第五話 三国会議の招集
シェイン王国に、朝の鐘が鳴った。
それは普段の起床を告げる鐘ではなかった。
もっと重く、もっと低い音。
城に仕える者たちは、その鐘を聞いた瞬間に足を止めた。
兵たちは剣の手入れを中断し、魔法兵たちは詠唱の途中で顔を上げた。
リトルヴァルキリーたちもまた、訓練場へ向かう途中で立ち止まった。
三国会議。
その招集が正式に決まったのだ。
シェイン、ベイル、テリア。
三つの王国が一つの場に集まり、同じ議題について話し合う。
それは決して珍しいことではない。
ヴァルキリートーナメントの日程調整や、復興地域の分担、国境付近の魔物討伐など、三国が協力しなければならない事柄は多い。
だが、今回の空気は違った。
議題の中心は、二つ。
一つは、レッドフラッグス。
どの国にも属さず、紅い旗を掲げる二人組。
セイレンとルーク。
もう一つは、空から落ちてきた記憶なき男。
トーマ。
そして彼が持つ、忘却の剣。
【トーマ】
「つまり、俺は会議で見世物になるわけか」
トーマは、訓練場の隅で木剣を握りながら言った。
その前に立っていたロイドは、眼鏡の位置を直す。
【ロイド】
「見世物ではありません。重要参考人です」
【トーマ】
「言い方が変わっただけじゃないのか」
【ロイド】
「少なくとも、見世物よりは格上です」
【トーマ】
「それは喜ぶところか?」
【ロイド】
「判断は任せます」
ロイドはいつも通り淡々としていた。
だが、その表情にはわずかな疲労が見える。
三国会議に向けて、彼女は朝からずっと書類と報告書に追われていた。
トーマの身元不明記録。
落下地点の調査報告。
剣の魔力反応。
セイレン侵入時の被害状況。
ルークとソルの交戦記録。
その全てが、今回の会議で扱われる可能性がある。
【ロイド】
「あなたには会議に出てもらいます」
ロイドが言う。
【ロイド】
「ただし、発言は求められた時だけにしてください」
【トーマ】
「分かった」
【ロイド】
「挑発されても乗らないこと」
【トーマ】
「……分かった」
【ロイド】
「ベイル女王が笑いながら試しに殴りかかってきても、反撃しないこと」
トーマは一瞬黙った。
【トーマ】
「そんなことがあるのか?」
【ロイド】
「可能性は低くありません」
【トーマ】
「女王だよな?」
【ロイド】
「はい」
【トーマ】
「女王って何なんだ…」
その疑問に、後ろから元気な声が飛んできた。
【レナ】
「強いやつだ!」
振り返ると、レナが腕を組んで立っていた。
赤毛を高く結び、いかにも朝から走ってきましたという顔をしている。
その目は相変わらず大型犬めいてきらきらしていた。
【ロイド】
「レナ。あなたはもう少し王という概念を丁寧に理解してください」
ロイドが言う。
【レナ】
「でも間違ってないだろ!」
【ロイド】
「間違ってはいませんが、雑です」
レナは胸を張った。
【レナ】
「ベイル女王は強い!テリア女王も強い!うちの女王も強いぞ、たぶん!」
【ロイド】
「最後が不安ですね」
トーマは少し笑った。
【トーマ】
「レナは会議に出るのか?」
【レナ】
「私は護衛だ!」
【トーマ】
「命令されたのか?」
【レナ】
「された!」
レナは嬉しそうに答える。
ロイドは小さく頷いた。
【ロイド】
「今回は正式な護衛任務です。トーマ、あなたの近くには私とレナが付きます。ソルは別動で会場全体の警戒を担当します」
【トーマ】
「ソルは会議に出ないのか?」
【ロイド】
「出ます。ただし、彼女は存在そのものが抑止力です。席に座っているより、周辺にいた方が効果的な場合があります」
【トーマ】
「抑止力……」
トーマは昨日のルークとの戦闘を思い出した。
ソルでさえ傷を負った。
あのシェイン最高戦力でさえ。
それでも、もしソルがいなければ、城門は破られていた。
「トーマ!」
訓練場の反対側から、ミアが走ってきた。
その後ろをユナとノアが歩いてくる。
ミアは勢いよくトーマの前で止まり、目を輝かせた。
【ミア】
「三国会議行くんだろ!? すごいな!」
【トーマ】
「すごいのか?」
【ミア】
「なんか偉い人がいっぱい来る!」
【トーマ】
「つまり怖いな」
【ミア】
「たしかに!」
ミアは一瞬で納得した。
ユナが淡々と言う。
【ユナ】
