第31話:きっかけ
ルリエールの包帯地獄が終わる頃には、既に半月が経っていた。
リヴァーシンで昏倒させられた神官の一味はどうやらまだあがいており、神官の行方もわからないままだが、リヴァーシンは天帝の命令によって着々と復興されているらしい。俺は相変わらず、宿で世話になっている。帰ることも進むこともできない状態は、近々船が動き出すということで解決しそうだ。つまり俺がここに居る理由はなくなる。居着き過ぎている。そろそろ離れなければならない。それはわかっている。
「できた……」
俺は彫刻刀を置いて、深々溜め息を吐く。ようやくできたのも、出て行けという指示なのだろうか。確かに決めたらさっさと行動しないと、またいつまでも蜷局を巻いてしまいそうだ。ここは居心地が良過ぎる。俺は一階へと降り、掃除をしているルリエールを捕まえた。
「ビルさん、お腹でも空きました?」
どうして俺が呼ぶとそういう話題に飛ぶのか。なんかどうしようもない息子になった気分である。事実そうなんだけど。
「いや、宿の代金、そろそろ出しといて」
「あ……」
みるみるうちに笑顔がしぼむ。罪悪感植えつけるなよ、何もしてねぇよ。
「わかりました、考えておきます。でもビルさんにはたくさん戴いたのでもう結構です」
「……あーでも、あれより長く居るし」
「良いんです」
そう云ってぷいと後ろを向くのは、随分とルリエールらしくない子どもっぽいものだった。随分と長居をし過ぎたから、俺はこれ以上長く留まってはいけない。俺が俺である以上、俺が自分を認められない以上、ここに居ることで回りのみんなを不幸にする。
「これ」
そっぽを向かれたままでも、やはり話は続けなければならない。
「やっとできたから。遅くなって悪かった」
俺がそう云って差し出せば、ルリエールも流石に俺に向き直った。
「あ……ビルさんの、地図ですか?」
いつだったか、ルリエールと約束した地図。御礼にと買ってもらった木で、俺はその約束通りの地図を仕立てた。何もないから参ったけど、ないならないでなんとかなるものだ。彫刻刀なんて便利なものが存在したあたりが助けとも云えたが、そういう物騒なものしかないのかと思うとまた複雑な気持ちにもなる。
「木版、ですか?」
「そう。さっきできたばかりで、インクは悪いけど買いに行ってないから、まだ試してない。でもたぶんそれでちゃんと印刷できるはずだから。まぁあんま綺麗なもんじゃないし、そんなもたないだろうけど、だいたいはわかるだろ」
ここに個人が持てるような印刷技術は、木版がせいぜいだろう。俺が一枚書いて置いて行っても良かったが、それだと宿で使うというルリエールの用途とは噛み合ない。木版なら木が駄目にならない限り、いつまでも使うことができる。そう、たとえ俺がここに居なくても、いつまでも使い続けられる。
「でも私これ、ビルさんの地図代にって、買ったものです」
「──地図を作るための代金だ、ちょうど良い」
「ありがとうございます……、嬉しい」
そう云って受け取りながら一瞬は微笑んだが、次の瞬間には真剣な顔をしてルリエールは俺を見る。
「これはビルさんの地図代の代わりだったのですから、ちゃんと私からの代金ももらってください」
「だから別に欲しいものとか思いつかねぇんだよ」
「勝手に買って来ます」
永久に続きそうなやりとりだ。
「それが嫌なら今、代金でお支払いしますよ」
「──わかったよ。なら俺も行って……」
「駄目です」
「は?」
「また騙されては敵いませんから」
ルリエールは冗談めかして笑った。
・・・・・
「あ、ビルさん」
若干の目的を持って港に行くと、珍しく千鶴とかち合った。シーバルトにあれ以来訪れて居なかったが、船内から三味線の音が聞こえて少しほっとする。少なくともふさぎ込んでいるわけではないらしいとわかっただけで、俺は満足する。そして千鶴もまるで何事もなかったかのように、俺に話しかけて来る。
「おかえりなさい、ご無事で何よりでした。ジョーさんですか?」
「いや、おまえ」
「え?」
その答えはまったく予期していなかったとでも云うように、彼女は目を丸くさせる。そこまで驚く必要はないと思うんだけど、まぁ良いか。
「その、悪かった。デヴィット、連れ出したから」
リヴァーシンから帰って来てルリエールに怒られた……というかなんというか、ひとまずあれから気になったのが千鶴だった。千鶴はデヴィット曰く「武士の妻らしく」夫を見送ったというが、それでも彼を見送る彼女の顔は少し淋しそうに見えたのだ。
デヴィットと一緒に居たシーバルトの一員が云うように、ネイシャを連れ戻したリヴァーシンでの一件は、戦とも云えない「ままごと」そのものだった。だがそれでも一度は謝っておきたくて俺にしては珍しくこうして行動したのだが、千鶴は静かに笑うだけだ。
「それはでも、忠之助さんが決めたことですから」
諦めとも違う雰囲気で、千鶴は微笑む。すべてを認めているようで、何所か割り切れないような、中途半端なもの。
