第23話:願いと選択
俺の熱は三日後にようやく治った。餓鬼の頃以来あまり熱を出さなくなったが、出すと出すで必ず三日で治る。その後はいつもの通り咳が異様に出て酷い有様なのだが、体調はそこまで悪くはなく、腹筋が痛むのは既に慣れている。あまり部屋にこもるなよとレイヴンに云われたのだが、もともと部屋にひきこもりたい病な俺としては、あまり聞きたくない命令だ。
「狭いところに居ないこと、換気はしっかりとすること、わかってるよね、ビル?」
主治医の従兄の口を真似してレイヴンが云うと、結構な迫力を感じるから不思議だ。だからと云って外をほっつき歩くとルリエールに叱られるし、シーバルトにその後の話を聞きに行きたくとも遠出は駄目と制限されるし、せっかくの西大陸だというのに結局屋敷に居るのとなんら変わらない生活になってしまう。
気が付けば俺は港に出ていた。俺が初めてこの西大陸に来た時の、あの港だ。広い海をじっと真っ直ぐに見詰める。この先に俺の故郷があるというのがなかなか想像できない。
──……帰って来て欲しいのは欲しいのですが、できれば来年の初め頃に。
来年の初めともなればもうあまりのんびりしていられない。この大陸の月日の数え方はまた母国とは違うためから少しずれるかもしれないが、とりあえず母国は今九月頃。今年の四月に辿り着いたにしては、だいぶ長居をしていることを痛感させられる。母国と違って明確な四季がないからあまり季節感が感じられないが、港の近くはやはり寒い。
「何してんだ、こんなところで」
云われて振り向けば船員姿のダグが居る。天帝による出港停止命令で未だ仕事などないのに、毎日律儀に来ているのだ。
「病みあがりのくせにこんなところに居て良いのかよ。今日は風、強いぜ」
「もう平気。たぶん」
「あ、そう」
俺もいい加減だが、ダグも大概いい加減である。いったい娘のあの心配性は何所から来たのか、ルリエールにも当然母親が居たとは思うが、ダグの妻がルリエールに似ているのかと思うとそれはそれで想像できない。もっとおおらかな人でないと付いて行くのが大変そうだ。
「ダグって仕事、何してんの」
今は仕事などないはずだから、今さらながら訊いてみる。食糧を採っているのは前に付いて行ったから知っているがそれは仕事ではない。もともと官吏だったという彼は、今はもう宮使えではない。
「港を見ることが俺の仕事だからな。ま、たまには船を出すけど、今はできんからなぁ」
船を出すのが船乗りの仕事だろうと突っ込みたくなったが、ダグに正論は無駄だろう。俺に正論が無駄なように。ダグには悪いがいい加減さでは似ているのかもしれない。
「ああでもな、停止命令ってさ、一応大陸外に出ない限り、解除される予定だったんだよ」
「え?」
「戦争は一応、終わってるからな。──本当に、終わったんだな……」
感慨深く云われるといい加減なダグ・ラジュールが消えてしまい、一人の戦争経験者にしか見えないから不思議だ。俺がネイシャと会ったあれは、戦争のうちに入らないのだろう。おそらくちびっ子ミアーナ、ロアーナの母が死んだあれこそ、一般人からした戦争。あれが容赦なく続けられる環境など、俺には信じられない。
「だけど、ネイシャが居なくなった」
「……ああ」
「遠くへ逃げられないよう、一応はまだ停止になったんだ」
ということはクレアバールとしてもネイシャが神官と共に消えたのを、見逃せないということなのだろうか。俺はてっきり、クレアバールは今回加担できないと思っていた。もちろん神官を見つける必要はあるだろうが、共に居るネイシャの処遇を決めることはできない。一度はリヴァーシンから解放したが、それは俺の勝手であり将軍の決定ではない。リヴァーシンの自治町のやつらもそういえばネイシャの解放を望んでいたっけ。
