った。


カリンは口をへの字に曲げて、全て黙って聞き入れて、最後に深々と頭を下げて、それから浩二たちと一緒に街を離れた。



浩二はカリンを預かる身として少しばかり手筈を変えた。

まず、もともと王宮の技師と自前の技師との折半で運営する予定だった製粉機を、全て浩二の手のものへと変えた。ただし浩二が用意した技師はすべてハイエルフである。


ハイエルフというものは権力はないが権威はある。とても美しくとても博識でとても長命な彼らを自然と上に見る人族は多い。


ハイエルフの権威は小さな王国にもあまねく伝わるものだったから、10人ほどの見目美しい森人達でなければ製粉機を取り扱えないのだと言われてしまえば、彼らとしても頷くしかなかった。

更には製粉機には精霊の加護が与えられ、ハイエルフ、カリンなどの一部関係者、それからペアル王家のものしか近寄れないようになった。


このエルフたちに守られて、カリンは面倒や妨害を受けることなく職務をまっとう出来る環境が整えられた。


この過保護ともいえる措置は、結果としてとても良い効果を生み出した。

製粉機は3度外敵に襲われた。


一度目は王国の大臣を務める侯爵。この御仁は近頃王国内で発言権を高めており、時に王族以上の傲慢なふるまいをする人物であった。

この侯爵は王宮に納入された製粉機に我が物顔で近づき、誰の断りもなく勝手に動かそうとし、そして精霊の加護に弾かれ大けがを負った。

怒り狂う大臣に対しエルフはこれを厳しく非難した。王家は侯爵一派とエルフ達との間に挟まれ大変に苦しい思いをしたようだが、最終的にはエルフの側に立ち、大臣は罷免され侯爵一派は急速に力を失っていった。

その理由は簡単で、生み出される白い小麦が早くも莫大な利益を王家にもたらし始めていたのである。

侯爵一派の無礼を受け入れてしまえばこの儲けの分け前を彼らにも与えなければならなくなる。だから王家は大臣を更迭するしかなかったのだが、結果としてペアル王家は王族としての権力を取り戻すきっかけとなった。


二度目は次期国王の妻たる王太子妃。この王太子妃は隣国から嫁いだ女性のため、ペアル王家の血のない彼女は製粉施設に近づくことさえできなかった。

そこで彼女は自らの息子を近づけさせたところ、精霊の加護に弾かれ瀕死の重傷を負った。

王太子妃は激怒しエルフに詰め寄ったが、対するエルフたちは冷酷に事実を指し示した。

彼女の息子は王族ではない。王太子以外の男性との間の不義の子供であると。

王家は大いに動揺し、王宮は紛糾したが、最終的には王太子妃が隣国からの指示で白い小麦粉の秘密を暴こうと画策していた事情と、生まれてきた子供は隣国から連れてきた騎士との間に出来たものであることが分かり、お家騒動は王太子妃の断罪と隣国との断絶で決着がついた。

王家はこれにより結束を強めた。


三度目は第二王子の娘である王孫の姫。姫は王族のため製粉施設に近づくことはできたが、加護をもたらす精霊がこの娘の事を嫌がったためエルフたちが調べたところ、呪いにより心を操られていることが分かった。

これにより王家に忍び寄ろうとする邪教の集団の存在が暴かれまた、芋づる式に王宮にはびこるスパイを一網打尽にするきっかけとなり、王家は異分子の排除に成功した。


たった一つの製粉施設が、結果として王家を強くし、国力を高めるきっかけとなったのである。


エルフたちが紡ぎ出す白い小麦粉は『森の小麦粉』として瞬く間に評判になり、これを独占販売できるペアル王家は莫大な富と名声を得た。

誰もが白い小麦と、これを用いた料理を欲しがったが、手に入れるには王家に頭を下げるしかないのである。

必然的に王家は力を増し、欲深い人間は更なる力を欲した。


そこでカレンは製粉機を改良し、改造し、更には増設もし、その質も量も更に増やすようにした。だがこの成果はすべてハイエルフの手によるものであると喧伝されたため、カレンの功績は世間には知られなかった。

白い小麦粉はあくまでハイエルフのものであると認識されていたのである。これを生み出したのが異世界人の浩二とドワーフのミモザであることを思えば、あまりに事実とかけ離れた印象操作であったが、全てがカレンを守るための浩二の策略であった。


