06.海水浴って楽しいよね!
船に乗って、ウィンチェスター辺境伯領へと向かう。
流石は王太子というか、結構良い船を手配してくれたみたい。
潮風が気持ち良い……って、言いたいところなんだけど。
髪が長すぎる!!
顔面にぶち当たる!!
地味に痛いし、普通に邪魔!!
令嬢出てくる系小説の定番展開だけど、髪は長くなきゃ駄目っぽい。
船に乗る前に、ミラー子爵家のメイドに「御髪はどうされますか?」って聞かれた時に「まとめてください」って言えば良かった。
港の段階で風強かったし、絶対にぼさぼさになるだろうなって思ってたから、お願いしなかったんだよね。やっぱお願いしとけば良かった~!!
逆風! しかも強風! 絶望!
そして潮風で髪はキッシキシになってしまった。悲しい。
その辺はファンタジー補正でどうにかならないかなって思ったんだけど、どうにもならなかった。潮風を浴びれば髪はキッシキシになるし、ぼさぼさになってしまう。
「シャワー浴びたい」
でも、そんなものは無いって知ってる。
結構暑いし、冷たくて良いや。この際、井戸水で良いから浴びたい。
辺境伯のお屋敷で井戸水もらえるかな。ザバーってやりたい。
小説のアリシアは事前にオリビアが流した噂のせいで、辺境伯邸では『ワガママで男好きな屑女』みたいな扱いされて、ヒソヒソされまくるんだよね。
噂通りの人間じゃないって分かってもらえるまでは大変そうだった。ドアマット嫌だなぁ。
でも、今のオリビアはそんなことしないと思う。
だからきっと大丈夫。……変な形で変な噂が入ってきてなきゃ良いけど。
「うーん……」
綺麗な海を、厳密に言うとウィンチェスター辺境伯領へ向かう道のりを見ていたい気持ちがあったんだけど、このままだと顔が真っ赤になりそう。
そうなる前に、私は船室に入ることにした。……流石の私も、ミラー子爵家にDV疑惑は立って欲しくない。
そうして船に揺られること、30分くらい。
船員っぽい人に「港に着いた」って教えてもらった。
船から降りるためのタラップを準備してもらいながら、私は町を見渡す。
「わっ、綺麗! すごい!」
広がるのは、アイボリー系の色を基調とした町並み。
多分、近くにある砂浜から材料を調達してるんだと思う。町全体に統一感があって、とても綺麗だ。
砂浜も掃除が行き届いてて、ゴミひとつ落ちてない。
本土では町に暮らす人たちは辺境伯の餌だとか呼ばれているけれど、町は行き交う人々で普通に活気づいている。楽しそう!
唯一の問題は、町の中に砂が入りまくってることくらいかな。風で飛んできちゃうんだと思う。
精神的な部分じゃ気にならないんだけど、今、履いてるピンヒールじゃ普通に危ない。
「ぺたんこ靴、欲しいな……」
ヒールが付いてない靴。
それなら町もだけど、砂浜だってある程度は走り回れる。動きやすい。
そして砂浜を見て、私は思う。
「丈短めの服、欲しいな……」
砂浜もだけど、持っている服じゃ砂を集めて裾が大惨事になりそう。
本当はズボンが良いんだけど、多分それは駄目なんだろうし、だったら丈短めのスカートが欲しい。
この世界でミニスカは許されない気しかしないから、常識的な範囲で短めのスカートが欲しい。
そして私はタラップを降りる。
見るからに「ウィンチェスター辺境伯邸に務めている老執事です」って顔をしたお爺ちゃんが、私を見てペコリと頭を下げた。
「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。私はウィンチェスター辺境伯に仕えております、コンラッドと申します。馬車を用意しておりますので、ご案内いたします」
よーしよしよし。
コンラッドお爺ちゃんの反応的に大丈夫そうだね! ドアマット扱いは回避できてる!
