第二十三話 完璧なラストカット(中編)
佐伯涼の死から一週間が経った。
所轄の見立ては、依然として「撮影中の不幸な事故」に傾いていた。大規模爆破シーンでの死亡事故は、決して前例のないことではない。だが、遺族の強い要望と、佐伯が生前、何らかの調査を進めていたという証言を受けて、警察は正式に捜査を継続していた。
井森正一だけは、その捜査本部の空気とは無関係に、一人でスタジオの周辺を、まるで散歩でもするかのようにうろついていた。
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「佐伯さんの、直属の後輩さんですよね」
スタジオの喫煙所で、井森は一人の若いスタッフに声をかけた。制作進行の一人、木下という青年だった。
「あ……はい、そうですけど」
「捜査一課の井森です。すみませんね、お忙しいところ。ちょっとだけ、お時間よろしいですか」
「はあ、どうぞ」
「佐伯さん、亡くなる直前、何か変わった様子はありませんでしたか」
「変わった様子、というか……」
木下は、少し言い淀んだ。
「ここ数週間、佐伯さん、すごく忙しそうにしてたんです。夜遅くまで、一人で何かの資料をまとめてて。僕にも詳しくは教えてくれなかったんですけど……過去の作品の経費とか、そういう資料を、色々な人に確認して回ってました」
「経費、ですか」
「あと、これ、警察の方に言うべきか迷ってたんですけど……佐伯さん、何人かの元スタッフや、元女優さんにも、連絡を取ってたみたいなんです。もう業界を離れてる人たちに」
「元スタッフや、元女優さん」
井森は、手帳に何かを書きつけた。
「それは、どういった目的だったと思われます?」
「分かりません。でも、佐伯さん、あの朝、僕にこう言ってたんです。〈クランクアップしたら、会社に大事な報告をする〉って」
「大事な報告、ですか。なるほど、なるほど」
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井森は、その足で、佐伯が生前連絡を取っていたという、元スタッフの一人に接触を試みた。
スクリプターの女性、松岡だった。すでに映画業界を離れ、地方で暮らしているという彼女に、井森は電話で話を聞いた。
「佐伯さんから、連絡があったのは事実です」
松岡は、慎重な口調で答えた。
「何を聞かれましたか」
「黒澤監督の現場のことを……色々と。私は、直接何かを言われたことはありません。でも、その、周りで色々あったのは、知っていました」
「周りで、というのは」
松岡は、しばらく沈黙した。
「私からは、これ以上は……」
「分かりました。ありがとうございます」
井森は、無理に聞き出そうとはしなかった。だが、その口ぶりから、何かが確かに存在していたことは、十分に察せられた。
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井森は、次に、黒澤作品の経理を担当する制作会社を訪れた。表向きの帳簿には、当然、不正な流用の記録などない。だが、経理部の若手社員――入社三年目の女性に、世間話でもするような気軽さで話しかけた。
「いやあ、映画の製作費って、本当に色々な名目があるんですねえ。〈特別コンサルタント料〉なんて、初めて聞きました」
「ああ、それ、私も何の仕事か、よく分からないんです」
女性は、少し困ったように笑った。
「毎回、同じ会社に振り込まれてるんですけど、その会社、監督のご親族が経営されてるらしくて」
「へえ、それは、興味深いですねえ」
「あと、海外ロケの経費も、いつも予算オーバーが激しくて。でも、監督の作品はヒットしますから、上も強く言えないみたいで」
「なるほど、なるほど」
井森は、静かに頷いた。
(――佐伯さんは、この不透明な金の流れを、丹念に追っていたんだろう)
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夕方、井森はスタジオのロビーで、黒澤誠と再び顔を合わせた。
「おや、井森さん。まだ捜査を?」
「ええ、まあ。しぶといのが取り柄でして」
井森は照れくさそうに頭を掻いた。
「監督、少し伺いたいんですが。佐伯さんが最近、過去の作品の経費について、色々な方に確認して回っていたという話、ご存知でしたか」
黒澤の表情筋が、ほんの一瞬だけ強張った。だが、すぐに平静を取り戻す。
「初耳です。プロデューサーの業務には、あまり口を出さない主義でしてね」
「なるほど。いや、面白いですよねえ。クランクアップの直前に、〈大事な報告をする〉と、周りに漏らしていたそうなんです。まるで――何かを、世に出す準備をしていたみたいで」
