21――後日談
梅雨の気配を感じさせる悪天候の月曜日、一時間目は倫理の授業。
主要教科外ということもあって、生徒から軽んじられがちな科目だ。担当教師もそれを承知しており、騒ぐ以外の行動は黙認していた。
授業に集中してるのは、俺を含めて十数人といったところ。過半数の生徒は俯いて、次の授業の予習や宿題の写しなどに励んでいた。
雨風の音以外、初老教師のしゃがれ声を妨げるものは何もない。ただでさえ湿度の高い教室内に、湿っぽい話が垂れ流されていく。
「――こうして、近代日本史上最悪のテロは初日に幕を閉じた」
教師は道徳教育の延長線上として、一ヶ月前の事件を持ち出していた。元々この授業の特色は思想や哲学に触れることなので、あながち無関係とも言い切れない。
「政府の公式発表によると死者三十一名、重軽傷者四百余名と、事件の規模にしては人的被害が少ない。これは直接的なテロ対策以上に、先進国トップに位置する治安の良さ。そして地震大国ならではの、災害マニュアルが利いたとされている」
教師の言葉は、ネット検索で苦もなく集められる表向きの情報ばかり。この程度なら、わざわざノートをとる必要もない。
頬杖を突いて嘆息した。集中力が急激に低下していくのを感じる。
「珍しく起きてるかと思ったら……もう限界?」
不意に、隣の席の女生徒から皮肉が届いた。
興味が薄いと科目を問わず寝てすごし、頻繁に彼女のノートを写させてもらっている弱い立場だ。何も言い返せない。
頬杖を崩し腕枕とすることで、ギブアップ宣言とさせてもらった。
「実行犯のテロ組織から、後日に声明が出た。彼らの呼称は《ディエスイレ》。電脳空間に依存しがちな情報社会を嘆き、AIのような〝人外の知的生命体〟を危険視し、過度な技術の廃絶を唱えている。こういう思想は昔からあって――――」
この先こそが倫理教師の本題だろう。でも、俺にとっては余談にすぎない。教師の解説を右から左に聞き流し、改めて事件の後始末に思いを馳せた。
一般的な認識は教師の説明で正解。
だが真相の片鱗を知る身からすると、数多の情報操作に失笑を禁じ得なかった。
例えば、徹底管理されている軍事用アンドロイドの横流し問題。一度に五機も流出するなど、世界震撼レベルの大事件だ。
しかし、その扱いは闇から闇へ。
俺も詳しくは知らないが、御上の間による〝話し合い〟の結果らしい。……某国の電軍幹部は、首がすげ変わったと聞く。
無論、事件の黒幕《ディエスイレ》絡みでも、情報操作は徹底されている。
――一連の騒動を経て、穏健派と急進派は完全に袂を別つ運びとなった。穏健派筆頭の身内誘拐が、修復不可能な亀裂を生んだと見なされている。だが実際は、急進派の裏番的立場の傑物が、穏健派に寝返ったことも大きな要因だとか。
現在、テロ組織《ディエスイレ》と言えば、かつての急進派のみを指す。
その悪名は電軍の情報操作を受け、現実世界で一人歩きし始めていた。
世論は事件に背を押される形で、彼らの思想に反発。最近ではAIやギアドールに対する目線が、事件発生前より緩和された節まである。
これら全て計算尽くなのだから、人間の恐怖も妖怪変化に負けず劣らずだ。
――――などと、反芻していたせいだろうか。
気付くと俺は、電軍に拉致もとい保護されていた。
郊外地下に広がる《チガエシ》拠点の一角。如何にも高級な調度品だらけの応接室にて。ソファーに俺と肩を並べて座る白波さんが、丁寧に頭を下げた。
「長々と拘束してしまい、申し訳ありません」
「事情が事情だ。気にしてないさ」
半オートで苦笑を返す俺。頭の片隅で、これは〝事件翌日を再現した明晰夢〟だと理解に及んでいた。
認識を置き去りに、身体は過去をなぞって動き続ける。
「逆に、扱いが良くて驚いたくらいだ。家族に電話連絡を許可されて、怪我の手当ても完璧。おまけに白波さんが付きっ切り」
「私は監視役ですよ」
と彼女は告げたが、例え監視役が事実としても、それが全てじゃあるまい。
電話や怪我の件のみならず、寝床や食事など。俺がストレスを感じないよう、多岐に渡って便宜を図ってくれたのが、容易に想像付く。
