第24話:平和と戦争
リヴァーシン神国はルリエールの宿から西へ、孤児院から南へ行けば辿り着く。道らしき道はないから、方角を信じて真っ直ぐ行くしかない。確か俺の歩幅で一万少しあれば着く距離で、国が違うと云えどもそう遠くはない。俺はネイシャと会った祠とやらに行けばあいつが居ると勝手に思っていたが、実際はそう簡単なものでもなく、もうそこには誰も居ない。神官は何所か別のところに潜んでいるだろうとの見解だった。
何所だろうと俺にはなんとなく検討をつけることもできず、ただただ広がる死んだ大地を見る。宿から西へ向かい、このまま南下すれば孤児院に辿り着くという場所。ぱっと見なんの目印もないが、この間ルリエールが木片を地面に埋めていた。それがないとたぶん、道がわからなくなるぐらいこの辺には何もない。俺も何度か歩いてようやくちょうど良い場所がわかるようになった。
ベルクスとあんまり会いたくない(と向こうも思っているだろう)から孤児院には行かないが、なんとなくその中間地点から南を見てしまう。リヴァーシン神国。今はもう、滅んでしまっているその境界。
「こんなところに居たのか、ビル殿」
いきなり声をかけられて振り返れば、そこには祭り以来の、久しぶりに見る顔があった。将軍は相変わらず西大陸の武人らしく、忙しいだろうにちっとも疲れを見せていない。
「もう具合は良さそうだな」
……俺ってそんなにわかり易いのだろうか。それとも情報が早いのだろうか。本当にここの情報網はいったいどうなっているのか不思議でならない。
「貴殿を捜していたのだ。ネイシャのことで」
そう、ネイシャだ。俺はついさっきまで見ていた方に目を向ける。ここから王宮はすぐそこで、ネイシャの居た祠がある神殿もまだ取り壊されてはいない。リヴァーシン国民と天帝の話し合いが行われ、それからこれらの処理を決めるのだそうだ。だがそれらの手続きの前に、逃亡した神官を保護することが天帝の命令だと云う。
「本国にリヴァーシンの国王を護送中だが、彼はまったく話にならなくてな。女神の天罰などとたまに口にしているらしく、おそらく今になって恐れているのだろうな」
神国は絶対的にその女神を信じて来たのだ。たとえ王が実質彼女より権力を持とうとも、女神と云う存在は彼の頭の中にずっとあった。だからこそこうして国を奪われたことが女神が上にあることを思いださせ、今までの自分の行動を振り返り恐怖しているのだろう。
「だけどクレアバールとしては、女神の奪還に力にはなれない。そうだろう?」
俺が先手を持って云えば、将軍は驚いたように目を見開いた。
「いや待ってくれ、ビル殿。力になれないなどとは……」
「ならない方が良いだろう、クレバーアルとしては」
俺は何も考えていなかったが、ルカは助けてもらおうと云ってシーバルトへと俺を案内した。普通困った時、しかもそれまで戦っていた相手のことなら、国の軍に任せるべきだ。だがしかしルカはそうしなかった。なんでも力になる義賊シーバルトを訪れた。それはつまり、最初から国の軍に頼る気がなかったと云うことだ。俺がかぶせるようにして云えば、将軍はこれまでにないぐらい意気消沈する。
「それは確かに、そうだな」
女神をリヴァーシンの神殿から連れ出したのはあくまで俺個人であり、クレアバール天帝の命令ではない。逃げ出した女神を保護したのも俺で、連れ帰ったのなら守るよう命令され、一応は俺の保護下にあったと云える。そこにクレアバールとネイシャを繋ぐようなものは未だ入っていない。
リヴァーシンもほとんどがクレアバール天帝に従う者ばかりだが、未だ反発している者も居る。そうした彼らにとっては、クレアバールにリヴァーシンの女神を盗まれたと思っているだろう。だからクレアバールが再びネイシャを連れ戻そうとするのは、せっかく終わろうとしている国同士の戦争に水を差すことになる。
そこで助けになるのは、所属していない無法の海賊だ。
クレアバールに力を貸しているとは云え、きちとんした主従関係にはない。彼らは彼らのしたいように動くことができる。だからネイシャを取り戻すことは、シーバルトの総意であってクレアバール天帝の意向ではないと主張できる。
