表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刑事・井森正一の事件簿  作者: はまゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/55

第十七話 真贋(中編)

数日後。井森は再び博物館を訪れた。今度は、事故があった収蔵庫を見せてほしいと言った。館側はしぶしぶ承諾した。担当の学芸員が案内し、地下へと続く階段を降りる。


「ここです」


開かれた収蔵庫。移動式の巨大棚が並んでいる。その中で、安西が死亡した棚には、黄色いテープが張られている。井森はその前に立ち、棚の隙間を覗き込んだ。


「怖いですねぇ。ここで潰されたんですよね」


「事故です。棚の操作ミス——」


「操作ミス?」


井森は棚の操作盤を見た。ボタンとレバー。シンプルな構造だ。


「この棚、操作するのに資格が要るんですか」


「いいえ。誰でもできます。ただし、十分な訓練を受けたスタッフだけが——」


「安西さんは、訓練を受けてた」


「……はい」


井森は床を見た。ガラスケース搬入用の跡。靴跡。指紋。彼はしゃがみ込み、床の隅にできた小さな傷をじっと観察した。そして、もう一度立ち上がり、棚の操作盤を指差した。


「この盤、指紋取れました?」


「多くのスタッフが触れていますから——」


「安西さんの指紋は?」


「……ついていました」


「事故なら当然ですね。自分で操作したんだから」


井森はうなずいた。しかし、すぐに続ける。


「でも、黒川さんの指紋は?」


学芸員は言葉を失った。


「ついてなかったんでしょう?」


「……はい」


「黒川さんは、事故後にここに来てない?」


「来ていません。事故の時は、別の場所に——」


「でも、安西さんは黒川さんに電話してるんですよね。『先生、ちょっと見てほしいものがあって』って」


学芸員は答えなかった。


井森はスマートフォンを取り出し、通信記録を表示した。


「安西さんは、死亡する直前に黒川さんに電話をかけている。そして、電話の後、ここで作業を続けた。つまり——黒川さんは、電話の後にここへ来た可能性がある」


「それは——」


「来ていないと言うなら、アリバイを確認しますよ」


学芸員は黙った。


井森は棚の下部を見た。金属の脚部。床から十センチほどの高さ。彼はしゃがみ込み、その部分をじっくりと観察した。


「低いなぁ」


「何がですか」


「いや、なんでも」


井森は立ち上がった。


「もう一ついいですか」


「……何です」


「この棚、警告音が鳴ったそうですね」


「ええ。稼働時の安全警報です」


「その音、どのくらいの大きさなんですか」


「……かなり大きいです。収蔵庫中に響きます」


「じゃあ、隣の部屋にも聞こえる?」


「聞こえます」


「なるほど」


井森はうなずいた。


「じゃあ、安西さんが助けを呼ばなかったのはおかしい。あの警報音が鳴ってから、棚が完全に閉まるまで、どのくらい時間があるんですか?」


学芸員は考え込んだ。


「……十秒ほどです」


「十秒。逃げようと思えば逃げられる時間ですね。でも、安西さんは逃げなかった。なぜか」


「それは——」


「逃げられない状況だったからです。どこかに挟まれて、動けなかった。もしくは——誰かに、逃げるのを妨害された」


学芸員は何も言わなかった。


……


井森はその足で、黒川の研究室を訪れた。


部屋は広く、本棚には美術史の専門書がぎっしりと並んでいる。机の上には、ルーペと鑑定書。壁には、歴代の館長たちの写真。黒川は窓際に立ち、外の景色を見ていた。


「お忙しいところ、すみません」


井森はソファに座り、周囲を見回した。部屋の隅には、修復用の道具箱。その横に、小さな金属製のケース。


「安西さんのことですが」


「……事故です」


黒川は振り返らずに答えた。


「そうですか」


「ええ。収蔵庫の事故は、時々起こります」


「時々、ね」


井森は小さく笑った。


「安西さんが、あなたに電話をかけたのはご存じですか?」


黒川は一瞬、言葉に詰まった。だが、すぐに答える。


「……知っています。仕事の相談だったと」


「仕事の相談?」


「ええ。屏風の修復について」


「群青の件ですか」


黒川の肩が、わずかに震えた。


「……何の話です」


「安西さんは、あの屏風が贋作だと発見した。そして、それをあなたに報告した。それを知ったあなたは、彼を——」


「証拠はありますか」


井森は首を振った。


「まだありません。でも——」


彼は立ち上がり、窓の外を見た。博物館の裏手には、広い庭園が広がっている。その向こうに、収蔵庫の入り口が見える。


「あなたは、安西さんが事故死する前に、収蔵庫に来た。彼を押して、棚の前に閉じ込めた。そして、警告音が鳴っている間に、操作盤を動かして——」


「そんなことが、可能だと思いますか」


「可能だと思います」


井森は振り返った。


「あなたは、美術の専門家だ。でも、機械にも詳しい。この博物館で三十年、収蔵庫の構造を知らないはずがない」


黒川は黙った。


井森は一礼して、部屋を出た。しかし、その目は、まだ何かを見つけていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