その後も白波さんと雑談を交わしていると――この辺は夢特有の曖昧さで、時間の流れに激しい緩急が生じていた――突如、彼女のPDAから怒声が響いた。
『つーかーれーたー! 新機軸のセキュリティー構築とか、今すること!?』
PDAの画面にメイが登場し、労働基準法無視の仕事量に不満を爆発させた。
延々と続くメイの愚痴は、規則正しいノックの音で打ち切られた。
「遅れてすまぬ。施設機能の再編に手間取ってな」
訪問者は古風な口調の長身女性で、名前は菊理。ポニー気味の長髪と女性用スーツの似合う、綺麗なお姉さんだ。
白波さんとメイは彼女に頭が上がらないらしく、終始子ども扱いされていた。
それから五分と経たず、今度はノックもなしに扉が開く。
電軍《チガエシ》司令官で白波姉妹の義兄、白波那雲が欠伸混じりに入室。彼が持ち込んだノートPCには、元《ディエスイレ》穏健派筆頭斑蛾晶の姿もあった。
事件を経て、俺も両名の存在を知ってはいた。しかし、よもや対面の機会に恵まれるとは夢想だにしていない。
自己紹介で度肝を抜かれ、続く展開にさらなる驚愕を味わった。
「平坂樹と言ったな。まずは《チガエシ》のトップとして、事件解決の協力に感謝を。お次は白波那雲個人として、愚妹二人を筆頭に身内が迷惑かけまくった件だ。心の底から謝罪する。本っ当に申し訳ない」
『迷惑をかけた一人として、私も謝るよ。それと、誘拐された〝孫〟の救出について、礼を言わせてほしい。まだネイエン君の意識は戻っていないが、いずれ眼を覚ますさ。後遺症もない。全て、平坂君のおかげだ』
出来の悪い糞ガキを相手に、雲の上の立場のお二方は大真面目に頭を下げた。
わりと好き勝手やってた手前、俺の心境は感服と恐縮が半々だ。
一方、白波さんとメイは苦虫を噛んだような表情で、目を泳がせていた。ちょっとした三者面談気分らしい。そりゃ、居心地も悪かろう。
一通りの謝辞を聞き終えたとこで、最後の待ち人――澪が登場した。
『お久しぶりです、樹さま。
貴方を巻き込んだ件について、正式な謝罪をしに参りました』
コトの発端は、この日から遡ること八日前に起きた自動車の暴走事件だ。やはり、妖魔が元凶だったらしい。
事件の真相を、澪は斑蛾さんの隣でこう語った。
『防衛線を超えた妖魔がいるのに、ポンコツとシスコンが他の大妖に苦戦していることを、〝偶然〟知ったボクは〝何となく〟気が向いて、退治に向かいました』
「……義兄としても《チガエシ》司令官としても、二三突っ込みたいんだが」
「余計な茶々を入れんと、黙って聞かんか」
目元を震わせる那雲さんを菊理さんが苦笑混じりに黙らせて、話が進む。
電脳空間越しに現実世界の状況を確認した澪は、窮地に立つ少年少女の存在を知った。その片割れこそが、俺――平坂樹だ。
「もしかして、暴走車が俺を轢く直前に都合良く進路を変更したのは」
『自走システムに憑いた妖魔をボクがぶっ飛ばして、制御を奪ったからです』
思い返すと、今でも肝が冷える瞬間だ。
しかし、澪にとっては思い出深い出来事らしい。
彼女は年齢相応に華やいだ表情で、事件を振り返った。
『樹さまは、逃げ遅れた子供を抱えていましたね。そこで一直線に迫る車体を確認して、窮地を悟ったはず。なのに、それでも願いを諦めようとはしなかった』
『イツキの願い? 子供を助けること?』
『どっかのシスコンと一緒にするな、ポンコツ。樹さまの願いは、抱えた子供と自分の両方が助かることだ。轢かれるなら轢かれるで二人共軽症で済むようにと、懸命に足掻いた』
轢殺の危険性を認めた上で、願いを諦めず逃避もせず現実的に足掻く。その生き様が、澪の目には宝石のように輝いて映ったようだ。
彼に会いたい。会って、話がしたい。その一心で、澪は保護者に相談をもちかける――と、ここまでなら男冥利に尽きる良い話なのだが。
澪の相談相手に視線が集まる。
一同を代表して、白波さんが苦言を呈した。
「……澪が平坂さんと親交を深めるために、一番てっとり早い方法が新型端末だったと。予備の盗難を受けて、厳重に管理されていたはずですが……」
『私に遠慮がちな澪君が、珍しく頼ってくれたから。つい張り切っちゃった』
