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そんなことよりカレーが食べたい。  作者: すけさん
第二章 黒×赤 / ブラックペッパー&レッドペッパー
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 9

前話の最後の方でベジタリアンやヴィーガンに対する失礼な内容があったことを反省し、今話を組み立てました。

もし前話で不快に感じた方いらっしゃったらすみませんでした。

 あれから急ぎ戦線に戻り獅子奮迅の働きをした佳奈は、一年後に褒美として手に入れた僅かばかりの休みを利用して、迷わず南の都市国家へと足を向けた。

言わずもがな、浩二がカレー料理店を営む例の街を訪れるためだ。


もちろん唐辛子を手に入れてパワーアップしたであろうカレーに舌鼓を打つことが一番の理由であったが、それ以外にも大切な目的がある。

それは、度重なる戦闘の中で身も心も擦り切れてしまったクラスメイトの女の子たちに浩二の料理を振舞うことで英気を養ってもらおうという魂胆であった。


佳奈たちが直前まで戦っていた北東部の群島地帯は浩二のいる南国とは数千キロ単位で離れていたが、クラスメイトの何名かは高度な転移魔法を修めていたから、ほんの数秒も掛からぬ気楽なファストトラベルである。

今回の企画に男子生徒を加えなかったのは、そもそもの異世界召喚直後に勝手をして逃げ出した浩二を悪く言うものが未だに多くいるからで、今回は男子禁制の女子会ということで女の子たちにのみ声を掛けての団体行動であった。


ネットや電話どころか手紙すら国をまたぐとろくに届かない異世界において、何のアポも取らずにいきなり大勢で浩二の店に押しかけて迷惑にならないかが少々心配であったが、どうせ相手はあの浩二である。身勝手でわがままな浩二相手に遠慮しても仕方がないかと、佳奈は割り切ることにしてクラスのみんなをぞろぞろと引き連れて浩二の店へと乗り込んだ。

正直なところ、少しばかり浩二を驚かせてやろうといういたずら心があったのだが、目的地について驚かされたのはむしろ佳奈の方であった。


まず一番に驚いたのが、浩二の店が大きくなっていたことである。もともと港町の奥の方、ガラの悪い船員などがたむろするような一画で細々とやっていたような店だったはずが、たった1年で場所を移し、目抜き通りの角の一等地の三階建ての豪奢な建物がまるまる浩二のカレー店になっていた。

佳奈は一瞬我が目を疑ったのだが、店から漂う香りがまごうことなきカレーの匂いだったため、恐る恐る看板に目を凝らすと、果たしてそこにはそのまんまの『コージのカレーの店』と南ダナン語ででかでかと描かれていた。識字率が最底辺のこの世界において、しゃれた店の名前などつけても誰も覚えることもないので、だいたいこんな分かりやすい店の名前ばかりである。スミスの金物屋、革の店カーター、薬屋マージョリー、どの街に行っても、どの民族であろうとも、だいたいどこもそんな感じであった。

だからこそ佳奈は、ここが間違いなく浩二のカレー店なのだと信じることが出来た。そこで覚悟を決めて店の中に入る。


立派な門扉のついた入口をくぐって再び驚かされた。

「いらっしゃいまーセー。」とどこか狂ったイントネーションで可愛らしい声を上げて出迎えてくれたのは、美しいエルフの姫、ナリャであった。

姫はその類稀な容姿を惜しげもなくさらしつつ、随分と薄手の衣装を身にまとって佳奈たちの前に姿を現した。思わず唖然となる佳奈に対し、ナリャはじぃっと顔を覗き込んできて、「あっ! カナっ!」と声を上げた。

「何しに来たネ!? コージは忙しいネ! カナに構っている暇はないネ!」などと訳の分からないことを言い出し、佳奈を無理やり追い出しにかかろうとする。


そんなナリャを押さえるようにして、後ろから手を掛けた美しい女性が代わりに話しかけてくる。

「お久しぶりです、カナ。それに皆様。元気にされているようで何よりです。」

ナリャのお目付け役としてついてきたタリアであった。タリアもまたナリャと同じような太ももをあらわにした可愛らしい衣装を身に付けており、店内を見渡せば同じ格好をした妙齢の女性があちこちうろうろしていた。これがどうやら女性店員の制服のようなものであるようだ。

そんな佳奈の視線を機敏に汲み取ったタリアが苦笑しつつも補足の説明をしてくれる。

「コージ様が従業員の衣装を統一すると連帯感が生まれてよいだろうとおっしゃるので、皆で考えてこのような格好をしているのです。

うちの店は見ての通り、皆の種族も民族もバラバラなものですから。」


言われて佳奈が給仕の女性達を見比べてみれば、あちらは地黒で妙齢のお姉様、そっちは派手な水色の髪色で真っ白な肌のマーメードらしき女性、猫獣人の活発そうな女の子、金髪のお人形様みたいな可愛らしい女の子と、随分と多様な女性が所狭しとあちこち闊歩していた。


「みな、コージ様の料理に胃袋を掴まれてしまったものたちばかりなんですよ。ですから種族や民族の垣根を越えて、この店ではまあ、仲良くやってゆけるのです。

ただまあ、みなコージ様の気を引きたいばかりに結託した結果、このようなちょっと恥ずかしい衣装になってしまいまして……。

皆様のいらした異世界ではこのくらいの短いスカートは当たり前だと聞いているのですが、いかがでしょう?」

そう言ってから、その場でくるりと回ってみせるタリア。ふわりとスカートの端が舞い上がり、白磁のような美しい太ももが殆ど根元まで見えてしまう。

佳奈は思わず恥ずかしくなり目を逸らした。


「いやー、うちらの世界でもそこまで短いのはよほど気合が入ってないと穿かないねーっ。」と苦笑交じりにクラスメイトの満里奈ちゃんが皆の気持ちを代弁してくれる。


「……そうでしたか。正直コージ様も何故か顔を赤くしてこちらをまっすぐ見てくれなくなりましたので、もしや何か間違いがあるのではと思いましたが。

……やはり短すぎましたか。」

顔を真っ赤にしながら俯いてしまうタリア。なんか佳奈が1年会わないうちにずいぶんと可愛らしい感じになっている。

「むっつりスケベのコージはこれで悩殺ネ!」傍らではナリャがえっへんとふんぞり返りつつもそんな事を言っている。なんかもうこの子はハイエルフの高貴な姫とかじゃないなーと佳奈は残念な気持ちになった。


