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離縁されたので、焼き菓子の店をはじめました  作者: 篠宮しずく


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17/30

第17話:王宮の菓子職人が、なぜ街道にいるのか

 翌朝、組合の若い方が紙を一枚置いていかれました。


 戸を開けずに、隙間から差し入れて帰られます。中には入っていらっしゃいません。


 タニアさんが土間から拾い上げて、卓に広げられました。


「読みます」


「どうぞ」


「ことし、の……ひん、ぴょう、かい……申し込み、よう、りょう」


 一行に、たっぷり十を数えるほどかかりました。それでも読んでいらっしゃいます。指で字を押さえながら、一つずつでございます。


「品評会って、なんですか」


「町の菓子屋が、秋に一日だけ皿を並べる催しでございます」


「出るんですか」


「出られるかどうかを、そこに書いてございます」


 わたくしは残りを読みました。


 出品には組合員お二人の推挙が要ります。これは、たぶん揃いません。


 その下に、二つ書き足してございました。


 ——出品は組合の定める品目に限る。王都風の蜂蜜菓子、配合は別紙のとおり。


 ——特定の客に合わせて配合を変えた品は、菓子と認めない。


 二つ目のほうは、去年までの要領にはなかったそうです。紙の端に、新しい墨で書き足してございました。


「どういう意味ですか、これ」


「うちの菓子は、出せないという意味でございます」


「はあ?」


 タニアさんが紙を持ち上げられました。


「これ、姉さんの店だけのために書いたんじゃないですか」


「そうかもしれません」


「腹立つな」


「推挙のほうが先でございます」


「推挙って、なんですか」


「組合の方お二人に、名前を書いていただくことでございます」


「頼めばいいじゃないですか」


 昼から、三軒を回りました。


 一軒目は向かいの飴屋でございます。戸は開いておりましたが、ご主人は帳場から動かれませんでした。


「悪いね。今年は誰の推挙もしないことにしたんだ」


「どなたがお決めになりましたか」


「決めたんじゃない。そうしただけだ」


 二軒目でも、ほとんど同じことを伺いました。


 三軒目のご主人だけは、戸口まで出てきてくださいました。


「あんたのとこ、この前ヤンさんが甘くないのを買ってったろう」


「はい」


「うちの親父も、あれだ。甘いのが苦いと言う」


「はい」


「……悪いね」


 店へ戻ると、タニアさんが組合の紙を裏返して、裏に何か書いていらっしゃいました。


「何をお書きですか」


「行った店の名前です。三つ」


「なぜでしょう」


「あとで数えるのに要るでしょう」


 夕方、戸が開きました。


 レイフ様が薪を抱えて入っていらっしゃいます。窯の口が今朝から具合が悪いので、見にいらしたのだと思います。


 薪を土間に置いて、卓の紙をご覧になりました。


 それから、動かなくなられました。


 わたくしは天板を拭いておりました。手は止めておりません。


「レイフ様」


「……その二つ目な」


「はい」


「同じ文を、俺は見たことがある」


 レイフ様は椅子を引いて、腰を下ろされました。座られるのを見たのは、初めてでございます。


「王宮の菓子方に十一年いた」


「はい」


「十一年目の秋に、宴があった。他国からの使節を入れる席だ」


 わたくしは天板を置きました。


「前の日にな、宿直の者が紙を回してきた。使節のうち一人、胡桃が食えないと」


「書いてあったのですね」


「書いてあった。誰が書いたかは書いてなかった」


 レイフ様は、卓の木目を左手の親指でなぞっていらっしゃいます。


「俺は菓子方の頭に言った。口で言った。一人だけ別に焼きますと」


「頭の方は」


「一人のために宴の品を変えられるか、と言った。それだけだ」


「それで」


「別に焼いた。勝手にな。翌日、配膳の前に自分の皿を差し替えようとした」


