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金がない。とにかく金がない。
小麦の製粉機を開発するのに、金がいくらあっても全然足りない。
すでに売り上げの殆どはミモザの工房に突っ込んでいる。
先日は虎の子だった唐辛子の独占販売権をさる商人に売り渡してしまった。
ニガリを取り除いて精製する特製の塩も一部関係者相手に裏口取引として高額で売りさばいている。浩二の住む都市国家は海が近い事もあり塩の専売特許はなかったが、それでもギルドによる既得権益があるので、これを無視している浩二は見つかったら命すら危ぶまれる危険な橋である事に変わりはない。
他にも八方手を尽くしてとにかく金を捻出し、出来た端から開発に使う。
浩二は、底の抜けた鍋に懸命に水を張ろうとしている気分になり、次第に精神的に追い詰められていった。
無精ひげを剃らなくなり、ギラギラした目でいつも眉間に皺をよせ、ブツブツと独り言を言っては突如怒鳴り散らす、明らかに常軌を逸した様子の浩二をだが、周囲のものは懸命になって支えた。
料理人たちが、海の女たちが、エルフや人魚や獣人が、開拓村の農民が、出入りの商人が、みなが浩二のために尽くして働いた。
更には時折訪れるいいんちょ達も折に触れて協力を申し出た。
これほど多くのものが力を貸そうと考えたのは、食べてしまったからだ。
新しい小麦粉を使った新しい料理を知ってしまったからだ。
みんなの頭の上には確固たる共通の目標が出来てしまった。あの素晴らしい小麦粉をもっとみんなで味わいたいと。
この時期、都市国家の冒険者ギルドではとても奇妙な冒険者パーティを幾組も目にすることが出来た。
本来一緒になるはずもないハイエルフと獣人族の美しい男女が何故か一緒になってパーティを組み、難度の高いクエストを片っ端から攻略する様を。
また、漁港に荷揚げされる魚貝の中に、人魚族が持ち込んだ北海の珍しい魚が大量に並び、市場にちょっとした旋風を巻き起こしていた。
屋台料理の業界にも新風が吹いていた。新しいスパイスを使った新しい料理を振舞う新進気鋭の料理人たちが街のあちこちで見られた。
これらの稼ぎはすべて浩二の開発する製粉機のために使われた。
みな喜んで力を貸してくれた。
浩二は始めのうちこそこれを受け取ろうとしなかったが、どこかで腹をくくったかこれを受け入れ、さらには積極的に稼ぐようにむしろみなにこれらを推奨するようになった。
浩二としては忸怩たる思いであった。
本来このような新規開発は、例えば出資者を募って株券のようなものを発行したり、あるいはお貴族様や大商人を口説いて大口の融資を出してもらったりとか、そういった資金調達を考えるべきである。
ところがこの中世然とした異世界ではこれが通用しないのだ。なにせ金貸しが賤業と言われているような世の中である。資本主義の萌芽どころか、貨幣経済すらうまく機能していないこの世界において、開発資金を得るには文字通り自分たちで稼ぐしかなかったのだ。
だから腹のうちでは苦々しく思いながらも、本業の料理店を経営する傍ら、従業員や関係者を酷使して金を稼がせまくった。
みんな本当にきつい毎日だろうに、誰もが笑顔で快く引き受けてくれる事になおさら浩二の心が荒んだ。
浩二は笑い方を忘れてしまった。
ここまで開発が難航したのにはもちろん、理由がある。
まず、試作機で生み出せる小麦の量が微々たるものであった。こちらはすぐにカレー店で運用されたが、あまりに生産量が少なすぎるので、特別なもてなしの際の特別な料理にしか支えぬ高級食材となってしまっていた。
これが却って隠れた逸品として評判を呼んだので儲けには寄与したが、大量の白い小麦粉で大儲けをすると言う当初の目的には到底及ばないものであったから、浩二たちはすぐに大量生産化への機械の改良へと着手した。
真っ先に試みられ、即座にあきらめざるを得なかったのが機器の高速化である。粉砕工程のドラムローラーを高速回転させると、機械が高熱を放ち膨張などで精度が狂う上、小麦自体にダメージが入って傷んでしまう。
ボールベアリングや精密油などがない世界である。金属でできた機械は常にあちこちがこすれ合い、随所で発生する熱が様々な問題を引き起こしてしまうのだ。
そこで機器を巨大化する方向で調整を進めたのだが、いかんせん工房で個人製作するような機械が大きく出来るサイズなどはたかが知れている。
これもダメとなった次の手として試されたのが、ミスリル金属化であった。
ミスリルは軽くて丈夫で熱膨張率も低く加工もしやすい。
浩二たちにとってもっとも望ましい金属であったが、お察しの通りとても高い。
だがしかし、アルミ金属もステンレス鋼も生み出せないこの世界で選べる部材は他にない。
資金難が確定した瞬間である。
じゃぶじゃぶとものすごいお金をどぶに捨てるような感覚で生み出されたミスリル製の工作機械が出来上がったのは開発を始めてから4年目の夏。
胃の痛い浩二がようやっとつかの間の安堵を覚えた次の瞬間、最後に大きな問題が立ちはだかった。
ミスリルの機械は望み通り動いた。だがなぜか出来上がった小麦は粘りもなく、まずかったのである。
浩二たちは地獄の底に叩き落された。さっぱり原因が分からぬまま暗中模索の日々が続き、お金が次々とどこかへ消えて、あっという間に更に2年の月日が流れていった。
さんざん悩んだ末に辿りついた原因は、あまりに馬鹿げたものであった。
さて、ここで少し日本で実際に起こった小麦にまつわるエピソードを紹介しよう。
ある時アメリカから輸入された小麦について、見た目は大変奇麗で品質もよかったのに、何故か粘りが全くなく使い物にならなかった事があった。
数か月にも渡る調査の上分かったことは、小麦の収穫直電に畑で雨が降り、麦が発芽してしまっていたことが原因であった。
このエピソードは製粉業界ではよく知られた話であり、収穫直前に雨に降られた麦は買うなといった不文律まである。
もし浩二がカレーの専門家ではなく麦の専門家であればこのエピソードについても知識を持ち、原因の究明にそれほど時間はかからなかった可能性が高い。
だが浩二は小麦に関する知識はそこまでなかった。結果として2年という余計な月日を無駄にした。
さんざん調べても原因が分からず、全てを諦めようかとまで考えていた浩二の前に光明が差したのは、2年たったある日のちょっとした一件による。
ある日のことだ。すでに店舗で使われていた鉄製の旧型試作機が随分あちこち痛んできていたので、せっかくだからと機器のベースはそのままに一部部品をミスリル製に変えてリプレイスした。
するとチャナンたち料理人から大クレームが入った。
なんと小麦の粘りが目に見えて劣化したというのである。
原因はミスリルだ!
