【物語の外側 Ⅲ・前編】 ─世界の女性たちが、私を待っている─
※本文は『物語の外側』シリーズⅢの前編です。※
前のお話では、物語の中から現れた騎士が、作者と読者を守るために戦いました。
人々の言葉を拾い集め、その意味を書き換え、心の隙間へ入り込み、読者の言葉を檻に変えようとする影に対し、騎士は剣を取り、作者と読者は、自分たちの言葉を取り戻すために立ち向かいました。
そして、ふたりは無事に影を倒し、再び、それぞれの日常へと戻っていきます。
完結した物語の中に残された騎士も、もう役目を終えたはずでした。
ところが――。
これは、影との戦いを終えた作者と騎士が、新たな謎に向き合う物語です。
どうぞ、お楽しみください。m(_ _)m
【物語の外側 Ⅲ・前編】
─世界の女性たちが、私を待っている─
◇◇◇
最終章を書き上げた夜のことは、よく覚えている。
星見の姫の塔の場面だけが、最後まで白紙のまま残っていた。
何度書いても、窓辺の彼女に台詞が与えられなかった。
その夜、ようやく、一行目が出た。
塔の窓辺で、姫が、塔の前に立つ騎士へ予言を告げる。
『星が消える夜、名を失う者が門を閉じる。』
『忘れられた者だけが、最後の道を知る。』
理由は、分からなかった。
決めて書いたのではない。
ただ、そう書かなければ、この物語は終わらない気がした。
姫の顔は、書かなかった。
名前も、与えなかった。
書いてしまったら、何かが終わってしまう気がしたのだ。
騎士は、塔を見上げたまま、そこに立っている。
物語は、そこで、完結した。
更新ボタンを押すと、すぐに、彼女から感想が届いた。
『お疲れさまでした。最後の姫の台詞、意味は分からないのに、忘れられません』
『塔を見上げる騎士さんの背中を、ずっと見ていたいと思いました』
私は、その画面を、しばらく閉じられずにいた。
◇◇◇
それから半月ほど、私は抜け殻のようだった。
あれほど「書けない」と悩んだのに、書くことがなくなった途端、部屋が広くなった。
そんなとき、サイトのお知らせ欄に、ウェブ小説のコンテストの告知が出た。
応募期間。応募条件。完結済みの長編。
私は、一晩、悩んだ。
騎士を、誰かの評価の場に出す。その怖さがあった。落ちたら、騎士まで否定されてしまう気がした。
翌朝、私の相談を受けた彼女のメッセージが届いた。
『あの物語は、誰かに読まれるべきだと思います。……もちろん、決めるのは作者さんですけれど』
『読んでほしいと思う人が、きっと、もっといるはずです』
──決めるのは、作者さん。
彼女は、いつもそう言う。
私は、応募フォームを開いた。
あらすじ。キャッチコピー。タイトル。
ひとつずつ、埋めていった。
送信ボタンの上で、指を、十分は止めていた。
押した。
◇◇◇
結果発表の日。
私は、台所で、冷めかけた紅茶を持ったまま、スマートフォンを開いた。
受賞者一覧の、下から三番目。
私の名前と、騎士の物語のタイトルがあった。
審査員特別賞。
大賞ではない。
それでも、私は、その画面を、十回は読み返した。カップを持つ手が、震えていた。
彼女からは、すぐにメッセージが届いた。
『おめでとうございます!!!』
『本当は、直接言いたかったんです。……でも、待てませんでした』
『書籍になったら、本屋さんで、もう一度言わせてください』
私は、泣きながら、笑った。
──それからは、慌ただしかった。
編集者からの連絡。改稿の依頼。「ここは、もう少し、騎士の内面を」と言われて、書き足した場面。表紙の打ち合わせ。
黒い鎧の騎士が、傷だらけの剣を構える絵が届いた日、私は、思わず、「いた」とつぶやいた。
◇◇◇
文庫本が書店に並んだ日のことを、私はよく覚えていない。
覚えているのは、その二週間後の朝に届いた、編集者からのメールの件名だった。
『増刷決定のご連絡』
読み終えたあとも、私はしばらくスマートフォンを持ったまま動けなかった。
親指の腹に、画面の冷たさだけが残っていた。
続けて届いたのは、アニメ化の打診だった。
「……アニメ?」
声に出すと、自分の部屋の空気が少しだけ薄くなった気がした。
机の上には、書き込みだらけのノートが積まれている。
何度も消して書き直した騎士の台詞が、鉛筆の粉になって紙の端に残っていた。
あの夜に削れた消しゴムは、いつのまにか小指の先ほどになっている。
それが今、「アニメ」という言葉の隣に並んでいる。
夢だと思うには、メールの文面があまりに事務的で、あまりに具体的だった。
「──世界の女性たちが、私を待っているということだな」
「なんで部屋にいるのよっ!?」
振り返ると、黒い鎧と色褪せたマントが、六畳の部屋のまんなかに立っていた。
鎧の継ぎ目からは、鉄と古い油のにおいがした。私が何十回も書いた描写のとおりのにおいだった。
