第35話:こうかい
──ビル、いつまで寝ているつもり?
懐かしい声が聞こえる。
──ねぇ、ビル。もう学院に行く時間よ、いつまで寝ているの?
煩い。学院なんて行ったって意味なんかない。閑で疲れるだけだ。どうせ講義を受けたって、途中で具合が悪くなって連れ出されるだけ。なら最初から屋敷から出なければ良い。家庭教師でも雇ったほうが早そうだ。
──ああもう、早くしないとまたお迎えが来ちゃうわ。ハードリューク様に迷惑かけるつもり?
リューク。その名前にぴくんと反応する。
──済まない、ビル。済まない……。
なんで謝るんだよ、別に目を逸らされたって、罵詈雑言を吐かれたって、俺は気にしない。だっておまえの云っていることは正しいから。おまえの俺を見る目は、正しいから。無理に俺を生かそうとする親父のほうが狂っている。なんの価値もない俺を残してどうするつもりなのだろう。
──おい、起きろ。おい、ビル、ビル殿。
だからリューク……ビル、殿?
何かが違うとそこでようやく重たい目を開けると、うっすらとした景色の中に、故郷の顔ではないのに、見飽きたと思えるほど見ている将軍の顔が浮かび上がる。ああ将軍だとわかった時点で、少しは頭が動いているのだと実感できた。そしてこの将軍が、何所かしら従兄のリュークに似ていることに今頃気が付く。
「お、気が付いたな」
気が付いたは気が付いた。……ああそう、あの俺を連れ出す無茶な作戦の結果、俺はまたこうして将軍と話すことができているのだ。
「貴殿が倒れたとネイシャが血相を変えて飛んで来てな、私は運んだだけだ。気分はどうだ?」
「……ああ、とんでもなく悪い」
「無理もない、初めてなのだろう」
云われてなんのことかわからず首を傾げれば、いつの間にか寝台の横に立てかけられていたそれが目に入る。俺が故郷から持って来た剣。高等部の剣術大会以来使っていない代物。それを見て、人を切った事実を思い出す。どうにも気分が悪いのは、それもあるのか。
だがそんなことすら忘れかけるほどに、今の俺はまだ体調が万全ではない。
「最近調子に乗ってたけど、俺の心臓そんな強くないからすぐへたる」
「え?」
「閉じ込められてたところも空気が薄くて、呼吸するのが難しかった。それだけ」
喘息は薬を飲んでいればひとまず治まる、問題は不整脈のほうだ。薬は一時的なもので飲んですぐに動いたら、結局はそれ以上に酷くなることもある。何所まで俺の身体はしょぼいのかわからないが、治るはずの薬を飲んで副作用に負け、寝込んだことは数えていられないほどだった。おかげで国中の薬師が家に押しかけたほどだ。今は流石に一番安定したものを飲んでいるが、それでもこういう無茶をすると体調が悪くなる。
本当なら大人しくしていなければならなかったのだが、剣を振り回し人を斬るという重労働をしたのだ。我ながら貧弱だとは思うが、倒れてもおかしくはない。
俺が自分の無謀さに納得したところで、将軍が突然頭を下げて来た。
「──済まない」
「え?」
この人の行動は、たまにわからない。俺がぼけっとしている間にも、将軍はすまないとまた頭を下げ直す。
「まさかそこまで酷い病を持っているとは知りもせず、今まで酷使させてしまった……済まない」
ああ、この人はレイヴンの話、真に受けてなかったんだ。まぁ確かに、それが正しい。見た目からしてただのやる気のないだけの男にしか見えないだろう。病人、貴族、どちらも俺を構成する一つではあるが、どちらも信じてもらえない点では同じだ。
「あんたが頭下げることじゃあないだろ。俺が自分からやってるんだから自分の責任だ」
要するにそれで死ぬこととなっても、俺は後悔しないということ。だって俺はぼんやりとそれを望んでここに来たのだから、酷使されたところで自分の選んだことだったら文句もない。
ただ、将軍たちにはいろいろと迷惑をかけ過ぎた。ここまで騒がせておいて、流石に黙っているわけにもいかない。話があるんだけどと前置くと、将軍は律儀に下げていた顔を上げ、そのまま首を横に振った。
「細かいことは良い、だいたいわかっている」
「は?」
「私は天帝配下の軍人だからな、些細なことでも一つひとつ天帝に報告をするのが義務だ」
「……で?」
「天帝にも話は通している。だいたい、ビル殿のことはわかっている」
「え?」
