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刑事・井森正一の事件簿  作者: はまゆう


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第二十二話 不協和音(上編)

 ミュージシャン、穂苅康弘が死んだ。


 四十九歳だった。


 インディーズながら熱心なファン層を持ち、近年は海外配信を通じて評価を高めていたシンガーソングライター。その突然の死は、音楽シーンに小さくない衝撃を与えた。


『穂苅康弘さん、自宅スタジオで死亡』


『代表曲がビルボード・グローバル100入りしたばかり』


『警察は事件と事故の両面で捜査』


 詳しい死因は伏せられたまま、ただ、彼が死んだという事実だけが、音楽ニュースサイトの見出しに並んでいた。



 ――事件の三日前。


 都内の外れにある古い雑居ビル。その三階に、穂苅康弘が長年借りているスタジオがあった。


 防音材が剝き出しになった壁、年季の入ったミキシングコンソール、ギターアンプが積み重なった一角。学生時代から変わらない、雑然とした空気の漂う場所だった。


 その日、スタジオを訪れたのは、町田哲太。


 穂苅と同じ四十九歳。大学の軽音楽サークルで出会って以来、三十年来の付き合いになる、無二の親友だった。


 町田自身もミュージシャンとして活動していたが、こちらは鳴かず飛ばずのまま、今は音楽教室の講師で生計を立てている。それでも二人の友情は、一度も揺らいだことがなかった。


 二人には、共通の信条があった。


「AIの音楽には、心がない」


 それは、二人が酒を飲むたびに繰り返してきた、いわば合言葉のようなものだった。


 打ち込みやサンプリングとは違う。生成AIが人間のように作曲し、人間のように歌う時代が来ても、二人は頑なにそれを拒み続けてきた。


「魂を売った音楽が、売れる時代なんだよ」


 町田はよく、そう吐き捨てるように言っていた。


「だからこそ、俺たちの音楽には意味がある。人間が、人間の手で、人間のために作った音楽には」


 穂苅も、いつも深く頷いていた。


「俺たちは、最後まで人力でいこう」


 二人は、何度もそう誓い合ってきた。



 その日、町田がスタジオを訪れたのは、穂苅の新曲――海外でも評判になっている一曲の、制作過程を見せてもらうためだった。


 単純な好奇心もあったが、それ以上に、親友の快進撃を、自分の目で確かめたかったのだ。


「なあ康弘。あの曲、どうやって作ったんだ? コード進行、今までのお前らしくないっていうか……妙に緻密で」


 穂苅は、一瞬、言葉に詰まった。


「いや、まあ、色々試行錯誤して」


「試行錯誤って、具体的には」


 穂苅の視線が、机の上に置かれたノートパソコンへ、一瞬だけ流れた。


 町田は、その視線の動きを、見逃さなかった。


 パソコンの画面には、見慣れないインターフェースが表示されたままになっていた。作曲支援AIツールのロゴ。


「……康弘。それ、何だ」


 穂苅は、慌ててノートパソコンを閉じようとした。


「いや、これは、参考程度に……」


「参考程度って、どういうことだよ」


 町田の声が、みるみる低くなった。


「お前、まさか」


「哲太、聞いてくれ」


 穂苅は、観念したように、椅子に座り直した。


「最初は、本当に参考程度だったんだ。コード進行のアイデアが欲しくて、試しにAIに何パターンか出させてみた。でも……その中の一つが、あまりにも良くて」


「良くて、それで?」


「メロディラインも、AIに何十パターンも生成させて、その中から、俺が一番心を動かされたものを選んで、俺の言葉で歌詞を乗せた。歌ってるのは、正真正銘、俺自身の声だ。でも、曲の骨格――コードとメロディの大部分は」


