第六話 黒い聖者と罪ある女 (下編)
――完璧を求めた人間が、最も人間的な“ずれ”で崩れる。
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1. 貸切のステージ
数日後。
『ブルー・クレセント』は営業前で、照明も半分しか点いていない。
ステージ中央に、エリカが立っていた。
黒いワンピース。
背筋はまっすぐ。
その姿は、まるで“処刑台に立つ聖女”のようだった。
客席には、井森刑事が一人。
「いやぁ、貸切とは贅沢ですね」
缶コーヒーを開けながら、眠そうに笑う。
「今日こそ、“本当の音”を聞かせてもらえますか」
「本音って意味ですか?」
「まあそうです。」
エリカは答えない。
ただ、静かに息を吸った。
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2. 「証拠があるんでしょう」
「証拠があるんでしょう?」
エリカの声は、これまでと同じく揺れがなかった。
だが、その奥にある“硬さ”は、明らかに違っていた。
井森はスマートフォンを取り出す。
「ありますよ。あなたの、ですね」
エリカの表情が、初めてわずかに崩れた。
「削除しても無駄です。音は残る。痕跡も」
井森は画面を操作し、再生ボタンを押した。
店内に流れたのは、重低音の響く楽曲。チャールズ・ミンガスの『黒い聖者と罪ある女』。複雑なリズムと不安感を掻き立てる音がミックスする。
だが――
どこか異様だった。
その奥に、微細な“異音”が混じっていた。
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3. 「この中に、もう一つ“音”がある」
「分かりますか?」
井森は言う。
「この中に、もう一つ“音”が混じっている」
エリカは目を閉じた。
「……隠しビート」
「そう。
あなたが佐伯さんの心拍と同期させるために作った“誘導ビート”」
「人聞きの悪い。今風にダンスホールというジャンルのビートを重ねたリミックスにしただけです。」
井森は指で一定のリズムを刻む。
「飲むタイミング、呼吸、体の揺れ。
全部、このビートで誘導できる」
エリカの肩が震える。
「つまり、あなたは――」
井森の声は変わらない。
「彼の行動すら“演出した”」
長い沈黙。
エリカは、わずかに笑った。
「……完璧だったはずよ」
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4. 「完璧すぎたんですよ」
「ええ」
井森は頷く。
「完璧すぎた」
缶コーヒーを一口飲む。
「事故に見せるなら、もっと雑でいい。
人間らしくね。
でもあなたは違った。
“理想の死”を作った」
その言葉は責めていない。
ただ、事実として置かれる。
エリカの指先が震える。
「……それが、罪?」
「罪ですよ」
井森は静かに言う。
「でもね、あなたの完璧さには“穴”があった」
エリカの目が細くなる。
「穴……?」
「あなたのプレイリストにあった“次の標的”の音源とメモアプリに記されたこのクラブのオーナーの持病と薬の情報です」
エリカの瞳が大きく揺れた。
「あなたは、佐伯さんだけじゃ終わらなかった。
自分が歌手でい続けるために邪魔な人を、次々に似たような突然死で送り出すつもりだった」
エリカの唇が震える。
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エリカの顔から血の気が引く。
「……そんな……」
エリカは膝から崩れ落ちた。
完璧な歌声ではなく、
生々しい嗚咽が、初めて彼女の喉から零れ落ちた。
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6. 「これは事故じゃない。演奏ですよ」
遠くで、サイレンの音が聞こえ始める。
井森は立ち上がる。
「これは事故じゃない」
一拍置いて、静かに言う。
「演奏ですよ。あなたの。
完璧を追い求めた人間が作った、最も残酷な“曲”だ」
スポットライトがゆっくりと落ちていく。
エリカはステージの中央で泣き続けていた。
その姿は、
完璧な歌姫ではなく、
ただの一人の人間だった。
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7. エピローグ:不協和音の余韻
数日後。
井森は、公園のベンチで安物の缶コーヒーをすすっていた。
「いやぁ、やっぱり音楽は、鼻歌くらいが一番ですよ」
風が吹く。
木々がざわめく。
「……完璧な殺人は、結局、不協和音を残すものだ。
俺は、そんな音を聞くのが嫌いじゃないがね」
ヨレヨレのコートをはためかせ、
春の穏やかな風の中へ歩き去っていった。




