第25話:理由はない
「なぁ、ビル。そういえばルリエールに挨拶して来たのか?」
いきなりジョーにそう尋ねられて、俺はたぶんいつもよりさらにしかめっ面になったと思う。黙っているのを良いことに、ジョーはあれこれと話を膨らませて行く。
「やっぱ戦の前っつったら女と過ごすだろ。で、朝起きたら男は居ない、みたいなのがよくある話じゃん。──あ、そこの莫迦な夫婦は除くけど」
と、いつも通り無口なデヴィットを顎でしゃくると、彼も俺に負けない憮然とした顔を見せる。
「戦に向かう夫を見送るのは、武士の妻たる者の役目だろう。千鶴は武家の娘だ、心得ている」
武士ではなく海賊になったんではなかったかと、思わず突っ込みたくなったがやめておいた。そういえば千鶴はきちんと見送っており、その姿を見ていたら申し訳ない気持ちにまでなった。家族から命を預かって助けてもらうというのは、やはりあまり気持ちの良いものではない。
まぁそんな感想は置いといて。
「だって戦だぜ? ルリエールなんて絶対許しちゃあくれなかったろ? どうやって説得したんだ?」
語るデヴィットを無視してジョーは自分の中でできた世界を語りまくるが、俺はそれに答えるわけではなく疑問で返さなければならない。
「……どうしてルリが出て来るんだ?」
さも当然の質問をしたというのに、ジョーは逆に驚いたように訊き返す。
「だっておまえらできてるんだろ?」
「できてません!!」
長い問いかけの答えは、俺でもなく、またここに居ないルリエールでもなく、なぜかポールが大きな声で簡潔に導き出してくれた。
「おいおい、ポール。嫉妬で人の恋路を邪魔しちゃあいけないだろ」
「邪魔してるわけじゃあないですよ! もともとできてないですってば! そんな可能性一ミリもないです!」
まるで自分が噂されているかのように、ポールは全面的に否定している。否定してくれるのはありがたいのだが、当の俺がどうしたら良いのかわからない。自然黙っていることしかできず、俺は考えをルリエールへと飛ばす。
そういう風に見られているのは、非常に困る。
ルリエールはネイシャを取り戻すことには賛成だが、戦については難色を示していた。だがそれよりも、俺の体調が良くないことを一番心配し、戦よりも身体のことばかりで迷惑をかけた。三日間寝込んでいる間、世話をしたのはほとんどがルリエールだったらしい。ルカは施療院があるから仕方がない。今朝、無断で宿を出て来たのは、ダグに云われたままにそうしたのだ。リヴァーシンへ向かう日時については漏れる可能性があるから、関係者以外には公言していない。当然ルリエールも知るはずがなく、俺はたぶんそのおかげでここに居られるのだ。
「結局、ルリエールには会っていないのだな」
ぎゃーぎゃーと騒ぐジョーとポールを無視し、デヴィットが遠慮がちに訊いて来る。
「今日は会わずに来たけど、なんか問題でもあったのか?」
「ルリエールはできた娘だ、何事にも一所懸命になる。だがあんたには、今までのルリエールを知っている俺たちからしても、入れ込み過ぎているように思うのだ」
それは単なる余所者への珍しさからかと思っていたが、よくよく考えるとこの間デヴィットに云われたように、ここはほとんどが余所者の集団なのだ。
──ビル様、私、待っていますから。
どうしてこうも、俺の周りには性格が良くとも趣味の悪い連中が居るのだろうか。可能性に行き当たると深々溜め息を吐かざるを得ない。
「……できれば知りたくなかったな」
「それは……済まない。だが一応は戦だからな、心残りはないに限る」
「今ここで云われても、解決できないだろ。おまえに話して楽になるわけでもないし」
「無論だ、俺が色恋沙汰の悩みなど聞けるわけがないだろう」
それでもあんた、既婚者ですかと突っ込みたくなる。
