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旅人物語─神の居ない神国  作者: 痲時
第5章 剣の在り処
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第26話:私の願い


「女神、きちんと聞きなさい」

 思い出したのは、そう云うおばあさまの声。

「女神」

 おばあさまと呼ぶには遠い、私を呼ぶ「女神」の呼称。


 唯一の血縁だと云うのになんだか遠くて、だからと云って他にすがる人は居なかった。おばあさまと神官だけが、私と外のつなぎ目だった。


 祈りの声なんて、聞こえて来ない。

 女神なんて、誰も期待していない。


 女神なんて本当は。


「それはね、女神」

 反論する言葉は、すべて私の所為になる。

「貴女が無能だからですよ」


・・・・・


 厳かになる鐘の音で、私は目を開けた。


 そこに広がる光景は小さな宿屋でなく、緋色の絨毯が敷き詰められた教会。王宮と神殿に隣接しており、私が幼い頃洗礼を受けたと云われている場所。そんな記憶なんて、何所にもないけれど。

「おはようございます、女神」

 毎日聞いていた声が振って来て、私は一日の始まりを予感する。しかし上げた顔の先には、夕日に照らされた神官の顔があった。白い顔にオレンジが重なり、まるで夕日に飲まれて行くかのように、神官を照らしていた。

 それは今までになかった風景。

 太陽の当たる場所に出ることは、私にとってすごく稀だった。成長はしなければならないから、週に何度かは外へと出されたものの、普通の生活に比べたら数える程度でしかない。太陽に憧れた私には、太陽と神官という組み合わせが異様に感じる。

「申し訳ございません、女神の間までお連れすることができず簡易ながら」

「──祠は、何所?」

 訊かれた神官は言葉に少し詰まる。私がリュースと一緒に出たあの祠は、王宮の一部として建っていた。だからあの時の戦で崩壊してしまったとしても、おかしくはない。



「神殿も王宮も、瑣末なことです。 貴女さえ居れば、リヴァーシンは立ち直せる。ロウリーンリンクの血脈があれば……」

 そう絶対にと呟く神官に、私はなんとも云い返せなかった。ロウリーンリンクは私の家の名前。既に親族はほとんど居ない。私は親の顔すら知らない。知っているのは数年前に亡くなった、おばあさまだけ。


「貴女の血だけは、絶対に失えないのですよ。女神」

 その微笑みがあまりにも穏やかだったので、私は捕われたという緊張感すら失せてしまう。

「貴女にはより強いロウリーンリンクの血脈を生んで戴きたい」

 だから神官から、唐突にそんなことを云われたときは驚いた。

「ロウリーンリンクの女児は、非常に少ない。貴女が生まれたのは、きっとあの二人への罪滅ぼしです」

「……なんの、話ですか」

「──貴女を生んだ母親の話ですよ」

 とくんと心臓が鳴った。母親。そんな存在を、私は一度も気にかけたことがなかった。気が付けば女神の間と呼ばれる一室に住まわされ、近くに居たのは神官とおばあさまだけ。自分がどうしてここに居るかなど、気にしたこともなかった。

「そうですね、前女神が居ない今ならば、いい加減お話しても良いでしょう」

「おばあさまが居ないから?」

「前女神の娘、つまり貴女の母君は、女神になることを固辞し、異教徒の男と共にこの国を去りました」

「異教徒……」

 この大陸にはあらゆる思想があるけれど、そのどれもが脆弱だ。もともと国が脆弱である。昨日建国した国が、次の日には斃れていることなんてよくある話だ。その結果、思想も簡単に様変わりするけれど、このリヴァーシンだけは思想と共に国も長く息づいている。だから短い間にしか生き残れない思想の持ち主を、異教徒として蔑んでいる。


「異教徒と前女神の娘に生まれた子ども、それが貴女だ」

 今まで影形もなかった「親」という存在が、それだけで浮き上がった気がした。

「前女神は貴女の存在を見つけて、貴女をこの聖地へ連れ戻させた」

「……私の、両親、は」

「全力で抵抗しましたよ。愚かにも」

 二人がどうなったか、なんとなく想像がついた。今さっき私のもとに現れた両親は、影のまま消え去ってしまった。私を全力で守ろうとしてくれたのは、ここに閉じこもる意味がないから。隔離された場所で手を伸ばしたところで、助けられないものは助けられないとわかっていたから。