書いたことのあるものが目の前にある、という奇妙さを、私はもう何度味わっただろう。
「あなた、また現実に出てきたの?」
「私は騎士だからな」
「答えになってない!」
以前の私なら、救急車を呼ぶべきか本気で悩んでいた。
──けれど、あの夜を越えてしまった。
文字の檻を見て、影と彼の剣を見て、それでも朝が来たことを知っている。人は、案外たやすく異常に慣れる。
私は深く息を吐いた。
「……もういいわ。とりあえず、床を傷つけないでね」
「承知した」
そこだけ妙に素直なのが、可笑しかった。
騎士の足が一歩動くたび、フローリングが小さく軋んだ。傷はつかない。
重さのわりに、彼の歩みはいつも静かだ。そう書いたのは私だ。
――けれど、何かが違った。
私は、まじまじと彼を見た。
擦り切れていたはずのマントの裾が、ほつれひとつなく揃っている。肩当ての亀裂が消えている。黒い鎧は、長い旅の埃を落として、鈍く、深い光沢を取り戻していた。
剣だけは、変わらず傷だらけだった。
刃こぼれは直っているのに、刀身に刻まれた無数の細かな傷は、そのまま残っている。
「……直ってる」
「気づいたか」
騎士は、自分の籠手を見下ろした。
「読まれるたびに、直っていく」
「え?」
「本が出てから、お前の物語を読む者が増えた。その者たちが、私を思い、言葉をくれる。そのたびに、鎧の綻びがひとつ、塞がっていく」
「それって、読者が増えるほど強くなるってこと? ゲームのレベルみたいな……」
「数ではない」
彼は、静かに首を振った。
「ひとりひとりの、言葉だ。『好きだ』『会えてよかった』。数が多いから直るのではない。届いた言葉の重さだけ、私は、戻る」
私は、少し黙った。
本が売れるたびに、騎士が強くなる。その単純な図式を、一瞬でも思い描いた自分が、恥ずかしくなった。
「……でも、剣の傷は残っているのね」
「ああ。これは、直さぬ」
「どうして?」
「物語の傷だ。お前が、私に与えたものだろう」
それは、書いた覚えのある傷だった。ひとつひとつ、私が、彼に背負わせたものだった。
彼はテーブルの文庫本に目を留めた。装丁を指でなぞる仕草は、私が一度も書いたことのないものだった。
「ひとつ、気になることがある」
最終ページが開かれる。
星見の姫が残した予言が、細い活字で並んでいた。
『――星が消える夜、名を失う者が門を閉じる。
――忘れられた者だけが、最後の道を知る。』
「姫は、なぜ私を見ていたのだろうな」
「次回への伏線だったんじゃない?」
「作者よ」
「はい」
「伏線という言葉で片づけるな」
「……すみません」
登場人物に、物語の構成を叱られている。作家として、これでいいのだろうか。
けれど正直に言えば、その叱責は的を射ていた。
あの予言を書いた夜、私は理由を決めずに書いた。
ただ、書かなければならない気がした。
そういう一行が、物語にはときどきある。
書いた本人にも、意味が分からないまま。
彼はそれを見抜いている。私より先に。
「とにかく、アニメ化の話が進んだら、あなたも有名人ね」
「ふむ。声優は低く渋い声の者がよい」
「もう決めてるの!?」
「当然だ。世界の女性たちを待たせている」
私は笑った。笑いながら、窓の外の昼の光を見ていた。
この先も、こんな日々が続くのだと、私は疑いもしなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。m(_ _)m
読者の言葉によって、少しずつ鎧を取り戻していく騎士。
読んでくれる人が増えたから強くなる、という単純な話ではなく、ひとりひとりが届けてくれる言葉が、彼の存在を支えている。
そんな騎士の言葉には、作者として、少し考えさせられるものがありました。
作品を読んでいただけること。
感想を届けていただけること。
その言葉に励まされ、また次の物語を書こうと思えること。
どれも、決して当たり前ではないのだと思います。
……とはいえ、アニメ化の話が出た途端に声優の希望や、世界の女性への愛まで語り始めるあたり、騎士は相変わらずのようです(笑)(*´艸`*)<いったい、どこから来るのでしょうね、その自信w
さて、今回、もうひとつ気になることが残りました。
星見の姫が残した、あの予言です。
作者自身にも、書いたときの理由が分からない一文。
それを、騎士は「伏線」という言葉で片づけることを許してくれませんでした。
時に書いた本人にも分からないことが、物語の中にはあります。
もしかしたら、登場人物のほうが、作者より先にその意味へ近づいていることも。
あの姫は、なぜ騎士を見ていたのでしょうか。
名を失う者とは、誰なのか。
忘れられた者だけが知る、最後の道とは何なのか。
まだ、答えは出ていません。
次のお話では、作者と騎士の前に、また新たな出来事が訪れます。(*人´ω`*)<よろしくお願いします♪