「精霊に守られしアリカラーナ王国より、この狂った大陸に来る王族なんて貴殿ぐらいだろうな」
アリカラーナ、それが俺の母国であり、縛られる国。世界の中心に位置し、精霊によって守られる不自然な形をしたおかしな国。アリカラーナがこのローズサウンドで、無駄に神格化されていることは知識として知っていた。だが俺がそれを身を持って知ったのは、初めて国を出た北大陸でのことだった。理由もわからず攫われそうになり、アリカラーナから来た者は、どんな大金よりも価値があるのだと説明された。なんでも神聖視されるその国に入ることのできるチャンスと、その国の神聖なる血液が手に入るからだ。
おかげで北国では知人に多大なる迷惑をかけた。
莫迦な俺でも学習はする。北大陸では平然とアリカラーナから来たと云っていたが、ここでは身分は明かさないよう、出身国も曖昧にぼかしたままにしていた。長居をすると厄介な奴らが出て来るから、あまり関わらないように深入りしないように、そうして余所の国を渡って来た。それがこの結果とは、あまり成長していないのかもしれない。
だがそれだけ一応は隠して来た身分である。あの神官連中は怪しげだからまだしも、天帝とやらはいったい何所でそのような情報を手に入れたのだろう。
「新しいと云えどここも一つの国だからな、入国してきた異国人のことは調べるさ。当然だろう、貴殿は変なところで抜けているな」
……ああそうですか。同意します。
「まぁさらなるネタばらしをするなら、貴殿の連れは非常に用心深いということだ」
「連れ?」
それがレイヴンを指していることを理解するのに時間がかかり、それからすべてがつながっていく。俺は本当に間が抜けている。俺の命を第一に守らなければならないレイヴンなら、北国での失敗を生かしてきちんと周囲に警戒をするだろう。警戒しようとしたところで天帝の部下というものに出会ったらそりゃあ喰いつく。
「じゃあだいぶ初めから知ってたわけ?」
「ああ、リヴァーシンの平定を始めた時、レイヴンが手伝ってくれただろう?」
ネイシャを連れて宿に帰った時、そういえばレイヴンは将軍と共に残ったのだ。あれから数日たまに居たり居なかったりを繰り返していたが、そういう理由だったのか。自分の間抜けさに呆れが加わって、何も云い返す気になれなかった。
「もちろん知っているのは天帝配下の軍人だけだ。町の人間はまだ知らないから安心しろ」
安心しろと云われても、もうあんな怪しい連中が来ないのなら別にばらしたって問題ない。あんな怪しい連中が来て復興したカーヴレイクに変な傷がつくのが嫌だっただけだ。
「まぁネイシャにしろ貴殿にしろ、ここに居る間は、我々が守るさ」
そう云って微笑む将軍に悪意などまったくなくて、それを見るとここに来た動機の不純さに、流石の俺でも申し訳なく思える。死ねるのなら死にたいと思ったからこの大陸に来たなどと、そう簡単にこの人たちには云うことができない。ルリエールに叱られた時にようやく気付いたが、俺はその理由が非常に不謹慎であることを知った。あまりに遅過ぎることだが、ここで死にたいなどと云えば、おそらく全員が敵に回ることだろう。
ここでは死ぬことより、生きることのほうが稀だったのだ。
たった一つの死で逃げている俺なんか、実にちっぽけだ。
「リュース!」
「お、ネイシャ。もう大丈夫だぞ」
部屋に飛び込んで来たネイシャを出迎えると、将軍は優しく頭を撫でる。だが彼女はそれさえも簡単にやり過ごして、俺が寝ている寝台へと駆け寄って来た。
「リュース、大丈夫?」
「平気」
「熱は?」
「……ないんじゃないか」
知らないけど、出たら出たで3日はまた寝込むのか。面倒くさい。
「医者に診てもらった限りでは、無茶のし過ぎということだ。自分の身体が弱いことぐらいわかっているのだろう。──もう少し自分を労わってやれ」
将軍は朗らかに笑ってはいたものの、最後は少しトーンが違った。俺が何を望んでここに来たのかも、もしかしたら天帝ってやつはわかっているのではないか。俺が母国で省かれたことも、俺が母国から逃げて来たことも、この大陸に何をしに来たかも、すべて天帝とやらは知っているのではないかとさえ思った。
「リュース、帰れる?」
しばらく将軍に目が行っていた俺に、ネイシャは俺の手を掴んで懇願するように訊いて来る。
「ああそういや、ここ何所?」
「シーバルトの船内、シヘキ号の医務室だ」
