第18話:甘いものが、こわい
妹から二通目が参りました。
封は前と同じ、アルディ家のものでございます。中の便箋は一枚。今度は三行ございました。
——返せとは、もう申しません。
——ただ、一つだけお教えください。
——あの帳面の何枚目に、わたくしのことが書いてありますか。枚数だけで結構です。
タニアさんが便箋を覗き込まれます。
「なんて書いてあるんですか」
「何枚目かと」
「何枚目って、何がですか」
「妹の頁が、でございます」
「一枚でしょ。この前つくったやつ」
「はい」
「じゃあ一枚って返せばいいじゃないですか」
わたくしは帳面を出して妹の頁を開きました。
名前が一つ。その下に、記載なしが三つ。それから、先日足した一行。
一枚ではございます。中身はございません。
一枚と書いて返せば、妹は「では、そこに何と書いてあるのか」とお尋ねになるでしょう。そのときに書けることが、わたくしには無いのでございます。
「なんて返すんですか」
「まだ決めておりません」
「決まるまで返さないんですか」
「はい」
「腹立つな」
「なぜでしょう」
「妹さんに、です。手紙の書き方が、なんか」
タニアさんはそこで止まってしばらく言葉を探していらっしゃいました。
「……なんか、答えを知ってて聞いてる感じがします」
便箋を畳んで帳面の後ろに挟みました。
昼過ぎに三日月亭のミナさんが子どもを連れていらっしゃいました。
九つの男の子でございます。セドさんとおっしゃいます。先月から三日月亭の下働きに入られたそうです。山向こうの村から出ていらしたと伺いました。
「この子、粥しか食べないんです」
ミナさんは早口でおっしゃいました。
「宿の賄いを、何も。肉も、汁の実も、パンも。レイフさんが焼いたのだけは口をつけたんですけど、一口で置きました」
セドさんはミナさんの後ろに立っていらっしゃいます。背が低くて、手が大きゅうございました。
「セドさん。お伺いしてよろしいですか」
「はい」
「村では、朝は何を召し上がっていましたか」
「粥です」
「昼は」
「粥です」
「夜は」
「粥です」
「塩は入っておりましたか」
「はい」
そこまではお答えになりました。
「甘いものは、召し上がったことがございますか」
セドさんは答えません。
わたくしは炭を置いてもう一度伺いました。
「一度もございませんか」
セドさんはミナさんの袖を掴まれました。それから目を伏せてこうおっしゃいました。
「……こわいです」
そのあとは何を伺っても首を振るばかりでございました。
ミナさんが宿へ戻られたあともセドさんは土間に立っていらっしゃいます。帰ってよいと申し上げても、動かれません。
わたくしは天板に粉を撒いておりました。
戸が開いて、タニアさんが粉を担いで戻っていらっしゃいました。
セドさんを見て、荷を下ろして、そのまま土間に座り込まれます。足を投げ出して、壁にもたれて。
「この店、菓子屋なのに看板に菓子って書いてないんですよ」
「知ってます」
「知ってるんだ」
「みんな言ってます」
「みんな?」
「宿の人が。あそこは菓子屋じゃなくて、聞く店だって」
「聞く店」
タニアさんはそこで笑われました。
「間違ってないな」
セドさんが少し肩を下ろされました。
「あんた、甘いのこわいんですって?」
「はい」
「どういう感じですか。痛いんですか」
「痛くないです」
「まずいんですか」
「……分からないんです」
「分からない?」
セドさんはしばらく黙って、それから言葉を探しながらおっしゃいました。
「口の中が、知らないことになるんです」
タニアさんが壁から背を離されました。
「あー」
「え」
「わたし、字がそれでした」
タニアさんは土間の粉を指でなぞって、線を一本引かれました。
「読めない字を見ると、紙が知らないことになるんですよ。何が書いてあるか分からないから、次に何が起きるかも分からない。だから見たくないんです。近寄りたくもない」
「……はい」