でも、一応セルフでドアマットしておこう。ドアマットは大事。
「アリシア・フォーサイスと申します。……わざわざ迎えにきてくださったのですね。道に迷ったらどうしようと、不安だったのです」
「え……」
ドアマットには迎えなんて来ない。
コンラッドお爺ちゃんは滅茶苦茶ビックリしてるけど、嘘は吐いてないよ。
迎えに来てくれて助かってるし、道に迷わないか心配なのは本当だし。
とりあえず、お爺ちゃんは馬車に案内してくれた。
馬車の前には、御者さんが立っていた。
「申し訳ありません。フォーサイス公爵家の物と比べると、随分と質素な作りだと思いますが……」
質素といってもそれなりに装飾は入ってるし、普通に大きい。
まあ、確かに公爵家の奴とはサイズ感違うけど。でも公爵と辺境伯を比べちゃ駄目だよ。暮らしてる場所が全然違うんだから。
「とんでもありません! 美しい馬車です。海が近い場所だというのに、管理が行き届いているのが一目で分かります。……関わっている方が大変丁寧なお仕事をされているのだと、よく分かります」
潮風浴びてると金属はめちゃくちゃ錆びまくるって聞いたことあるし。
それでも金属部分ピカピカなんだから、毎日磨きまくってるんだろうね。
コンラッドお爺ちゃんも御者の人もすっごく嬉しそうにしてるけど、私には前世知識って言うのがあるんだもん。それくらいは知ってるよ。
ていうかこの町そのものが普通にすごいし。
近くに来て分かったけど、本当に海が綺麗すぎるんだよね。
テレビで見たグレートバリアリーフって奴はこんな感じだったのかな?
「海も綺麗ですね。泳ぎたいくらいです」
「お、泳ぎたい……?」
コンラッドお爺ちゃんが、目をぱちぱちさせている。
うん、泳ぎたい。綺麗な海なら泳ぎたい。
プールじゃないから、沈まずに済みそうだし。
「私、泳ぐのはあまり得意ではないのです。ですが、海なら浮きますし、そう簡単には溺れないでしょう? ……とはいえ真水だろうと海だろうと、やはり汚い場所は嫌です。だからこそ綺麗な場所には、自分から入りたくなりますね」
本当に泳ぐのは苦手だ。沈みに沈むから授業中に笑われた苦い思い出があるし、先生には何度もビート板を渡された。当然だけど、成績も良くなかった。
だから、初めて海に入った時は浮けることに感動したなぁ。海水浴って楽しい。
でも、場所を選ばないとゴミだらけで悲しくなるんだよね。それはプールも一緒だけど。
……ってところまで考えて、御者さんが泣きそうにしているのを見て、私は気づいた。
「あ、アリシアお嬢様……」
ヤバい。
貴族のお嬢様は海なんか泳がない。
……よし、逃げよう。
これ以上、ヤバいお嬢様認定される前に逃げよう。
「えっと、えっと……お、お言葉に甘えて、馬車を使わせていただきますね……?」
——その後、老執事と御者は己が仕える主人に『フォーサイス公爵は自分の娘を汚水や酷く濁った海に突き落とし、溺れる姿を見て嘲笑っていたらしい』という報告を上げた。
◇
ウィンチェスター辺境伯邸で、馬車を降りる。
屋敷の入り口には、見慣れない花が咲いている。可愛い。
「……」
私を案内してくれるコンラッドお爺ちゃんが心底落ち込んでいる様子なので、とりあえず誤魔化すことにした。
「咲いているお花は潮風に強い品種なのですか? 見たことがありません。とても可愛いお花ですね」
「はい、そうです。本当に……本当に、よく勉強して下さっているのですね。海には良い思い出がないでしょうに……」
やっば。
これ多分、レイモンド・フォーサイスがまた詰んでらぁ。
……ま、放置で良いか。
私とかオリビア辺りに影響が出ないなら、別に良いや。
誤魔化すことを諦めて進んで行くと、屋敷の前に使用人さんたちが大集合していた。
そして、いきなりメイドのボスって感じの人が、駆け寄ってきた。
「申し訳ありません、アリシアお嬢様。旦那様は先程、急な襲撃に備えて屋敷を出ておりまして……婚約者様をお迎えできないのは、好ましいことではないのですが……」
大丈夫大丈夫!
そんな気はしてた。小説でも初手はルーファスいなかったし!
そのせいでドアマットが酷かったわけだけど、ドアマットの気配、全然無いし!
「いえいえ、問題ありませんし、私は何も気にしません。国のために戦って下さっていることは分かっております。敬意や感謝の気持ちはあっても、恨みなどはありませんわ」
「アリシアお嬢様……」
「お忙しい中でも私を迎え入れようとしてくださっていた、その事実が嬉しいのです」
ドアマットは放置されるもの。
言い方的にさっきまでは居てくれたんだろうし、それが嬉しいよね!