「そいやおまえ、北にも一時期居たと云っていたな」
「ああ、まぁ……」
高等部を卒業してから俺は一番近く馴染みのある、北大陸ローキアのフレイヤーバード王国をうろうろしていた。あそこで俺は世界の中の母国の位置を確認し、世の中というものを少しは知った、はずだ。
「北国はどんな感じだ?」
「クレイルースは莫迦にでかい国で、裕福層が多そうだったな」
ここに来る前に居たクレイルース大国。フレイヤーバードと並び、北大陸で1、2位を誇る大国だ。大国というにはあまり領土が広くないのだが、国全体がとても裕福そうに見えた。まぁ北大陸の場合は所詮見えるだけ、という可能性のほうが高い。
「そっか。──なぁ、おまえならどっちが良いんだ?」
ダグはまるで悪戯小僧のような顔をして、俺を見て来る。
「俺は、こっちのほうが良い」
戦争大陸・西国エウロペと、荘厳大陸・北国ローキア。
俺が初めて踏んだ異国の土地はローキアで、要らないほどの歓待を受けて正直戸惑った。天帝が孤児の受け入れを頼んだところ断ったという北大陸は、島国から流れて来たただの俺という個人をそれは怪しいほど歓待したのだ。俺はその理由など知らず、されるがまま面倒くさいから流されていたが、まぁそこらで知り合った連中に助けられ今もなんとか生きて居られる。アリカラーナの生まれというのは世界的に見てとんでもなくすごいことらしく、せっかくそこから離れたというのにその事実が母国を離れても付いて来るなど面倒くさいことこの上ない。
「知謀と策謀の大陸、それがローキアだ」
「なんだ、やっぱり知ってるか」
「まぁ、二、三年は居たからな」
知り合った連中に教えてもらった、ローキア大陸の最大の特徴。表面だけが良く裏では何を考えているかわからない。それが国同士の争いとなっている。たとえ同盟を組んでいても裏ではどんな知謀策略が巡らせているか、そこまで考えて行動しなければ気が付いた時に国が滅んでいる。そういう危うさのある大陸だと教えてもらった。
表立って戦争をしない分、裏ではどんな汚いことも平然と行われている。
それはつまり、俺が元居た場所とあまり変わりはしない。王宮と変わらない場所。俺はそんなものを求めて異国に来たわけではない。
裏であれこれ云われるよりは、表から嫌われた方がわかり易くて良い。裏で策謀を巡らす北大陸より、表立ってどんぱちやっている西大陸のほうが、俺にはまだ性が合う。最も、戦争を経験していない俺が云うことではないかもしれないが、だがダグは満足したように頷いて、見せている北大陸をぼんやりと見つめる。
「あっちの暮らしは非常に良いだろう。殺さないと生きていけなかったり、路頭に迷ったりすることなんて、あんまりなさそうだ」
確かにあまりないがその分、後ろめたい仕事は山ほどある。生きて行くには汚い仕事に手を染めることなど、厭わない連中が大勢居る。俺が知り合ったマフィア連中は大抵そんな事情を抱えていた。そういえば北国で俺を助けてくれたのはマフィアと名乗る連中で、西国で俺を助けてくれたのは海賊団という連中だ。俺はとんでもなく変な奴らに助けられてばかり居る。
「──だがここには、それが当たり前にある。だから羨ましく思ったこともあったよ。生きて行くためならなんでもしてやるって気持ちは、まぁわからないでもないからな。でも仕事なんてないんだ。その前に次の爆撃で死んでるかもしれない。だけどやっぱり、俺もここが、ここの正直さが染みついているんだろうな」
北大陸に亡命すれば、衣食住に困ることはない。仕事は選ばなければ山ほど来るだろう。だがその代わり、人間的な感情を殺して生きる術を身に付けなければならない。自分を正直に出すこともできず、すべてが上っ面の世界。
──生きて行く代わりに、人間さを忘れる。それは確かに、ダグにはできそうにもない。