「怖いのは字じゃないです。分からないほうです」
セドさんが初めてタニアさんのほうを向かれました。
「一回だけ、食べました」
「甘いのを?」
「村の祭りで、干した果物を。口の中が、急に変わって。いつ終わるのか分からなくて、吐きました」
「終わると思ってなかったんですか」
「ずっと続くと思いました」
わたくしは炭を取って帳面に書きました。
——甘みが不可なのではない。終わりが分からないことが不可。
書いてから、天板の粉を払いました。
「セドさん。これから起きることを、先に申し上げてよろしいでしょうか」
「先に、ですか」
「はい。順番と、長さでございます」
わたくしは焼き上がったものを一つ、小皿に載せました。厚さは指の半分。胡桃を粗く砕いて入れてございます。
「まず、匂いがいたします。焦げた粉と、胡桃の匂いでございます。ここではまだ口に入れません」
「はい」
「次に、端を少しだけ噛みます。歯にざらりと当たるものがございます。それが胡桃でございます。甘くはございません」
「はい」
「そのあとで、舌の先が温かくなります。そこから甘うございます」
「……どれくらいですか」
「十を数えるあいだでございます。十を過ぎると、薄くなります」
「消えるんですか」
「消えます。ずっとは続きません」
セドさんは小皿を見ていらっしゃいました。
「数えてください」
「わたくしがでしょうか」
「その、誰か」
「わたしが数えます」
タニアさんが立ち上がって、卓の向かいに来られました。
セドさんが端を噛まれました。
歯に当たる音がいたします。
「一、二、三」
セドさんの肩が上がりました。
「四、五、六」
目を開けていらっしゃいます。
「七、八、九、十」
タニアさんが止まりました。
セドさんが首を振られました。
「まだ、します」
「まだするんだ」
「まだします」
「じゃあ続けます。十一、十二、十三、十四」
セドさんがそこで頷かれました。
「消えました」
「十四でしたね」
「はい」
セドさんは残りを全部召し上がりました。二つ目に手を伸ばして、こちらをご覧になります。
「もう一つは、何秒ですか」
「同じものでございますから、同じでございましょう」
「じゃあ、数えなくてもいいですか」
「はい」
セドさんは数えずに召し上がりました。
夕方、宿へ帰るセドさんを戸口までお送りしました。ミナさんに渡す紙を一枚、持たせました。宿の賄いのうち、今日から出してよいものを三つ書いてございます。
翌朝、窯から戻ると店の前にセドさんが立っていらっしゃいました。
「おはようございます」
「おはようございます。何かございましたか」
「姉さんに用じゃないです」
わたくしは戸の鍵を開ける手を止めました。
「では、どなたに」
「タニアさんに」
昼にいらしたタニアさんに、そのことをお伝えしました。
タニアさんは腕を組んで、一歩下がられました。
「腹立つな」
「なぜでしょう」
「なんで、わたしなんですか」
「字を教えてほしいそうでございます」
「わたし、まだ半分しか読めませんよ」
「半分読める人が、いちばん近うございます」
わたくしは二冊目の帳面を、タニアさんにお渡ししました。
タニアさんは両手で受け取って、それから上下を確かめて、持ち直されました。
「……これ、わたしの字ですよ」
「はい。いちばん新しい手本でございます」
戸の外で、セドさんが石を蹴っていらっしゃいます。
蹴っては拾い、拾っては蹴って、戸のほうを一度も見ないようにしていらっしゃいました。
【今日の帳面】
セド/九つ。甘みそのものは不可ではない。終わりが分からないことが不可。順番と長さを先に申し上げれば可。
覚え書き——十で消えると申し上げたが、十四まで残った。次からは十四と申し上げること。
こちらが数え間違えたところは、こちらの落ち度として書いておきます。次に同じ子がいらしたときに、四つ足りません。
次回、屋敷の元料理番が、三年黙っていたことを話しに参ります。




