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旅人物語─神の居ない神国  作者: 痲時
第5章 剣の在り処
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第30話:ずるくないと生き残れねぇよ


 宿に戻って来るなり、俺は動揺していた。

「……座ってください」

「いや、大したことないから」

「良いから早く座ってください」

 有無を云わせない口調に、俺は身ぐるみ剥がされ大人しく座る。あちこちにできた切り傷は自分でも気付いていなかったものの、無駄に出血が多い。もともと血が足りてないから少し困るかもなぁ、ぐらいには捉えていた。ネイシャの傷に気が付いて、俺もようやく自分の傷に気が付いたのだから、痛みなんてまるで感じていなかった。そもそも、自業自得で傷付けたようなものだ。だからこうして心配される必要などない。


 ないと云うのに、帰って来てからルリエールの表情は硬いままだ。


 ──だがあんたには、 今までのルリエールを知っている俺たちからしても、入れ込み過ぎているように思うのだ。

 デヴィットの言葉を思い出して、俺の気持ちはまたも暗澹となる。今まで何も考えていなかっただけに、余計重たくなる。気の所為であることを祈ろう。

「あのさ」

「……」

「ルリ……った!」

「痛むので口は閉じておいた方が良いです」

 ルリエールが怒っているところを俺は初めて見た。というか、怒ることがあるのかと、それぐらい彼女には怒りというのが似合わない。いつも笑顔だが笑顔のまま威圧するうちの親父とはちっとも違う、本気の笑顔を絶やさない奴だった。


 はずなんだけど、俺の所為でこんな顔をさせたのだろうか。


 黙り込むしかない俺に、ルリエールも黙々と消毒を続ける。切り傷が多過ぎていったい何所をどうやれば良いのやら、剣を持っていた右腕は完全に弱っている。よくもまぁここまでと、自分で自分に感心してしまう。拭いても拭いても、血は違うところから少量出ている。ルリエールはそれを根気よく抑えていたものの、次第にその力がなくなる。

「ルリ……?」

「……どうして……」

 ぽつりと漏れた声が震えていて、俺はそこでようやく、顔を伏せているルリエールが泣いていることを知る。

「ビルさんもお父さんも……みんなそうです。男の人は自分のことなんて考えてくれない……」

「ルリ」

「いつも自分を蔑ろにして、みんなを心配させるのに、平気な顔して帰って来る」

 ──ルリには云うなよ、黙って行け。

 そう云ったのはダグだ。ダグの云うことを忠実に聞いて黙って出て行ってしまったが、それさえも失敗だったのかもしれない。そういえばダグって、適当だったんだった。

「男の人は私たちを、死んでも守ろうとしてくれる。でもそんなの、私たち望んでいなかったのに……!」

 居てくれたらそれで良かったのにと、ルリエールは続ける。いつも表情がころころと動く奴だが、こんな風に弱みを見せている姿を初めて見た。俺は何も考えずこの大陸に来て、身の滅ぼし方について考えていた。ここの連中が、どれだけ必死に生きて来たか、知っているつもりで来た。

 だが所詮知っているつもり(、、、)だったんだと、今改めて現実を突きつけられる。ルリエールがいったい誰のことを云っているのか、なんのことを云っているのか、俺にはわからない。だがそれでも、ルリエールが本気で俺を心配してくれたことだけはわかった。



 この世で俺を必要としている人なんて居ない。せいぜい息子だからという理由で、親父は俺を引き止める。だが俺自身を、俺と云う人間を認めてくれる人は、居なくなってしまった。

 ──済まない、ビル。済まない……。

 ──あんたの顔なんて、二度と見たくないわ!

 ──矛盾したビル従兄なんて、死んじゃえば良いのに。

 だからこそ、こんなに心配されることが不思議で不可思議で、どうしたら良いのか余計わからない。


 何を云えばルリエールは納得してくれるだろう。そう考えていると、デヴィットを見送る千鶴をぼんやり思い出した。千鶴は心配そうな顔をしながらも、健気にデヴィットを送り出していた。彼女も本当は、戦地に送り出すことなど望んでいない。それでも彼女は、笑顔で送り出した。本来の気持ちは、ルリエールと同じところにあるかもしれない。




「あんまビルを責めてやるなよ、ルリエール」

 いきなり現れたのは、帰って来た時も「おかえり」と一言だけで、いつもと変わりなかったダグだ。

「ここに居て欲しいのと同じぐらいに、俺たちもおまえらを守らにゃあいかんと思う。それだけだろ、ルリエール」

「いつも勝手にふらふらされるほうの身にもなってください。お父さんがその筆頭ですからね」

 ルリエールが珍しく反抗心満々で云い返すと、ダグは本気で嫌そうに顔をしかめた。

「……過ぎたことであれこれ云わせるな。ビルに黙って行けと云ったのは俺だ、気に入らないなら俺を殴れよ」

「……お父さんは、ずるいです」

「そりゃそうだ、少しはずるくないと生き残れねぇよ」

 疲れたように笑うのは、少しダグらしくない。いつでも不適に笑っているのが、ダグらしさだ。その所為か二人のやり取りに違和感を覚えて、でも口出しする必要のないことで俺はただ黙ってやり取りを見ているしかできない。