「……え?」
船の中だったのかと思うほど、あまりに普通の内装だったので気が付かなかった。
「我々の陣中にはまだややこしい病を持つものも居るし、怪我人も多いからな。ジョーが貴殿を担いで運んでくれたのだ」
それは非常に、嫌なことをさせた。
小さく溜め息を吐いて下を見れば、俺をじっと見て来るネイシャの目とかち合う。じっと俺を見る目は実に純粋で、俺の汚れ切った内部とはまるで違う。
「帰ろう、リュース」
でもなぜか否定することもできなくて、そう云って手を引っ張られると、俺は小さく頷いた。
・・・・・
迷惑をかけ通したことぐらい、流石の俺でも感じていた。だから船内に響く三味線の音を頼りにジョーを探せば、彼は甲板で珍しく座ったまま三味線を弾いていた。隣では黙ってデヴィットが、琴をつま弾いている。俺のやる気ない歩き方とネイシャのちびちびした足音にすぐ気付いたらしく、演奏を止めて手を上げた。
「お、起きたな。顔色は悪いけど」
「あー、いろいろ悪かった」
「別に、俺は何もしちゃあいないからさ」
そう云って笑うジョーの顔は、何所となく曇っている。いつもの煩いぐらいのジョー・クルーではなく、何所かに気持ちを置いて来たような、不完全な気がした。
「ヤオン=ヤードはまだ、捕まっていない」
俺よりも固執しているとさえ思う、ジョーのヤオン=ヤード捕獲の件。だがいつだったか逃した時より、ジョーの心は凪いでいるように思えた。
「そのうち捕まるだろ」
「そう思えたら、良いんだけどさ」
あーと唸りながらがりがりと頭を掻くジョーは、言葉にできない何かを持っているようだ。器用なようで不器用なところがあるものだと、俺はでかい船長を見ながら思う。
「大将の悪い癖だ、気にすることはない」
隣でディヴィットは、実に涼しい顔をして云う。その足から既に義足が外されており、車椅子のいつものデヴィットに戻っていた。刀を持たなければ、物静かな好青年に見える。ただひとたび刀を持てば、こいつの前に剣を持って立つことも躊躇う気がする。
「悪いくせってなぁ! まぁ悪いんだけどよー、すっきりしねぇなぁ……」
云いながら小さく弦をはじくと、いつもの勢いのあるジョーの音とは思えないほど物静かだ。東の国の貴族という立場が当てはまりそうな、そんな上品な音色だった。
「なぁ、ビル。教会で神官を逃した時、術をかけられただろう?」
「……ああ」
非常に不快だった。あいつの術はいつでも不快だ。神官とやらが来るのはかまわないだが、あの術をかけられるのは非常に不愉快だ。
「あれって今は進んでいる心を、引き戻すんだと。心が引っかかるところまで戻す。要するに納得いってないところ、後悔してるところまで引き戻すんだ。──おまえは、何を見た?」
納得のいかない、後悔しているところ。
そう云われて、俺は妙に納得する。俺が見たのは、あの日あの屋敷。屋敷を出た俺が見たのは、侍女が連なってあいつを連れて来るところ。縋り付いてやめてくれと叫んだ自分。従兄を叱責して俺を生かそうとした親父。
俺の引っかかりは、結局あそこからか。本当はもっと違うものだと思っていた。病弱なのに生き続け、そこに金を払いながらも何もできない俺の存在価値のなさ。何をやっても懸命になれなくて、何をやってもまるで従兄姉の真似をしている気がして、俺が俺として生きている意味がわからなくて。それでも俺を生かそうとするあの生ぬるい国が、とても気持ち悪くかった。
だけどきっと、そんなのは後から俺が付けた理由だ。ただ俺は、あの日が、忘れもしない、四年前の9月14日。あれ以来、自分が害悪にしか思えなくなった。
「あいつが死んで俺が生き返った、あの時」
「え?」
「いや──一度死にかけて、生き返った時だった」
そう、俺はあそこから引っかかっている。どうして俺は、生き返ってしまったんだろう。死んでもいなかったんだろうけど、俺はたぶん、あのまま死ぬはずだったんだ。それを生き延びることができたのは、俺だけが生き延びられたのは、なんでなんだろう。
──私の寿命を、ビルにあげる。
莫迦みたいだ。 あまりにも莫迦莫迦しくなってジョーへ視線を転じれば、なぜか間の抜けた顔をしている。
「……なんだよ」
「いや、答えてもらえると思ってなかったからな」
「大したもんでもない。一度病気で死にかけただけだ」
