2章幕間
「みなの目から見て、あいつらの感じは、どうだった?」
その日の夜、浩二は従業員の皆を集めて声を掛ける。
「あれはまずいネ……。完全に心、操られてる感じだったネ……。」
悲痛な面持ちでそう返事をするのはナリャであった。
しばしの沈黙を経て、「……そうか。」浩二はぽつりとつぶやいた。「他のものはどうだ? どんなふうに感じた?」
すると次は人魚族のリーナが口を開いた。
「正直、近くにいると感じるだけで、背筋がぞっとする思いだった……。オーナーの大切な友人でなければすぐにでも逃げ出したかった……。」
リーナは苦痛に顔をゆがめ、吐き捨てるようにそう証言する。
「ん?」事情の分からぬ浩二は思わず声を上げる。
「まあそれは仕方がありません。」と、返事をするのは代わってタリア。「彼女たちは女神の加護を得ておりますから、必然的に魔族の敵対者となります。魔族よりの人魚族から見れば自然と嫌悪感を覚えるのは仕方のない事です。」
「なるほど。」と、浩二は感心した声を上げる。なるほど人魚族は魔王領に近い北の海に生息しているから、中立を謳っていてもどうしても魔族サイドの立場にならざるを得ないことは浩二も聞き及んでいた。だがそれだけで勇者たちに不快感を覚えることがあるとは、浩二は知らなかったのだ。
「それでリーナよ。お前の目から見て、彼女たちが女神に操られている様子は感じられたか? 女神教に心を奪われた狂信者のようには見えたか?」
「それは……。」リーナは考え込むそぶりをする。「特には感じなかった。ただ女神の気配だけが強かった。中身はフツーの女の子たちって感じだった。」
「そうか。」浩二は頷いた。
「他のものはどうか?」続けて浩二がみなを見渡すと、
「あれは女神の支配って感じじゃなかったにゃぁ―。どちらかといえば人に操られているって感じだにゃぁ。」猫獣人のシャーがそう発言した。獣人族は魔術にこそ才を持たないが、人間離れした独自の嗅覚や直観力があり、その評価には一定の信頼がおける。
「ふむ。」と浩二は大きく頷いた。
「ナリャもそう感じたネ。きっと下品な人族の呪術ネ。恐らく王国の奴らが召喚のどさくさに紛れてどこかでみんなに精神操作の呪いを掛けたネ。」第一級の精霊術師であるナリャもシャーの判断に追認をする。これはほぼ間違いないだろう。
「……そうか。」浩二は大きくため息を吐いた。
もともといいんちょ達異世界転移組は、そもそもが平和ボケした日本人であるからして、いきなり魔族相手に血みどろの殺し合いなど出来るはずがなく、無理を強いれば心がおかしくなってしまう可能性が極めて高いはずであった。
それが彼女たちは色々と心に傷を負いつつも、それでも大きく心を壊すことなく魔族相手に戦争を4年も続けている。
これは精神になにがしかの干渉を受けているだろうことは、彼女たちに会う前からおおよそ予測がついていたことだった。
だが分からなかったのは、それが誰の手によるものかであった。
もっとも可能性が高く最悪だったのが、女神による精神改変の可能性である。彼女たちの肉体はあからさまに改造を受けていた。みな4年たっても若々しかったし、容姿は日本にいた頃よりも数段美しくなっていた。これは女神の干渉によるものとみて間違いなかった。
そんな彼女達が心も弄ばれていないという保証がどこにあるだろうか?
だから浩二は始め、女神の仕業だろうと考えていた。これが最悪なのは、女神の力はとても強力なので、恐らくつくり変えられた心は二度と元には戻らないであろうことであった。
仮にこのまま目的を達成し、彼女達が日本に戻ったときに悲劇が表面化する。容姿が美しいままであるのはいいだろう。若々しい容姿については難しいところだが、人によっては喜ばしい事だろう。だが、人を殺めることを異常と思わない心がそのままであったなら?