 だがそれで話は終わったとでも云うように、ダグは俺の身体を見てまた顔をしかめる。

「他の連中はほとんど無傷で帰って来てるからな、おまえが一番酷い傷だな」

「あー……自分でやったから」

 他に説明のしようがなくて、俺はそうとだけ云う。そういえばあれ以来初めて鏡を見た時、自分の屋敷で鏡を叩き割った時も、俺が親父に云ったのはそれだけだった。だけどそれだけで親父もハヴァーズもすべてを理解したのか、俺の屋敷からは一切鏡が消え、たまに行く本邸にも俺が立ち寄りそうなところに鏡がない。朝食は本邸で食べるのが規則だから、妹なんかはきっと不便しているだろうが、それでも文句は云わない。他に何も、理由など云わずみんなが理解してくれた。


「自分でやったっておまえ、一人で戦地に行って来たって感じだぞ」

 他に説明のしようがないから、突っ込まれると困る。戦が落ち着いたばかりだからか、幸いにもこの辺りはガラスが貴重らしい。リヴァーシンは独立国で輸入ルートもあったようだが、この辺りが復興の軌道に乗るのはもう少し先だろう。だからまだ知られることはないだろうが、鏡が怖いなどと説明する気にもなれず俺はただ黙るしかない。

「まぁ良いけどよ。──ルリ、止血はしっかりしとけよ。ただでさえ顔色悪いんだからな」

「あ、はい」

 さっきまで険悪な雰囲気になったと思えないほど自然に会話をして、ダグは去って行く。云いたいことだけ云って去って行くのは流石ダグと云うべきか。ルリエールも居住まいを正すと、静かに頭を下げた。

「──すみません、取り乱して」

「……いや」

「軽い切り傷ばかりですが、血が止まるまで包帯は取らないでください」

「包帯巻くほどじゃ……」

「巻くほどなんです。小さくても傷が多過ぎるので、包帯で巻いていたほうが早いです」

 有無を云わせず包帯を巻かれ、文句を云わず見ていれば、云い訳のようにルリエールが云う。

「ビルさんは……ただでさえ身体が強くないんですから、これ以上血を減らすのも良くないです」

 両腕にも包帯を巻かれ終わりですと云われた時には、上半身がほとんど包帯だらけの、重病人のような恰好になっていた。しかしそれを確認したのも束の間、ルリエールに早く服を着るよう促される。

「服を来たら上着もですよ、また熱が出たら大変ですからね」

 まるでハヴァーズのようだと思いながらも、俺は素直にそれに従う。しばらくは大人しく、ルリエールの云うことを聞くしかないだろう。だがいったい、何所まで俺はルリエールを許容してやれば良いのだろう。一応はデヴィットの言葉を頭の隅に入れておく。


 服を着て上着も羽織って俺にしては珍しく云うことを聞いてから、ルリエールを呼ぶ。あちこち切れて血の付いてしまった俺の服を片付けながら、ルリエールははいとこちらを振り向く。

「悪かった。──おまえには、迷惑ばっかりでいろいろ助けてもらってる。ありがとう」

「──良いんです、やりたくて、やっているだけですから」

 そう答える声が少し震えていたことに、俺は気付かないふりをした。


・・・・・



 すっかり俺の世話係になってしまったルリエールから、しばらく自宅謹慎を命じられ、俺は大人しくそれに従っていた。別段外に出る用事もなし、予定がなければいつも屋敷で寝ていた俺だ。もともと出歩くのは好きではない。ただ一つあるとすれば、シーバルトに顔を出さなければならないことだ。

 あまりにも機嫌が悪そうだったからしばらく時間をおいた方が良いだろうと、また顔を出さないまま居たら、予想外にもジョーが俺のもとを訪ねて来た。部屋から下へ降りようとすれば、ジョーは俺が借りている部屋まで来てくれる。無駄にでかいジョーはこの小さな宿が狭そうだ。身長だけではなく出ている覇気というのか。ここに居ることに非常に違和感を覚える存在ではある。




「……わるかっ……」

「──すまん!」

 さすがに迷惑をかけ過ぎたからと、謝るはずの言葉が宙に浮いてしまった。ひとまずジョーには謝って礼を云わなければと、流石の俺でも思っていただけに、こうしていきなりその相手に頭を下げられて、出鼻をくじかれてしまうと呆けるしかない。