「おまえ、そんなでかい病気だったのか?」
「生まれつきだからな。でも四年でもうこんなぴんぴんしてるし、もう平気だろ」
「……たった四年前の話かよ」
そう、たった四年前。忘れもしない、十四歳の秋。俺の世界は閉じられて、世界から色は消えた。
じゃあ次、とジョーは三味線を抱え直すと、デヴィットに向き直る。
「デヴィット、おまえは何を見た?」
「俺に振るか」
「いやぁ、まさかこんな展開になるとは思わなかったけど、おまえには訊こうと思っていたからさ」
そういうジョーはなんだか楽しそうで、答えるデヴィットも戦の時のあのぴりぴりした雰囲気とは違う。
「残念ながら俺は、下らないものしか見ていない」
「だからそれが何か訊いてるんだよ」
「足を斬られた時のことだ」
──でも唯一その戦で、後悔しているみたいなんです。一度だけ、云われたことがあります。足が斬られても腕は斬られなかったのだから、刀が持てるのなら最後まで戦うべきだったと。
千鶴の言葉をそのまんまにしているデヴィットは、実に穏やかな口調で答える。
「腕は残っていたのだからもっと戦うべきだったと、何を云われてもそればかり考える」
「でも千鶴と俺は、おまえをあそこから引きずり出したこと、後悔していない」
「そうだ。後悔なんて人それぞれだ。俺が後悔したのは、それぐらいだからな」
あまりにもあっさりと交わされる「後悔」とやらに、俺は言葉が出て来ない。何を考えたところで足を斬られても戦う理由なんてわからない。だが助けられたことが一番の後悔というのは、わかった気がした。俺が親父に助けられたこと、それは後悔に近いかもしれない。
──だからね、おまえは僕を恨めば良いよ。ビルスケッタ。
親父に何度か云われた言葉が、ふと蘇ってきた。俺を殺してくれなかったことに対する不満は、すでに親父もわかっている。だからあの人は、わざとあんなことを云うのだろうか。
後悔していると云いながらも実にさっぱりと語ったデヴィットは、爪弾いていた琴から手を離しジョーに向き直る。
「それで、おまえは何を見たのだ。それが一番に話したいことなのだろう」
さも当然というように訊いたデヴィットに、ジョーは薄笑いを浮かべる。
「──おまえには適わねぇな。俺が見たのは、国で武士を名乗っていた俺でも、千鶴をさらった俺でもなかった。──俺を止める澪を、置いて行った時のことだ」
「なんだ、おまえ、少しは一の姫のこと、考えていたのだな」
「みたいだな、俺も初めて知った」
本気で驚いたように返すデヴィットに、ジョーも少し自分で自分に呆れたように笑う。
「ああ、澪ってのは俺の妹でな。……たった一人の、俺の妹」
「妹」
妹とそれだけなのに、ジョーの口調はとても優しくなる。別に説明して欲しいわけではなかったのだが、この場の空気に流されるように聞いてしまった。
「だいたい貴族なんてのは、子どもを大勢作って勢力を拡大してばかりだろう。──だけどうちには、俺と妹の二人しか居ない。澪は、俺のたった一人の妹だから」
ジョーらしくもなく穏やかに語るのは、髪を下して優雅な服を着ている、貴族らしい声音だった。シーバルト海賊団船長ジョー・クルーとしての顔ではない、本物のジョーの顔だ。
うちの妹はやけに権力を持っているからそこまで思ったことはない。ただあいつと俺も、ただの兄妹で済まされない関係ではある。あの父親から生まれ、あの父親に保護されているという時点で、運命共同体のような。俺が一人こうして異国に出ていることは、あいつを苦しめていることにもつながるような。母国に対する唯一の罪悪感と云えば、俺があそこに居なくて悪いと思うのは、ルーシアにだけだ。
──帰って来てください。
そう云われたことを思い出して、そういえば帰ることも考えなくてはならないなと思う。予定が来年の2月とか云ってたっけ。あーあ、2月とか、なんの嫌がらせなのだろう。あの親父はいつまであいつを追いかけようとしているのだろう。人のことは云えないくせに、俺はそんな無責任に当たりたくなる。
「嫌な術だけど、いろいろ考えさせられるよな。まったく参るぜ」
そう云って空を仰ぐジョーに釣られ、晴天続きの空を見上げる。この空の先はずっとずっと続いていて、もちろん俺の母国も同じ空の色をしているだろう。母国では、俺がここに来た4月から時は流れて既に10月を迎えようとしていた。




