第二十二話 不協和音(中編)
穂苅康弘の死から四日が経った。
所轄の見立ては、「深酒の末の転倒事故」で固まりつつあった。ミュージシャンの突然死としては、決して珍しい話ではない。マイクスタンドの角に頭をぶつけ、そのまま昏倒したという状況も、現場の状態と大きな矛盾はなかった。
だが、井森正一だけは、違った。
彼は捜査本部にほとんど顔を出さず、一人で穂苅の交友関係と、あの小さなアイコンの正体を、まるで散歩でもするかのように調べ続けていた。
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井森は、まず、鑑識にノートパソコンの詳細解析を依頼した。
デスクトップに残されていた、あの小さなアイコン。それは、海外で急速にシェアを伸ばしている、作曲支援AIツールのショートカットだった。
解析担当の技術者が、井森に報告した。
「使用履歴は、かなり丁寧に消去されていますね。でも、完全には消えていません。ゴミ箱の空き領域から、断片的なプロジェクトファイルが復元できました」
「どんな内容です?」
「コード進行とメロディラインの生成ログです。日付は、事件の一ヶ月ほど前。何十パターンも生成させて、その中から選び抜いたような形跡があります」
「その曲は?」
「タイトルまでは特定できませんが……ファイル名に、〈新曲_マスター〉とあります」
井森は、静かに頷いた。
(――穂苅さんは、AIを使って作曲していた。それを、誰かに知られたくなかった)
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井森は、その足で、穂苅の所属レコード会社を訪れた。
対応したのは、ディレクターの西尾という男だった。
「穂苅さんの新曲、AIを使って作られていたという可能性、ご存知でしたか」
西尾は、目に見えて動揺した。
「……いえ、そんな話は、一切」
「本当に、ご存知なかった?」
「本当です。もし知っていたら、大問題になっていたはずです。うちのレーベルは、〈人間の手による音楽〉を売りにしているので」
「穂苅さん自身も、AIには批判的な発言を、公にされていましたよねぇ」
「ええ。インタビューでも、何度も。〈AIの音楽には心がない〉って、それが彼の口癖でした」
「なのに、実際には、それを使っていた」
西尾は、深いため息をついた。
「もし本当だとしたら……ファンへの裏切りです。彼の音楽性そのものが、ブランドだったので」
「その事実を知って、怒る人間に、心当たりはありますか」
西尾は、少し考えてから、答えた。
「穂苅さんと一番近い人と言えば、町田さんですね。町田哲太さん。学生時代からの親友で、二人とも〈アンチAI〉の急先鋒みたいな存在でした。よくSNSでも、二人で並んでAI音楽を批判する投稿をされていました」
「なるほど、なるほど」
井森は、手帳に何かを書きつけた。
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井森は、二人が並んで発信していたというSNSの投稿を、遡って確認した。
過去数年にわたって、穂苅と町田は、繰り返しAI音楽への批判を発信していた。
〈AIが作る曲には、魂がない。俺たちは最後まで、人間の手で音楽を作り続ける〉
〈今日も哲太とスタジオで語り合った。俺たちの誓いは、これからも変わらない〉
二人の絆の強さを物語る投稿の数々だった。
だが、事件の一ヶ月前を境に、穂苅の投稿の頻度が、急激に減っていることに、井森は気づいた。
そして、事件の二週間前――穂苅は、こんな投稿を残していた。
〈色々な形の音楽があっていいと、最近は思う。何より大事なのは、聴いてくれる人の心に届くかどうかだ〉
その投稿には、町田からの反応は、一切なかった。
(――この頃から、二人の間に、何かが起きていた)
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夕方、井森は再び、町田哲太を訪ねた。
町田は、自宅マンションの一室で、ギターを手に、放心したように座り込んでいた。
「町田さん。すみません、また伺いました」
「……何でしょう」
「穂苅さんのSNS、拝見しました。事件の二週間前の投稿、覚えていらっしゃいますか」
町田の肩が、わずかに強張った。
「〈色々な形の音楽があっていい〉という投稿です。あれ以降、お二人が並んで発信することが、なくなっていたようですが」
「……別に、特別な理由はありません」
「そうですかぁ。ただ、それまでは、ほぼ毎週のように、お二人でAI批判を発信されていましたよね。それが、ぴたりと止んでいる」
町田は、答えなかった。
「町田さん。もう一度、伺います。昨日――いえ、事件前日、康弘さんのスタジオで、何があったんですか」
「……何も」
「本当に、何も?」
井森は、穏やかに、しかし逃さない口調で続けた。
「実は、穂苅さんのパソコンから、作曲支援AIの使用履歴が、一部復元できたんです。事件の一ヶ月前、穂苅さんは、AIを使って新曲を作っていました」
町田の顔から、完全に血の気が引いた。
「町田さん。それを、ご存知でしたか」
町田は、震える声で、絞り出すように言った。
「……知りませんでした」
「本当に?」
「知らなかったんです!」
町田は、突然、声を荒げた。
「知っていたら……知っていたら、俺は……」
そこで、町田は言葉を飲み込んだ。
「知っていたら、どうされていたんですか」
井森は、静かに、しかし鋭く問いかけた。
町田は、両手で顔を覆い、それ以上、何も答えなかった。
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その夜、井森は、穂苅のスタジオを、鑑識と共に再度、徹底的に検証した。
凶器と見られるマイクスタンドは、すでに拭き取られ、指紋の検出は困難だった。だが、鑑識は、スタンドの金属部分に残された、微細な繊維片を発見した。
「これ、何の繊維でしょう」
井森が尋ねると、鑑識担当者は、慎重に答えた。
「高級カシミアのようです。一般的な衣類には、あまり使われない素材ですね」
井森は、事件当日の防犯カメラ映像――スタジオが入る雑居ビルのエントランス部分を、改めて確認した。
午後八時十二分、町田哲太が、ビルに入っていく姿が映っていた。
着ていたのは、グレーのコート。
井森は、その素材を、鑑識に照会させた。
「町田さんの持ち物、確認できますか」
所轄の刑事が、渋い顔をした。
「任意提出をお願いするしかないですね。令状を取るには、まだ材料が弱い」
「そうですねぇ」
井森は、頷いた。
「でも、ちょっと、気になることが、もう一つあるんですよ」
「何です」
「穂苅さんの遺体、発見された時の服装なんですが。上着のポケットに、小さなメモが入っていたそうで」
井森は、証拠品の写真を取り出した。
走り書きのようなメモには、こう書かれていた。
〈哲太に、話す。正直に。俺たちの音楽は、変わってもいい。友情は、変わらないはずだ〉
「これ、事件の直前に、書かれたものみたいなんです」
井森は、静かに、メモを見つめた。
「穂苅さんは、町田さんに、正直に打ち明けるつもりだった。友情は変わらないと、信じて」