「AIが、作った」


 町田は、呆然と呟いた。


「それが、あの曲か。ビルボードに入った、あの曲が」


「哲太、聞いてくれ。俺は、これを恥じてるわけじゃ……」


「恥じてないだと?」


 町田の声が、爆発した。


「俺たちは、何のために、あの誓いを立てたんだ! 〈AIの音楽には心がない〉って、お前が誰よりも熱く語ってたじゃないか!」


「時代が変わったんだよ、哲太」


 穂苅の声にも、次第に力がこもっていった。


「俺たちがどれだけ拘っても、世界はもう、そっちに向かって進んでる。俺は、生き残るために、道具として使っただけだ。歌詞は、俺の言葉だ。歌声も、俺の声だ。それの、何が悪い」


「魂を、売ったんだよ、お前は」


 町田は、震える声で言った。


「三十年、一緒にやってきた俺たちの誓いを、金と名声のために、簡単に捨てたんだ」


「金と名声のためじゃない。俺は、俺の音楽を、少しでも多くの人に届けたかっただけだ」


「それを、AIに手伝わせて?」


「悪いか」


 その一言が、町田の中で、何かを決定的に断ち切った。



 ――そして、事件当日。


 町田は再び、穂苅のスタジオを訪れていた。


 表向きは「仲直りの酒を持ってきた」という理由だった。実際、町田は高価なウイスキーの瓶を手に、笑顔でスタジオに現れた。


「康弘、この前は言い過ぎた。お前の音楽は、お前の音楽だ。それでいいじゃないか」


 穂苅は、心底ほっとした表情を浮かべた。


「哲太……ありがとう。分かってくれて」


 二人は、久しぶりに肩を並べて、グラスを傾けた。


 昔話に花が咲き、学生時代の武勇伝、初めてのライブハウスでの失敗談、互いに笑い合った。


 だが、町田の胸の内では、まったく別の感情が渦巻いていた。


(――この男は、俺たちが積み上げてきた三十年の誓いを、たった一曲のヒットのために、あっさり裏切った)


(俺は、こいつのために、ずっと燻り続けてきたのに。売れない音楽を、それでも人力で作り続けてきたのに)


 酔いが回った穂苅が、機材の配線を直そうと、スタジオの奥、アンプが積み重なった一角へと屈み込んだ、その瞬間だった。


 町田は、傍らに置かれていたマイクスタンドの重い金属製ベースを、両手で掴んだ。


 迷いは、なかった。


「悪いな、康弘」


 町田は、力の限り、それを振り下ろした。


 鈍い音が、防音材に覆われたスタジオの中に、静かに吸い込まれていった。



 町田は、荒い呼吸を整えながら、床に倒れた親友を見下ろした。


 まだ、息はあった。浅く、しかし確かに。


 町田は――迷わなかった。


 傍らに転がっていた、防音用のクッション材を、穂苅の口元に押し当てた。


 穂苅の手が、虚しく宙をかき、やがて力を失って落ちた。



 町田は、乱れた呼吸を整えると、恐ろしいほど冷静に動き始めた。


 まず、穂苅のノートパソコンを開き、作曲支援AIツールの使用履歴を、可能な限り削除した。プロジェクトファイルの中から、AIが生成した元データも、丹念に消去していく。


(――康弘の名誉のためだ。あいつが〈AIに頼った〉なんて事実が世に出れば、康弘のファンも、業界も、大混乱になる。それだけは、防いでやらないと)