 レイフ様はそこで一度、言葉を切られました。


「止められた。三人だ。厨の入口まで引かれて、扉に右手を挟まれた」


 わたくしは何も申し上げませんでした。


「事故ということになった。実際、そう書いてある。菓子方の一人が配膳の場で取り乱し、扉に手を挟んだ。宴は滞りなく終わった。そう残ってる」


「使節の方は」


「食った。俺が焼いたほうじゃない」


「それで」


「三日寝込んだ。死にはしてねえ」


 レイフ様は指を止められました。


「誰も、なんで寝込んだかは調べなかった。菓子方の頭も、宮の医者も、誰もだ。あの方は元々お体が弱いという話になって、それで終わった」


 わたくしは湯を汲んで、卓に置きました。


 レイフ様は椀に触れられません。


「使節が寝込んだことは、どこにも残ってねえ。俺が扉に手を挟んだことだけが残ってる。おかしいだろう」


「はい」


「口で言ったからだ」


 レイフ様は、初めてこちらをご覧になりました。


「俺は書かなかった。頭に言った。宿直に言った。配膳の者に言った。全部口だ。だから、あの日のことは俺の手のことになった」


 わたくしは椀を少し押しました。


「その紙をお書きになったのは、どなたでしょう」


「紙?」


「使節の方が胡桃を召し上がれないと、前の日に回ってきた紙でございます」


 レイフ様は、しばらく黙っていらっしゃいました。


「……知らん。名も書いてなかった」


「では、その方も、書いた人でございます」


「なんだそりゃ」


「その方が書かなければ、レイフ様は前の日に知ることができませんでした。名前がなくても、書いたことは残っております。レイフ様が今そう覚えていらっしゃいますから」


 レイフ様は椀を取られました。左手でございます。


 半分ほど飲んで、置かれました。


「あんたの帳面はな」


「はい」


「三年ぶん、残ってる」


 それだけおっしゃって、立ち上がられました。


 薪を積み直して、窯の口の具合を見に行かれます。左手で薪を割る音が、しばらく外でしておりました。


 戻っていらしたときには、もう普段の顔でございました。


「窯は、明日の朝から使える。煙道に灰が詰まってただけだ」


「ありがとうございます」


「それとな」


 レイフ様は戸口で止まられました。


「あんたはまだ拒んでいない」


「はい」


「その紙は、まだ品目のことしか書いてない。そのうち『この客にこれを出せ』と言ってくる。断るのは、そこからだ」


「はい」


「断ったあとのことは、誰も書いちゃくれねえぞ」


 戸が閉まりました。


 タニアさんが卓の紙を引き寄せて、じっと見ていらっしゃいます。


「姉さん」


「はい」


「これ、わたしが写しときます」


「写しますか」


「持っていかれたら、なかったことになるでしょう」


 タニアさんは二冊目の帳面の、後ろのほうの白い頁を開かれました。炭を握って、一字ずつでございます。「特定の客に合わせて」のところで三度止まって、三度とも指で字を数え直していらっしゃいました。


 わたくしは一冊目のほうを出して、新しい頁を作りました。


 レイフ・コルネ。


 召し上がれないもの——。


 そこで炭が止まりました。


 この方が召し上がれないものを、わたくしは一つも存じません。三日月亭の賄いは何でも召し上がります。宿の客の残りも召し上がります。


 書けることは、まだ何もございませんでした。


 外で、薪の割れる音が続いております。


 一本につき、一度でございます。二度目の音がいたしません。

【今日の帳面】


レイフ・コルネ/三十。召し上がれないもの——記載なし。本日、頁を作る。

(組合よりの書付・写し)出品は組合の定める品目に限る。特定の客に合わせて配合を変えた品は、菓子と認めない。


 口で言ったことは、その日のうちに無かったことになります。書いたものだけが、翌朝も同じ形で残っております。


 次回、甘いものがこわいという子が参ります。話を聞き出せるのは、わたくしではございません。

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