本来の海賊らしい使い方を、まさか自分がするとは思わなかった。少し自嘲気味に笑えば、将軍は申し訳なさそうに頭を下げる。
「済まない。本当ならば、私も出陣したいのだ。しかし……」
「お上からストップが出た、か」
「いや、そうではない。──実は反対しているリヴァーシン国民からさらなる暴徒が出ているのだ」
暴徒とはまた、穏やかではない単語を聞いた。
「天帝は遠からずここへと足を運ばれるだろう。そうしたらリヴァーシンを話術で簡単にまとめてくださる。それまでは刺激をしないでおきたいというのが結論だ」
信じられないような話に俺はたぶん、いつも以上に仏頂面だっただろう。しかし将軍はそんな俺に怒ることなく、穏やかに笑って添えるだけだ。
「天帝は、そういう御方なのだ」
言葉だけで大陸をまとめてしまうとは、いったいどんなお偉いさんなのだ。俺の中で王というものは、堅苦しく絶対的なイメージが先行している。母国の王にはなんとも云えない覇気があり、それがすべてをうまくまとめていたように思う。まぁそれも数年前までの話だが、俺はあの王しか知らない。
──そうか、おまえは、わからないのか。
そう云ってなんとなく笑ったように感じられたあの王は、もう居ない。
「我々はひとまず、リヴァーシン内部の混乱を収めたい」
だから今は、戦に赴くことはできないと将軍は云う。当然の結論だ。
「それは将軍にしかできない仕事だ。俺にはできない」
そう、通りすがりの俺にできることなんて、ほとんどない。だがそんな俺でも、やるべきことがある。
──それじゃあ祠に居た時と、何も変わらない。
そう云ったあいつに、祠と変わらない何かを探す、手伝いをしてやること。 そのきっかけを作ったのは俺だから、一つの選択肢としてまだここに残ろうと思う。それが拾った俺にできる、唯一の気遣いだ。
本題はそれではない、と将軍は話を切り出す。
「たまたま我々がリヴァーシン神国の重要視される建築物を一通り回っていたところ、やたら人の出入りの激しい箇所があってな」
あれからいろいろと教えてもらったことがある。リヴァーシンの中心区では王宮と神殿が主要の建物だ。しかしリヴァーシン神国は女神を奉る宗教国家であり、それは当然町村にも行き届いている。つまり各町村には必ず、女神に祈りを捧げるための教会か礼拝堂が存在しているのだという。
「そこで部下が、ヤオン=ヤードらしき存在をたまたま見かけたらしい。ついでに云えば、先日私がたまたま付近を巡回中、何度か残党らしき集団と神官を見かけた」
「……働き過ぎじゃねぇの」
最早その、人の良過ぎる性格を、天帝もろともどうにかしたほうが良いのではないだろうか。俺が感謝を通り越して呆れてつぶやけば、将軍は実に満足そうに微笑む。
「ビル殿もそのうち、ジョーたちと見学してみたら良いだろう。古いだけあってなかなか意匠の凝った良い建築物だぞ。──まぁ一度見たことがあるかもしれないがな」
俺とジョーが古い建築物に感銘を受ける趣味があるなんて知らなかった。しかし俺はありがたくそのご意見を戴き、同じ貴族仲間であるジョーにリヴァーシン神国建築物の素晴らしさを知らせたのだった。
・・・・・
将軍からの情報を得てすぐ行動を起こしたジョーは、神殿にネイシャの存在があることを確認したという。ネイシャを連れ出したその場所に、まさか居るとは誰も思わなかったのだろう。灯台下暗しだ。王宮にはもうほとんど誰も居ないが、このままだと逃げられる可能性も出て来るため、すぐ向かうことになった。
緊張していたわけではないが約束の時間より早く着けば、そこには青空の下で背中を伸ばす千鶴の姿があった。あいも変わらず難しそうな着物をきちんと着こなしている。
「あ、おはようございます、ビルさん」
しかし久しぶりに見た。シーバルトに来ても会わないことが多いのは、やはり西大陸の人間と云うよりは、南に属して居るからだろうか。あの占い師よりは違和感がないものの、この中でなかなか千鶴の恰好は目立っている。色については俺も人のことなど云えないが、違和感は残る。
「千鶴ー、デヴィットが……お、ビル、おはよ!」
