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刑事・井森正一の事件簿  作者: はまゆう


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第二十六話 消えない火種(上編)

 宗像源一郎。


 創業百年を超える老舗花火店「宗像煙火」の三代目当主。祖父の代から受け継がれてきた、門外不出の「秘伝の火薬配合」を守り続ける、地方随一の花火師だった。


 毎年夏、宗像煙火が仕切る地元の花火大会は、県内屈指の規模を誇り、この大会の成否が、宗像家の看板そのものを左右すると言っても過言ではなかった。


 その大会当日、大会最大の目玉である「二尺玉」の連続打ち上げの最中、宗像煙火の内弟子として長年修業してきた若手花火師、柚木朝陽が、作業小屋の中で命を落とすという事件が起きた。


『花火大会中に死亡事故、花火師の男性』


『打ち上げ設備の点検中、感電か』


『宗像煙火、来年以降の大会継続に暗雲』


 当初、事件は、電気系統のトラブルによる不慮の事故として、地元では受け止められていた。



 ――事件の三ヶ月前。


 宗像煙火の作業場、深夜。柚木朝陽は、一人、ノートパソコンの画面と向き合っていた。


 画面には、火薬の配合データが、緻密な数値としてまとめられていた。宗像家が代々、口伝と経験のみで受け継いできた「秘伝の配合」を、柚木は密かに、化学的な成分分析にかけ、数値化していたのだった。


 柚木は、二十八歳。十五歳の頃から宗像煙火に住み込みで弟子入りし、十三年間、源一郎のもとで修業を積んできた。誰よりも早く火薬の扱いを覚え、誰よりも遅くまで作業場に残る、真面目な男だった。


 だが、柚木の胸には、長年、静かに燻り続ける想いがあった。


(――俺は、いつまで、この店の〈道具〉のままなのか)


 宗像煙火は、跡継ぎの座を、源一郎の実の息子に譲ることが、既定路線だった。息子は、まだ二十歳そこそこで、花火師としての腕は、柚木の足元にも及ばない。それでも、血筋という一点だけで、いずれ柚木の上に立つことになる。


 柚木は、独立を決意していた。自分自身のブランドを立ち上げ、これまで培ってきた技術を、新しい形で世に問いたい――そのために、宗像家の秘伝配合を、特許出願可能な形に、数値化していたのだった。


「先生の技術には、感謝しています。でも、俺は、俺の花火を、作りたいんです」


 柚木は、いずれ、そう言って独立を切り出すつもりだった。



 その計画は、しかし、思わぬ形で源一郎の耳に入ることになった。


 柚木が分析データの整理を依頼していた、外部の化学者――かつて宗像煙火とも取引のあった人物が、うっかり、源一郎に、その件を漏らしてしまったのだ。


「源さん、聞いてくれ。朝陽くんから頼まれてたんだが……あの秘伝の配合、詳しく分析してほしいって言われてね。特許を出すための準備らしいんだが」


 源一郎は、その報告を受けた瞬間、凍りついた。


「……特許だと?」


「ああ。まあ、独立するための準備なんだろう。若い子には、よくある話だ」


 源一郎は、表面上は、平静を装った。


「そうか。教えてくれて、ありがとう」


 だが、電話を切ったあと、源一郎の中には、抑えきれない怒りが、静かに渦巻いていた。


(――朝陽。お前は、うちの家が百年かけて守ってきたものを、自分の名前で特許にするつもりか)


 その夜、源一郎は、作業場の奥で、一人、長い時間、腕を組んだまま、動かずにいた。



 源一郎は、柚木を問い詰めることは、あえてしなかった。


 もし直接問い詰めれば、柚木は警戒し、データの提出先や、特許出願の進捗を、さらに隠すだろう。源一郎が欲しいのは、謝罪でも、詫び状でもなかった。


(――秘伝は、宗像の血に連なる者にしか、受け継がれてはならない)


 源一郎の中で、静かに、しかし確実に、一つの計画が形を成していった。



 大会当日。


 地元屈指の花火大会は、例年通り、多くの観客で賑わっていた。宗像煙火のスタッフたちは、朝から慌ただしく準備に追われていた。


 大会のクライマックスは、宗像家秘伝の配合による「二尺玉」の連続打ち上げ。この演目のためだけに、毎年、多くの見物客が県外からも訪れる、看板中の看板だった。


 源一郎は、この日、打ち上げ現場の指揮を、信頼できる古参の花火師に任せ、自身は、観覧席近くに設営された本部テントで、後援会や地元テレビ局の取材対応にあたる予定だった。