 たぶん私と同じことに気が付いたからだ。それでもこの国の人は、きっとその大事なことに気付かない。

「どう、して……おばあさまは私が必要だったの?」

「前女神はご高齢でしたから。貴女もご存知のように祈りを捧げなくなったら、女神も普通の時の流れに成長が戻る。女神の不在は、国の消滅」

 私の不在は、国の消滅。つまり私は、国の人柱。


「たとえ穢れた血が半分としても、貴女は貴重な女神だ。前女神の血を引く、正当なる継承者。前女神が居ない今、貴女だけが私たちの希望なのですよ」

 そして、と彼は端正な顔を微笑ませる。

「貴女には次世代に続く、新たな女神を生んでもらいたい。穢れた血の入らぬ者は、数えるほどしか居なくなりました。最悪、ロウリーンリンクの分家である私でも仕方ない。ひとまず貴女には祈りを捧げてもらい、時間を稼ぎましょう。その間に、こちらで手配致しますから」

 私が承諾していないこれからの未来を、淡々と計画していく。まるでそうすることが当然とでも云うように、色彩のない未来が白黒で飾られて行く。私の母は、見たことも感じたこともない母は、その未来を自分の手で潰した。それは自分で納得できなかったから、祠に入ることも納得できなかったから、彼女が決めた未来。


──でもネイシャはこれからの長い人生を、自分で決めることができるのよ。

 それはルリエールが私に教えてくれたこと。

「──私の願いは……」

──長いし……名字だろ、ロウリーンリンクって。だから、ネイシャ。

 あの場所に、帰ること。

「私は、女神ではありません」

 朗々と今後の未来を形作っていた神官の口が止まる。

「……何か云いましたか、女神」

「だから私は、女神なんかじゃない」

 天帝に従いなさいという声が聞こえた。そう云ったら、何かの聞き間違いだと云われた。だから必死になって聞いてみても、やっぱり答えは一緒だった。最終的に声が聞こえなくなったと素直に云えば、女神失格と罵られ私はしばらく誰にも会わせてもらえなかった。


 それでもこうして、女神として必要とされる。でも私は、みんなが望む女神じゃない。

「私は、ネイシャ。ネイシャ・ロウリーンリンク。女神じゃない」

 リュースがくれた、私の大事な名前。

「私の願いは、ここから出ること」

 既にリヴァーシンは滅んでいる。ならば天帝の民として、やれることをやりたいのだ。だが私がそう続ければ、まるで聞き分けのない子どもを見るかのように、困ったように溜め息を吐いて苦笑する。まったく何を云っているんですかと、瞳だけで云いたいことがわかった。


 だけど私も、引くつもりはない。一人で何もできないのはわかっている。でも、大人しく引き下がるつもりもなかった。私はだって、知ってしまったから。これまではずっと不安だった。私が女神として至らないからみんな幸せになれないのだと思い込んでいた。でもそうじゃないって、今なら断言できる。高いところにこもって祈っているだけでは、何もできない。私が祈っている間に、人々がどれだけの苦労を重ねて生きて行くのかを知ってしまった。さっき神官が述べたように決めつけられた未来とは違う、私にネイシャという存在をくれたあの人のところに帰りたい。ううん、帰るんだ。




 突然ばんっと大きく音が響いて、冷ややかな表情のまま私に向かっていた神官の足が止まる。入って来たのは神官の部下らしきその人もまた神官だった。たくさんの神官が居るのは知っているけれど、式典とかでしか見ない。私にはいつもこのヤオン=ヤード神官がお目付け役で居た。

「筆頭、賊徒が神殿に押し入って居ます!」

「……無粋なことを」

 賊徒という言葉に、私は首を傾げる。将軍たちならきっと「異教徒」と呼ぶことだろう。だけど私の疑問など、彼らが答えてくれるはずもない。

「こちらに来なさい、女神。祈りを捧げましょう」

 私の居場所は、「女神」と呼ぶこの人たちのところではない。

「リュース……?」

 思わず呟いた私に、神官は苛立ったように私の手を強く引いた。神官が容赦なく私の手を取ったことに少し驚く。たかが神官が女神に触れて良いことなどほとんどないのだ。それが最早、神官の焦りを象徴しているように感じられた。つながれた神官の手はとても暖かいのに、なぜだかちっとも安心できなかった。リュースの冷たいけれど、でもなぜか安心するあの大きな手が、既に懐かしくなっていた。


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