ペアル王家はこれらをもたらしたハイエルフに深い感謝を示し、褒美を取らせようとしたが彼らは受け取らなかった。

だが代わりにエルフたちはナキニ伯爵・コージへの配慮を求め、浩二は結果として短期間のうちに国内での権力を増していった。



さて、このようにして白い小麦粉を最も効果的に利用し、小国で急速に力をつけていった浩二であったが、その浩二にとっての本命は自らが差配できる土地そのものであった。


ペアル王国は浩二たちによって注意深く選ばれた国だ。赤道からそれほど離れていない亜熱帯国家で、平地も山も海も川もあり、多くの植物を育てるのに適している。

更にはハイエルフたちの大森林ともとても近くまた、国の一部が海に面しているため、もといた都市国家との連携も取りやすい。


浩二は小麦職人ではない。浩二はカレー料理人なのだ。そして、カレーを作るのに最適な材料を自前で調達できるようになるためだけに貴族にまでなったのだ。


始めのうち浩二に与えられた土地は山あいのろくに産業もない痩せこけた荒れ地であったが、それでもコショウを始めとするいくつかのスパイス・ハーブの栽培にとっては充分な土地であった為、浩二はむしろ喜んで新しい香辛料の生産地として大いに活用した。

特にエルフたちが持ち込んだトマトの栽培が好調で、これにより料理の幅が一挙に広がった。

そうこうしているうちに愚かな大臣の失脚などがあり、豊かで大きな土地を下賜されるにいたると、浩二の育てられる作物の幅は一挙に広がった。

浩二はこれまでに集めてきた様々な種類の穀物、香辛料、香草、野菜などを栽培し、特に土地にあった良いものは自領の農民たちに推奨し税も優遇した。


また、浩二の収める領地はエルフ、獣人、人魚族を始めとする多くの亜人族を受け入れた。これらの亜人はもといた住民たちと軋轢を生みだしたが、お貴族様となった浩二の強権により地元の住民たちは抑え込まれ、受け入れるしかない状況となっていった。

何せ次から次へと沢山の亜人族が浩二の領地に集まってくるのである。

世界的には迫害される事も多い亜人族にとって、公然と彼らを庇護する声明を上げた浩二のナキニ領は彼らの聖地となりつつあったのだ。

ここにハイエルフがもたらした白い小麦の評判が後押しし、ナキニ伯爵領での亜人の存在は急速に力を増していった。


だが、それ以上にペアル王国・ナキニ伯爵領において頭角を現していったのが料理人たちである。

もともとかつていた海洋都市国家群にて浩二の新しい料理は急速に広まっていた。このうちの浩二の息がかかったものが、ごっそりナキニ領へと移住したのだ。

その数は数百人以上であったというから、いかに浩二の料理が異世界で特別な地位を得ていたかが伺い知れる。


その後も料理人たちは続々と浩二の治めるナキニ領に集まり、一大料理文化拠点として瞬く間に成長していった。


この世界において料理人の地位はあまり高くない。王侯貴族に仕える宮廷料理人こそ一定の地位を約束されていたが、これらは縁故主義かつ子弟制の強い閉鎖された環境で料理を作るものだから、正直あまり発展がなくほとんどの場合味もいまいちであった。


それが、浩二のような大衆を相手に大量の旨い料理を作る新しいタイプの料理人が力を持つことで、自由闊達な空気のもと互いの腕を競い合い、優れた料理を生み出す土壌が出来上がっていたのだ。

南国の海洋都市国家で芽生えたこの気風は、ナキニ領において一挙に花開いた。


旨いものが食いたければナキニに行け。


料理人も料理の愛好家も、みながこぞってナキニを目指した。

亜人たちもナキニを目指した。

目ざとい商人も、一旗上げたい野心家も、行く当てのないはみ出し者も、他領から逃げてきた難民も、みながナキニに集まった。

王家もこのようなナキニ領を優遇したから、元からいた貴族どもや聖職者どものやっかみを受けつつも、ナキニ領は驚くべき速さで発展していった。

小国であったはずのペアル王国は、ナキニ伯爵領を起点として中央集権化と文化成熟が進み、戦乱の世にあって独特の異彩を放つようになっていた。



浩二はミモザの信頼と引き換えに欲しいものを手に入れた。


心にとげを抱えたまま自らの信念のもとに進むしかない浩二が、ミモザと和解する未来はうんと先の話である。


残念ながら、本作品の作中のエピソードとしてミモザと浩二の和解の至るまでの全てをて書き表すことは叶わない。これは物語の本筋とは関係がない部分になるからだ。

それでもせめてもの慰みとして、浩二と再会を果たした際のミモザの様子などを少しだけ付記しておこう。


すっかり年老いて髪も眉毛も真っ白になった浩二を前に、容姿だけ見れば少女のままの可愛らしいドワーフの女鍛冶師、ミモザは地べたに這いつくばるように平伏し、こう謝意を口に述べた。

