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離縁されたので、焼き菓子の店をはじめました  作者: 篠宮しずく


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24/30

第24話:見覚えのある、背中

 品評会が終わりまして、店の前には列ができるようになりました。

 その列の中に、見覚えのある背中がございました。

 品評会から、三日が経ちました。


 店の前に列ができるようになりましたのは、その翌日からでございます。多いときで十五人ほど。うちの土間には椅子が二脚しかございませんので、あとの方々は表でお待ちになります。


 木札を配るのは、タニアさんでございます。数字を書いたのはわたくしですが、配るのはタニアさんと決まりました。


「四番までは座れます。五番から先は立ちです」


「札は落とさないでください。落としたら、いちばん後ろです」


 言い方に容赦がございません。それでも皆様、笑って受け取っていらっしゃいます。


 品評会の翌日から、窯をお借りする時間を半刻延ばしていただきました。朝の四時から七時まででございます。その代わりに、三日月亭の朝のパンを二十四個お焼きいたします。前は二十個でございました。


 朝のうちに数えるものも増えました。林檎が十七。卵が二十四。粉が二袋と半分。蜂蜜の壺は、開けて六日目でございます。薪は雨の匂いがしておりましたので、乾いたほうから先に使います。


 最初のお客様は、御者のバルトさんでした。四十ほどの、肩の厚い方でございます。


「三日走ってきた」


「はい」


「宿で飯が出たが、食えなかった。腹は減ってる」


 伺いました。いつからか。どこでなら召し上がれるのか。


「乗ってるあいだは食える。片手で、手綱の合間に」


「降りてからは」


「降りると駄目だ。半刻ばかり、地面のほうが揺れてる」


 書き取りました。——揺れが止まると、揺れが始まる。降りてから半刻。


「バルトさん。降りてすぐに召し上がらないでください」


「宿の飯は、降りてすぐ出るんだ」


「では、半刻あとに召し上がれるものを、お持ちになってください」


 小さく、固く焼いたものをお出ししました。蜂蜜はほんの少し、塩は強めでございます。噛まずに口へ入れておけば、そのうち溶けます。溶けるのを待てるものでしたら、揺れていても喉を通ります。


 バルトさんは一つ召し上がって、残りを布に包まれました。


「これ、名前はあるのか」


「ございません」


「じゃあ、御者のと呼ぶ」


 銅貨が三枚でございます。


 表では、タニアさんが札を配る声がしております。列は建物の角まで伸びておりました。


 わたくしは天板を拭きながら、戸口の外を見ておりました。


 うしろから四人目の方が、木札の端を指でめくっては、戻していらっしゃいました。


 めくっては、戻す。めくっては、戻す。板でございますので、めくれはいたしません。端を撫でていらっしゃるだけでございます。


 外套は灰色でした。襟の裏だけが濃い色で、肩の縫い目が高うございます。あの縫い方をする仕立て屋は、王都に二軒しかございません。


 わたくしは、しばらくそちらを見ておりました。


 それから、林檎を数えました。


 十七ございました。


「姉さん」


「はい」


「いま、数えました?」


「数えました」


「何をですか」


「林檎を」


「朝に数えたでしょう」


「はい」


「……何個でした」


「十七でございます」


「合ってるじゃないですか」


「はい」


 タニアさんは腕を組んで、一歩下がられました。


 表で、また札の声がしております。しばらくして、タニアさんが戻っていらっしゃいました。


「姉さん」


「はい」


「札の順番が狂いました」


「どういたしましたか」


「七番の人が九番になって、九番の人が七番です」


「入れ替わりましたか」


「うしろから四人目の人が、二回、順を譲ったんです。前の人に、先へどうぞって」


「はい」


「譲るなら、最初から後ろに並べばいいでしょう。腹立つな」


 わたくしは炭を渡しました。タニアさんが書けるのは十までですが、七と九は書けます。番号を書き直しに出ていかれました。


 その日は、よく出ました。八番の方までで天板が二度空になり、二度焼き直しました。九番の方は「妹に持って帰る」とおっしゃって、二つを紙に包ませました。


 十番の方は、看板の余白に字を書いてから入っていらっしゃいました。書いてから入る方が、この頃は増えております。書いたあと、戸口でしばらく立っていらっしゃる方もおいでです。中で笑われるとお思いなのでしょう。


 うちには、笑う者がおりません。タニアさんも、わたくしも。


「十一番の方」


 タニアさんが呼ばれました。


 返事がございません。


「十一番の方」


 二度目でございます。


「いません」


「いらっしゃいませんか」


「札だけ、樽の上に置いてあります」


 わたくしは表へ出ました。


 列は、一人ぶん短くなっておりました。街道のほうへ歩いていく灰色の外套が、荷馬車の後ろに隠れて、また出て、それから見えなくなりました。


 振り返られません。


 わたくしは、樽の上の札を拾いました。十一と書いてございます。わたくしの字でございました。


 それから、看板の余白を見ました。今朝、新しく足したほうの板でございます。


 書き込みが四つ増えておりました。


 ——たまごがだめ。ふゆになるとのどがかゆい。みずをのむとむせる。さかなのにおい。


 四つとも、知らない字でございます。


 その方の字は、ございませんでした。


 夕方、レイフ様が灰を取りにいらっしゃいました。うちの竈は壊れておりますので、灰は窯のぶんだけでございます。


「うちに、また客が入ってる。三日前からだ」


「はい」


「飯を、ほとんど残す」


 わたくしは、炭を置きました。


「三日で、パンの端を二つだ。宿賃は先に払ってある。文句のつけようがねえ」


「はい」


「レイフ様」


「なんだ」


「いつから、ご存じでいらっしゃいましたか」


 レイフ様は、灰の桶を土間に下ろされました。


「前に九日いた、三番の客だ。あんたが階段の下で膳を見た朝には、知ってた」


「はい」


「言わなかったのは、俺だ。怒っていいぞ」


 わたくしは、炭を持ち直しました。


「怒っておりません。数えていただけです」


 レイフ様は、しばらくこちらをご覧になっていました。それから桶を持ち上げて、出ていかれました。


 戸を閉めて、明日の仕込みにかかりました。


 帳面には、二行だけ書きました。御者のバルトさんのことと、十一番の札のことでございます。名は書きません。書けないのではございません。書かないほうが、あとで探しやすいからでございます。


 林檎を、もう一度数えました。


 十七と書きました。数えたのは、三度目でございました。

【今日の帳面】


御者・バルト/四十ほど。馬を降りて半刻は食べられない。揺れが止まると戻す。塩気を強く、小さく固く。降りて半刻あとに。

札十一番/注文なし。看板にも書き込みなし。


 うちの店では、同じものを三度数えた日は、何かがあった日でございます。


 次回、その方が二度目にいらっしゃいます。今度は、席にお着きになります。

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