てへっ、と妙に色っぽい仕草で舌を出す性別不詳の斑蛾晶。
動機は微笑ましいと言えなくもないが、やらかした内容は犯罪以外の何でもない。さしものシスコン白波萌も、これには閉口する他なかった。
『ま……まぁ、晶ちゃんとしても、事件の発生と新型端末の呪詛は誤算でしょ』
代わって、斑蛾さんの身内に等しいメイがフォローを試みる。しかし、菊理さんなどは「何の言い訳にもならん」と氷点下の眼差しを崩さなかった。
『悪いのは晶さんじゃなく、無理を頼んだボクです。……ゴメンなさい、樹さま』
「私からも謝罪させてください。平坂さん、師と妹がご迷惑をおかけして真に申し訳ありませんでした」
澪が深々と頭を下げて、白波さんまでそれに続く。
連鎖的に全員から謝罪されそうな気がして、俺は大慌てで口を開いた。
「二人とも、頭を上げてくれ。今回の件は不幸が重なった結果で、悪いのは俺の運と水無瀬真昼くらいなもの。それに……そう丁寧に謝られると、お礼が言い難い」
『え……?』
「澪。一週間前、俺はキミに命を救われた。――ありがとう」
気に病む必要がない旨を伝えた上で、涙目の澪に優しく微笑んだ。問題の始点で彼女に助けてもらった身としては、至極順当な応対だと思う。
次に話題となったのは、水無瀬真昼について。
那雲さんと斑蛾さんから話を聞く。
「俺と晶で軽くいぢめてから、仲間共々拘束したよ。今は取り調べの真っ最中だ」
『裏方に徹するつもりが、肝心の手柄を横取りしたみたいで申し訳ない』
事前に白波さんから伝達されてはいたが、改めて肩の荷が下りた気分だった。
ちゃんと捕まったのなら、それで満足だ。取り調べ結果などに興味はない。
だがしかし、身内を誘拐されて恨み骨髄の斑蛾さんは、どうしても犯人の醜態を喧伝したかったらしい。
『水無瀬真昼、あの男はロリコンだ』
「あ、やっぱり白波さんに惚れてたのか」
不意打ち気味の暴露に、半ば条件反射で応じた俺を誰が責められよう?
……年下からのロリ扱いで機嫌を損ねた白波さんを宥めるのに、数分を要した。
その後、辟易気味の那雲さんと、声を弾ませる斑蛾さんの解説が続いた。
「傍迷惑極まりない話さ。奴が急進派に与したのは、妹の隔離絡みで落ち込む萌を見たから。隔離被害者の救世主となることで、萌に自分を意識させるって目論見があったんだろ。お為ごかしを並べちゃいたが、結局のところ萌、萌、萌だ」
『用意周到すぎて感心したよ。隔離直後の隙を突いて萌君を捕えるよう、急進派幹部と密約を交わしていたらしい。軍事用アンドロイドも一機、萌君の捕縛が最優先命令としてインプットされていた。私の身内を変じた呪詛も狙いは同じだね』
ここで余談を一つ。
呪詛に塗れる新型端末利用の副作用について。
おそらく、ネイエンの細工が作用したのだろう。我知らず呪詛に耐えて適応した俺は、その源である〝胎児〟の依代となった。第六感の覚醒は、これが理由だ。
しかも、白波萌を〝虜〟とする呪詛の特性は健在らしい。俺が彼女の剥き出しの魂――狐耳と尻尾に触れると、エロイこと改めエライことになるのだとか。
……事件当日、俺に耳と尻尾を愛でられた時の白波さんが、微妙に艶っぽかったわけだ。今後も隙あらば全力で弄り倒したいと思う。
絶対に、だ!
閑話休題。
白波さんを求めながら、水無瀬の行動が救い難いくらい狂的だった理由とは?
「可愛さあまって憎さ百倍とかなら、まだマシだ。
あの半端者は、真実からも理想からも逃げたのさ。萌に惚れている自分を認められず、かと言って想いを捨てることもできなかった」
『《力》の有無に伴う劣等感や排他思考。萌君が自分に惚れる可能性の低さ――無論、萌君に責はないがね。その他、無数の要素が複雑に絡み合い、捻れて歪んでしまったのだろう。ヤンデレってやつだ』
那雲さんと斑蛾さんが推理するには、そういうことらしい。
はっきり言うと、どうでもいい話だった。同情や共感を懐く理由がない。水無瀬真昼の裏事情を聞いて、俺が感じたことは唯一つ。
「白波さんは男運ないね」
「ええ、本当に……!」
俺の軽口に、白波さんは空恐ろしい笑顔で首肯した。
そして――……。