「ともかく、せっかく皆様大勢でいらしたのですから、まずはコージ様を呼んでまいりますね。皆様コージ様に会いにいらしたのでしょう?」


「あっハイ。おねがいします。」なんか驚きの連続で当初の目的を忘れかけていた佳奈であったが、どうにか我に返り返事をする。


「コージならワタシが呼んでくるネ!」弾むような笑顔で駆け足になって店の奥に消えたナリャが引っ張るようにして連れ戻ってきた浩二を見て、佳奈は三度目の驚きを覚えた。

身体中に宝石やら金銀の細工物やらをジャラジャラとひっさげた、安っぽい成金の商人みたいな恰好をした男が現れたからだ。

すっかり日焼けして現地人と言われてもおかしくないその男が、

「おうっ。いいんちょ久しぶりだな。それからクラスのみんなもよく来てくれた。」

などと口を開くと、その声で初めてその人物が浩二であることが分かる次第であった。


ぎゃははははっ! と、声を上げて笑ったのが満里奈ちゃん。


「なんだよ、伊丹ーっ! その格好!」


満里奈ちゃんは昔から気さくな性格で、変わり者の浩二とも昔からそれなりに仲良くしていた経緯があるので、こんなふうに話しかける事も出来るのだろう。


「おうっ。吉澤か。まあそう言わないでくれ。文明が未発達のこの世界では金持ちになったら目に見えて金持ちの格好をしないと思いっきり舐められるんだ。」

「なんだよ伊丹ーっ! お前ちゃっかり異世界で金持ちになったのかよーっ!」ぎゃははと笑う満里奈ちゃんに「おうっ」と軽い返事とともにニヤリと笑ってみせる浩二。

すると満里奈ちゃんは「てめーひとが苦労している間にうまい事やりやがってーっ!」そんな事を言いながら、ぽかりと浩二を殴りつけた。

1年前にコショウの件などで苦労していた浩二を知っている佳奈としてはびくっとなってしまったが、当の浩二はまるで気にしていない様子であった。

「ハハハ。まあそう言ってくれるな吉澤よ。そういうお前は昔とほとんど見た目が変わっていないな。というかなんか、以前より手足が伸びて美人になってないか? 女神の加護かなんかか?」

「えっ? そう? 分かる?」さっとモデルのようなポーズをとってみせる満里奈ちゃん。

「おーっ。なんかみんな、4年前と変わっていないというか、前より可愛くきれいになったな。なんかすごいな。」

浩二は佳奈や満里奈ちゃんの後ろに並ぶクラスの女の子たちに向かってそう声を掛ける。皆はそれぞれ、ぺこりと頭を下げたり、にっこりと微笑んでみせたり、めいめいの方法で返事をする。

「そういう伊丹はこの4年で滅茶滅茶老けたじゃねーか! おっさんじゃねーか!」満里奈ちゃんは面白そうに浩二に向かって指を差す。

「おうっ。まあ仕方がないさ。オレは女神の加護とやらを受けていないし、フツーに歳を取ればこんなもんだろ。」

「それにしたって老けすぎだろーっ!」満里奈ちゃんがまたぎゃははと笑う。

対する浩二もはははと笑うので悪い雰囲気ではなかったが、さすがにちょっと酷いかなと不安になった佳奈は間に割って入るようにして、浩二に話しかけた。


「それで伊丹くん、今日は突然で悪いんだけど……。」


佳奈を含め13人のクラスメイトの女の子たちを、浩二は快く受け入れてくれた。

何やらチーフウェイトレスみたいな立場になったタリアに指示を出し、二階にあるという特別な客向けの専用の個室を用意してくれた。


皆がそれぞれめいめいの席につくと、タリア達美しい給仕の女性数名と、チャナン達料理人と思しき男性数名を連れた浩二が皆の前に立ち、声を上げた。


「あーみんな。久々だな。4年ぶりか? みなが異界の勇者として対魔族戦線で大いに活躍しているという噂は、この南国の田舎町にも伝わってきている。まずはお疲れ様と言わせてもらいたい。

オレは召喚直後に逃げ出した身だから、みなの中にはオレの事をあまりよく思っていないものもいるかと思う。その点に関しては申し訳ない。俺自身にとっては考えあっての行動だから正しい事をしたという自負があるが、結果として皆に迷惑をかけた点には違いないでその点については謝罪させてもらいたい。すまなかった。」

ここで浩二はたっぷりと時間をかけて頭を下げた。

そんな浩二に対し満里奈ちゃんが「テメーのせいでひでーめにあったぞー」と笑いながらもそう腐した。けれどもクラスの女性みんなは誰も満里奈ちゃんに続いて声を上げなかったから、さすがの満里奈ちゃんも気まずい雰囲気を感じ取ったか、しゅんっとなって小さくなり、黙り込んだ。


佳奈はやれやれと一息つく。浩二の事情については、多少ぼやかしつつも佳奈が女の子たちみんなには説明をしている。浩二の親戚が別の異世界に強制召喚され大変な目に合ったらしいということ。それを知っていた浩二は集団転移の状況で危険を察知しいち早く逃げ出したこと。そんな浩二が異世界で生き延びるため、南の都市国家で小さな料理屋を営んでいること。

クラスの女性陣はそんな浩二の事情をそれぞれに理解し、受け入れている。だからこの場に浩二の事を悪く考えるクラスメイトは一人もいなかった。


ゆっくりと顔を上げた浩二が再び口を開く。

「みなと別れてからいろいろあったが、おかげさまでこのオレはこの世界で僅かばかりの成功を得ることができた。そこで今日は詫びの気持ちを込めてみなに食事を振舞いたいと思う。

文化に優れた日本の食べ物に比べれば足元にも及ばぬ粗末なものではあるが、いま、この世界でこのオレが用意出来る最高品質の食事を提供したいと思う。

このオレの奢りだから、どうか遠慮せずに好きなだけ飲み食いしてくれると嬉しい。」


そうしたらおっとりした性格のあかねちゃんがパチパチと拍手を始めた。そしたらなんか、みんな癖でパチパチと拍手を始めた。


こういうときなんかみんなで拍手するの、日本人の国民性かなにかなんだろうか……?


