第29話:帰るぞ
どうやって蹴散らしたのかはあまり聞きたくないが、神官の手下はほとんどが昏倒させられており、外に出た瞬間深々と溜め息が出てしまった。
「どうされました、ビルさん」
いきなり声をかけられて、それがデヴィットに付いて残ったあの構成員であることに気付く。少し片言の共通語は、気を遣ってくれたのだろうか。
「あっけないと思って」
「──そうですね、確かに、まるでままごとのようでした」
俺がレジーク語で返せば、彼は小さく微笑んで大陸の言語で続ける。百人近い人間がその場に昏倒しているというのに、ままごとで済ませてしまうあたりこいつも普通ではない。
「まぁ今回は、場所のおかげですね。神官の技を使われたら、私どもでも少々難しかったと思います」
神官の技。そういえばルカが云っていた。あっと云う間だったが、あの時は本当に嫌な気分に陥ったものだ。あんなものを神官という神官が使えるのなら、勝目はないなと改めて思う。
「お、メイリン、追いついたか」
「大将、副将。ご苦労様です」
そう云って男は、九十度近く頭を下げる。図体がでかくがたいも良いが、話し方はだいたい丁寧だ。その容貌から南の人間らしい雰囲気が出ているものの、名前からは判断がつかない。
それよりも俺は、ジョーが捕まえている男に目が行ってしまう。気を失っているのか目を閉じているだけなのか、ひとまず顔を俯かせているのは、ネイシャを連れて行った神官ヤオン=ヤード。大人しく手を拘束されている。
「メイリン、悪いがウィリアムのところまで運びたい。手配してくれ」
「かしこまりました」
ウィリアムって誰だっけと思ったところで、そういえば将軍がそんな名前だった気がすると思う。確かにあいつに引き渡すのが当然なんだろうが、思わずネイシャを見てしまう。
連れて行ってしまって良いのだろうか、彼女にとって、唯一近しい場所に居た人間を。
「ジョー、あのさ」
せめて連れて行く前にと思って、俺がジョーに声をかけたのがいけなかったのか。こちらを振り返ったジョーから、拘束されていたはずの両手が滑り落ちる。
「心落!」
神官の声がいきなり落とされて、全員がその場に足を付いた、と思う。とにかく俺は息が苦しくて、回りのことまで気にしていられなかった。
俺が話しかけた所為で隙が生まれたのか、神官の術が放たれているのだと気付いたのは、随分と遅かったと思う。柔い心臓が持つかどうかの心配よりも、また同じ手を喰らうのが癪で、とりあえず隣に居たネイシャを抱えることだけはした。
──ねぇ、ビル。私、幸せなの。
あいつの声が響く中で、俺は必死に意識を保とうとする。だが必死にそうしようと思うと、余計に意識はあの日に戻って行く。
──駄目じゃないか、寝台から出てしまっては! まだ歩けるような容態じゃあ……!
──なんでおまえなんだよ、どうして俺じゃないんだよ……!
──もしビルが死んだら、誰の命もないと思え!