「俺は死ぬ身である自分が家庭を持つことなどないと思っていた。器用ではないからな。だからそういった感情もわからずに居た。千鶴のことだって、戸惑ってばかりだった」
そういうのはすべて、千鶴と仲間に教えてもらったのだと彼は云う。最後の最後まで自分の気持ちにすら気付かず、戦の直前になって初めて自分の気持ちに気付いた。だからそんな自分が誰かの心を代弁するのは難しいとデヴィットは云う。ただ、そんなデヴィットから見てもそう感じられるというのは、あんまり良い傾向ではない。
──ビル、私は今、とても幸せよ。
そう微笑んでいたレーイを思い出して、俺のテンションはますます下がる。人をそこまでかき立てるなんて、恋愛とは恐ろしいものだ。今の俺にはまったくと云って良いほど未練がない。死ぬ間際に親父とかおふくろとか、ひとまず付き合いのあった連中のことは思い出すだろうが、奴らに死ぬ前に会いたいとか、そういった未練すら出て来ない。
だから戦を前にこんな話をする船長に、呆れることもできない。
「船長、出ましたよ!」
深々と溜め息を吐いたところで、偵察として出ていた何人かが戻って来る。そう、目的地はもうすぐそこなのだ。
「神殿では、ヤオン=ヤードを首魁とした一味が結成されてるっす!」
「住民は既に、ここらには居ないですね」
リヴァーシンの民は現在の王に反対しクレアバール天帝を頼った。結果調停に乗り出したクレアバールに戦を吹きかけたリヴァーシン国王は、かの国に潰されることになった。要するに、リヴァーシンの神官に付いて行こうとする者など、そう多くはない。ほとんどは既に故国を一時離れて、クレアバールの土地で暮らしている。
「ってことは、目指すはやっぱり神殿か。一味ってのはどんぐらいだ?」
「ざっと百人程度です」
「百人とは……意外に少ないものだな」
「何所かの嘘みたいな海賊とだいたい同じだな」
「おいこら、ビル! 俺たちは誠の海賊なんだよ、そこらへんケチつけるな!」
怒るところはそこなのか、と思う。俺からすれば、シーバルトに八十人もの構成員が居ることなど、こうして力を貸してもらう事態になるまで知らなかった。だからそっちの方が驚きなのだが、海賊団としては人数として足りないのだと副船長は云う。
「まぁ別に、最近はこうしてシーバルトだけで動くこともないから困りはしかったのだが」
そう云って苦笑されると、俺としてもどうしたら良いのかわからない。無理矢理力を貸せと云ったわけではないが、俺のわがままで貸してくれと頼んだ手前、国の力なしに引っ張り出してしまった罪悪感はやはり残っている。
「でも俺たち下っ端で80人、船長と副船長2人で50人分の働きですから、合計130人になります!」
その罪悪感を吹き消してくれようとしたわけではないだろうが、ポールがまるで自分のことのように得意げに胸を張った。
「おお、じゃあビルを加えたら、150人ぐらいか?」
「……買い被り過ぎだろ」
俺の剣なんて、本当に微々たるものだ。剣を持つ。それに理由はない。所詮は貴族のたしなみのような、本当に下らない理由で持たされたのかもしれない。特に俺は力が弱かったから、少しでも体力をつけるために、従兄がしょっちゅう訓練をつけた。単にそれだけのこと。生まれたら必ず剣を持たなければならない武士と、一緒にしないで欲しい。
「まぁおまえには、先陣切ってネイシャを助けてもらわないといけないからな。大船に乗ったつもりで俺たちに付いてくれば良いんだ。俺たちが貫きゃ、勝てるから」
さも当然のように云われて、俺はしばし言葉を失う。百人の中に突っ込んで一人を救出し、誰も傷付けず戻って来ることなど、できるのだろうか。
俺の不安など知った風もなく、船長は立ち上がって大きく伸びをする。