佳奈は「なんだかな―っ」とヘンな気分になりつつも、自らも一生懸命ぱちぱちと手を叩いた。


浩二がおほんと咳ばらいをし、サッと手を上げるとぴたりと拍手が止んだ。何故か後ろに立つチャナンが「おおおっ!?」と声を上げた。


「えー。そんなわけでまあ、今日は無礼講としていただきたいんだが、最後に重要な質問がある。ぜひともみな嘘偽りなく答えてほしい。」


浩二が真剣な表情になる。何故か浩二の後ろに立つタリアが蒼白な表情になり、他のものも息を殺すようにして緊張した様子が伝わってきた。


えーなになに!?


思わず佳奈も身構えた。


「みな、宗教上の理由や信念、あるいは病気やアレルギーなどで食べられないものや口に出来ない食材などはないか? 豚や牛、小麦や卵など、事情があって口に出来ないものはないか?」


えええええっ?


佳奈はがくーっとずっこけそうになった。


突然の場違いな質問にみんなどうしていいか分からず、思わずお互いに顔を見合わせてしまう。


そんな中、おずおずと手を上げたのはあかねちゃん。


「わたし……。蕎麦がダメなんです。アレルギーがあって。控えてもらえると助かります。」

「ふむ。分かった。」浩二が後ろに立つチャナンに声を掛けると、彼は手にした木板にさらさらと書き物をした。

これをきっかけにみんながぽつぽつと手を上げる。

「エビやカニとかの甲殻類にアレルギーがあって……」と顔を真っ赤にしながらも告白する文学少女のありすちゃん。

「アレルギーじゃないんだけど、キノコのバーッておんなじ形で大小増えてるの見ると気持ちわるくて、どうしても食べらんない。」といつも元気な陸上部の真紀ちゃん。

「胃腸が弱くて。お肉の脂身の部分を見ただけで吐き気がします。」とクラス一番の美少女の成美ちゃん。


後から後からと次々出てくるみんなの告白に、何でも食べれる佳奈としては自分の認識不足に思わず頭を抱えてしまった。


思い返してみれば、港町の地元の料理屋にありすちゃんと連れ立ってご飯をしに行ったとき、彼女はほとんど食事に手を付けずに水ばっか飲んでいた。そしてありすちゃんはその後二度と佳奈の食事の誘いに乗らなくなってしまった。あの時佳奈は「なんで?」と不思議に思うばかりだったが、今となっては事情は明白だ。あの時のありすちゃんは甲殻類に対するアレルギー反応が出てしまっていたのだ。

理由を知らずにありすちゃんの事を少しばかり悪く思っていた佳奈は自分の未明を恥じた。


そうこうしているうちに一通りみんなの事情や都合が出そろった。信仰や生き方に関わるタブーはなかったが、アレルギー以外でも思わぬ理由で食べられないものがあるとお互いに分かり、みんなして早くも会話が盛り上がってしまう。高校で一緒になって1年半、異世界で死地を共にして4年。計5年以上の長い付き合いのみんなだったが、まだまだお互い知らないことがいっぱいあることが佳奈にとっても驚きだった。


そんな佳奈に対し、浩二が続けて話しかけてくる。

「それといいんちょ。酒についてはどうしようか? みな一応20歳を超えただろう? もしよければうまい酒をいくつか出せるが、ただ肉体年齢を考えると……。」

「肉体年齢?」佳奈は思わず聞き返してしまった。

「ああ、いいんちょ。気が付いていなかったのか。みなの身体の年齢は恐らく転移直後の16、7歳から殆ど齢をとっていないものと見受けられる。

これは異世界転移でよくある話なんだ。大概において異世界の時間は地球より早く進んでいるからな。こっちの1年が地球の1か月、1週間なんて話はザラにあるんだ。

そこで女神とやらが地球に戻った際のギャップにならないよう、肉体の成長を止めるなり抑えるなりしているんだろうな。他にも地球に戻ると肉体年齢が若返るような場合もあるが、みなの容姿が少しづつよくなっている様子をみるに、この世界の管理者は転移者の肉体そのものを弄ぶ選択をしたのだろうな。」


へええええっ!


佳奈は初めて聞く話にびっくりとなってしまった。佳奈と同じテーブルについた満里奈ちゃんや美少女の成美ちゃんも感心した声を上げる。


ここで佳奈はふと思ってしまった。


あたしたちの肉体年齢は止まっているけれど、伊丹くんはどうなんだろう?

加護のない伊丹くんは、この4年の間にしっかりと4年分の肉体的成長が進んでいるように見える。

そんな伊丹くんがもしこの世界で何十年も過ごすことになって、それから地球に戻ったらどうなるんだろう?


だがそんな佳奈のふとした疑問は、浩二の続けての質問に掻き消されてしまう。


「それで、酒についてはどうする? 肉体年齢の事を考えるとあまり若いうちから酒を出すわけにもいかないんだが。ソフトドリンクにしておくか?」

ええっと、と返事にまごつく佳奈に代わって満里奈ちゃんが答える。


「いーよいーよ。お酒だして。つーかみんな割と普段からフツーに飲んでるし。」

「そうなのか?」と返事する浩二に対し、成美ちゃんが言葉を継ぐ。

「その。他に飲むものがないことが多くて。私達は加護があるので酷い水を飲んでも身体を壊すようなことはないのですが、とにかくまずいので、お酒ぐらいしかまともに飲めない土地が多いんです。

それでみんな、初めは嫌々でしたけど、お酒飲むの慣れちゃいました。今では私の楽しみの一つなんです。」成美ちゃんはそう言ってぺろりと舌を出してみせる。そのしぐさが可愛らしくて、ちょっとあざとい。

「つーか酔えないんだよ、あたしら。多分これも女神の加護とかなんだろうけど、いくら飲んでもほろ酔いくらいで止まるから泥酔できないんだよねー。こんな世界じゃ酒でも飲まなきゃやってらんねーってのに、ふざけんな女神って感じ。

だからみんな酒だけはフツーに飲めるから、遠慮なく出してちょーだいよ。」と満里奈ちゃん。

「ふむ、そうか。わかった。だがアルコールにもアレルギー反応が出る奴もいるからな? 身体に合わないものがいたら遠慮なく言ってくれ。」


その一言に、佳奈はあーっとなった。


「女の子たちはみんな大丈夫だと思う。でも男子に一人、どうしてもお酒が飲めないって子がいて……。多分体質だったんだろうけど、すぐに赤くなって。女神の加護のおかげで体が丈夫になって、以前よりは全然へーきになったって言ってたけど、どうしても馴染めなくって。」


