第26話:タニアの一日
その日は、朝から組合へ出向く用がございました。
品評会のあと、名簿に店の名を入れていただくことになりました。そのための書付に、判をいただかねばなりません。会所は町の南の端でございます。往きと帰りで、半日かかります。
「じゃあ、わたしが店番です」
タニアさんは、夜明け前から窯のところに立っていらっしゃいました。
「早うございますね」
「四時に来ました」
「窯は四時からでございます」
「知ってます。だから来ました」
パンを二十四個、菓子を三度ぶん焼きました。焼くあいだ、タニアさんは薪の向きを直していらっしゃいます。教えたのは一度きりでございます。太いほうを奥へ入れる順番を、間違えられません。
「札は十番までにします」
「十一番から先の方は」
「『あとで』って言います」
「はい」
「十一から先の数字、書けないので」
「では、書ける数まででお願いいたします」
「姉さん、そこで『教えます』って言わないんですね」
「今日は、半日ございませんので」
「……腹立つな」
町の南へ向かう道は、朝のうちは荷馬車が多うございます。石橋の手前で二度止まりました。橋の上では粉の匂いがいたします。うちの粉と同じ匂いでございました。タニアさんのお父上の粉は、この橋を渡って町へ入ります。
会所では、思いのほか手間がかかりました。判をいただくのに、書記の方が三人代わりました。
組合長は、いらっしゃいませんでした。
「うちの組合長なら、あんたの店の前だ」と、書記の方がおっしゃいました。「列を数えに行っている。三日で三度目だ」
「そうでございますか」
「昨日は二十二人だったそうだ」
わたくしは、数えておりませんでした。
帰り道で、ボードワン様のお店の前を通りました。人は並んでおりません。中に客が三人。看板は新しくなっておりました。絵が描いてございます。菓子の絵でございました。
店に戻りましたのは、昼を過ぎてからでございます。
表の樽には、木札が伏せて重ねてございました。十番までで止まっております。十一番から先は、使われた跡がございません。
戸を開けますと、土間に人がおりませんでした。天板は拭いてございます。皿は洗って伏せてございます。銭箱の銅貨は、数えて紙に包んでございました。包みが三つ。卓の上に並んでおります。
「二十七枚あったので、十枚ずつ三つにして、七枚は箱に戻しました」
「ありがとうございます」
「数えるのは得意です。父の血です」
「はい」
「字は父の血じゃないと思いたいです」
タニアさんは、布巾を絞りながらおっしゃいました。
「昼前に、荷運びの若い衆が来ました。ドランさんのところの、ミルコって人です。十九だそうです」
「はい」
「『食べられないものはありますか』って聞いたら、『ない』って言いました」
「はい」
「嘘でした」
「どうしてお分かりになりましたか」
「湯を出したら、十回吹いたからです」
タニアさんは腕を組んで、一歩下がられました。
「十回ですよ。数えました」
「はい」
「『熱いのが駄目なんですね』って言いました」
「そうしましたら」
「『男が猫舌とか言えるか』って言いました」
「はい」
「『言えばいいでしょう。冷ませば済む話でしょう』って言いました」
「はい」
「そうしたら、黙りました。それから、小さい声で『冷ましてくれ』って言いました」
「お出ししましたか」
「割って、皿を二枚にして、風の通るところへ置きました。四つ食べました。銅貨は五枚です。一枚は、置いてったぶんです」
わたくしは、包みの一つを開いて数え直しました。
「二十七で合っております」
「合ってますよ。数えたので」
包み紙は、粉袋の切れ端でございました。糊はございませんので、端を折り込んでございます。折り方は三つとも同じでございました。
わたくしは、ミルコさんという方の顔を存じません。名だけ伺いました。名だけでも、頁は作れます。
タニアさんは、鍋の中を覗いていらっしゃいます。
「なんで言わないんですかね、みんな」
「言うと、何か言われるからでございましょう」
「何か言われますか」
「わたくしは、何も申しません」
「そこですよ。そこがずるいんです」
それから、布巾を卓に置かれました。
「あと、あの客が来ました」
「あの客」
「灰色の外套の。雨の日の。姉さんが皿を出した人です」
「はい」
「三つ出して、三つ食べました。全部です」
「はい」
「『食べられないものはありますか』って聞いたら、『ない』って言いました。同じです」
「はい」
「名前を伺ったら、黙りました」
「そうですか」
「うまいとは言いませんでした。銅貨を二枚、置いていきました。ちょうどです」
タニアさんは洗い場のほうを向いていらっしゃいます。
「……腹立つな」
「はい」
「三つ食べて、何も言わないんですよ。全部食べたら、ふつう何か言うでしょう。まずいでも、なんでもいいですけど」
「言わない方も、いらっしゃいます」
「また来ますよ、あの客」
「そうでしょうか」
「来ます。ああいうのは、来ます」
夕方、二人で天板を洗いました。タニアさんは背が届きませんので、天板の奥はわたくしがいたします。奥をやらせろとおっしゃいます。届かないものは届きません。
戸を閉めて、湯を沸かしました。湯呑みは二つ出します。タニアさんは湯を飲みながら片づけをなさいます。座ると眠くなるとおっしゃって、座られません。
その晩、帳面を出しました。
昼のぶんを書き足そうとして、頁をめくりました。
書いてございました。
わたくしの字ではございません。
線が太うございます。炭を持つ手に力が入っているからでございましょう。「み」の三画目が下へ突き抜けております。「な」は丸のところが二つございました。
みるこ/十九/あついのだめ/さめるまでまつ/さらを二まいにする
あのきゃく/なまえなし/ぜんぶたべる/うまいといわない
数字だけは、一つも崩れておりませんでした。
「勝手に書きました」
タニアさんが戸口に立っていらっしゃいました。帰られたと思っておりましたが、いらっしゃいました。
「間違ってたら、言ってください」
わたくしは、頁を見ておりました。
「一つ、足してもよろしいですか」
「どこですか」
「日付でございます。いつのことか分かりませんと、あとで困ります」
「……そうか」
タニアさんは炭を取って、頁の隅に日を書かれました。数字は、まっすぐでございます。
「姉さん」
「はい」
「わたしが書いたところ、消さないでください」
「消しません」
「読みにくいですよ」
「読めます」
タニアさんは、頁の上を指で撫でていらっしゃいました。
「明日も来ます、あの客。銅貨一枚、賭けます」
「賭けは、いたしません」
「じゃあ二枚です」
「増えております」
タニアさんは頁をもう一枚めくられました。何も書いていないところへ、明日の日付だけを先に書かれます。
炭を置いて、腕を組んで、一歩下がられました。
【今日の帳面】
(タニアさんの字)みるこ/十九/あついのだめ/さめるまでまつ/さらを二まいにする
(同)あのきゃく/なまえなし/ぜんぶたべる/うまいといわない
わたくしの帳面は、今日から二人の字でございます。
次回、レイフ様が窯の前にお立ちになります。焼くのは、一つだけでございます。




