第32話:まいご
──俺はおまえを、知らない。おまえも俺を知らない。
「……シャ、ネイシャ!」
いきなり名前を呼ばれてはっとする。そう、私の名前。何事かと思って振り返ると、そこには心配そうに私を見るルリエールの姿があった。
「あ……」
「大丈夫?」
「う、ん……」
「ご飯できたよ、ちゃんと食べようね」
「うん」
微笑むルリエールはとても元気で、まるで何事もなかったかのように日常を進めている。ダグもルリエールもこの町も、全員まるでリュースが居たことなんて夢だったみたいに、数日間リュースの話題もなく日々が終わる。でも私は、そんな風に振る舞えない。ぼんやりとしてしまってお仕事を手伝っても失敗ばかりで、結局宿で待機している。情けないとは思いつつも、どうすることもできなかった。
ルリエールに連れられてどうにか一階まで降りたところに、ダグが玄関で誰かと話している姿が見えた。
「泊まっていた男について訊きたい」
「聞きたいって、何を?」
「故郷の話などしていなかったか」
「いんやぁー、別に。話すようなことはなぁ……。無口な奴だからなぁ、あんま詳しいことは知らねぇぞ」
「本当だろうな」
「嘘吐いてどうするよ。それよりあの人、なんかまずかったりするのか?」
逆に興味津々と云った風に問い返すと、男は軽く舌打ちをして去って行く。そっか、逆に無関係なのにあれこれ探られるほうが嫌なのかもしれないと、変なことを学習してしまった。
残されたダグに、ルリエールと私は駆け寄る。
「あれで納得したのでしょうか」
「さぁなぁ。あんなんで納得してくれんなら楽だけどな」
リュースが居なくなってから訪れるようになった、謎の男の人の集団。なんて名乗っていたか忘れてしまったけど、とにかくリュースのことをいろいろかぎ回ってる。最初はいったいなんなのかと驚いたものの、約束を守るよう云われていたルリエールはきっぱり嘘を吐いた。詳細を訊くのはレイヴンが良いかと思ったけど、彼はリュースがさらわれたことを知らせてから、所在がわからなくなっていた。
──悪いな、しばらくはビルの云うとおりにしておいてくれ。
そう云い置いて去って行った珍獣は、やはり珍獣だからここらに居ると危険なのかもしれない。
「……さぁ、ご飯にしましょう」
「あー、そうだな。腹減ったぜ」
ふらふらと歩き出すダグに続こうとするも、今帰って行った男が気になってしまう。あの人に訊けば、リュースの居場所がわかるのかもしれない。リュースのところに連れて行ってくれるかもしれない。思わず追いかけそうになったところで、ルリエールにとんと肩を叩かれる。
「ね、ネイシャ。そろそろでかけようか」
「え?」
「ビルさんなら大丈夫、必ず救い出してみせるから」
そう云って微笑む顔は、まるで歴代の将のようだった。
・・・・・
ご飯を食べてからシーバルトまで足を運ぶと、そこにはジョーを始めシーバルトの一員はもちろん、将軍やその部下まで集まっていた。いつだって活気に溢れているこの町は、既に私の居場所の一つだ。
「──まさか、ビル殿が?」
リュースが居なくなって既に五日が経つ。あいつはどうしたのかと最近既に騒がれていたものの、どうにかルリエールが誤摩化しあんまり騒ぎ立てないよう頼んでいた。しかしそろそろ、その誤魔化しもここの人には利かなくなってたところだった。ルリエールがここまで引き延ばしたのはすぐに動くと怪しまれてしまうから、周囲をうろつく男たちが居なくなるまで待ちたかったのだと云う。さっき宿を尋ねて来た人は、相棒を替えてはここ五日間ずっと来て居たものの、最近は一人になり以前より活発に動いていなさそうだった。諦めたのかはわからないが、人数が減ったからルリエールはようやく行動しようと思ったのだと云う。
「デューグレイト将軍にも心当たりがありませんか」
「心当たりは、まぁ……なくはない」
「ほ、本当ですか?!」
思わぬことに声をあげるも、将軍は少し居心地悪そうにする。
「だがビル殿が自身のことを隠していたのはおそらく、こういう事態になるとわかっていたからなのだと思う。だからと云って彼が隠していたことを、私がここでべらべらと話すわけにもいくまい。事情はビル殿が帰ってから説明することになるが、それで良いだろうか」
「なんでも良いです。……ビルさんが戻って来るのなら、なんだって」
ルリエールの返答に、私も強く頷く。リュースが居てくれるのなら、それで良い。たとえこのあと帰ってしまうにしても、こんな別れ方は望んでいなかった。
「訊くがネイシャ、彼は自分から彼らに付いて行ったんだな?」
「……はい」