そのような常軌を逸した精神を持つものが日本に帰っても、まっとうな社会生活が送れるわけがない。恐らくは政府なり専門機関なりが保護する運びとなり、一般社会からは隔離された生活を余儀なくされることになるだろう。下手をすればそれは刑務所になるかもしれない。
つまり今の時点で彼ら、彼女らは帰る場所すら失ってしまったことになる。これが浩二の考えつく一番の最悪であった。
そこで浩二の店の従業員の中でも特に魔術などに長けたものにお願いして、クラスメイト達をそれとなく探ってもらったのだ。
結果が先のみなの診断であった。
その日の夜遅く、浩二はその日の売上の会計処理の手を休め、ぼんやりと状況について思案を巡らせてみる。
もともと今回の異世界拉致には妙な点がいくつかあった。通常の拉致の際は、転移が働いた時点で強制的に加護などを得ることがほとんどだが、それがなかった。
だから浩二は生身のままのプレーンな地球人として、スキルやステータスなどの恩恵を一切受けることなくこの4年を過ごしている。
他方のいいんちょたちは王国内で何らかの儀式を追加で受けたと見受けられ、そこで改めて女神の加護とやらを享受したものと考えられる。
何故異世界召喚と加護付与の儀式を2段階に分けたのか? 二つの間に何か滑り込ませたい何かがあったのではないか? そこに王国の呪いとやらが挟まってくるとなると、これは一挙に生臭い話へと化けてくる。
だいたいあそこまで召喚に手馴れている王国が、過去に何度も地球人を拉致転移して来たであろうに、先人達の足跡がまるで見られない状況は異常である。つまり王国は人為的に異世界人に特別な介入をして、自分たちのいいように使い潰している。
恐らく魔王討伐の暁には、彼女たちの扱いは……。
このままではいいんちょたちの命すら危ぶまれるだろう。
とはいえこれは朗報といえる。女神自身が思考改竄をしているようであれば浩二に打つ手は何もなかった。だが相手が同じ人間であればこの世界の技術を用いて元に戻せる目も出てくる。いいんちょ達を奴らの魔の手から救い出し、王国に対抗する手立ては必ずあるはずだ。その為に浩二が出来る事といえば……。
「ふうーっ……。」浩二は大きく伸びをした。
今の浩二は無力だ。南方都市国家の一都市にある小料理屋のオーナーがせいぜいといった身分だ。彼女たちを助けたいという気持ちはあるものの、今の浩二に出来ることはほとんどない。
ともかく少しでも土地に馴染み、勢力を拡大し、王国のような大国に一矢報いる事が出来る程度の力をつけねば、交渉の土俵に上がることすら出来ない。
彼女たちの状況は刻一刻と悪い方向に向かっているだろうに、手探りの状態が続く現状がもどかしい。
「くそっ!」浩二は荒々しく片手を振り上げ、一瞬の戸惑いを挟み、弱々しく机の上をドンっと叩いた。
叔父の薫陶を受け異世界拉致に対抗する訓練を始めてから10年以上、浩二は自分一人が生き延びるための技術には自負がある。自分だけならどうとでもなる。
けれどもクラスメイトなどといった他者の事まで助けなければいけない状況は想定していなかった。所詮あいつらは赤の他人と最初から決めつけ、日本にいた頃から積極的には関わらないようにしてきたから、何の準備も対策も考えてこなかった。
けれども今日、浩二はクラスの女の子たちを知ってしまった。真の意味で知り合ってしまい、僅かばかりでも心を通わせてしまった。
彼女たちは……。みなとてもいい奴らだった。びっくりするほどお人好しな連中で、自分たちが人殺しの悪行に手を染め心の奥底では苦しんでいるだろうに、あろうことか浩二の事を心配してくれ、浩二のためにハーブやスパイスを探してくれると約束までしてくれた。
つい昨日までの浩二にとってはせいぜい顔見知り程度の同い年の日本人女性たちといった程度の認識だったのが、今ではかけがえのない同郷の知人たちといった立場に格上げされてしまった。
そんな彼女たちのために、少しでもなにかしてやりたいと今ならながらに思うのに、今の浩二に出来る事といったら……。
「くそっ……。」浩二はもう一度、弱々しくも同じ台詞を繰り返した。
「コージ様。」小さく語り掛ける声にハッとなった浩二が顔を上げると、オイルランプの明かりの向こう、薄暗がりの影に、気遣わし気に眉根を寄せる美しいエルフの女、タリアの顔があった。
「コージ様、私たちハイエルフの皆はあなた様の味方です。長老たちも若いみなも、エルフの皆はあなた様のために力になりたいと全員が考えております。
どうかお一人で抱え込まないでください。どうか私たちを頼ってください。あなたはお一人ではありません。みなで知恵と力を出し合って解決すればよいのです。」
タリアは噛みしめるように一言づつ語りつつも、浩二のそばへとにじり寄ってきた。
橙色の炎がチラチラと瞬き、真白な肌の彼女を艶めかしく彩っている。浩二は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「あ、ああ。」震える声で返事をする浩二。
気が付けば、浩二の目の前にまでやってきたタリアは、ほっそりとしたしなやかな指先を踊るように宙に泳がせ、そのまま浩二の頬へとぴたりと当てた。
見上げるようにして覗き込んでくるエメラルド色の美しい瞳が、切れ長の白金の睫毛に彩られ、ふるふると震えるさまに浩二はめまいを覚える。
あまりに美しい、ハイエルフの極上の美女の悩まし気な顔。
桜色の可愛らしい唇から、ため息にも似たかすれ声にて「どうか、私たちを頼ってください。」と鈴の音のような言葉が紡がれる。
「あ、ああ。」浩二は返事とともに、顔を真っ赤にさせながらも後ろに一歩後じさった。
すると途端に楽しそうな表情へと豹変し、「ふふふ。」といたずらっぽく笑ってみせるタリア。「絶対ですよ、コージ様。何をなさるにしても、必ず私たちを頼ってくださいね。」
「ああ、もちろんだ。必ずあなた達を頼ると約束しよう。」真っ赤な顔で目線を逸らしつつ、どうにかそう返す浩二に、「約束ですよ、コージ様。」などと嬉しそうに語りながら、軽やかな足取りで部屋を後にするタリア。
その後ろ姿はまるで可愛らしい妖精のようで、見送る浩二はいつまでも扉の向こうから目が離せなかった。
程なくして階下から「よっしゃぁっ!」と何やら勝ち誇るようなタリアらしき女性の声が鳴り聞こえたが、浩二には意味がちょっとよく分からなかった。