マンガが大好きだった田中君はもともと小太りだったけれど、お酒以外にも水や食事がどうしても身体に合わず、見る見るうちにやせ細っていった。とにかく無理にでもご飯を食べさせようとして、でも拒絶されて、最後にはガリガリになった田中君は……。

この世界に来てもう10人近くのクラスメイトがこの世にはいないが、その中でも田中君の最後はみんなにとっても後味の悪い、苦い思い出であった。


詳しくは話せずとも浩二も察したのだろう。

「そうか……。」とぽつりとつぶやいた。

「アレルギーは人間が本来持っている免疫機構の過剰反応だからな。さしもの神といえども、下手に弄って人間の抵抗力そのものを完全につくり変えることは出来なかったんだろうな。」

成美ちゃんが「そっかー」と声を出す。同じ卓につく満里奈ちゃんや文芸部の梨花ちゃんも興味深げに浩二の事を見ている。

佳奈たちはこの世界にきてもう4年になるが、この世界の事を何一つ分かっていないのだという事実に否応なしに気付かされる。いの一番に逃げ出した伊丹 浩二という男が一番状況を理解しているという今の状況が、佳奈をなんとも不思議な気持ちにさせた。


だがそんな少しばかりしんみりした雰囲気も一瞬であった。表情を変えた浩二は「ともかくまずは酒を出そう。チャナン!」と声を掛けると、その場にいた店のものが一斉に動き出し、テキパキと皆の前に食器やカトラリー、グラスなどを持ち運んでくる。フォークやスプーンにまぎれ、さりげなくちゃんと箸や箸置きも用意されているのに佳奈はへぇーっと感心してしまった。


異世界に来てからこっち、まともにフォークやスプーン一つ出てこないような土地も多いのだ。この世界ではまだ多くの土地で手づかみで食事をとる。佳奈たちはそれが嫌でみんなで工夫してマイ箸を持ち歩くようにしているのだが、そのようなものを使っていると土地の人々からはかえって気持ち悪がられることさえある。


それが今回このようにちゃんと複数の食器が用意されるのは、正直異世界に来て初めての事であった。この世界ではよほど文明が発達した国の晩餐会でもこんなにたくさんの食器は出てこないのだ。


「げぇーっ。」と満里奈ちゃんが嫌そうな顔になった。「もしかしてこれ、フルコースとかそういうの? あたし全然マナーとか分からないんだけど。」

浩二が「ははは」と笑った。「なに、そんな堅苦しくなることもない。使えるものが必要とするかもしれない理由で用意しているだけだ。好きに使ってくれ。

だいたい日本人なら箸とスプーンがあれば大抵のものは食えるだろう? 今日は無礼講なのだから、好きに食ってくれ。」

「ほんとう?」なんだか急にしおらしくなった満里奈ちゃんが、上目づかいで浩二の事を見あげる。

「おうよ。」と浩二が返事をすると、「おうよ!」と満里奈ちゃんも可愛く返事をした。


そうこうしているうちにみなの手元のグラスに赤ワイン、白ワイン、エール、果実酒、果実水がそれぞれの希望に合わせ注がれ、テーブルの上の準備が整った。


みなの前に立った浩二がグラスを掲げ声を上げる。

「クラスメイトとの久々の再開を祝して! 乾杯!」

「かんぱーい!」

こうして期せずして用意された2年B組の女子一同での飲み会が始まった。



「浩二! テメーいいから座れ!」

すっかり出来上がった満里奈ちゃんが立ち上がり、料理を運んできた浩二を引き止めて無理やり自分の席に座らせようとする。

すっかり困り果てた浩二が「いや、オレはまだすることが……」などといってやんわり拒絶するも、「うるせーっ! あたしの酒が飲めねーっていうのかーっ!」などを訳の分からない台詞を叫びつつ、満里奈ちゃんが浩二に抱きついてしまう。


さすがにこれはまずいと立ち上がった佳奈と成美ちゃんは立ち上がり、無理やりにでも満里奈ちゃんを引っぺがす。


「うおーっ! 浩二ぃーっ! 浩二ぃーっ!」引き離された満里奈ちゃんが嘘っぽい号泣を始めるも、「どうっ! どうっ!」と暴れ馬をなだめるようなノリで成美ちゃんがあやすと、満里奈ちゃんはわりとすぐに落ち着いて大人しく席についたが、次の瞬間には今度は成美ちゃんにしがみついた。「あたしの荒んだ心を癒してくれるのは成美だけだよぉ……」などとよく分からないことをつぶやいている。


すっかり顔を赤くした浩二がびっくりした表情で佳奈に話しかけてくる。

「お前ら、女神の加護で酔っぱらわないんじゃないのか?」

佳奈は返答に困ってしまう。「その……。満里奈ちゃんは、雰囲気に酔える人だから……?」

「そ、そうか……。」

そのやり取りを聞いていた成美ちゃんがくすくすと笑いだした。「満里奈は気が緩んじゃったんですよ。伊丹くんの作る料理がどれもとっても美味しいから。」


「お、おうっ。」照れた浩二が恥ずかしそうに頭を掻く。


実際、佳奈の目から見ても浩二の出す料理はどれも素晴らしかった。なにより、味付けがどれも和風なのだ。どうやら1年前の昆布と魚醤がさらに改良を重ねてパワーアップしたらしく、この出汁をベースに組み立てられる焼き物、煮物、お吸い物、箸休め等はどれも和の味がして懐かしさを感じさせた。

みな大いに楽しみ、中には涙ぐむ女の子もいた。ちなみにさっきから一番号泣していたのが満里奈ちゃんであった。


ただしこのような和の味付けは浩二でないと組み立てが難しいらしく、晩餐が始まってからずっと浩二は厨房にかかりっきりであった。浩二はときおりこうして様子を見にやってくるものの、すぐに引っ込んでしまう。

