おまけ――高校一年生平坂樹の日常・前
跳ねるボールの低音と、擦れる運動靴の高音が響き渡る。
両者の不協和音を、男子の野次や女子の歓声が加速させていた。
授業中とは思えない、自由で楽しげな光景だ。
日頃厳格な体育教師は黙認中。意外と話の通じる男じゃないか。興の一つも解さない、脳筋の堅物ではなかったらしい。
俺には何の得もないが、粋な計らいだとは思う。
「ふぁ……」
欠伸を噛み殺しながら、騒音を右から左に聞き流す。
体育の授業は嫌いじゃないが、今は場違い感を否めなかった。
……まぁ、どうせ半ば自習状態だし、休んでも問題ないだろう。
双眸を完全に閉ざす。
深夜に〝バイト〟で叩き起こされたため、少し疲れていた。
体育の授業は男女別が通例だが、それも絶対じゃない。
教員の欠席や豪雨などの不運が重なると、今回のような特例も生じる。
同い歳の異性という、VIP並に重要なギャラリーの誕生だ。バスケの試合に挑む男子の熱気は、自然と増していった。
もちろん、男子の全員が鼻息を荒くしていたわけではない。
例えば、この俺。自分のチームが試合なのに、出番を他に譲ってしまった。今は壁際の目立たない位置で、休息に励んでいる。
普段よく駄弁ってる級友は試合中か、彼女といちゃこら。
一方の自分は寂しい独り身で、試合に交代参加の予定も無し。
いっそこのまま授業終了まで眠っちまうか……。
瞑目したまま、怠惰な思考を巡らせる。その時、足音と気配を殺して忍び寄る、〝誰かさん〟の存在を察知した。
「白波さんか。俺に何か用?」
「っ、よく気付きましたね。油断し切ってるように見えたのですが」
「これが今の俺の数少ない武器だからね」
双眸を開くと、正面に白と紺の体操服を着込んだ白波さんの姿が。
手が届くまで、あと三歩。微妙な間合いで止まった彼女は、義兄譲りの隠形を解くと普通に近寄ってきた。
「第六感は私の担当外ですが、訓練の成果は出ているようですね。その調子で頑張ってください――と、激励の言葉を贈るべきなのでしょうか……?
……正直、ちょっと迷っています」
「そこは素直に贈ってくれてもいいんじゃない?」
「ですが、お疲れではありませんか? 学校以外は訓練漬けの上に、昨日など深夜に急な出動命令が出ましたので。オーバーワーク気味じゃないのかと」
俺が授業中に寝てばかりいるのを見て、心配してくれたらしい。
ちょっと反省。堕落が過ぎた。
「昨日の夜勤には辟易したが、オーバーワークは大袈裟だよ。問題ない」
「それならいいのですが……」
白波さんは表面上の納得を見せると、俺の隣に座り込んだ。
ただでさえ華奢な身が、体操服だといっそう小さく見える。短パンから伸びる素足が眩しい。よくこの細足で、成人男性の骨を砕くような蹴りを放てるものだ。
「視線がいやらしいです」
「二十歳を間近に控えた女性の体操服姿って、絶妙な背徳感があるよね」
軽口を叩いて、視線を正面に戻す。
相手チームのエースが、華麗にレイアップシュートを決めた。一部女子の黄色い歓声が続く。青春って感じだねー。
「……平坂さんは、羨ましいとか思わないんですか?」
無感動な瞳で試合を眺めながら、白波さんが口を開く。
「たった今、シュートを決めた男子生徒。……確か、バスケ部期待の大型新人でしたね。水を得た魚のような大活躍で、多くの女子から注目を集めています。ですが、容姿と背丈以外なら平坂さんだって負けないはず」
「容姿と背丈以外は余計だ」
でも、白波さんの言い分は理解できる。
一ヶ月前の事件で、俺が格好の良し悪しに執着したのは周知の事実だ。それが今は、控えに回ってだんまり。不思議に感じて当然だろう。
「疾患の偽造を気にして、悪目立ちを避けてる。それか、やはり体調に問題が?」
「持病は不定期に生じる発作以外、常人と同じで通してある。少し活躍したところで、疑念を懐かれることはないさ。体調もさっき答えた通り。夜勤のせいで眠気はあるが、問題視する程じゃない。俺が大人しくしているのは全く別の理由からだ」