「……は?」

「主犯を逃してしまうなんて失態でしかない、任されておきながら済まない。──契約は続行する。俺たちはヤオン=ヤードを必ず捕まえる」

 今までにない真剣な態度に、誠の海賊、という言葉を思い出す。ジョーが冗談でも本気でも、必ず一日に一度は云う言葉。


 だが俺は、契約なんてしていない。母国の下らないしきたりを思い出して、俺の気分は萎える。

「俺が頼んだのは、ネイシャの保護だ。別に神官はどうでも良い」

「だが……また来たら、どうするつもりだよ。今度は居場所を掴むのも苦労するぞ」

 国がなくなって実質、神官という地位も失われている。だがそれでもあいつは、ロウリーンリンクを守る神官であり続けるのだろう。あいつが神官という地位を失うのは、ネイシャが失われた時。つまりあいつが現実を認めない限り、いつまでもネイシャは狙われ続けるだろう。


 考えるだけでぞっとする話だが、それもまた仕方ないと思う。


 現実を認めるなんて、そう簡単にできるわけがないのだ。今の今まで信じていたものを、いきなり変わったからと納得できるわけがない。いつしか時間を置いて理解できれば良いのだが、そんなに都合良くはいかないだろう。



「神官は将軍たちだって捜している。俺はひとまず、ネイシャをネイシャの好きなように生かしてやりたい。それだけだ」

 他のことは考えていない。そして俺自身のことも考えていない。

「──不安に……ならないのか。またあいつら、来るぞ」

「来るだろうな」

「だったら……! だったら俺たちに任せて欲しい」

 ジョーらしくもないぐらい、真剣で熱い。だが俺が望んだのは、ひとまずのネイシャの保護だ。完全なる潰しを行いたいわけではない。余所者の俺が、神官は要らないと切り捨てることなどできやしない。




「そこまでにしろ」

 いきなりの声に驚いたのは、やはりこの人も、来るとは思いもしなかったからである。ジョーの横からのぞけば、義足が嫌いだというデヴィットが、俺の部屋の入り口に立っていた。

「やはりここに居たか」

「なんだ、もう来たのか」

 狭い部屋にもう一人そこまで大きくはないと云え男が入ると当然狭くなる。それでもデヴィットはふらふらと慣れない足付きでジョーの後ろに立った。

「少しは落ち着けと何度云えばわかる」

「落ち着いている。このままではネイシャが安心できない。あいつを捕まえるのは当然だ」

「──安心したいのはおまえだろう、セイシ」

 ジョーの顔が、それとわかるぐらいに悔しそうに歪められる。デヴィットから彼の顔は見えていないだろうが、きっと肩越しにも、彼の表情は現れている。いつもの頼りがいのある背中が、前からでもほんの少し力なく萎れて見えた。

「本当にビルやネイシャが神官の捕縛を全力で望むのなら、或いはと考えていた。だがビルもネイシャも、誰も望んではいない。今すぐ捕まえようと思うのは、おまえが安心したいだけの、関係ないおまえだけの自己満足だ。これはおまえの問題ではない」

「……そう、だよな。わかってはいる」

 わかってはいるんだけどとジョーは呟く。だがいくら待ってもその先に続く言葉はなく、彼はただ拳を握りしめて俺の前で唇を噛み締める。


「済まないな、ビル」

「──え?」

 いきなり話を振られ、当事者だと云うのに無関係なように寝台に居た俺は、返事が遅れる。

「俺が賊軍という言葉で抑えが利かなくなるように、大将にもわかってはいるが引けないところがある。おまえが鏡を叩き壊したのと、同等の心境だ」

 それを引き摺り出されると、俺としても納得するしかない。


 鏡を叩き割った俺。

 賊軍という言葉に切れたデヴィット。

 男は勝手だと云うルリエール。

 そして、必要以上に敵を追いかけるジョー。

 誰もがきっと、昔に居る自分か誰かを追いかけている。俺のとち狂った言動にも一応は理由があるように、それぞれ誰にもそうした行動の理由があって、誰もが昔を振り返って行動している。そのどれも、俺は何があったかなんてわからない。


「だからこの話はこれで終わりにしよう。休んでいるところに騒がせて済まなかった」

 そう云って頭を下げるデヴィットに、悔しそうにするジョーに、その理由を正すことを俺はできなかった。

「いや、俺も意味のわかんないことして危ないことしたから、悪かったってそれだけ云いたくて。だからジョーもデヴィットも、ありがとう」

 だから本来の目的のために頭を下げれば、彼らは弱々しいながらも笑みを返してくれた。


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