 町田は、自分にそう言い聞かせながら、作業を続けた。だが、その手の震えは、最後まで止まらなかった。


 凶器のマイクスタンドは、丁寧に拭き上げ、元の場所に戻した。


 そして、ウイスキーの瓶とグラスを、穂苅が一人で深酒をして、機材の配線中に足を滑らせ、頭を強打したように見せかける形で配置し直した。


「悪いが、康弘」


 町田は、死んだ友に向かって、静かに呟いた。


「お前の音楽は、俺の音楽でもあった。それを、機械に汚されたままには、しておけない」



 翌日の午後、スタジオを訪れたレコード会社のディレクターが、床に倒れた穂苅を発見した。


 通報を受けて駆けつけた所轄の刑事たちは、当初、酔った上での転倒事故という見立てで捜査を進めていた。


 その現場に、よれたベージュのコートを着て、片手に安っぽいビニール傘を提げた男が現れたのは、それから一時間後のことだった。


「あの、すみません……ちょっとよろしいですかね」


 規制線の前で、若い刑事に申し訳なさそうに声をかける。


「捜査一課の井森と申します。この現場、担当することになりまして」


「あ、井森警部……! 失礼しました、どうぞ」


 井森正一は、ぺこぺこと頭を下げながら規制線をくぐった。


 雑然としたスタジオの中を、ゆっくりと見回す。


「賑やかな場所ですねぇ」


「ミュージシャンの方の仕事場ですから」


 所轄の刑事が答えた。


「ホシガレ……穂苅康弘さん、でしたっけ。最近、海外でも人気が出てきてたそうですね」


「ホカリです。ビルボードのランキングに入ったばかりだったそうです」


「へえ、それは、大した快挙ですねぇ」


 井森は、机の上に置かれたノートパソコンに目を留めた。


「これ、開けさせてもらってもいいですか」


 パソコンを起動させると、画面には、何の変哲もない音楽制作ソフトの画面が表示された。


 だが、井森の目は、デスクトップの隅に、ごく小さく残されたショートカットアイコンに留まった。


 見慣れない、シンプルなロゴ。よく見なければ気づかないような、小さなアイコンだった。


「これ、何のアイコンですかねぇ」


 所轄の若い刑事が、覗き込んだ。


「さあ……何かの作曲ソフトじゃないですか」


「そうかもしれませんねぇ」


 井森は、手帳に何かを書きつけると、静かにパソコンを閉じた。



 その日の夕方、井森は、穂苅の親友として真っ先に駆けつけていた町田哲太に、話を聞くことになった。


 町田は憔悴した様子で、スタジオの外の廊下に座り込んでいた。


「町田さん、ですよね。穂苅さんとは、長いお付き合いだったとか」


「三十年です」


 町田は、うつろな目で答えた。


「学生時代からの、親友でした」


「そうですかぁ。それは、さぞお辛いでしょう」


 井森は、労わるように言った。


「昨日、こちらに来られたそうですね」


「……はい。仲直りの酒を持って」


「仲直り、ということは、何か揉め事でも?」


 町田は、一瞬、言葉に詰まった。


「いえ、大したことでは。音楽の方向性について、少し意見が合わなかっただけです」


「音楽の方向性、ですか」


 井森は、興味深そうに手帳を開いた。


「お二人とも、ミュージシャンでいらっしゃいますもんねぇ。意見が合わないことも、あるでしょう」


「ええ、まあ……よくあることです」


「昨日は、何時頃までご一緒に?」


「午後十時過ぎまでです。二人で飲んで、笑って……別れる時は、すっかり元通りの、いい雰囲気でした」


「そうですかぁ。それは、良かったですねぇ」


 井森は、静かに頷いた。


 そして、少し間を置いてから、思い出したように付け加えた。


「あ、そういえば。町田さんも、音楽をされてるんですよね」


「はい。今は音楽教室の講師ですが」


「昔から、AIを使った作曲とかには、あまり興味がない方ですか」


 町田の表情が、一瞬、強張った。


「……なぜ、そんなことを?」


「いえいえ、単なる世間話です」


 井森は、へらりと笑った。


「最近、AIで作った曲が流行ってるみたいで、ちょっと気になったもので。ミュージシャンの方々って、その辺、どうお考えなのかなあと」


「私は……好きではありません。人間の音楽には、機械には出せない、心があると思っていますから」


「穂苅さんも、同じお考えでしたか」


 町田は、わずかに間を置いてから、答えた。


「ええ。あいつも、ずっと、そう言っていました」


 その返答に、一瞬だけ滲んだ躊躇いを、井森は、見逃さなかった。


「そうですかぁ。まあ、今日のところは、これくらいで。町田さんも、お疲れでしょうから」


 井森は、コートの裾を揺らしながら、スタジオを後にした。


 だが、廊下を歩き去る背中を見送りながら、町田哲太の額には、じっとりとした汗が浮かんでいた。


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