「全てはアタシの間違いだった。あんたは何一つ間違えなかった。愚かなドワーフの女の思い違いをどうか許してほしい。」


浩二はミモザの足元に寄り、自らも腰をかがめて抱えるように持ち上げ、同じ頭の高さとなってこう返事をする。

「何を言うミモザよ。これは互いの信念の元による決裂だったのだ。お互いに何の過ちもなかった。ただ生き方の違いがそれぞれの選択を違えさせた。

お前の考えも間違っていなかった。全ての技術はあまねく万人に与えられるべし、ものつくりの理想を追い求めたお前の考えと、この俺のやり方が合わなかっただけなのだ。

いちいちそんな事くらいで大げさに頭を下げるな。」


だがミモザは顔を伏せたまま、浩二と目を合わせようとしなかった。


「あんたが全部正しかったんだ。あの技術はそれ自体が異質過ぎた。それこそ国を上げての戦争が起きてもおかしくないような特異な機械だったんだ。

あたしはものを作ることにしか頭が回らず、自分が作ったものがどんなものだったかまるで理解していなかったんだ。

あたしはドワーフだ。ドワーフは武器を作るとき、それが人を殺す道具だとよく理解して細心の注意を払ってこれを打ち上げる。

そして製粉機もあれは武器と同じだったんだ。製粉機だけじゃない。革新的な調理器具、新しい工業機械、見たこともない素晴らしい道具。どれもそれ自体が戦いの元となる武器になり得ると、あたしはまるで理解していなかったんだ。

あたしが作るものの中でせいぜい包丁が武器に、鍋が兜になるくらいだととんだ思い違いをしていたんだ。

あたしは30年かけてそれが間違っていたことを知った。だけどもコージは30年前の時点でそれを知っていたんだ。

だからあたしはあんたに謝らなければ前に進めないんだ。

どうかあたしの謝罪を受け入れてくれ。」


浩二はやれやれとため息をつき、仕方がないからと彼女の謝罪を受け入れた。浩二にとっては些細な事でも、彼女にとっては大切な儀式であったのだろう。

人の心の奥底などは、当の本人でも分からないことがたくさんある。ミモザにとって大切な何かがそこにあるのならば、浩二は彼女の望みを叶えてやるだけだ。

「謝罪を受け入れよう。」そう返答する浩二に対し、ミモザは何度も「ありがとう」と謝意を口にし、それから顔を上げると、そこからはいっさいの遠慮なしの以前のミモザとなった。


それから二人は病に倒れたカリンの見舞いに向かった。

そもそもこの二人の再会は、病の淵にあって余命いくばくもないカリンがたっての願いで実現したものであったので、二人の間のわだかまりが解ければ、後はカリンと顔を合わせるばかりである。

大柄な浩二と小柄なカリンが連れ立って病室に訪れると、年老いたカリンは涙を流して喜んだ。


「ああ! 夢みたいです! もう一度こうして三人で逢えるなんて!

わ、わたしは今でも毎日のように思い返すのです。三人で機械を前にうんうんと頭をうならせて、いくつもの試作品を湯水のようにどぶに捨てて。

あの頃私はお二人に近づこうと必死でしたが、思い返すと毎日が楽しくて仕方がなかったのです!

お師匠様と、コージ様と、三人で喧嘩したりはしゃいだり、ただただ無心になって製粉機を作り上げる毎日が、どうしようもなく楽しかったのです!

あんなに辛かったのに、嫌で嫌で仕方がなかったのに、こうして齢をとると、もう一度あの日々を過ごしたいと、そんな事ばかりを考えてしまうのです!」


これを聞いた浩二は笑い出した。「はははははっ! カリンよ! お前も酔狂な女だ! オレはもう、あんな胃の痛い毎日は二度とごめんだと今でも思っているぞ!

何せ毎日湯水のごとく金が消えていくのに、指を咥えて見守っているしかすることがないんだ。アレは本当に辛かった!

だがそうだな。ミモザとカリンの二人がいてくれるなら、まあもう一度くらいはあのしんどい毎日を繰り返してもいいかと、それはそう思うな。」


ミモザは心底嫌そうな顔で首を横に振った。「あたしは二度とごめんだね。だいたいあたしはもともと鍛冶師だぞ。なんであんなでっかい工作機械を作ろうなんて思ったのか、今でも自分を殴りつけたい気分だ。

だいたいアレだ! あんときはコージが調子のいい事言うからすっかり乗せられてその気になっちまったのがいけないんだ。

気付いた時には後戻りできない場所に追い詰められて、あたしはどうやって逃げ出そうか毎日考えてたんだ。

それなのにカリンがあたし以上に死にそうな顔になりながらもいつまでも逃げないから、師匠として逃げ道を失ったんだ! あんなのは二度とごめんだ!」


このミモザの意見はカリンにとってはショックだったようで、すっかり意気消沈して項垂れてしまった。

「そ、そうですか。わたしはまたお師匠と何かが作れればと思ったのですが。」

これに慌てたのがミモザである。

「い、いや。別にカリンと仕事をしたくないと言っているわけではなくて……。なんというかその、製粉機みたいなしんどいことはもう勘弁してほしいというか……。」などとしどろもどろに言い訳めいた事を言い出す。