先ほどの満里奈ちゃんの抱擁はそんな浩二を咎めての行動ではあったのだが、それにしてもやりすぎでしょうっ! と佳奈は頭を抱えたくなる。

傍らに立つタリアが「なるほど……。無理やり抱きつけば意外と嫌がらない……ですか。」などとブツブツ呟いている点については聞かなかったことにする。


「ところでいいんちょ。」と、気を取り直したらしき浩二が佳奈に話しかけてきた。「次がメインディッシュの和風スープカレーなんだが、鶏と羊と魚貝で一人づつ選べるようになっている。あーっ、魚貝はエビが入るな。どうしようか?」

佳奈は心得たとばかりに立ち上がり、声を張り上げる。「はーい! みんな注目ーっ!」

みんなが一斉に佳奈に振り返る。

「今からメインディッシュのカレーが来まーす! 鶏と羊と魚貝が選べまーす! なお魚貝にはエビが入りまーす!」

甲殻類にアレルギーのあるありすちゃんにみんなの視線が集まる。赤面症のありすちゃんは顔を真っ赤にしながらも「わ、わたしは鶏で……。」と返事をする。

浩二は分かったと頷く。それから続けて「他に注文のあるものはいるか?」と訊ねると、すかさず成美ちゃんが、「鶏の皮を取って調理してもらうことはできますか?」質問をした。「出来るぞ。」と浩二が応え、「ではそれでお願いします。」と成美ちゃんが注文をする。

さらにはバレー部の香月ちゃんが「辛さの調整はできますか? 私、辛いの苦手で。」と質問し「もちろんだ。」と浩二は頷いた。「他にもある程度の希望はだいたい対応できると思うぞ。何でも言ってみてくれ。」

するとみんなから一斉に細かい注文が入り、タリアを始めとするウェイトレスが慌ててそれぞれに散って木板にメモを取ってゆく。

全員の希望が出そろったところで、「うむ。」と頷いた浩二はまた厨房へと引っ込んでしまった。「浩二ぃーっ! 行くなぁーっ!」と訳の分からない叫び声を上げ追いすがろうとする満里奈ちゃんを佳奈と成美ちゃんで羽交い絞めにするのが一苦労であった。



カレーを待つ僅かばかりの時間のあいだに、タリアが佳奈に話しかけてきた。

「皆さま、本当にすごいですね……。」

佳奈は始め、タリアは何か嫌味でも言いだしたかとギョッとなり、思わず相手の顔を覗き込んでしまったのだが、そこにはキラキラと目を輝かせて興奮した様子のタリアがいた。


「えー? なにが?」訳の分からぬ佳奈は恐る恐る訊ねてみる。

「食べ物の不得手や苦手の話です。その、あれるぎぃというのですか? そういうものや、精神的なものであったりとか。そういったものについての皆さまの理解が素晴らしいのです。」タリアは感心しきりといった様相でうんうんと頷いてみせる。


「えーっ? どこがぁっ?」どうにも要領の得ぬ佳奈は重ねて聞いてみる。

「ああ。」対するタリアは悩まし気な声を上げた。「皆さまにとっては当たり前のこと過ぎてお気づきにならないのですね。よろしければ少し説明をさせていただいてもよいですか?」

もちろん佳奈は頷いた。


そもそも事の発端は1年前のエルフの里での料理対決である。あの時浩二は秘策として昆布と魚醤を持ち込んで審査員のエルフの長老たちを黙らせ、引き分けに持ち込むことで唐辛子をゲットしたのだが、佳奈が急ぎ戦場へ戻った後にひと悶着あったそうだ。


というのも、帰りの道中どこか悩んでいた浩二は「やはり」と決意しエルフの里に取って返し、長老たちに土下座して詫びたのだそうだ。

曰く、「あなたたちが信念に基づいて断っている魚を使った料理を出してしまった。これは本来絶対に許されない行為だから、どのような罰も受け入れる。」との理由であった。顔面蒼白となった浩二は「死をも受け入れる」と発言し、タリアやナリャ姫は大いに慌てた。


だってタリアは知っていたのだ。口では「魚肉は食べるな」などと偉そうに言っている長老どもだが、影でこそこそ集まってはこっそり川で釣った魚などをじじぃ連中だけで食べている事を。

そのあたりの事情も説明し、いいから気にするなとタリアは懸命に説得したのだが、当の浩二が頑として首を横に振らない。とにかく罰を受けると言って聞かず、地面にひれ伏して沙汰を乞うばかりであった。

これに困り果てたのが当の長老どもであった。どうしていいか分からなくなった爺連中は最後にはタリア達若手エルフに泣きつき、里のみんなで無い知恵を絞ってつけた落としどころが「野菜だけを材料にもっとうまい料理を作って献上する」という命であった。

浩二は唯々諾々とこれを受け入れ、この1年の間にもすでに何度か試作となる料理を作って長老たちに奉納していた。

これがなかなかの美味で、長老たちも若いエルフたちも浩二の料理は楽しみになってしまった。

この騒動の結果として里のみんなが結束するきっかけとなりまた、浩二を気に入った長老たちが里の若いものを浩二のもとに手伝いに出すような運びとなって、浩二の店は大森林のハイエルフ達の出張所のような様相を呈することになったのだが、ここまでの話はあくまで前段である。


その後、浩二の店では大事な客へのもてなしの料理を出す際には、食べられない素材や調理方法などを必ず事前に聞く決まりが出来たのだが、どうにもこれが評判が悪い。

ほとんどの客がそのような質問をされても意味が分からず首を傾げるばかりだし、中には無礼だと怒り出すものまで出てくる始末。

給仕や料理人であるタリアやチャナン達従業員のみなとしても何の意味があるか分からずに困り果てていたくらいだったそうだ。


「それが今日、私たちは初めて自分たちが間違っていることに気付かされたのです。

コージ様は当たり前のように皆さまに質問をされ、皆さまは当たり前のようにそれぞれの事情をお伝えになった。

そして私たちは当たり前のようにこれを受け止め料理や配膳に注意するように求められた。これは私たちにとって初めてのことで、どうすればいいのか始めは戸惑いましたが、ひとたび受け入れてしまえばとても自然な事のように感じられるのです。おかげさまで私も料理長のチャナンも本当に驚いているのです。

皆さまがどれほどすごい事をなさっているか、お分かりになるでしょうか?」

キラキラと目を輝かせながら身を乗り出すようにして話しかけてくるタリアに、佳奈は思わず後ずさってしまう。

どう返事をしたものかと成美ちゃんと顔を見合わせた。困った佳奈に代わり、成美ちゃんが代わりに答えてくれる。

「私たちにとっては当たり前の事ではありますが、そのように感激していただけるのは光栄です。

エルフの皆さんにも優れた文化が沢山あると聞いております。これはちょっとした異文化交流のようなものだと思います。お互い相手文化の優れたところを取り入れ合えれば素敵な事だと私は思います。」

