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刑事・井森正一の事件簿  作者: はまゆう


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第十話 再生数という名の怪物(下編)

井森がヒビキを直接尋問する日が来た。

場所は警察署の取調室。ヒビキの弁護士が同席している。井森はその前に、準備しておいた資料を広げた。

「久我さん、まずはカノンさんとの関係について、もう一度確認させてください」

「……何度も言ってます。仲は良かった。事故です。ただの事故」

「事故でしたか」

井森はゆっくりと、スーツの内ポケットから数枚のプリントを取り出した。

「これは、カノンさんが弁護士に宛てたメールのコピーです。あなたとの離婚と、それに伴う“暴露”について書かれています」

ヒビキの顔色が変わった。

「あなたがパートナーとして、カノンさんを軽視していたこと。収益の分配が不公平だったこと。そして——あなたが過去に別の女性に対して行った、ある“行為”について」

「そんなの——」

「事実無根ですか?」

ヒビキは口を閉ざした。弁護士が口を挟もうとするが、井森は続ける。

「カノンさんは、暴露するつもりだった。あなたのキャリアは終わる。登録者数も、収入も、すべて失う。だから——あなたは先に彼女を消すことを決めた」

「証拠はあるんですか」

弁護士が厳しい口調で言った。

「今のは推測に過ぎません」

「ええ、推測です。でも——」

井森は別のプリントを取り出した。

「これがどうでしょう。『truth_seeker_1029』というアカウント。事件の前に、『カノンは死ぬ』というコメントを書き込んだアカウントです」

ヒビキは無表情を保っている。

「あなたがこのアカウントの持ち主だという証拠があります」

「そんなはず——」

「文体の一致。投稿時間のパターン。そして——」

井森はスマートフォンを取り出した。

「事件の前日、あなたは自宅で配信をしていました。その配信中に、この『truth_seeker_1029』からコメントが書き込まれています。つまり、配信を見ていた誰かが、別の端末を使って書き込んだ。あなたの家にいたのは、あなただけです。カノンさんは外出中でした」

「誰かがリモートで——」

「その可能性も考えました。でも、配信中に接続していた端末は、あなたのパソコンとスマートフォンの二台だけ。あとは視聴者の端末ですが、それらはすべて外部から接続されています。このアカウントだけが、接続元のIPアドレスをVPNで隠していた——でも、VPNを経由する前の、オリジナルのIPアドレスが、プロバイダーのログに残っていました」

ヒビキの口がわずかに開いた。

「そのIPアドレスは——あなたの自宅のものです」

沈黙。

取調室に冷たい空気が流れた。

「あなたは、誰にも知られずに“未来予測”を書き込むことで、事件を“予言された運命”に見せかけようとした。でも、その逆効果でした。あまりにも正確すぎた。そして、そのアカウントがあなたの自宅から接続されていた。」

「……私の自宅にいたのは、私だけじゃない」

「カノンさんは外出していた——と、あなた自身が言いました。さっき」

ヒビキは何も言えなかった。

弁護士が「黙秘します」と言おうとしたが、ヒビキは手で制した。

「……そうだ。私がやった」

井森は驚かなかった。

「なぜ、認めるんですか」

「もう……いいからです」

ヒビキの声はかすれていた。

「彼女は、すべてを壊そうとしていた。私が七年かけて作り上げたものを。登録者数、チャンネル、収入——すべてを」

「だから殺した」


「事故に見せかければ、誰も疑わないと思った。コードの被膜は自然劣化に見えるように削った。古民家という環境も、古いドライヤーも、全部計算済みだった。ただ——」

「ただ?」

「コメント欄に書き込んだのが、失敗だった」

井森は静かに言った。

「あなたは、あまりにも“完璧”を求めすぎた。事故を“運命”に見せるために、予言者のフリをした。でも、その予言がリアルすぎた」

「……あのアカウントは、削除するはずだった。でも、事件の後でログインしようとしたら、パスワードを忘れて——」

「パスワードを忘れた?」

「おかしいですよね。自分で設定したのに」

井森は軽く笑った。

「人間は、誰でもそういうミスをやらかします。特に、追い詰められた時は。」

ヒビキも、小さく笑った。

自嘲するように。


……


取調室を出た後、井森は廊下で立ち止まった。

斎藤刑事が後ろから来た。

「井森さん、よくあのIPアドレスを——あれ、本当にプロバイダーから取れたんですか」

「いや。嘘だよ」

「え?」

「あのアカウントのIPアドレスは、VPNで完全に隠されていた。プロバイダーにも残っていない。でも、彼に「残っている」と言えば、自分のアカウントだと認めるかもしれないと思ったんだ。あとは、まあ——」

「ブラフですか」

「刑事の常套手段ってやつです」

井森はポケットから煙草を取り出した——吸わずに、くるくる回しながら。

「犯人はね、完璧を目指せば目指すほど、自分の中に“隠し事”を作りたくなる。でも、その隠し事が一番脆い。誰にも言えない、誰にも見せられない——たった一つの綻び。今回は、それがコメント欄だった。」

「でも、もし彼が否定し続けていたら?」

「その時は、別の綻びを探すまでです。人間がやることですから、必ずどこかに残っている。たとえスマートロックでも、たとえVPNでも——人が絡めば、必ず痕跡は残る。」

井森は煙草をしまい、歩き出した。

「さて、次は被害者のご両親に説明しに行かないと。娘さんが“ただの事故”で死んだわけじゃないって。誰かの悪意で殺されたんだって——それは、伝えないといけないことだから。」


……


後日。

井森は署のデスクで、ネット上の反応を何気なく見ていた。

事件の詳細はまだ公開されていない。世間は“インフルエンサー夫婦の悲劇”として消費している。コメント欄には、哀悼の言葉と、相変わらずの陰謀論が溢れている。


その中で、一つだけ——彼の目を引く投稿があった。

「ヒビキ、お前がやったんだろ。知ってる。いつか必ずバレる」

このアカウントのプロフィールを見ると、カノンの実姉だった。

井森はため息をついた。

「……もうバレてるよ。少なくとも、私たちにはね。」

彼はスマートフォンを置き、椅子の背もたれに寄りかかった。

天井の蛍光灯が、ぼんやりと光っている。

——人は、“見られたい自分”を作り上げるために、どれだけの嘘を重ねることができるのだろうか。

そして、その嘘が崩れる時、何が残るのだろうか。

井森にはわからない。

ただ、一つだけ確かなことがある。

——綻びは、必ずどこかに残る。それがたとえ、何百万の視聴者の前で演じられた完璧なショーであっても。

事件は終わった。

しかし、その傷は、これからもずっと残り続ける。

誰かの心の中で。誰かのコメント欄の中で。

そっと。静かに。


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