「いやでも、あいつの意志とは関係なしに、おまえはその、いろいろ不安だったりしただろ。それでも送り出してくれたから……だから、ありがとう」
それでも俺は千鶴に一言伝えたくて、どうにかたどたどしい言葉を吐き出す。ルリエールにあれだけ云われたからだろうか、罪悪感というのがなぜか込み上げて来たのだ。なんで言葉ってこんなに伝えるのが難しいのかと改めて実感する。
俺がまるで初めてレジーク語を話すかのようなたどたどしさで云うと、千鶴は実に不思議そうに俺を見る。まるで珍獣でも見るかのような目だ。
「──ビルさんは、東国の方なんですか?」
「まぁ、東の方から来たけど」
正確に云えばここよりは東、千鶴の国からしたら、真北になる。が、面倒くさいことは黙っていよう。
「私の気持ちまで気遣ってくださって、ありがとうございます。ビルさんのお気持ちは、充分に戴きました」
でも、と千鶴は笑う。
「駄目なんですよ。──あの人はまだ、戦っていないと。だから私のことは良いんです」
云いながら彼女が見るのは、すぐ近くの海。ただこの先に繋がっているのは俺の母国であり、千鶴たちの母国は遠く南でこの海からそれを感じることはできない。ましてや文化やしきたりなんて、真逆そのものだ。
「私たちの母国では、数年前に大きな内乱が起きました。でもそれまでは戦のない太平の世が三百年も続いていて、誰も戦うことなんて知らなかったはずなんです。戦ってかの地を守ったのは遠い先祖のことであって、私たちの殿方は、ただ武士と称して刀を差していただけ」
まるで俺の故郷アリカラーナのようだ。もちろん剣術はできる。だがそれでも長いこと大きな戦をしなかったから、所詮はままごとでしかない。だが大きな戦乱を皮切りにか、デヴィットのような剣客すらできる。
「それなのにみんな、我が国のためにと剣を取る。志の違いで人を殺し始める。心の底に戦の本能でもあるのでしょうか、今まで平和だった世を捨てて嵐を呼び起こす。大戦の結果として忠之助さんたちが守ろうとした、武士という立場は消えてなくなりました」
武士の消滅。それはすぐに武士と口に出すデヴィットにとって、生きて行く術を失ったことなる。
「私から見た忠之助さんは、何があっても迷わない強い人でした。後悔をしたことなんてたぶんないと思うぐらいに、いつでも毅然としている人でした」
今のデヴィットと大して変わりはないのだと、なんとなく想像できる。だが深く訊くつもりはない。今は千鶴への罪悪感から、すべてを聞いてやるだけだ。
「でも唯一その戦で、後悔しているみたいなんです。一度だけ、云われたことがあります。──足が斬られても腕は斬られなかったのだから、刀が持てるのなら最後まで戦うべきだったと」
そう思っていただけに、その言葉で俺の罪悪感とやらは綺麗に消え去る。それよりも競り上がって来たのは、意味のわからない状況への恐怖だ。
「足を失いあちこち斬られても立とうとする忠之助さんを、戦地から無理矢理引き戻そうとしたのは私で、実際手伝ってくれたのはジョーさんです。だから私たちにはもう二度と云わないでしょうけど、たぶん、まだ──」
そう思っている。だから戦わずには居られないのだろうと、千鶴は云う。
わからない。
足がなくても戦わなければならない理由って、なんなんだろう。そう思う気持ちが理解できなくて、俺はただ単純に怖いと感じる。
だが千鶴は、いつもの爛漫さからは考えられないぐらい冷静に淡々と続ける。
「だって忠之助さんが足を失ったのは私たちの国の、ほとんど最後の戦です。それから忠之助さんは一度もあれほどの戦なんて経験していないのに、なのに車椅子であれだけ戦えるんですよ」
もう戦うことなんてないはずなのにと、俺が考えることさえしなかったところを突いて来る。
「義足で歩く練習をするより、もっと辛いことをしてまで、あの人はまた戦うための技術を磨いたんです」
平穏な生活を手に入れることができるのに、あいつはまた、戦争に役立つ技術を手に入れる。千鶴の立場から考えてみれば不安で堪らないはずなのに、彼女はおそらくその疑問をデヴィットにぶつけていない。
──俺は死ぬ身である自分が家庭を持つことなどないと思っていた。
そしてたぶんデヴィットも、まだ何かしら、ぶつけていないことがある。デヴィットの云い分も千鶴の云い分も、どちらも間違っていない。そしてどちらも、俺にはわからない。
ぱりぱりと、三味線の音が響き渡っている中で、俺は感じた恐怖の意味を考える。
「あ、リュース!」
そこへ無邪気に駆け込んで来たのはネイシャだった。最近閑さえあれば俺の回りをうろうろとしているから、たまには外に出ろと云ったのだが、大して俺の行動範囲も変わらない、結局こうして会うことになる。
「お迎えですね」
和やかに笑って、千鶴は軽く頭を下げて船内に戻る。いつもなら嬉しそうにネイシャの相手をしてくれるが、生憎と今日はそうもいかないようだ。俺もこれ以上ここに居て、あんな恐怖の理由を考えるのは嫌だ。ネイシャと一緒にさっさと宿に戻ろう。
