第28話:二度と見たくない
「ネイシャ……!」
後先考えず突っ込んだそこは、予想の通りあまり広くはなく、何所かに通じる道もない。追われている者が逃げ込んだところで、追い込まれるだけの部屋だった。
しかし俺とってその部屋は、予想外だった。
追いかける者が俺でなかったら、この部屋で簡単にネイシャを捕らえることができたかもしれない。だが俺はこの部屋に入って早々、この世で一番見たくもないものを見せつけられた。
「……なんだ、よ」
目の前の、部屋の奥にネイシャを抱えた神官が居るのは見えていた。だがそれよりも俺の目を占領したのは、部屋中に敷き詰まっている自分自身の姿。
「ようこそ、異国の民。神聖なる祈りの間へ」
追い詰められているはずなのに何所かしら余裕を含む神官の声が、狭い部屋に響き渡る。それでも俺は、動くことができなかった。
ミラーハウス。
そう呼べるほど、その個室は鏡で埋め尽くされていた。
「あ……」
真っ直ぐに自分の顔を見るのは、何年ぶりだろう。憎くて憎くて堪らないこの顔。
──だ、第一子卿、ですよ、ね……。
そう云って俺から目を背けた、レーイの侍女。
──あんたの顔なんて、二度と見たくないわ!
セレナに最後に云われたのは、たぶんその言葉。
──済まない、ビル。済まない……。
リュークはそう云って顔を背けた。こんな従兄で済まないと云うリュークを批難する気など、何所にもなかった。
一人屋敷に戻って鏡を見た瞬間、俺はそれを叩き潰した。確かハヴァーズがすべてを片付けて、以来俺の屋敷に鏡は置いてない。誰よりも俺の顔を一番見たくないのは、俺自身だ。
「……──っ!!」
見たくなくて顔を背けても、目の前に自分の顔が現れる。あまりに恐ろしい事態に、俺はどうしたら良いのかわからなくなる。鏡に写っているのは俺だけではない、目の前に居る神官とネイシャもだ。だが俺はそれを気にかけていられるほど、冷静を保っていられなかった。一刻も早く、目の前の偽物をすべて壊してしまいたかった。
「──何を……!」
いきなり近場の鏡を割った俺に、神官が戸惑いの声をあげる。それでも俺は恐怖を拭い切れず、見える範囲にある鏡を順番に叩き割って行く。剣の刃は堅い鏡を壊すのにどんどんぼろぼろになっているが、俺はそれさえ構っていられなかった。
早くこの偽物を殺さなくては。
早く俺が、死んでやらなければ。
──ねぇ、ビル。私、とても幸せなの。
そう云って笑うあいつの笑顔を、守ってやらなければ。
ぱりんぱりんと不快な音が響き渡る。いったい何を目的に入って来たのかも忘れ、俺は狂ったようにただひたすらに鏡を割る。
・・・・・
「ネイシャ……!」
慌てたように来てくれたリュースの声は、祈りの間によく響いた。しかし入って来た瞬間、リュースに驚愕の表情が浮かんだ。
ミラーハウス。
この祈りの間はそうとも呼ばれる。壁全体が鏡で敷き詰められているのだ。この祈りの間では幾人もの自分自身と対面する、そういった意味も込められている。神と対面するのに、何所を見られても恥ずかしくないという意味を込めて、祈りに来る国民を試す場所だ。
「ようこそ、異国の民。神聖なる祈りの間へ」
神官が丁重な声で呼びかけるが、リュースはそれに応じない。応じるような言葉でもないが、リュースの様子がおかしかった。
「リュース……?」
小さく呼んでみるが、リュースに反応はない。ただ真っ直ぐに前を見て、呆然としている。いったい何を見ているのだろう。私を見ているのだと思っていたが、何かが違う。視線の先を追って振り返ると、そこには壁の代わりに鏡がある。鏡の中のリュースと目が合って、私はそこに恐怖を見つける。
──いったい、何を怖がっているのだろう。
鏡に写るのは、リュースと私と神官だけ。神官に抑えられている私は、どうにか顔しか写っていない。そこにリュースが怖がるようなものは何一つないのに、彼は怯えたように一歩後ずさった。
「あ……」
リュースから漏れた声が、狭い部屋に響き渡る。初めてだという戦場でも怖気付かなかったリュースが怖がるなんて、いったいどうしたんだろうと私は気になってしまう。どうにか神官の手がどかせないかと力を入れるものの、祠に居ただけの非力な私では大人の力に及ばない。
「リュース……」
「大人しくしていなさい、女神。ここは貴女のために、民が祈る神聖な場所ですよ」
神官の腕の力がさらに強くなり、私は抵抗を諦める。でも逃げる努力をやめたわけじゃない。何かできないだろうかと思ったところで、
「──っ!!」
悲鳴にもならない悲鳴が聞こえて、顔を上げた瞬間にガラスの割れる音が響き渡った。他の誰かが追いついたのかと思ったが、そうではなかった。悲鳴を上げたのは前に居るリュースで、彼を認めた瞬間にまたしてもガラスの割れる音が響いた。
リュースが壁の鏡を、次々と割っているのだ。
「──ちっ、異教徒が」
珍しく罵倒を吐き出した神官が、私を抱えながら移動する。割れてばらばらと散るガラスでよく見えないが、リュースは次々と壁を割って行く。
「リュース」
私を助けるために、彼は来てくれた。私の為に、シーバルトのみんなを連れて来てくれた。家族さえもろくに見たことがない私にとって、不思議な感覚に心が動揺している。