うーん、さすが八方美人の成美ちゃんらしい優等生な解答だなぁと佳奈は感心した。ちょっとあざといと思った気持ちは奥に押し込めておく。


「いいえ。いいえ。」だが首を横に振りこれを否定するのはタリアであった。

「皆さまは本当に素晴らしいのです。

エルフという種族は長生きですから、自分達が文化的に優れているという優越感に浸りがちなんです。ですがそのような感情自体が傲慢であると私は今日、痛感いたしました。

異世界からいらした皆さんは極めて高い文化、文明を背景に、自然と互いに食の信仰やこだわり、安全性に配慮した対応が互いに出来る。そしてその態度や行動には一片の驕りもなく、とても自然にふるまっておられる。これはとても素晴らしい事なのです。

私はコージ様や皆様に対し、恥じ入る気持ちでいっぱいです。ただ長く生きてきただけのエルフに比べ、皆様の方が知性的にはよっぽど優れています。本当に素晴らしい。」


「は、はあ……。」佳奈としては曖昧な返事をするくらいしかすることがない。そもそも佳奈は自分が大それたことをしているつもりもないし、どうにもタリアは勘違いをしているだけのようにも思えるのだが、ここで下手に反論すると多分かえって面倒な事になりそうである。だから適当に相槌を打ちつつ流すくらいしかすることがなかった。

成美ちゃんも困った顔で首を横に振っている。


「私たちエルフは、異世界からいらした皆さまを愚かで野蛮な蛮族であると勝手に決めつけ、見下しておりました。私自身も注意しているつもりが、どこかで皆さまを軽んじているところがあったと今さらながら自覚しております。

とんでもない間違いだった! 愚かな蛮族は私たちの方だった!

私は今、ここに皆さまに謝罪を申し上げます。大変申し訳ございませんでした。」

タリアはここまで一気に言葉を紡ぐと、その場で深々と腰を曲げ頭を下げた。そのほっそりとした美しい首筋の背中部分がこちらに顔を覗かせる。

このまま剣で首を落とされてもかまわないという、この世界における第一級の謝罪の姿勢であった。

プライドの高いエルフがこの姿勢になることはまずもってほとんどあり得ないと佳奈は知っている。そのあり得ないことが今目の前で起こっている。


えええええっ!?


混乱する佳奈はどうしていいか分からなくなってしまった。ふと周囲を見渡すと、クラスのみんなも給仕の女性たちも口をつむぎ、何事かと一斉にこちらへ目線をむけていた。


成美ちゃんがすっと立ち上がった。まるで女王然とした堂々たる態度でタリアの前まで足を進め、厳かな声で語り掛ける。


「わたし、滝沢 成美が皆を代表し、あなたの謝罪を受け入れます。顔をお上げなさい。今日この日をもって私たちとあなたは生涯の友です。」


うわー成美ちゃんて可愛い系の顔して中身はバリバリの女王様だよねー。


佳奈は意味不明の状況に場違いな感想を覚えた。


タリアは首を上に向け、「御意に。」と一言呟いて小さく頷いた。


うわーなんか分かんないうちに成美ちゃんが勝手にタリアを許したことになってタリアが私たちの友達になったことになってるー。

でもなんかタリアが納得している感じだからまあいっかー。


佳奈は理解不能の状況に訳が分からなくなり、これ以上考えることをやめた。



そうこうしているうちにメインディッシュのカレーが運ばれてきた。日本では当たり前だったかぐわしい香りが詰め込まれた皿が目の前に置かれると、佳奈は否応なしに興奮してしまう。

だいたいこの店はカレー店であるからして、お店に近づいた段階からずっとカレーの美味しそうな匂いが充満していたのに、今日のコースでは和風の味付けの料理ばかりで肝心のカレーはずっとお預け状態だったのだ。

それがようやっとこのように目の前に登場し、これが浩二の焦らし作戦なら作戦道理だよこんチクショーっ! と佳奈は浩二を少しばかり恨む気持ちすらあったのだ。

だがそんな悪感情も見事な色合いの美しいカレー皿を前には一瞬のうちで瓦解した。


そうだよ、あたしは今日これを食べに来たんだよ!


はやる気持ちを抑えつつ、まずはスプーンをひと掬い、ルーのはじをすくい上げて口に運ぶと……。


 驚くほどにそれはカレーであった。それも、佳奈が今まで食べた中でも一二を争う、極上のスープカレーであった。


「うめえっ! うめぇよっ!」満里奈ちゃんが号泣しながらもかっ込むようにバクバクとスプーンを何度も口に運んでいる。

「これほどのお味なら、東京でお店を出しても十分に通用するのではないですか?」隣の卓に座るお嬢様の由紀子ちゃんが感心した声を上げる。


他にもみな、めいめいがそれぞれ感想などをつぶやきつつ、一心不乱にカレーを味わっている。


そんなみんなの様子を、嬉しそうに目を細めながら「うん、うん。」と頷く浩二。そんな浩二の嬉しそうな顔を見るだけでなんだか自分も嬉しくなってきた佳奈は、そのまま浩二に話しかけた。

「やっぱ唐辛子があるだけで全然違うねー! ここまで来るともうフツーに日本のカレーと殆ど変わりがないよ!」

すると浩二は「あーっ……。」といたずらっぽい顔になった。「それなんだがな、いいんちょよ。実は今回のカレーの秘訣は唐辛子だけではないのだ。」

「へえーっ! そうなの?」気になった佳奈が思わず訊ねると、「うむ」と頷いた浩二がタリアに向かって「せっかくだから例の葉っぱと試作品を持ってきてくれ」と声を掛ける。

うやうやしく一礼しつつも素早く立ち去るタリア。

「なんだぁーっ? 浩二ぃーっ! 大麻かなんかかーっ?」満里奈ちゃんがなにやら物騒な事を言い出したが佳奈にはよく分からないので聞こえません!