俺がここに居られるのも、あとわずかだ。
・・・・・
なんとなく無言になってしまうのは、やっぱりデヴィットのことを考えてしまうからか。足がなくなっても戦う理由を、俺は訊いてみたいような気がしていた。だがそれを訊いたらもう後には戻れない気がして、俺は堂々巡りの中考えていた。
「ねぇリュース。私ね、働いてみるの」
「──あそう」
俺の落ち着かない頭とは別に、ネイシャはご機嫌だ。戻って来てからずっとそうだった。決めるまでは居てやると云ったからにはもう少し見ていようと思っていたのだが、どうやらこれ以上の干渉は必要ないのかもしれない。
「楽しみか?」
「うん、とっても」
カーヴレイクのみんながネイシャの帰還に喜んでくれた。特にあの、なんだっけ。もともとリヴァーシンに住んでいたやつ(名前は忘れた)は、ネイシャが改めて宿にしばらく滞在することを大歓迎してくれた。やはりもともとは女神だったというのは大きいらしい。
「ネイシャ、俺はそろそろ帰る」
「え?」
今までのご機嫌は何所へやら、俺の前を浮かれるような足取りで進んでいたというのに、わかり易く不安そうに顔をしかめて俺を振り返る。
「一旦帰る。そういう約束だから」
「……そう、だったね」
俺はいつしか母国へ、アリカラーナへ帰らなければならない。それだけはネイシャに何度も云って来たことだ。もし俺がそんなややこしい国の生まれでなければ、もし俺がそんなややこしい貴族の生まれでなければ、あるいはここに移住することだってできたかもしれない。でも俺にとってアリカラーナは残念ながら捨てられない、帰るべき場所なのだ。誰も望んでいなくとも、たまには帰らなければならない、俺を縛り付ける唯一の場所。
ネイシャもわかってはいる。最初に出て来た時よりもずっと理解している。ただそううまく、納得ができないだけだ。でもきっとそのうちに、俺のことなんて忘れてこいつならうまくやれるはずだ。そう思うのに、俺もうまい引き際がわからない。また来るとか、そんな簡単に云って良いものじゃない。確約できない言葉を口にしたところで、余計な傷をつけるだけだ。自分から云い出したのに、それ以上うまく言葉がまとまらない。
「リュース!」
だから、ネイシャが必死に呼んでいる声にも遅れた。
気が付けば、目の前に五人程度の男が並んでいる。全員が軍服を着て、いかめしい顔のまま俺を見ている。神官の何かかと思ったのだが、奴らは真っ直ぐに俺を見ている。
──ああ、来たのか、そう思う。
前と同じような状態に、俺は納得する。あの時は確か、暴れた気がする。流石にあんな理不尽な状況に遭ったのは初めてで、俺はひたすらに意味が理解できなかった。そんな莫迦な俺でも、2度あることは学習する。
「ビリュースタ・サウゾダーデ・イシスラウス卿」
呼ばれたのはおそらく、俺の名前。それはやはり、ネイシャが発音するようにうまく聞こえなかった。しかしどうしてそこまで違う言語に変わるのか不思議だ。それほどのんびりと、予測していたその事態を冷静に迎えている自分が居る。さっきの千鶴のことや、ネイシャのことを考えている時より、余程冷静だった。
「貴君の身柄が欲しいだけだ、そちらの女神には手を出さない」
「はぁ、あんまり価値はないと思うけど」
「我々には貴国の状況も貴君の必要さも理解している、同行してもらおうか」
王になる可能性が微塵もないと云っても、一応俺も王族だ、自分の国の状況ぐらい知っている。俺の従兄である王太子が行方不明になり、現在は我が国始まって以来の「空位」。これで外の世界で我が国の莫迦みたいな信仰は少しぐらい減るかと思ったが、案外そうでもないらしい。もう出ようかと思っていたのは、どうやら虫の知らせだったのか。
俺は前に立つ五人を見たまま小さく呟く。
「じゃあな、ネイシャ」
「え……リュース?」
「俺はおまえを、知らない。おまえも俺を知らない。──宿にも約束を守れと伝えてくれ」
「リュース!」
ぽんと頭に手を置いたのは、たぶんもうこれ以上言葉で話すことが思いつかないから。
今回は大人しく、付いて行くしか思いつかない。前回はいろいろ手助けがあってできたが、今回は手助けどころか巻き込んでしまう恐れがある。せっかく戦争が終わったばかりの人たちばかりだ。最初から決めていた通り、何にも巻き込むわけにはいかない。
「俺はおまえのことなんて、何も知らない。おまえも俺のことは知らない。それで良い」
云い聞かせるようにして、俺は手を離す。リュ、と掠れた声が聞こえたものの、俺は足を踏み出す。これは俺だけの問題であって、ここでようやく平穏に暮らしている奴らとは無関係な問題だ。
誰かを巻き込む前に、自分から去る。どうかここの誰かが巻き込まれないように。そう祈ってしまうぐらい、この西国に愛着がわいている自分に、今さら気が付いた。