珍しく髪を下ろして登場したのは、まぎれもなくジョーだ。いつも高く一つに結ってただでさえ高い背をさらに高く見せている立ち姿は、刀を持つとだいぶ様になっている。しかし髪を下ろすとまた雰囲気が変わる。まるでそれこそ東の国の貴族らしい、上品な雰囲気を醸し出す。着物を着て黙っていたらきっと、そう認められるだろう。
「どうしたんです、ジョーさん」
「あー、デヴィットが煩くて適わないんだ。動き難いから大人しくそのままで居ろってのに、どうせ椅子から立たないから何を着ても同じだとか云いやがって」
「あはは、戦地に行く時はどうしても着替えたいのでしょう。わかりました、お手伝いして来ますよ」
なんでも同じだろと呟くジョーに笑いかけて、千鶴は船へと入って行った。残されたのは妙に雰囲気の違う、ジョー・クルー船長と俺。
しかし上品な船長は積み荷に腰を預けると、胡坐を掻いて盛大な伸びをした。
「あー、久しぶりの戦だなぁ、燃えるぜ」
その姿にもう貴族の面影なんてなく、いつものジョーらしさが出ていて少しは緊張が和らぐ。うん、これでも少しは緊張しているのだ。
「おまえはいつでも元気だな」
「なんだよやる気ないなぁ、おまえが主役だろう」
いつから俺が主役になったのか、まあでも、頼んでいるのはこっちだからそうかもしれないが。
「おまえはどうして、手伝ってくれんだ」
もしかしたら死ぬかもしれないこの戦に、どうして手を貸してくれるのだろうか。義理がどうとか云ってたけど、俺には理解できない。しかしジョーは、さも当たり前のように答える。
「そりゃ、俺は武士だから。あ、武家の生まれだからそう云ってるわけじゃねぇよ」
武家なんだ、こいつ。乏しい知識をどうにか掘り起こして、東国の社会を思い出す。完全なる格式社会で身分制度が厳しく、貴族と武家は上流扱い、身分の卑しい庶民にもなれない奴らをごみのように扱っているとも聞いている。……あれ、ジョーって貴族なんじゃなかったっけ。武家だとか貴族だとか、東国の関係はいまいちよくわからないから、俺もそこで諦める。
「おまえは家に対する誇りとかある?」
「あるように見えるか?」
あったら笑えると云いながら、ジョーはげらげらと笑った。あってもなくてもどっちにしろ笑うんじゃなねぇかって突っ込みはしないでおく。
「おまえみたいな奴、東にしては珍しいよな、今はあそこも変わっちまったのかもしれねぇけど……」
噂に聞くと変化ないと云うが、下手なことは云わないに限る。今もわからない話題を捨てたばかりだ。
「おまえは東から来た割にいろいろ煩くないよな、貴族の割にはよ。別に下級貴族ってわけでもねぇんだろ?」
「……低くはない」
むしろ高い、高過ぎて逆に困るぐらいだ。王族なんてただの変え駒に過ぎないと云うのに、そう云うだけで世間は目を大きくして足の先から頭の先まで見定める。
「だよなぁ、良いところの長男だもんな。家を出て来て大丈夫なのか?」
「──まぁ、どうにかなるだろ」
できの良い妹が居るから、とは云えない。ジョーの故郷である場所は、厳しい男社会で女は公家に嫁ぐものであって、彼女自身が偉くなることはない。言語以外にいろいろ話を聞いていて良かったと、少しほっとする。
「俺はおまえみたいに考えられなくてさ。俺は自分を本当の武士だと思ってたから、家を継ぐのも当然俺だと思ってたんだよ。だけど俺は偽物だったんだなぁってデヴィットたちに会ってから気付いてな。だからこの傷は、俺の誇り」
ジョーにしては珍しく真面目な会話をしている。この間見せられた傷を再び見せることはなかったが、ゆっくりとその閉じられた目に手を当てた。古傷だとはわかってはいても、再生されないことがわかるのは見るに堪えない。だがそれこそ、ジョーの誇りだと云う。この傷がある限り、堕ちることはないと断言できる。自分を戒めるための傷だと、彼はそう語る。
「だから俺は、武士でありたい。本当の武士である為に、俺はその時正しいと思った道を進む。おまえを手伝う理由は、俺が武士であるために必要なことで、俺のためだ」