──俺はおまえを、知らない。おまえも俺を知らない。
何度も思い出すと淋しくなるあの言葉。だけど別れ際のリュースは、納得しながらも私に優しくしてくれて、それは彼の本意ではないのだと思った。私はあの時聞いた限りのことを、どうにか将軍に伝えた。用事はリュースの身柄だということ、約束を守るよう云われたこと、私が女神であることを知っていたこと。
将軍は私のたどたどしい説明を急かすことなく、ゆっくり静かに聞いてくれた。
「──わかった、詳細が決まったら連絡しよう。シーバルトも全面協力してくれるか」
「当たり前だ」
今まで黙りを決め込んでいたジョーが、不機嫌そうに云い放つ。あの戦の後からずっと機嫌が悪いわけではなく、何かを考え込んでいるみたいだった。
「ありがたい。ではそうだな、ルリエール殿、来てくれるか。少し話を聞きたい」
「え、あ、はい。ネイシャは……」
「私はここに居るよ」
「わかった、ちょっと待っていてね」
将軍は部下とルリエールを連れて、自軍の駐屯地へと戻って行ってしまう。きっと軍を上げて取り組んでくれるのだろうけど、一介の旅人にそんなことをしても良いのかとも思う。もちろん、助けてくれるのなら、リュースをここに連れて来てくれるのなら、なんだってするけど。
「やっぱり……放って置くんじゃなかった」
波の音しか響かない静かな港で、ぽつりと呟いたのは悔しそうに顔を歪めるジョー。彼のそんな深刻な顔を見たことがなくて、私はただただ驚く。ただジョーの癇癪を見飽きているのか、デヴィットはいつも通り冷静だ。
「今回の件が、ヤオン=ヤードに繋がっていると決まったわけではないだろう」
「──おまえは……どうしてそう冷静で居られる!」
いきなりの大声に、私は思わず身を竦ませる。大きな声は苦手だ。ジョーとデヴィットが云い争いのようになってしまって、私はどうしたら良いのかわからない。しかも神官が絡んでいるとなったら、話が大きく変わってしまう。リュースが何を隠し何を思って付いて行ったのかは知らないけれど、そこに神官が居るのなら私にも関係があるはずだ。
「おまえがなんて云おうと、俺はビルを助ける。ヤオン=ヤード、捕まえてみせる」
そう云ってジョーは、船内ではなく町の方へと歩き出してしまう。その後ろ姿には苛立ちが見えて、私ははらはらしてしまう。
「神官を捕まえたところで、おまえが千鶴を拐かしたことは消えないぞ」
デヴィットの声はとても静かだったのに、よく響いてジョーの足を止めさせる。
「んなことはわかってんだよ、煩ぇな。俺だってあの頃の自分は、殺してやりてぇよ」
カドワカシってなんだっけ。……ああそうだ、誘拐だ。千鶴さんを誘拐? よくわからない二人の話に、私は入って行くことができない。でもここを立ち去ることもできない。神官が絡んでいる可能性があるのなら、私だって無関係では居られない。
「俺はあの時おまえを斬ったこと、後悔していない」
「だろうな。俺にとっても、この傷は誇りだ。おまえが後悔したところで、消してやらん」
「後悔はしていないが行き過ぎた行為だったとは思っている。だからできる限り、冷静でありたい」
「……おまえはそうやっていっつも、ずるいよなぁ」
ジョーの雰囲気が和らいで、街へ行きかけていた足が踵を返してこちらに戻って来る。少しいつもの笑みが戻っていて、私はほっとする。ジョーは笑っているほうが恰好良い。
「ネイシャ、あの神官の技、なんだったんだ」
「あの?」
「だから、逃げた時の、あいつが」
「──あ……心落とし?」
「心、落とし?」
神官が去り際に出した、神官の術。神官は私の側近であって、彼らが繰り出せる術も大体は把握している。と云っても、彼らの研究でいきなりわけのわからないものを出したりするから、すべてではないのだけど、彼らの技は本当に特殊だ。
心落としは知っている。
「今は進んでいる心を、立ち止まっているところに、連れ戻すの」
あのときほとんどの人が見たはずだ。過去に一番後悔してしまった、心を置き去りにして来てしまったところを。もう二度と見たくないはずのものを見る。残念ながら私はあまり術が利かないからあのときも平気だったけど、私を守ろうと抱きしめていたリュースは、冷や汗をかくほどに動揺していた。たぶん誰にだってある。
「──そう、か」
ジョーはでも、私の返答に小さく微笑んでぽんと頭に手を置いてくれる。それはリュースみたいにとても優しい手だった。
「いろいろ悪かったな。神官が居るかどうかはともかく、あの仏頂面、ぶん殴りに行こうぜ」
「……うん」
ジョーらしい誘いに私も、笑い返したのだった。