「今年も、二尺玉、楽しみにしてますよ」


 地元テレビ局のリポーターが、朗らかに声をかけてきた。


「毎年、この瞬間のために、一年かけて準備しております」


 源一郎は、堂々とした笑顔で応じた。カメラは回り続け、多くのスタッフが、その様子を記録していた。



 一方、その裏で。


 源一郎は、打ち上げ現場に近い作業小屋の、電気点火装置の配線に、事前に細工を施していた。


 通常、点火装置は、安全のため、厳重に絶縁処理が施されている。だが、源一郎は、最も出力の大きい二尺玉の点火タイミング――大会のクライマックスで、会場全体の電力需要が跳ね上がる、まさにその瞬間に合わせて、装置の一部の絶縁を、意図的に破損させておいた。


 そして、大会当日の午後、源一郎は、柚木に、こう指示していた。


「朝陽。二尺玉の連続打ち上げの前に、念のため、点火装置の配線、もう一度確認しておいてくれないか。去年、少し接触が悪かった箇所がある」


 柚木は、疑うことなく、その指示に従った。


「分かりました、先生」


 柚木にとって、それは、いつもと変わらない、師匠からの日常的な指示に過ぎなかった。



 午後八時三十分。


 大会は、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。会場全体が、期待に満ちたどよめきに包まれる。


 柚木は、指示された通り、作業小屋の中で、点火装置の配線を確認していた。


 二尺玉の連続打ち上げが始まる、その直前――装置の起動に伴う、瞬間的な電力サージが、破損させられた絶縁部分を通じて、柚木の体を貫いた。


 夜空に、次々と巨大な花火が打ち上がり、轟音と共に、大輪の光が広がっていく。


 その光と音の中に、柚木の悲鳴は、完全に、かき消されていた。



 本部テントでは、源一郎が、リポーターと共に、夜空を彩る二尺玉を見上げていた。


「素晴らしいですね! これが、宗像煙火の真骨頂ですか」


「ええ。祖父の代から受け継いできた、渾身の一発です」


 源一郎の声は、いつもと変わらず、堂々としていた。



 花火大会が終わり、後片付けが始まった頃、作業小屋で倒れている柚木が発見された。


 駆けつけた救急隊員による懸命の処置も虚しく、柚木朝陽は、その場で死亡が確認された。


 現場に居合わせたベテランの花火師たちは、口々に言った。


「点火装置の絶縁不良による、感電事故だろう」


「毎年の点検はしていたが、大会本番の電力サージまでは、予測しきれなかったのかもしれん」


 所轄の初動捜査も、当初は、その見立てに沿って進められていた。


 だが、柚木の遺族――地方で暮らす、柚木の母親からの、強い要望があった。


「朝陽は、独立を目前にして、誰よりも慎重に、装置の点検をする子でした。あの子が、あんな単純な事故で死ぬなんて、信じられません」


 その訴えを受け、警察は、正式に、事件性の有無を調べることになった。



 捜査一課から、この案件を担当することになったのが、井森正一だった。


 シワの寄ったトレンチコートを着た井森が、宗像煙火の作業場に現れたのは、事件から四日後のことだった。


「すみません、井森と申します。今日はお忙しいところ……。あの、宗像さんに、お話を伺えるでしょうか? 事故の件で、ちょっと確認したいことがありまして」


 源一郎は、憔悴した表情で、応接間に現れた。


「刑事さん。この度は……朝陽は、うちの宝でした。十三年、共に歩んできた弟子です。本当に、痛ましい事故でした」


「そうですか。それは、辛いですね」


 井森は、深々と頭を下げた。


「宗像さんは、大会当日、ずっと本部テントにいらしたそうですね」


「ええ。取材対応で、片時も離れられませんでした」


「タイムスタンプ付きの映像も、拝見しました。宗像さんは確かに、事故の起きた時間帯、本部テントにいらっしゃった。」


 源一郎は、静かに頷いた。


「あんな事故が起きるなんて、思いもよりませんでした」


「柚木さんに、点火装置の確認を指示されたのは、宗像さんご自身だったそうですね」


 源一郎の表情筋が、ほんの一瞬だけ強張った。


「ええ。毎年の、通常の点検業務の一環です」


「去年、接触が悪かった箇所があった、と伺いましたが」


「その通りです。念のための、確認でした」


「そうですか」


 井森は手帳に何かを書きつけた。


「いや、すみませんね、つまらないことを伺って。今日のところは、これくらいで」


 井森は、ぺこりと頭を下げると、コートの裾を揺らしながら、作業場を出ていった。


 その後ろ姿を見送りながら、源一郎の額には、じっとりとした汗が滲んでいた。



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