「俺はやっぱり、自分のしたいことしたいからな」
北大陸の人間全員が打算で生きているわけではない。俺は打算で生きていない奴らを知っている。だが奴らの話をダグに向かってするほど、莫迦ではない。
「あんたはここで生まれた正直なここの人間だ。俺はそれで良いと思う」
俺はだからそう返して、ダグの満足そうな顔を見るしかなかった。
・・・・・
ダグとだらだら過ごした後に帰った俺を出迎えたのは、我が物顔で居座る看護師でも宿の女主人でもなく、「好青年」という言葉がぴたりと当て嵌まる孤児院の青年だった。
「ビルさんは今後、どうするつもりなんですか」
俺の家でもないけどまぁ上がればと勧めたにも関わらず、ベルクスはかぶりを振ってすぐ本題に入った。ベルクス・ラッシュは中途半端な返事は許さないとでも云うように、俺をじっと見つめて来る。今後と訊かれて俺はまぁひとまず決まっていることを云う。
「帰るよ」
「え?」
「たぶん、一端帰る。いろいろ呼び出し喰らったから」
俺の返答が意外だったのかベルクスは困ったように眉をひそめたが、しかしそれも結局事態は変わっていないと気付きまたしても鋭く俺を見て来る。
「それではネイシャを連れ戻しても、貴方は結局居ないんですよね?」
「そうなるな」
ずっとこの大陸に居るなどということは云えない。だって俺は母国から離れることなどできず、かと云って死ぬことも許されない身の上だ。不可抗力で命を落とす展開があるのなら、俺はとっくにそれをやっている。
──矛盾してる。そんなビル従兄なんて、死んじゃえば良いのに。
従弟の云っている「矛盾している俺」というものに、俺はとても納得した。ならやはり俺は、あんなところで助かるべきではなく、死ぬべきなのではないかと思った。
──だから俺は、死ねたら良いと思って国を出た。
戦争ばかりしている西大陸。そこへ行けば、もしかしたら死ぬようなことが起きるかもしれない。西大陸の人間には口が裂けても云えないような理由で、俺はここにやって来た。だが親父も用意周到で、俺が死ねないようにしっかりとレイヴンという監視を付けている。今回西大陸への旅を許したのは、おそらく戦が終結しつつあり落ち着いているという情報を親父が既に得ていたからだ。
死にたいと云っても、明確な自殺願望ではない。ただ何か遭って死ねたら良いなぐらいの、俺らしい適当な願いだ。俺の一番の願いは既に叶えられなかった。それ以外の望みなど、俺には持ちえない。
そんな俺を、この生真面目なベルクスが許せるはずもない。
「だったら……だったらなおさらです! これ以上、ネイシャに関わるのはやめてください」
孤児院に居るだけあって、こいつは子どもの扱いがうまい。そしてネイシャとも結構な回数を過ごし、それなりに情も湧いているのだろう。俺にこういうことを吹っ掛けて来るのは、何も初めてではない。孤児院の子どもやらネイシャやらミアロアやら連れて(云い訳をするなら付いて来られて)相手をしていると、ベルクスはやがて別れがあることを必ず示唆する。厭味ではないのだろうが、たまにいらっとするぐらい。
所詮は余所者の俺と子どもたちが、あまり仲良くするのが好ましくないのだ。流石に五箇月も経てば、相手がどう思っているかぐらいはなんとなくわかる。こいつは俺が嫌いだ。まぁ俺みたいにいい加減でやる気もない、そして金持ちなんて気に入る人間が居るとは思えない。そのうえ餓鬼共に異様に懐かれてしまっては、怒るに怒れなくて目の上のたんこぶなのだろう。
いつかは去る人間が、あれこれ人の人生に口出しすべきではない。
そんなことはわかってはいる。だから俺だって、別に孤児院に口出しはしていない。
だがあいつだけは、ネイシャだけは別だ。
「悪いけどそれは無理」
「ビルさん」