スコアボードを確認する。
得点差はジャスト十。
自チームは、バスケ部どころか運動部員も少ない。敗色濃厚だ。
故にこそ、現状を覆したら、きっと最高の快感が味わえるだろう。
――益体のない思考だ。
俺の視線を追って、白波さんが小首を傾げた。
「劣勢だから……じゃ、ありませんよね」
「もちろん、そんなしょっぱい理由じゃない。バスケは趣味の一つだし、今からでも逆転可能な自信はある。でも――それは果たして、本当に格好良いのかな?」
「逆境を跳ね除けての大逆転劇は、たぶんそこそこ格好良いのでは? 少なくとも、向こうでキャーキャー言ってるミーハーな女子の関心はひけそうです」
「白波さんは? バスケ部のイケメン君に熱を上げたりしないの?」
「私は……その……」
白波さんは、何故か俺に一瞥をくれてから言葉を繋いだ。
「正直に申しますと、あの男子生徒が格好良いとは思えません。どうしても、大人気なく思えてしまって……」
「俺も同感。ま、しょせん主観にすぎないんだが……それでも今は一応体育の授業で、運動が苦手な連中も強制参加なんだぜ? 本職がワンマンプレーで派手に暴れ回るってのは、ちょっとねー」
言葉を濁し、苦笑を浮かべて肩を竦める。
しかし、白波さんは納得しない。
「バスケ部ホープの彼と、帰宅部の平坂さんとでは立場が違います。同じようなワンマンプレーで活躍しても、平坂さんの評判が傷付くことはないでしょう」
「俺の事情を知らない女子からの評判は、傷付くどころか跳ね上がるかもね。ただし、いろいろ知ってる女性からの評判は、その限りじゃあるまい」
「――え、と」
「今の俺が本気を出すと言ったら、第六感込みになる。有用な《力》だと胸を張って言えるが、日常生活で頼り癖が付くのは困る《力》だ。……この《力》で暴れ回るのは、本職のイケメン君以上に大人気なくて、きっと全然格好良くないよ。かと言って、手を抜くのも微妙だし……困ったもんだね」
他にも試合に不参加の理由はあるが、一番はこれだ。
自分にしか許されていない《力》で、多数の異性から注目を集める。その行為に魅力を感じないと言ったら嘘になる。
聖人君子でもなきゃ、当たり前だろう。
だが、そんな安っぽい優越感に流されて、道を誤る気はない。
理想嗜好のリアリスト舐めんな、って話だ。
「……平坂さんの仰りたいことは理解しました」
しかし、やっぱり白波さんは納得しなかった。
「その上で聞かせてください。試合に出場する気はありませんか?」
「珍しく粘るな。もしかして、俺に出てほしいの? 何で?」
「ワンサイドゲームは見てて面白くありませんので。
それに……ほら、私も今は高校一年の女生徒ですから。向こうでキャーキャー言ってるミーハーな女子を、羨んだりもします」
「――……随分と迂遠な殺し文句を放ってくれる」
他ならぬ白波さんに、そこまで言われちゃ是非もない。
「試合内容に関して、何かリクエストは? ないなら俺流でやるぞ」
「構いません。強いて言うなら――期待を裏切らないでくださいね?」
「オッケー。そんじゃ頑張ってみますか」
飄然と告げて、俺は重い腰を上げた。
最も疲労の色が濃いチームメイトを見定め、交代の合図を送る。
「ひ、平坂……っ。代わってくれるのか……?」
「発作起こすか、疲労困憊になるまでね。それまで休んでるといい。――審判!」
チームメイトと審判の了解を得て、正式に交代を果たす。
幸運にも、コートに入ってすぐボールが飛んできた。
ボールを追って、敵チームが駆け寄ってくる。だが、問題のイケメン君ならまだしも、運動能力中の下程度の相手なら怖くない。
趣味で鍛えたドリブルで、危なげなく躱す。
スリーポイントラインに辿り着き次第、すぐにシュート。妨害は遅く、大多数はリバウンド待機。フリースロー同然だ。外す気がしない。
「……ま、ざっとこんなもんだろ」
交代後十秒。
ボールが綺麗な弧を描いて、敵チームのゴールに吸い込まれていった。