「しかし、異国で神に弓引くとは思わなかったよなぁ、デヴィット」
「帝に弓引いた逆賊が、それぐらいで怖じ気づくまい」
「おいおい、笑えないからその冗談」
そう云いながらも笑って剣に手を当てたジョーは、眼帯を片方の手で取った。抉られた傷跡がただただ痛々しく見えて、でもなんとなく目をそらせず真っ直ぐそれを見る。デヴィットにつけられたその傷を、ジョーは誇りにしているという。ならば今は、誇りを見せるときなのか。
「じゃあ行きますか」
と、近所に散歩へ行くような身軽さで、ジョーは俺に合図した。
・・・・・
少数でリヴァーシンの中心地へとやって来た俺たちは、王宮・神殿の隣接する近場で足を止めた。あまりの静けさに少しぞっとしていたのもあり、立ち止まってくれたことに感謝し俺は息を吐く。静かなのは嫌いではない、むしろ好きだ。だがここは、生活していた形跡があるのに静かだ。それはまるで廃墟のようで、気付かず人が居なくなったようで、なんだか落ち着かない気持ちにさせた。
「神殿、か」
云ってジョーが見たのは、見てすぐそれとわかるほどに巨大な神殿。 崩れかけた王宮の隣に、荘厳なる神殿が立っていた。そしてその横に、申し訳程度に建っているものが一つ。
「──ああ、教会か」
俺の視線に気が付いたらしいデヴィットが、親切にも疑問を解消してくれる。
「王宮や神殿が貴族らの場所なら、教会は民のために作られた、女神へ祈る場所らしい」
「……教会」
あまりに立派に神殿が建っている所為か、その存在は忘れそうになるほどかすんでいる。
「俺たちが狙うのは、神殿だけどな。んー、こうやってみると立派な建物だ、壊すのももったいないなぁ! 中がちゃんと見てみたいんだけど、そんな余裕は……ねぇよなぁ」
建物を前にうずうずとしているジョーが珍しく、つい視線をそちらに向けてしまう。するとジョーはああすまんすまんと軽く謝って来た。
「ネイシャを助けるのはもちろんするぞ、当たり前だ」
「いや、そうじゃなくて……」
「大将はこういった西大陸の建築物に弱いんだ。俺や大将の大陸は、ほとんどが無駄に広くて長いだけのヒラヤだからな」
ヒラヤというのがいまいちわからないままに、俺はジョーが見とれる教会を見る。西大陸はすぐに崩壊するから、建築物もあまり装飾が少ないと聞いていた。無骨で頑丈な建物こそ戦争に勝ち抜けるから、どちらかというと城塞のような頑丈でシンプルなものが好かれたようだ。だが目の前に建つのは、明らかに宗教関係とわかるほど荘厳なもので、柱一本一本に細かい彫刻が施されていたり、石造の塔まであるようだ。これこそリヴァーシンが、この戦争大陸で長らく持ち続けて来た証明のようである。
「やっぱり恰好良いよなぁ、昔はこういうのが幾らでもあったんだってよ。レジーク王朝とかがその典型でさ。俺たちも少しは見習って、上に積み重ねれば良いのに」
「あるだろう、塔ぐらい」
「派手さが足りないだろ、別に嫌いではないけどさ、やっぱりこんなデザインでさー」
と、なぜか戦争の前に建築物の品評に入ってしまった。まさか本当に古い建築物の鑑賞会を開くことになろうとは、ついこの間だと云うのに、既に将軍との会話も懐かしく思い出せる。
こういった建築物は母国にもある。何所だろう。あんまり詳しくはないが、こういった飾りは法術師の建築物に似ている。術師と呼ばれる特殊な力を持つ世襲制の一族は、こうした派手な建築物を建てている。俺のおふくろは彫刻を仕事としているが、あの人が作っているのと今ここにある石造とはまた違う。俺の家は親父の所為で召喚師よりだから、法術師らしいものがよくわからない。しかし、ジョーがこういったものが好きだとは意外だ。
「壊さず穏便に済むと良いが……」