なんと云われようと、それだけは駄目だと思う。ネイシャにしたことが否定されるぐらいなら、俺は二度とここへ来なくても良い。孤児院の子どもとも二度と会わない。それでも良い。
「俺はあいつに、出るか出ないか選べと訊いた。そしてあいつは、出ることを決めた」
──私はリュースが伸ばしてくれた手を取ったの。だから、自分で外に出たの。
餓鬼だ餓鬼だと思っていたが、あいつはきちんとそれをわかっていた。何もわからないまま突然来た俺の手を取り外へ出たことを、きちんと理解していた。そしてあいつは今も、自分は最良の選択をしたと思っている。祠で祈っている姿なんて少ししか見てないが、女神女神と呼ばれていた頃よりは、ここでおっかなびっくり過ごしていたあいつのほうが絶対に良い。
「だから俺は、あいつと神官に逆らうことに決めた」
「確かにあそこから出ることは、ネイシャの意思かもしれません。ですが逆らうことまでは……」
「神官は絶対なんだと。神官が居る限り、ネイシャはたぶん、自由にはならない」
リヴァーシンが事実上崩壊していても追いかけて来るぐらいだ、神官がそう簡単にネイシャを諦めるとは思えない。本当の意味では自由になれないだろう。たとえリヴァーシンが滅んだと云っても、今までの歴史が消えるわけではない。あいつが女神であったことは否定できないように、逆らわなければ神官という存在は永久につきまとう。あそこから出たら自然と、神官という存在には逆らわなければならない。
「おまえの云う通り、俺は何があっても帰るしここに住むつもりもない。だから今後にあれこれ口出しする権利はない」
それはベルクスの云う通りだ。というより、こいつの云うこともわかる だいたいにおいて、子どもを導こうとするこいつの意見は俺なんかよりも正しいだろう。
「ただ俺はあいつが顔を見た瞬間、退くような相手と一緒に居させるのは嫌だ」
神官を見たネイシャは、驚いて後ずさっていた。あれが頼れる相手に会えた反応のわけがない。年齢はともかく、あんなちんまい餓鬼と云われるような奴に、その選択を選ばせるのは違う気がする。もちろん単なるわがままということもある。俺があいつの状況を、勝手にレーイと重ねたそういう自己満足な理由が一番かもしれない。だが今は、それだけではないのだ。それだけでは済まなくなっている。
「だから俺は、あいつをここに戻したい。選択肢を失わせたくない」
一度は俺が与えた権利なのだから、それを取り戻してやるのは俺の義務になる。なんて面倒な屁理屈をこねてみるが、要するに俺はただ単にあいつがあそこに居るのが嫌なだけだ。
「それであの子が、ビルさんと居ることを願ったらどうするのですか」
うぬぼれているわけではないが、俺はあいつに好かれている。だからあいつが俺と一緒に付いて行くと云うことは、たぶんまだ云うのだろう。依存に近い状態になってしまっているのは恐怖だが、まずそれを解いてやらなければならない。
別にそれからでも、道を決めるのは遅くはない。
「一緒に居れば良いだけだろ」
「それでは無責任過ぎます」
「俺は一人で国に帰るかもっと西へ行くって、あいつには何度も云っている。それでもあいつが望むなら、その時まではそうするしかない。あいつにそれは無理だって、最初の選択肢をへし折るのが正しいとも思えない」
甘えさせてやるわけではない。あいつは宿に住んで自然とここへ馴染んで行った。だからきっと、俺という存在が居ない世界だって作ることができるはずなのだ。むしろベルクスのほうが甘えさせていると俺は思う。いつしか俺という存在は居なくなるのだから、もう付き合うなと幅を狭めている。もちろんネイシャの俺への懐き方は少し危険かもしれないが、だからと云ってそれだけであいつの希望をへし折るのはそれこそ無責任な気がする。
「だからあいつが決めるまで、俺は居る」
それが俺の、唯一決めたことだから。




