表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離縁されたので、焼き菓子の店をはじめました  作者: 篠宮しずく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/30

第6話:妹は、舌が鋭いのだそうです

 手紙が届いたのは、家賃まであと十日という日でございました。


 差出人は、リディア・アルディ。妹でございます。


 三年ぶりでした。


 封を切ると便箋が一枚だけ入っておりました。


 ——姉様がヴァレンティ家を出られたと伺いました。実家の名に傷がつきます。帳面をお返しください。あれはアルディ家のものです。


「なんて書いてあるんですか」


 タニアさんが卓の向かいから覗き込まれます。


「帳面を返せと」


「その、持ってるやつですか」


「はい」


「なんで妹さんが」


「アルディ家のものだと書いてございます」


 タニアさんはしばらく便箋を睨んでいらっしゃいました。読めないのに睨むところが、この方らしゅうございます。


「姉さんが三年書いたんですよね」


「はい」


「じゃあ姉さんのでしょ」


「そうなのですが」


 わたくしは便箋を畳みました。


「妹は、舌が鋭いのだそうです」


「は?」


「小さい頃からそう言われて育ちました。リディアは舌が鋭い。ロゼリアは字が丁寧。それで、うちは決まっておりました」


 タニアさんは口を開けて、そのまま閉じられました。


「……決まってた、って」


「そういうものでございます。二人姉妹ですと、だいたい何かで分かれます」


 わたくしがまだ十かそこらの頃、母が台所で二人に汁を飲ませたことがございました。同じ鍋から同じ椀に。


 リディアが一口飲んで、こう申しました。


「これ、おいしくない」


 母は笑って、リディアの頭を撫でました。


 わたくしは、そのとき何と申し上げたか覚えております。


「お父様は、これを召し上がると咳をなさいます」


 母は少し困った顔をなさいました。


 その日から父の膳だけは、わたくしが用意することになりました。誰にも褒められませんでしたが、咳は止まりました。


 褒められたのは、いつもリディアのほうでございました。おいしくないと言えば大人は笑って撫でます。咳が止まりましたと言っても誰も撫でません。止まって当たり前だからでございましょう。


 一度だけ、父に尋ねたことがございます。


「お父様。わたくしは、何が上手でしょうか」


「字だな」


「字だけでしょうか」


「字は大事だぞ。嫁いだ先で恥をかかん」


 それで終わりでした。


 父は悪い人ではございません。ただ、二人の娘がいて、片方に何かがあれば、もう片方には別の何かを割り当てなければ収まらない。そういう順番で物を考える人でした。リディアに舌が割り当てられた時点で、わたくしには舌以外が回ってまいります。


 どちらが実際にどうであるかは、その順番のあとに来ます。あるいは、来ません。


 わたくしは二十三でヴァレンティ家に嫁ぎました。政略でございます。妹は十九でございました。


「あの」


 タニアさんが、卓に肘をついていらっしゃいました。


「その妹さん、何が鋭いんですか」


「舌でございます」


「だから、何が」


 わたくしは炭を持つ手を止めました。


「……おいしいか、おいしくないか、でございましょうね」


「それ、わたしも言えますけど」


「はい」


「わたしも言えますよ。この店の菓子、最初のやつはちょっと固かったです」


「はい」


「じゃあわたしも舌が鋭いんですか」


 わたくしは、返事をいたしませんでした。


 できませんでした。そう申し上げたほうが正しゅうございます。


「姉さん」


「はい」


「答えないってことは、答えがないってことですよね」


「そうかもしれません」


「妹さん、実際どうなんですか」


「存じません」


「知らないんですか」


「はい」


 タニアさんは椅子に座り直されました。


「三年会ってないからですか」


「いいえ」


 わたくしは首を振りました。


「三年前も、存じませんでした」


 誰かがリディアの舌を確かめたところを、わたくしは一度も見たことがございません。母も、父も、家の者も、そういうものだとして扱っておりました。三年前に嫁いだきり、わたくしも確かめておりません。


 確かめるのは、手間がかかりますから。


 夕方、帳面を開いてリディアの頁を作りました。


 三年ぶんの中に、妹の頁はございません。嫁ぐ前のことは書いておりませんでしたし、書く必要もございませんでした。


 新しい頁に、まず名前を書きます。


 リディア・アルディ。


 その下に、書けることを探しました。


 召し上がれないもの。存じません。


 召し上がって具合の悪くなったもの。存じません。


 嫌いなもの。……これも、存じません。


 わたくしは、妹について何も書けませんでした。


 三年ぶんではございません。生まれてからずっとでございます。


 わたくしは炭を置いて帳面を一枚目まで戻しました。


 一枚目には、わたくしの字ではないものが書いてございます。


 母の字でございます。


 母はわたくしが嫁ぐ年に亡くなりました。この帳面は、母の遺したものの中にあった、白紙の綴りでございました。一枚目にだけ、何か書いてありましたので、そこを飛ばして二枚目から使い始めました。


 書いてあるのは、名前と、そのあとに一行だけ。


 字は掠れておりまして、いま読み返しても名前の部分がどうしても読めません。


 読めるのは、あとの一行のほうでございます。


 ——この方は、白いものを召し上がれない。


 わたくしはしばらくその一行を見ておりました。


 母も、同じことをしていたのでしょうか。


 いつから。誰のために。


 台所で汁を飲ませたあの日、母が困った顔をなさった意味を、わたくしはずっと勘違いしておりました。余計なことを言った子を持て余した顔だと思っておりました。


 帳面を閉じました。


 戸口で、タニアさんが看板を拭いていらっしゃいます。


「姉さん」


「はい」


「『にがい』の人、今日も来ませんでした」


「そうですか」


「明日も来なかったら、わたし、探しに行っていいですか」


 わたくしは、少し驚きました。


「探すのですか」


「だって、書いていったんですよ」


 タニアさんは布を絞りながら、こちらをご覧になりません。


「書いたってことは、言いたかったってことでしょう」


 わたくしは帳面に手を置いたまま、その言葉を聞いておりました。


 妹は、手紙を寄越しました。


 書いたということは、言いたかったということでございます。


 書いてあったのは、返せ、の三文字だけでございましたが。

【今日の帳面】


リディア・アルディ/召し上がれないもの——記載なし。

 嫌いなもの——記載なし。生まれてから一度も、確かめられたことがない。


 「あの子は舌が鋭い」と家じゅうが言うとき、たいてい誰も確かめてはおりません。


 次回、第一章の最後でございます。看板の余白が、初めて全部埋まります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