リュースは、私に選ばせてくれる。それだけのことに、暖かくなった。まるで初めて、名前を呼ばれたときのように。
ガラスの間から見える苦痛そうな顔に、もどかしい衝動が走る。助けてあげなければ。あんな顔、やめさせなければ。
「リュース……」
どうにかこの腕から逃れる術はないだろうか。そう思っている間に、神官は私を連れてどんどん壁伝いに逃げて行く。リュースがどんどん私たちに近付いているからだ。けれどこの部屋はさして広くない。あっという間に最初の立ち位置と逆転してしまっては、神官が外へと逃れてしまうだけだ。外にはたぶん他にも助けが居るけれど、神官に逃げ道を与えてはいけない。
何より、リュースを放ってはおけない。
今のリュースに、私たちは見えていない。ただただ鏡を破壊する行為に執着している。いったい何が彼をそんなことに駆り立てているのか、そんなこと、今はどうでも良い。何よりも早く、ただ彼を助けたかった。あんなにも辛そうな顔をするなんて、見ていられない。女神だと云われても私に力なんてない。ずっと引きこもりだったから、成人男性に抵抗できる力もない。こんなとき、自分は本当に無力だと思う。
ばらばらとガラスの割れる音が何所までも響く。
「いったい何をとち狂っている……」
苛立ったような神官の口調は、本当に珍しい。いつだって余裕たっぷりな神官しか見たことがないから、ちょっと不思議な気分になる。私と対面するときはいつだって泰然としているのに、最近は国が滅びてしまった所為もあるんだろうけれど、なんだか切羽詰まってる。
神官。おばあさまと一緒に、私を毎日見に来ていた人。誰かに会えることが嬉しいのに、それでも私にとっては恐怖の対象でしかない人。
──リュース。
どうすればと思ったところで、突然の衝撃が私を襲った。派手に前に押し出されて、拘束された手が解かれたことがわかる。
「ネイシャ、大丈夫か!」
そんな声が聞こえたのは、後ろから。私がぐずぐずどうすれば良いか悩んでいる間に、どうやら半周して出入り口に着いてしまったらしい。後ろを振り返ればそこには、神官を押さえつけているジョーの姿がある。
「……何、やってんだ、あいつ」
そのジョーが困惑したようにリュースを見て、私ははっとする。リュースは未だガラスを割り続けて、もう少しで私たちのところまで辿り着こうとしている。ガラスが飛び散る室内は、とてつもなく危険だ。だがそんなこと構っていられない。
「リュース!」
慌てて駆け寄っても、リュースは狂ったようにガラスを割り続ける。まるで仇敵がそこに潜んでいるかのように、彼は剣を振り続けている。
「リュース!」
ガラス片が身体に降りしきる。何所か切ったかもしれないけれど、気にしていられない。剣を振り上げている前からは近づけず、ようやくリュースの後ろに回り込んで、後ろから抱きしめる。
「リュース!」
抑えられない腕は剣を振ろうとし、リュースの力に及ばない私は引き摺られそうになる。それでも私はどうにか踏ん張って、リュースに叫び続ける。
「……もう大丈夫だから、リュース!」
必死に叫んでぱりんとまたガラスが割れた瞬間、それとは違う、金属同士が弾き合う音が響き渡った。
カランカランと狭い部屋に音が続いた後、ガラスの割れる音は鳴りを潜めた。いつの前にか瞑っていたらしい目を開くと、リュースの前に居るデヴィットが刀を鞘に収めるところだった。リュースの垂れ下がった手に剣はない。どうやら彼のおかげで、リュースは止まったみたいだ。私は本当にただただ無力だった。
「リュース」
ぼんやりとするリュースに呼びかけ、無理矢理こちらを向かせると、彼は曇った瞳のままではあるが私を見る。
「……あ」
突然私を見つけたように、彼は小さく声を漏らした。原因が何かなんてわからないが、ひとまず鏡から視線を逸らせたことが良かったのだろうか。私の後ろにはリュースが破壊し尽くした壊れた鏡しかない。まだ若干残る鏡を見せないよう、 私は必死になってリュースを押さえ込んだ。
「もう、大丈夫だからリュース」
助けてもらったのは私だが、なぜかそう云いたくなった。辛そうなリュースの顔を見たからだろうか、あんな顔しなくて良いからと説得したくてただただ言葉が漏れる。
「ネイ、シャ」
「うん」
ぼんやりと見る目は、次第に平常に戻って来ているようだ。
「──動けるか、ビル」
立っているデヴィットは、リュースより頭一つ分だけ小さい。少しの間、かがんで様子を窺っていたデヴィットが冷静に尋ねると、リュースもようやく現状を把握したようだ。破壊し尽くされたガラスを見ながら、リュースは溜め息混じりにああと返事をした。
「……俺は、何をやってるんだ」
そう小さく漏らした言葉はか細くかったが、私にははっきりと聞こえた。
「リュースは、私を助けてくれたんだよ」
神官の腕から逃れる術すら思いつかなかった私とは違う。リュースはリュースにできることをしてくれたんだと云う思いで云えば、彼は奇妙な顔をして私を見る。まるで珍獣にでも会ったかのようなその表情に、私の顔はどんどん不機嫌そうになったと思う。
「リュース、ありがとう」
それだけは伝えたくて云えば、彼は居心地悪そうに目を逸らして、小さくああと呟いた。