「ははは。」と浩二は笑った。「カリンはまずはその病を治すことだ。その上でまた三人でバカなものでも造ればよい。なに、渋るミモザをおだてて調子に乗せるやり口はオレの得意とするところだ。いくらでもやりようはある。


ちょうど最近はコーヒーの焙煎を研究していてな。鋳物を使った大型の焙煎機と、魔力に頼らず安定した熱源を得るための研究に力を借りたいと思っていたところなのだ。

正確な焙煎温度を測定できる精度の高い温度計も開発せねばならんので色々大変だぞ。

うまくミモザをその気にさせてみせるから、また三人でものつくりに勤しむのが良いだろう。だからまずは病を治せ。」


「うげぇーっ」とミモザが心底嫌そうな顔になって舌を出した。「何だそのコーヒーとやらは。焙煎機? あたしは作らないぞ! 絶対関わらないぞ!」


カリンはそんなミモザや浩二の様子を、目を細めて嬉しそうに見つめていた。


カリンは数日後に息を引き取った。



その後ミモザはカリンが手がけていた製粉機のメンテナンスや改良の仕事を引き継ぎ、エルフたちの『森の小麦粉』の製粉作業に技術顧問として加わった。


美しいエルフたちに交じって少女のような見目の小柄なドワーフの女がちょこまかと動き回る様は、浩二が目指した人種、種族によらぬ自由闊達な文化風土を象徴するような景色となった。


後の世に見られる『森の小麦』の商品パッケージに描かれる大きなエルフと小さなエルフのシルエットのうちの小さい片方が、実はドワーフの娘をかたどったものであることを知っているものはそれなりの通であると言える。

けれどもこれはちょっとしたお茶の席の小話。



話をもとの時代にもどそう。

浩二が爵位を拝してから数年。齢30を過ぎるころには充分な権力を有し、小国の伯爵といえども無視できぬ存在へと至っていた。


浩二は自らが得た立場を利用し、大国同士の利権が複雑に絡み合う対魔王戦線へ干渉する足掛かりを築いてゆくこととなる。


浩二たちが異世界へ召喚され早14年。激化する魔族と人族の争いの中にあって、未だ世界は混迷に満ちていた。



■三章後書き

なろう界隈に沢山ある異世界知識チートもの、自分もいっぺん書いてみたかったのでさて何を題材にしようかとあれこれ調べていた時、小麦の製粉がすごく面白かったので取り上げてみたらこんな感じのエピソードとなりました。

ナーロッパで白いパンが出てきたらジャガイモ警察の方々はぜひ時代考証を突っ込んだらよいのかなと思います。ビクトリア王朝華々しい1800年代も始めのうちはまだ全粒粉しかなかったなんて、冷静に考えてみればちょっとびっくりな話だなあと、筆者本人が書いてて思いました。


そんなわけでおおむね満足の出来ではありますが、唯一心残りだったネタが一つ。

それはイースト菌の発見です。

厳密には発見というより、小麦をより大きく膨らませるための優秀な菌を雑多な菌類の中から分離・分別させる実験の事なんですが、このような研究が行われたのも19世紀末の事だったそうなんですね。


小麦に関して多角的に評価した資料が見当たらなかったので、ここからは推測となってしまいますが、製粉技術の発展による白い小麦粉と、小麦粉をより膨らませてふかふかのパンを作るイースト菌の選別は、恐らく相互に影響し合って生み出された関連性の高い技術群なのではないかと感じました。

というのも、作中にも書いた通り全粒粉はイースト菌を使ってもあまり膨らまないので、菌の選別をしたところで効果は限定的なのです。

そう、白い小麦粉になって初めてパンは大きく膨らむようになったのです。

白い小麦粉が1870年ごろから一挙に広まったからこそ、その前後でイースト菌の選別も価値あるものとして研究が進んだのではないでしょうか?

なにぶん自分はシロートのヘタの横好き的な浅い知識しかないのではっきりとは分からなかったのですが、白い小麦粉を取り上げるのならイースト菌の研究の話もセットでやるべきだったなあと、それだけが心残りではあります。

まあ、本作品はパン職人の話ではなくカレー料理人の物語なので、別にいっかーと取り上げませんでしたが、書き終わってしまうとちょっと悔しかったので後書きとして追記いたしました。


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