ネイシャのためでも、ましておまえのためでもない。そう続けられると、意表を突かれて何も云えなくなる。俺はそう云って欲しかった。おまえのために助けるなど、云われても困る。
ガラガラと音を鳴らしながら、千鶴がデヴィットを連れて外に出る。デヴィットは千鶴が仕立てたのか、完全なる和装と云う奴だ。実物を見たのは初めてだが、本当に戦闘には向いていない、ゆったりとした服だった。
「良い天気ですね、散歩にでも行きたいです」
「そうだな、海沿いでも歩くか」
「おい、こらデヴィット! お楽しみは帰って来てからにしろ!」
下から野次を飛ばす船長に、車椅子の副船長は明らかに顔をしかめた。
「少しそこまで歩こうと提案しただけだ、細かいことを云うな」
「おまえいっつも俺が息抜きしようとすると煩いくせによく云うよなぁ」
「おまえの場合、そのまま帰って来ないからだろう」
「ちゃんと戻って来てんだろー」
「三日後に帰って来られても、どうしようもなく役に立たないだけだ。毎度毎度雑魚を相手にせず、君主の御首だけを狙うのは武士にあるまじき非道行為だ」
「だって俺が船長だしさ」
「どういう関係があるんだ。そもそも長と云うものは陣営の士気を高めるためにだな」
「お二人とも、そろそろ向かわれるお時間ではないんですか?」
……ありがとう、千鶴。おまえが突っ込んでくれなかったら、この永遠とも云える会話に俺が水を差さなければいけなかったわけで、正直そんな勇気はない。普段冷静なデヴィットも、ジョーのことになるとなんだか口やかましい。まるでできの悪い弟を叱っている兄のようだ。
千鶴に諭されると、自然デヴィットの顔は緩くなる。
「もうそんな時間か。──着替えに手間取ったから、時間がなくなってしまったな」
「帰って来たらみなさんでしましょうね」
「千鶴、こいつはおまえと一緒に行かないと機嫌直らないぞ」
「わかっているなら最初から邪魔をするな」
「おまえが着替えなんかするから時間喰ったんだろ、俺の所為にするなよ」
「あんたは相変わらず自覚が足りなさ過ぎる。良いか、武士というのはだな」
「おまえの講釈は長過ぎるんだよ。後にしろ、後に」
ジョーは既に興味を失ったようにデヴィットから視線を逸らし、いつ取りだしたのやらその長い髪を器用に綺麗に結んで行く。髪を結ぶ姿なんて初めて見た。うちの国はだいたいが短いから、男が自分から結ぶなんてことはない。あったとしても俺の周りじゃあ、侍従やら女中やらが勝手にやって行く。貴族なんて自分で何もできない者たちの集まりだ。
「さて」
結び終えたジョーが積み荷の箱の上に立つと、いつものジョー・クルーの誕生だ。先ほどの上品さは消え、戦場に立つ主としての姿。大将としての姿だ。
「行くぞ野郎ども!」
声に反応してか、船内からぞろぞろと船員が下りて来る。こんなにも居たのかと、驚くほどの人数はこの間確認した。したものの、やはり動揺してしまう。
こんなに大勢の命を、俺の勝手で動かして良いのだろうか。
しかしそんな問答をするにはもう遅過ぎて、俺は呆然とそれを見るしかない。
「目指すはリヴァーシンの教会、目的はネイシャ、それだけだ。他は適当にやっつけろ!」
あまりにもいい加減な指示だと云うのに、答える声は大きくはっきりと響き渡る。本来なら副船長が殿を務めるのだろうが、デヴィットでは流石に抑え切れないのだろうか。彼もジョーの横に並んで進もうとする。俺はどうしたものかと思ったが、自然ジョーたちに並んだ。
この軍隊の、殿を歩くべきかと思った。そうすれば、彼らの背中が見える。借りる命の数を知れる。だがそんなことを考えている自分こそ、きっとジョーの足かせになる。余計なことは考えず、大人しく力を貸してくれたジョーの云うことを聞こう。
「忠之助さん!」
そう思った時に飛んで来た千鶴の声に、デヴィットは素早く振り向いた。
「帰って来たらお散歩しましょうね、絶対!」
なんでもない誘いのように聞こえたが、デヴィットは表情を引き締めてから頷き、
「ああ、必ず」
それから少し、表情を和らげた。千鶴は笑っていたがその笑顔は少し、歪んでいるようにも見えた。
ああ、これが戦争なのだ、と俺はようやく、それを意識をした。