「そう簡単に行くわけないだろ。神官に取って女神ってのは宝だ」
そういえば俺はリヴァーシンという国の独特な感覚に理解できていないまま、ネイシャに会いに行くことを決めた。祠で祈り続ける女神という存在がただただ残酷だった。俺の疑問を表情ですぐに汲み取って、デヴィットは説明してくれる。
「女神を排出していたロウリーンリンク家の生き残りは、もうネイシャだけだ。先代は二、三年前に息を引き取った。親族は居ても、ほとんどが男ばかりらしい」
「女神の、先代?」
「ネイシャからしたら、ばあちゃんになるんじゃないか? 俺も少ーしだけ見たことあるけどな。あの隙間から」
ネイシャがこもっていた例の小さな塔を指す。つまり2、3年前まで、あそこにはネイシャの祖母が居たのだ。ネイシャにとっての、祖母。それが先代の女神。ならばネイシャの両親とやらは、いったい何所に居るのか。俺はそういった素朴な疑問すら知らずに、ネイシャを連れ出していた。
これでも隠れて様子を伺いながらの会話だったのだが、いきなり静かな町にそれ以外の音が響いた。振り返ればそこには、十人程度の男たち。
「聖地に足を踏み込んだか、異教徒め!」
「違う、こいつらは海賊団……賊徒だ!」
声をあげる男たちに、俺はどうしたものかと思う。今まであんなにも静かだったのに、いったいいつ近くに寄られたのだろう。まったくと云って良いほどわからない。
動揺して動けない俺とは違い、わざと動かないシーバルトの連中はしっかりとしていた。
「おしっ、ここは俺が……!」
「おまえが動いてどうする」
「手っ取り早いだろ?」
「総大将はじっとしてくれているに限る」
デヴィットは慣れた手つきで椅子を動かして、ジョーよりも前に出る。
「俺が行く」
「俺の活躍場は?!」
「我慢しろ、今回は呑気に遊んでいる場合でもない。時間が勝負だ」
「そりゃそうだけどさぁ……まぁしょうがねぇ、任せた」
動かし難い椅子と動き難い着物……みたいなもの。どう見たって不利にしか見えないというのに、ジョーは簡単に行かせる。千鶴から預かったその命を、簡単に集団の前に突き出す。
「見つかったからには仕方ない、突っ込むかぁ!」
後ろに控えていたシーバルトの連中も、迷わずデヴィットを置いて行こうとする。たった一人だけ、デヴィットの後ろに残る奴が居るが、たったそれだけだ。残りの78人は、迷わずジョーの後ろへと回ってしまう。
「デヴィット」
俺が思わず呟けば、ジョーはおかしなものでも見るかのように笑う。
「放っておけ、あいつ一人であんなもの余裕だ」
「副船長が刀を持った!」
「後方は万全だな!」
デヴィットが残ることに不安がるどころか、構成員は安心した気持ちで歩き出している。俺にはわからない感覚に、歩きながらちらと振り向けば、そこには刀を持っていたデヴィットと、敵が十数人に増えて対面していた。デヴィットの後ろの構成員は、剣を持ってもいない。
次の瞬間デヴィットの刀が宙を舞い、三人が倒れた。何が起きたのだと思う間もなく、返す刀で二人が倒れる。いったい何が起こったのか、確認する余裕もない。
「なんだ、あれ……」
「なぁ、すげえだろ、あいつ。刀を持たせたらバケモンだぞ」
正しく、デヴィットは化け物だった。目に見えないスピードで刀を振り回し、あっと云う間に周囲の敵をなぎ倒す。椅子を狙われても素早くかわす。足がないというのすら、ハンディにもなっていない。
「あれが俺の惚れた、誠の武士の刀だ」
そう云ってジョーは、見えない右目に触れる。この鮮やかな切り傷も、あの刀で一瞬にしてつけられたものだと思うと、背筋がぞっとする。あんな技量を持たなければ、生き延びられない世の中がある。 平和な国で生まれた俺が感じたことのない恐怖を、デヴィットの刀で実感してしまった。