だが何故ミスリルが?
頭を抱える浩二たちにヒントをもたらしたのが、ハイエルフのタリアの何気ない一言であった。
「ミスリルを使うなんて変わっていますね。魔力伝導で味が変わったりしないのでしょうか?」
それが答えであった。
エルフは風と水の精霊を愛する種族だから、相性の悪い金属を嫌い、銅や鉄製の武具や道具は必要がなければまずこれらを手にすることはない。
ただしミスリル銀だけは別格で、魔力を通し精霊も好むこの金属だけは彼らも好んで道具にする。武器や防具はもちろんのこと、イヤリングや首飾りといった装飾品も全てミスリルで作る。
だが彼らは決して料理道具にだけはこの金属を使わない。というのも、ミスリルで出来た調理器具で料理をしようとすると、調理者の持つ魔力がミスリルを通じて食材に伝播して、勝手に素材が変化してしまう場合があるのだそうだ。
「あーっ……!」この話を聞いたミモザも唸り声を上げた。
「そういえばあたしも昔親方に習ったわ。狩人向けの解体ナイフはミスリルで打つなって。まあどのみち似たような話か。」
ミモザの話では、冒険者向けの解体ナイフは魔力の高い魔物が相手のためミスリルでもよいのだが、一般の動物を相手にする狩人のナイフは獲物に対する影響を避けるため、ミスリル以外の素材を使うようにするらしい。
そう、魔力は素材に変化をもたらす。魔法の本質は「事物・事象を観念の力で勝手に改変する」事にあり、もっと平たく言えば「望みを叶える」力である。そしてその為のエネルギー源が魔力となる。
ところで粉砕過程の小麦の粒は、粉になっても実際には細胞レベルでは生きている。そして、生きた小麦は小麦なりの観念を持っている。そしてその望みといえばたいていの場合「成長したい」という単純な願いなのだ。
そこで粉砕中も、小麦は僅かながらにも成長する。
結果ミスリルで出来た粉砕機は、小麦の質を大きく損ねてしまうのであった。
だが今さらミスリル以外の素材に戻す事は出来ない。現行の異世界の技術レベルでは、大量生産に適した素材はもう他にない。なによりこれ以上新しいものに挑戦するだけの資金がない。手詰まりかと覚悟を決めた浩二の目の前で、助手のカリンが製粉機の動力源となる魔導モーターを取り外し、手動で機械を動かしたところ問題はあっさりと解決した。
何のことはない。魔導モーターの魔力がミスリル銀を通じて小麦にまで伝播していただけだったのである。
後は魔力を通さない対魔鋼を要所に組み込めばそれだけで全てがうまく動作した。
異世界には異世界なりの事情がある。地球では決して考えられぬ苦労もある。浩二は地球の知識だけをもとにあれこれ考えていたから、魔力のもつ影響の事など考えもしなかった。
知識チートに胡坐をかき、現地の事情など頓着してこなかった。
だから浩二はすぐ目の前にあったはずのヒントに、いつまでも気付けなかったのだ。
そう、ヒントはそこら中に転がっていたはずなのだ。
何故ならばこの世界の住人なら、ミモザもタリアもカリンだって、ミスリルで料理道具を作らない事なんてみんなが知っている常識だったのだから。
浩二はその場にへなへなと崩れ落ちた。
そして気が付くとゲラゲラと笑い出していた。
何年も忘れていた笑顔を取り戻した瞬間であった。
こうして異世界初のローラー式製粉機は完成した。
開発着手から早6年。気が付けば浩二はもう27歳になっていた。
作中こぼれ話。
作中精密油がないというネタを出しましたが、「高精度で精製したギーって精密油になるんじゃね?」とちょっと思いました。
ギーというのはインドの澄ましバターで、元のを弱火で加熱して不純物を沈殿化させて油分のみを取り出すものですが、何度も重ねて弱火を繰り返し、じっくりと不純物を取り除くと、本当にさらさらのすごい油になったりします。
インドカレーに欠かせない油なのでぜひともエピソードに加えたいと思ったのですが、差しこむすきがなかったので泣く泣く諦めました。
でも勿体ないので後書き部分に小ネタとして加えておきます。