これは絶対に悪い噂の類は来てない! 良かった、ここでもドアマット完全回避だ!
ボスっぽいメイドはぺこりと頭を下げる。
「せめて、お嬢様が快適に過ごしやすい環境を整えさせて頂きたく存じます。最低限の環境は整えておりますが、何かご要望等はありますか?」
ご要望?
そうだ、ドアマットされてないならお願いしちゃおう!
「でしたら、井戸水を使わせていただくことは可能でしょうか?」
「い、井戸水……?」
「お恥ずかしながら、潮風を甘く見ておりました。そのせいで、髪が乱れてしまいまして……もしよろしければ、洗わせていただきたいのです」
「え……?」
「うふふ、辺境伯様がいらっしゃらなくて良かったかもしれません。このような姿をお見せするのは、恥ずかしいことです」
あれ? だいぶ困った顔してるな……?
もしかして井戸水って貴重品だったりする? ここは実質『島』だし、貴重品なのかも。
まあ、髪洗いたいって言ったし、それならそれで井戸水以外の提案してくれるかな。
何も言ってこないなら、素直に甘えちゃおう。
……せっかくだし、他のこともお願いしておこうかな。
「あとは、ヒールの無い靴と丈が少し短いスカートが欲しいです。その方が動きやすいので」
「……」
「あっ、はしたないですかね!? 申し訳ありません!!」
ボスっぽいメイドが何とも言えない顔してる。
もう! ご令嬢って面倒だな!!
……あ、そうだ。
「要望ばかり出して申し訳ないのですが……もし、ご存じだったら教えてください。ミラー子爵家の方にも送りたいのですが、フォーサイス公爵家の使用人に手紙を送りたいのです。
ですが、その……父の目には、入れたくなくて。普通に送ってしまうと父に見られてしまうかもしれないので、それを防ぎたくて。何か、良い方法はありますか?」
「……」
「ただ元気だ、とだけ伝えたいのです。逃がしてもらった恩があるので」
結論から言うと、使用人に直で手紙を送る方法はあった。
だがアリシア、というより梨乃は完全に失念していた——それができるということは、ウィンチェスター辺境伯家に仕える人間にも同じことができるということを。
アリシアの手紙と共に、メイド長も手紙を送った。
その手紙には
『アリシアお嬢様は無事にいらっしゃいました。あなた方のおかげです。あなた方が身を挺してお嬢様を守ってくださったおかげです。後は私たちが、お嬢様をお守りします。あなた方も、どうかご無事で』
……と、中途半端に事実っぽいことが書かれていた。
アリシアの無事を聞き、涙を流して喜ぶメイドたちが持つ手紙の内容を覗き見た騎士たちも、静かに涙を流した。
彼らはメイドたちが主人の飲み物に薬を入れてまで、アリシアたちを逃がすという勇気ある行動に出ていたことを知っていたからだ。
そして老執事コンラッドと御者は、メイド長に対しても、自分たちが主に報告したのとまったく同じ内容を話していた。
何故なら、アリシアが井戸水の使用許可を求めてきたことも、ヒールの無い靴と丈の短いスカートを欲しがったことも、自分たちが聞いた話に関連していると勝手に思い込んでしまったからだ。
……要するに彼らは『アリシアは昔の癖で、自分が溺れた後のことを考えてしまったのだろう』と思い込んでしまったのだ。
当然のことながら、それらの情報もフォーサイス公爵家に仕える使用人たちに伝わってしまった。
——最終的に、社交界で流れる噂は色々混ざってややこしいことになった。
『フォーサイス公爵は定期的にアリシアを汚水や酷く濁った海で溺れさせる悪癖を持ち、使用人がそれを咎めると問答無用でクビにされていた』
『アリシアはこれ以上使用人たちがクビにされないよう、溺死覚悟で父の言うことを黙って聞き続けた。その事実に気づいたフォーサイス公爵家の使用人たちは、このままではアリシアが溺死させられると判断して早急に彼女と、彼女の身代わりになろうとしたメリッサとオリビアを逃がすと決めた』
『王太子の救援要請に応え、辺境伯はアリシアを守るために迎え入れた。アリシア・フォーサイスは血塗られた獣の生贄になったのではなく、むしろレイモンド・フォーサイスの生贄から逃れることに成功したのだ』
……なお、その『色々混ざってカオスになった噂』を否定する人間は一切現れなかった。




