↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離縁されたので、焼き菓子の店をはじめました  作者: 篠宮しずく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/30

第12話:粉を止めたのは、どなたでしょう

 粉が届かなくなって、四日でございます。


 棚に残っておりますのは半袋でございました。薄く延ばして焼けば二日、いつもどおりに焼けば一日と半分。砂糖は足りております。蜂蜜も胡桃も塩も足りております。足りないのは粉だけでございました。


 粉だけがないというのは、菓子屋にとりましては、全部がないのと同じことでございます。


 タニアさんは朝から一言も口をきかれません。看板を拭いて、卓を拭いて、拭き終わった卓をもう一度拭いていらっしゃいます。


「タニアさん」


「はい」


「粉挽き屋へ、ご一緒いただけますか」


 布の音が止まりました。


「……行っても、ないですよ」


「ないのは存じております。伺いたいのは、なぜないのかでございます」


 タニアさんは布を絞って、それから前掛けを外されました。


 粉挽き屋は町外れでございます。水路が引き込んでございまして、近づくと臼の音がいたします。


 回っておりました。


 回っているということは、挽くものがあるということでございます。


 お父上は土間で袋の口を縫っていらっしゃいました。朝でございますので、まだ酔ってはいらっしゃいません。


「うちの粉は、あんたには売れん」


 こちらが口を開く前でございました。


「理由を、伺ってもよろしいでしょうか」


「理由はない」


「では、いつからでしょう」


「先週の水曜からだ」


 わたくしは炭を出して、書き取りました。


「何を書いとる」


「伺ったことを書いております」


「理由はないと言うたぞ」


「はい。理由はないと伺った、と書いております」


 お父上は針を置かれました。それから、奥のほうを一度ご覧になりました。


 奥から、人が出ていらっしゃいました。


 四十の半ばほどでございましょうか。外套の裾が土間の粉で白くなっております。その方は立ち止まると、手袋を片方ずつ外して、外したそばから丁寧に畳んでいらっしゃいました。粉挽き屋の土間で手袋を畳む方を、わたくしは初めて見ました。


「ハウゼルの菓子屋の寄合で、まとめ役をしております。ボードワンと申します」


「ロゼリア・アルディと申します」


「存じております。街道沿いの、字だけの看板の」


 ボードワン様は紙の束を小脇に抱えていらっしゃいました。上の一枚に、数と印がびっしり並んでおります。注文書でございます。


「粉を止めたのは、どなたでしょう」


 わたくしは、そう伺いました。


「わたしです」


 隠されませんでした。


「先週から、うちの七軒ぶんを先に挽いていただくことにしました。七軒ぶんです。この臼で朝から晩まで挽いて、それで一日が終わる」


「余りは」


「出ません」


「明日も、でございますか」


「来月の末まで、注文書を置いてあります」


 ボードワン様は畳んだ手袋を懐に納められました。


「規約を破ってはおりません。誰にも、あなたに売るなとは申しておりません。わたしはただ、先に買っただけです」


「はい」


「お分かりになりますか」


「分かります」


 分かりますとも。三年間、屋敷の台所で同じことをしておりました。八人ぶんの膳を回すには、先に何を押さえるかで全部が決まります。押さえた者が勝ちます。押さえられた者は、当日になって初めて気づきます。


「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


「ボードワン様のお店では、獣脂をお使いになりますか」


 ボードワン様は、少し間を置かれました。


「使います。七軒とも使いますよ。安いですから」


「ありがとうございます」


 わたくしは書き取りました。ボードワン。七軒。獣脂を使う。


「……いま、何をお書きに」


「伺ったことを書いております」


 そのとき、タニアさんが土間を一歩前に出られました。


「あの」


「なんです」


「七軒って、全部あなたの店じゃないですよね」


 ボードワン様はタニアさんのほうを向かれました。子どもだからといって顔を伏せる方ではございませんでした。そこだけは、きちんとご覧になりました。


「わたしの店は一軒だ。あとの六軒は、わたしに従っているのではない。粉の値が上がるのを嫌がっているだけです」


「値、上がるんですか」


「新しい店が一軒増えれば、そのぶん粉の取り合いになる。取り合いになれば値は上がる。上がったぶんは菓子の値に乗る。乗せれば、この町の者は買わなくなる」


「それ、姉さんのせいですか」


「誰のせいでもありません。順番の話です」


 タニアさんが息を吸われました。わたくしは名前をお呼びしました。


「タニアさん」


 それだけでございます。


 タニアさんは口を閉じて、外套の裾を睨んでいらっしゃいました。


「腹立つな」


 小さな声でございましたが、聞こえておりました。ボードワン様にも聞こえたと思います。ボードワン様は聞こえなかった顔をなさいました。そういうことのできる方でございます。


「アルディさん」


「はい」


「あなたのところは、日に何人お見えです」


「四人ほどでございます」


「四人」


「はい」


「四人のために、この町の粉の値を動かすわけには参りません」


 ボードワン様は注文書を抱え直して、戸口へ向かわれました。


 わたくしは何も申し上げませんでした。申し上げることが、ございませんでしたので。


 外へ出られる前に、一度だけ振り返られました。


「一つ、こちらからも伺いましょう。あなたは、菓子屋のおつもりですか」


「はい」


「そうですか」


 それだけでございました。臼の音が戻ってまいります。


 帰り道で、タニアさんは黙っていらっしゃいました。半分ほど来たところで、こうおっしゃいます。


「姉さん、あと何日ですか」


「粉でございますか」


「はい」


「二日でございます。薄く焼けば、でございますが」


「薄いと、ドランさんが噛めないですよ」


「はい」


「じゃあ一日半ですね」


 数え方が速うございます。お父上に似ていらっしゃいます。


 わたくしがそう申し上げますと、タニアさんは足を速められました。


 店へ戻る前に、粉挽き屋の土間へ荷を忘れておりましたので、わたくしだけ引き返しました。


 お父上は、また袋を縫っていらっしゃいました。


「ロゼリアさん」


「はい」


「あの人はな。二十年前は、うちで二袋しか買わんかった」


 わたくしは荷を抱えたまま、立ち止まりました。


「一袋を三日で使う店だった。値切りもせん。ただ、挽きが粗いと言うて、二度突き返してきた」


 お父上は針を進めながらおっしゃいます。


「二十年、この町で粉の粗いのが分かったのは、あの人だけだった」


「……そうですか」


「そのあと寄合を作って、値を揃えた。揃えてから、あの人は突き返さんようになった」


 針が止まりました。


「粗いままでも、誰も文句を言わんようになったからだ」


 水路の音がいたします。臼は回り続けております。七軒ぶんでございます。


 タニアさんが戸口から顔を出されました。


「姉さん、遅い」


「はい」


 わたくしは荷を持ち上げて、土間を出ました。


 タニアさんは街道に立って、粉挽き屋の屋根を見上げていらっしゃいました。


「姉さん」


「はい」


「うち、あの人の店にも粉を売ってるんですよね」


「はい」


「……父さん、どっち向いて挽いてるんですか」

【今日の帳面】


ボードワン/四十五ほど。菓子屋の寄合のまとめ役。獣脂を使う(七軒とも)。

 二十年前、この町で粉の粗さが分かったのはこの方だけだった。

 召し上がれないものは、まだ存じません。


 押さえた者は当日までそれを言いません。押さえられた者は、当日になって初めて数えます。


 次回、その方が店にいらっしゃいます。お一人で、召し上がらずに帰られます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。