程なくしてタリアが盆の上に乗せて持ってきたのは、肉厚でゴワゴワした不思議な形の葉っぱであった。

佳奈は始めてみる草であったが、「あっ!」小さく声を上げたのは園芸部の花梨ちゃんであった。

「セージですね! すごいっ!」花梨ちゃんは喜色をあらわにはしゃいだ声を上げる。

「えーこれすごいんだ?」佳奈が疑問を口にすると、「ヨーロッパでは必須のハーブですっ! ソーセージの原材料とかに使われてるんですよ!」と嬉しそうに教えてくれる。

「うむ、その通りなのだがな。実はこのハーブ、一部の日本人が大好きな調味料の重要な源成分になるのだ。良ければこいつをちょっと舐めてみてくれ。」浩二は小壺に被さった覆いを外すと、佳奈の前に突き出してくる。中にはさらりとした赤ちゃけた半透明の液体が納められていたが、なんだか妙に嗅いだことのある香りがする。


佳奈は使っていないスプーンを手に取り、ひと掬いして舐めてみる。


……あれ? これって……。


「ウスターソースだ!」


「うむ。」と大きく浩二が頷く。「実はウスターソースのあの味の半分くらいがセージの香味なのだ。あとはシナモンとセロリがあればウスターソースのベースとなる味が作れる。さらに醤油があれば完璧だな。醤油は研究の初期段階だしセロリはまだ未発見なのだが、幸いにもシナモンがあったので試験的に作ってみたのだ。

微妙に違うが、かなりそれっぽい味だろう?」


そんな浩二の説明を聞き流しつつも、佳奈は小壺を隣に座る梨花ちゃんに渡すと、梨花ちゃんも同じようにスプーンでひと掬い、「ビミョーに違うけど、確かにウスターソースっぽいかもー」と感心してみせる。成美ちゃんも同じようにして「へぇーっ!」と感心した声を上げ、続けて小壺を受け取った満里奈ちゃんが、あっ! トバドバと食べかけのカレーの上にぶちまけてしまった!

それからパクリと口の中に入れ、「すげーっ! ソースカレーになったーっ!」と大はしゃぎする満里奈ちゃん……。


ちょっと! 他の子たちの分がなくなったっちゃったじゃない!


そんな佳奈たちの様子に苦笑した浩二がタリアに何かを話しかけると、タリアは素早く動き、あっというまに同じような小壺が各テーブルの上に配られた。めいめいがそれぞれ味見をし、中には満里奈ちゃんと同じようにカレーソースの上に掛けるものも出てくる。

佳奈は一瞬、勝手な事をして大丈夫かな? と心配になったのだが、「みんな好きに使ってくれ。」と浩二が嬉しそうにそういうので、佳奈自身もそれならばとカレーの端にウスターソースもどきをまぶしてみる。

一口食べてみて、確かにソースカレーになってしまった。これはこれで懐かしい味に思え、佳奈もぱくぱくと口に運んでしまう。


そんな皆を前に、浩二のいつものご高説が始まった。

「金沢系のソースカレーなどは人によっては嫌がるものもいるのだが、まあ今回は日本の味という事で隠し味に加えてみたんだ。いいんちょが日本のカレーっぽいと感じたのはこいつのおかげだろうな。

それなりにらしい味になったと自負しているが、気に入ってもらえたのなら何よりだ。」

隣に立つタリアが補足の説明を加えてくれる。

「パルタンカの葉にこのような使い道があるとはエルフの誰もが知らぬ事でした。私たちはエルフは世界樹が時折生み出す未知の植物を株分けし育てることで森林の守護と育成に務めておりますが、よく分からない草木が殆どなので困ってしまうことも多いのが実情です。

そんな中、コージ様の異世界の知識のおかげで思わぬ発見などが多くあり、みな驚きを覚えるばかりです。長老たちもみな感謝しております。」


「なに、長老たちが苦労しながらも何とか栽培を続けてくれたからこうしてウスターソースを作る原材料とすることが出来たのだ。オレの方こそエルフの皆の努力には頭が下がる一方だ。

ジャポニカ米などは残念ではあったが、むしろ仕方がなかった事だと……」


「米!!」 話に割って入るようにして満里奈ちゃんが声を上げた。


「浩二ぃーっ! 米があるのかよーっ!?」満里奈ちゃんがキラキラとした目で浩二の方を見つめる。

目の前のカレーにも米は入っている。けれどもこれは日本のお米ではない事は食べればすぐに分かる。インディカ米と称されるぱさぱさした食感の長粒米はこれはこれで美味しいものだが、日本米のあのねっとりした食感と豊潤な甘みがあった方が今日の和風スープカレーにはもっと合うだろうなと、佳奈もそう感じていた。


「いや……。残念ながら……。」浩二は首を横に振った。「日本のうるち米、特に戦後に開発されたコシヒカリ系の米は、残念ながら栽培がうまくいかず全滅させてしまったそうだ。まあ、仕方がない事だ。

もともと日本米は水稲として品種改良されてきた歴史があるが、異世界で自生するのに水田のような特異な環境などまず得られないからな。陸稲と同じ条件で草原などで他の草と生存競争をさせられることになる。そうすると高さが低いせいで育ち負けするんだ。台風などの対策のために背が低く育つように改良されたことが仇になったな。

事前知識のないエルフの皆にコシヒカリ系の現代うるち米の癖や特性など分かるはずもないから、世界樹が生み出した日本米の育成がうまくいかなかったのは仕方がない事だ。

人類が品種改良した穀物というのは自然界に戻してやっても殆どがうまく育たないからな。むしろエルフの皆はよくやってくれているよ。

品種改良された玉の大きな黄タマネギなどは、エルフが保護してくれていたおかげで非常に助かったのだ。おかげでようやっと満足のいく飴タマが炒められるようになったのだからな。有難い限りだ。」


「ほぇーっ。」なんだかよく分かっていない顔の満里奈ちゃんが、感心したように声を上げる。


ここで浩二はオホンと一つ、咳払いをした。それから少し大きめの声で皆に語り始める。

「みんな! ぜひとも聞いてほしい! この異世界には地球産の様々な植物があちこちにばらまかれている! 探せば日本米がどこかに自生している地域があるかもしれない! どこかの部族が日本米の栽培にひそかに成功しているかもしれない!

だからみんな! 出来ればみんなにお願いしたいことがある!


皆は立場上、世界中のあちこちに出向くことが多いと聞いている! その中でもし! これはと思う植物に出会ったら、是非種や枝、草などを採取して持ってきてほしい! それが難しければ、どこで見かけたかの場所だけでも教えてほしい!