雨上がりの匂いがした。これは本当にあの最悪な日の記憶が呼び起こされている。
どうにか意識を逸らそうするもののそれも難しく、ただただ目の前に居るネイシャをかばうよう、弱々しいながらに力を込めた。だからリュースと呼ばれるまで、俺はただただ目を瞑って、必死にネイシャを抱えていた。
「リュース!」
強く呼ばれてようやく目を開けると、目の前にネイシャはちゃんと居た。そのことに少し安堵する。
「ああ、悪い。……大丈夫か?」
「私は何も。だけど……神官は逃げたみたい……」
「逃げただと……!」
ジョーが血相を変えて立ち上がったとき、既に目の前には誰も居なかった。全員が顔色悪くその場に座っているだけで、神官と名乗るあの男の姿は何所にもなかった。
・・・・・
「久しぶりだな、ビル殿!」
そう云って爽やかに手を挙げた将軍に、俺は短い溜め息を吐いてしまう。いつもなら一番空気の読める人なのに、今回に限ってはそうではないらしい。
「ネイシャを無事連れ戻せたようで何よりだ。──良かったな、ネイシャ」
「──はい」
嬉しそうに微笑む将軍にネイシャは小さく笑顔を見せた。まるで兄妹なのか親子なのかと思うやり取りだが、和やかな雰囲気はここだけだ。後ろにはやけに静かなジョーといつも通り静かなデヴィットが肩を並べている。ジョーは特にこれから死せる戦場へ向かうのではないかというぐらい、意気消沈としている。実際は戦場へ向かう時のほうが元気だったとは、やはり何所かおかしい。
「で、あんたはなんでここに居るんだ」
俺はとりあえず、それだけ知りたい。教会から出た俺たちは暴れるジョーを押しとどめて、ひとまず帰るため行きと逆の道を進行していた。そうしたらちょうどリヴァーシンとの国境に、彼らは居たのだ。
「もちろん、リヴァーシンの復興に決まっている。たまたま(、、、、)ここらを偵察していたら、たまたま(、、、、)貴君らが戻って来たというわけだ」
……ああそうですか。そんな笑顔で云われると、俺としても絶対わざとだと云う勇気はない。立場上国として参加することはできないが、こうして来てくれる辺り将軍も義理堅い。来たのが天帝の命令なのか、はたまた彼自身の決断なのかはわからないが、まぁどちらにせよ人が良過ぎる。
「それで、後ろの海賊殿はどうしてそう不機嫌そうなんだ」
「──さぁ……」
ヤオン=ヤードが逃げたと気付いたジョーは、そのまま追いかけようといきなり走り始めた。それを引き止めたのは、もちろん彼の相方デヴィットである。そこまで深追いする必要はないとかなり強い口調で諌め、どうにかジョーをここまで引っ張って来た。顔を上げるジョーに、いつもの笑顔はない。
「俺は……絶対あいつを捕まえるからな」
云うだけ云ってジョーはさっさと歩いて行ってしまう。礼も謝罪もまだ何もできていないというのに、不機嫌な様子を隠さないまま一人先へと帰る。
「手間のかかる奴だ。気分を害したのなら済まない」
デヴィットもそれだけ云って、ジョーの後を追いかけてしまう。シーバルトの大勢は既に先行して帰っているから、残されたのは俺とネイシャだけだ。こちらから頼んだとは云え、礼も満足に云わせてもらえないとは、流石シーバルトと云うべきか。
「はぁ、なるほどな」
「何が」
「ジョーはああみえて律儀者だからな、逃がした自分が許せないんだろう」
「だけど俺は、神官を捕まえろなんて云っていない」
俺が頼んだのは、ネイシャの保護。それだけだ。こいつを連れ戻すために、リヴァーシンに一緒に行って欲しいと、そう頼んだだけなのだ。神官を捕らえようとしているのは将軍たちであって、俺ではない。
「お待たせしました、将軍」
間が良いのか悪いのか将軍に答える閑を与えず、彼の部下である隊長が戻って来た。莫迦正直な隊長は俺に軽く頭を下げると、報告しますと声を上げる。
「シーバルトの者たちが手を抜いたので、怪我人程度で死者は居りません。全員が昏倒だけのため、私たちが駆けつけるより先に何名かは逃げた可能性があります」
どうやら御丁寧に俺たちが暴れた教会の後片付けに行ってくれたらしい。被害状況はそこまで酷くないはずだがと思ったところで、隊長が余計なことを云う。
「大きな被害はありませんが、教会の奥にある祈りの間が酷い有様でした」
「どんな状況だったんだ?」