「……それが、何か問題でも?」
「いえいえ、単なる感想です」
井森は、へらりと笑った。
「ところで監督。もう一つ、教えていただきたいことが。あの廃工場のセット、爆破シーンの前に、監督ご自身が現場を確認されたことは、ありましたか」
黒澤の心臓が、大きく跳ねた。
「……なぜ、そんなことを聞く」
「いえね、特殊効果チームの記録を確認させてもらったんですが、爆破装置の最終チェックは、通常、監督とは別の専門スタッフが行うものだそうで。でも、今回に限って、監督が〈演出上の確認〉と称して、セットに一人で立ち寄られた記録が、残っていましてね」
「それは……当然のことです。クライマックスのシーンですから、演出意図を、自分の目で確認したかった」
「いやいや、ご丁寧なことで。さすが、こだわりの強い監督さんです」
井森は、コートのポケットに両手を突っ込んだまま、軽く会釈をした。
「あ、そうそう。もう一つだけ」
「まだあるのか」
「あの爆発、通常の演出用の爆薬の量より、少し多めだったそうですね。特殊効果チームの方に確認したところ、〈監督から、迫力を増すために、多めにしてほしいと指示があった〉と、証言されていました」
黒澤は、答えなかった。
「威力を上げれば、当然、危険度も上がります。それでも、監督は、その指示を出された」
「演出上の判断です。映画のクライマックスですから、迫力は重要です」
「そうですかぁ。いや、映画作りって、本当に奥が深いですねえ」
井森はそう言うと、ひらひらと手を振りながら、ロビーの雑踏へと歩み去っていった。
黒澤はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
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その夜、黒澤は自宅の書斎で、密かにマネージャーに電話をかけていた。
「――佐伯が集めていた資料の件、まだ会社に渡っていないか、確認してくれ。それから、あの元スタッフたちに、余計なことを口にしないよう、それとなく釘を刺しておいてくれ」
電話を切ったあと、黒澤は深いため息をついた。
(あの男……ただの間抜けな刑事ではない。むしろ、恐ろしいほどに、細部を見ている)
だが、まだ大丈夫だ。証拠は、何一つ残していないはずだ。遠隔起爆装置の予備送信機は、すでに処分した。指紋を拭き取ったはずの部品も、爆発でほとんど原形を留めていないだろう。
あとは、井森という男の追及を、どう躱すかだけだ。
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翌日。
井森は、佐伯涼の自宅を訪れていた。
応対したのは、佐伯の妹、佐伯理沙だった。兄の死を受け、憔悴しきった様子だった。
「お兄さんの部屋、見せていただいてもいいですか」
「……はい、どうぞ」
佐伯の書斎には、几帳面に整理された書類の山があった。井森は一つ一つ、丁寧に目を通していく。
「理沙さん。お兄さんから、何か預かっているもの、ありませんか。例えば、〈もし何かあったら、これを見てくれ〉といったような」
理沙は、少し考えてから、机の引き出しから一枚のUSBメモリを取り出した。
「これ……先週、兄に『何かあったときのために』って渡されたんです。中身は、私には分かりません。でも、兄、すごく思い詰めた顔をしてました」
井森は、そのUSBメモリを、丁重に受け取った。
「理沙さん。これは、預からせていただきますね」
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鑑識でUSBメモリの中身を解析した結果、そこには、佐伯が丹念に集めてきた資料のすべてが保存されていた。
過去五年分の不透明な経費の流れ。〈特別コンサルタント料〉として、黒澤の親族企業へ流れ続けていた資金。そして、複数の元スタッフや元女優からの、匿名を条件とした、ハラスメントの証言記録。
その中に、一つの音声データがあった。
井森は、それを再生した。
『佐伯さん、これは、本当に世に出すつもりですか』
女性の声だった。松岡のものだと、井森はすぐに気づいた。
『はい。監督の功績とは、別の話です。これ以上、泣き寝入りする人を、増やしたくない』
『でも、相手は黒澤監督ですよ。潰されるのは、あなたの方かもしれません』
『それでも、やります』
佐伯の声は、静かだが、確固たる意志に満ちていた。
井森は、しばらくの間、無言で、その音声を聞き続けていた。
(――佐伯さんは、自分の立場が危うくなることを、分かった上で、動いていた)