米ももちろんだが、他にも大豆、セロリ、ニンジン、ローズマリー、山椒! ともかく色々な植物が足りていないんだ!


みな、異世界から来た勇者として日々大変な目に会っている点については重々承知している! このようなお願いを出来る立場でないことも分かっている! それでも、ほんの少しでもいい! 少しだけ、このオレの事を気にかけてくれるのならば、皆があちこちで見かけた香辛料や穀物について、情報を教えてほしいんだ!

頼む!」

ここまで一気呵成に言葉を紡いだ浩二が、そのまま深々と頭を下げた。その太い首筋が皆の前にあらわになる。先ほどタリアが見せたのと同じ姿勢だ。この世界ではこれは謝罪の意を表すが、日本人である浩二はこれを依頼のために用いている。タリア達異世界人は状況が呑み込めず混乱している様子だったが、同じ日本人である佳奈たちには浩二の意図はすぐに理解できた。


とはいえどうしたものか佳奈にはさっぱり思いつかないので、成美ちゃんに向かってチラチラと目線で合図を送る。

さっきタリアにして見せたみたいに、女王様的な感じでうまくまとめていただけませんかねー……? 


だが成美ちゃんはそんな佳奈にアゴでくいっと返事をしてきた。

いやいやここはお前が行け! なんかそんな感じのジェスチャーだ。


えーっ? ここは成美ちゃんがーっ。ちらっちらっ。

うるさい! いいからお前が行けっ! くいっ、くいっ。

えーっ……。


しばしの無言のやり取りの後、観念した佳奈は席を立ち、浩二の前へと足を進める。


さて、なんと返せばいいだろうか。佳奈は成美ちゃんと違ってこんな時に偉そうにそれっぽい事を言えるような度量も才能もない。だから思ったことを思ったとおりに素直に言うくらいしかできない。

「えー伊丹くん。あたしたちがお米とか香辛料とか探して来たら、伊丹くんはまた美味しい料理をご馳走してくれますか?」


顔を上げた浩二が満面の笑みでこう返事する。

「もちろんだ、いいんちょよ。オレに出来る最高の料理を振舞うと約束しよう。」


佳奈は振り返ってみんなにこう訊ねる。


「えー。伊丹くんはこう言ってくれてますが、みんなはどうでしょうか? 伊丹くんのためにスパイスとか探すの、協力してくれるひとーっ!」


そうしたら全員が手を上げた。


そしたらなんか、浩二は「みんな……。あ、ありがとう……。」などとつぶやきながら、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。


えええええっ!?


あまりに突然の浩二の涙に、佳奈は思わずドン引きしてしまう。

だがその直後、どこからともなくパチパチと拍手が始まった。始めは数名から始まった小さな拍手は、なぜかみんなに伝播してゆき、佳奈が気付いた時には全員が拍手を繰り返していた。

見ればタリアを始めとする給仕の皆さんや、いつの間にかやってきていた料理人のチャナン達一同も一緒になって、懸命に手を打ち合わせている。


万感の拍手に迎えられ、浩二は天を見上げ両手で顔を覆いながら、「うおおおおっ」などとうめき声とともに男泣きに泣いていた。


えええええっ……。


一人乗り遅れた佳奈だけがどうしていいか分からずに唖然と立ち尽くす、奇妙なひと時であった。




ともあれ初めてのクラスの女子会は大成功に終わり、また近いうちに必ず食事会をしようと、みんなで意気投合しつつ、転移魔法で拠点へと戻った。殆ど賭けみたいな女子会は存外の大成功を収め、佳奈としては大満足の一日である。

だがそんな佳奈以上に、クラスの女の子たちにとっての大きな1日となったことが分かったのは、それからすぐのことであった。


2年B組の女子一同はこの日を境に大きく変わった。

皆が積極的に街や村に出るようになり、変わった食材や見た事のない材料を探し、積極的に現地の人々に関わるようになった。城や領事館に籠るようなことはなくなり、途切れがちだったクラスメイト同士の交流も活発になり、以前よりずっと仲良くなることが出来た。


みんなで手分けしてあちこち出歩くのは楽しかったし、異世界の人々と会話を交わし、交流を深めるのは思いのほか面白かった。

そうしてあれこれ調べる中で思わぬ食材が見つかるとみんなで大はしゃぎして、意気揚々と浩二の店に乗り込むのである。

浩二はいつでも大いに歓迎してくれて、そりゃあたまには外れ食材もあったけれど、ともかく新しい材料をもとに新しい料理を披露してくれた。それが何より最高にワクワクするのである。

いつまでも不貞腐れたままの男子たちを尻目に、女の子たちは少しづつ前向きになっていった。


この世界にはまだ未発見の重要なスパイス・ハーブなどが沢山ある。これらを見つけるだけで、伊丹くんのカレーはもっともっと美味しくなる。


佳奈はようやっとこの異世界を生き抜くための足掛かりを手に入れた気分だった。女の子たちみんなも同じ気持ちのようであった。


相変わらずの血みどろの争いは心が擦り切れそうになるけれど、それでもどうにか生きるためのささやかな目標を手に入れる事が出来たのだ。


佳奈にとってもこの異世界は、今はほんの少しだけ輝いて見えた。



■補足

日本における原材料表記の義務化は昭和45年(1970年)からで、アレルギー表記の義務化は平成14年(2002年)からだそうです。また製造年月日の表記は昭和23年からですが、賞味期限や品質保持期限の表記に変わったのは平成6年、7年のことのようです。そして今、2022年4月1日より、原料の原産地表示が必須になります。

食の信仰や安全の保護に関わる歴史は、日本ではたかだか50年くらいのごく最近の文化なんですねぇ。(ヨーロッパの方がこのあたりの文化は日本よりもう少し進んでいるようですね)。


異世界の魔法文明がどれだけ発達したとしても、今の日本と同じ文化レベルに到達するには相当の困難さを伴うでしょうね。ぽっと出のエルフが何千年生きようとも現代日本人と同じ目線で語り合うのはほぼ不可能だと思います。

こういう文化は個人がいかに優れているかよりも、社会全体がいかに成熟しているかが問われるものですからね。

我々現代人はすさまじいまでの高度文明化社会に生きているのだと、書いている作者自身が間接的に思い知りました。

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