「ええと、修繕不可能に近いです。全部の鏡が割られ散乱しているので、しばらくは立ち入り禁止に」
「……悪い」
思わず謝ると将軍も隊長も、きょとんとした顔で俺を見る。……いやだから、これでも反省してるからそういう目で見るのやめてくれないだろうか。
「俺がやった、悪い」
「ビル殿が?」
今度は将軍と隊長で目を合わせては不思議そうにする。だからもう、外してくれ。
「悪い」
それしか云えなかった。自分の顔を潰して歩いたなんて、とち狂ったとしか思われないだろう。まぁ実際見ていたジョーたちに誤摩化しは利かないだろうが、その他には説明が面倒くさい。ネイシャまで俺を見ている気がして、俺は溜め息を吐くしかない。
この世で最も嫌いな、俺の顔。
以前よりは見ていても問題なくなった。だがあれだけの数をいきなり見ると、とち狂いたくなるのも仕方ない。将軍たちに俺が云えることは、悪いという短い謝罪だけだった。
・・・・・
「帰るぞ」
将軍たちがリヴァーシンへと去った後、いきなりそう云って手を引かれ、私は逆にびっくりしてしまう。勝手に後ろをくっ付いて歩くことはあったけど、こうして手を引かれるのは初めて会ったとき以来だ。リュースの感情はいまいち読み辛くて、私はこれでも少しは遠慮していたのだけれど。
──帰るぞ。その一言が嬉しくて、私はつい手をぎゅっと握りしめる。
リュースの手は大きくて、私の手なんて気を抜いたらすっぽり抜けてしまいそうだから、こうやってきつく握っていればいつまでも取れないかもしれない。怒られるかもしれないと一応リュースを見上げれば、彼は意外にも心配そうな顔をしている。
「……悪かった」
「え?」
「おまえに怪我させるつもりは、なかった」
私のほうを見もせずに云われ、いきなりなんの話だが理解ができなかった。一応考えてみようと小首を傾げたところで、ふいにリュースが私のほうを見た。
「痛むか?」
「えっと……何が?」
何を云われているかわからず、素直に問い返すとリュースはようやく私を見て少し呆れたように云う。
「腕」
「え、あ……」
云われるまで気が付かないと云うのもおかしなぐらい、結構深い切り傷ができていた。大怪我というほどでもないのだけれど、通常の生活ではつかないものだ。
「ああ、ガラスで……」
いったいいつやったのか記憶にないほどだったから、余程一所懸命だったのだろう。 あのときは、リュースを説得することでいっぱいいっぱいだった。ガラス片があれだけ飛んだのだから、傷がついてもおかしくはなかった。
「悪い」
リュースはばつが悪そうに、またしても謝るけれど、私はちっとも気にしていない。
「残らなければ良いけど」
「良いの、これぐらい」
「良くないだろ」
「リュースが来てくれたから、それだけで嬉しいから」
誰かが迎えに来てくれるということが、こんなにも嬉しいことだとは知らなかった。今まで私に会いに来るのは、国王かおばあさまか、神官だけだった。彼らは迎えに来てくれるわけではなく、ただ観察して帰るだけだ。私を連れて行くのは公演の時ぐらいで、そのままお見送りまでされてしまう。
帰るぞ。その一言がやっぱり嬉しくて、私はまたしても冷たい手をぎゅっと握りしめる。
するとリュースの顔が若干歪められたことに気付いて、そういえばとはっとする。
「リュースのほうが、血が……」
「……あ? ああ」
今気付いたとでも云うように、身体中を見て少し驚く。たぶん本気で気が付いていなかったんだろうけど、一つひとつは大した傷ではないものの、切り傷が腕にたくさんできてしまっている。ガラス片を浴びたのだ、きっと細かいところがあちこち切れているだろう。服に血がにじみ出ていて見た目はとても痛そうだ。
「大したことない」
リュースはまるで気にした様子もなく、その一言で片付けようとする。
「駄目だよ、帰ったら消毒!」
私が意気込んで云えば、リュースはまるで珍獣でも見るかのように私を眺め、それから小さく笑った。あ、笑ったと思う。いつもリュースは言葉が少なくて、笑うことも滅多にない。いつも仏頂面を下げて背もそれなりにあるのに背中を曲げて下を向いているから、外見も話しかけ難い。それでも私は、たまに見せてくれる自然なリュースの笑い顔が好きだった。
帰る場所と引いてくれる手。
それだけあれば、私はひとまず、幸せで居られると、そう思うのだった。