「トーマは変な発言をしないように気をつけて」
【トーマ】
「俺はそんなに危なっかしいか?」
【ユナ】
「自分の過去が絡むと、すぐ前に出ようとする」
トーマは返す言葉を失った。
ノアが心配そうに見上げる。
【ノア】
「トーマ、大丈夫?」
【トーマ】
「ああ。たぶん」
【ノア】
「たぶんは、大丈夫じゃない時に使う言葉だよ」
【トーマ】
「そうなのか?」
【ノア】
「ミアがよく使う」
【ミア】
「なんで私!?」
ユナが頷く。
【ユナ】
「だいたい大丈夫じゃない」
ミアが頬を膨らませる。
【ミア】
「ひどい!」
そんなやり取りに、トーマの表情が少しだけ緩む。
だが、ノアだけはまだ不安そうだった。
【トーマ】
「ノア?」
トーマが声をかける。
ノアは少し迷ってから言った。
【ノア】
「会議に、テリア女王も来るの?」
ロイドが答える。
【ロイド】
「本人が出席する可能性が高いです。少なくとも、代理だけで済ませるとは思えません」
【ノア】
「セイレンのお母さん……」
その言葉に、場の空気が少しだけ沈んだ。
セイレンがテリア女王に抱く憎しみ。
その理由の一部を、彼らは知ってしまった。
娘として愛されたかった少女。
けれど、結界研究の器として扱われたと感じた少女。
テリア女王が本当は何を思っていたのかは分からない。
けれど、セイレンが傷ついたことだけは確かだった。
【トーマ】
「会えば、何か分かるかもしれない」
トーマは言った。
【トーマ】
「セイレンのことも。俺の剣のことも」
ロイドがすぐに釘を刺す。
【ロイド】
「だからといって、会議中にテリア女王へ詰め寄るのは禁止です」
【トーマ】
「分かってる」
【ロイド】
「本当に?」
【トーマ】
「たぶん」
ノアが小さく「あ」と言った。
ユナが眉を細める。
【ユナ】
「大丈夫じゃない」
レナが笑った。
【レナ】
「大丈夫だ! いざとなったら私が止める!」
ロイドが冷静に言う。
【ロイド】
「あなたが止める側に回れるかも不安ですが」
【レナ】
「信じてくれ!」
【ロイド】
「努力します」
その時、訓練場の入口にソルが現れた。
今日のソルはいつもの訓練着ではなく、シェイン王国の正式な戦闘装束を身につけていた。
青と銀を基調とした軽装甲。
肩には白いマント。
腰には細身の剣。
美しく、静かで、近寄りがたい。
だが、トーマはもう知っている。
その孤高の姿の奥に、少し不器用な寂しさが隠れていることを。
【ソル】
「準備は」
ソルが短く問う。
ロイドが頷く。
【ロイド】
「整っています。会場は中立地帯の白月宮。各国代表は昼までに到着予定です」
【トーマ】
「白月宮?」
トーマが聞く。
ロイドは説明する。
【ロイド】
「三国会議や重要な条約締結に使われる中立施設です。三国のどこにも属さない場所に建てられています」
【トーマ】
「俺が落ちた演習場の近くか?」
【ロイド】
「少し離れていますが、同じ中立地帯です」
ソルはトーマを見る。
【ソル】
「今日、お前は三国に見られる」
【トーマ】
「ああ」
【ソル】
「値踏みもされる。疑われもする。利用しようとする者も出る」
【トーマ】
「……だろうな」
【ソル】
「だが、黙って下を向くな」
トーマは顔を上げる。
ソルの瞳は静かだった。
【ソル】
「お前はまだ何者でもない。だからこそ、これから何者になるかを見せろ」
その言葉に、トーマは深く息を吸った。
何者でもない。
昨日までは、その言葉が怖かった。
だが今は違う。
何者でもないなら、ここから始められる。
【トーマ】
「分かった」
トーマは頷いた。
【トーマ】
「行こう」
白月宮は、中立地帯の湖のほとりに建っていた。
白い石造りの宮殿。
月を模した丸い屋根と、三国の旗が等間隔で掲げられた広場。
周囲には武装した兵が立っているが、どの国の兵も互いに一定の距離を保っている。
緊張の糸が、湖面のように薄く張り詰めていた。
シェイン王国の馬車が広場に入ると、他国の視線が一斉に向いた。
トーマは馬車の窓から外を見る。
ベイルの兵たちは体格が大きく、鎧も厚い。
武器は大剣、斧、槍など、力強いものが多い。
対してテリアの兵たちは、装飾の少ない黒や青の魔導服を身につけていた。
武器よりも杖や魔法具を持つ者が目立つ。
【トーマ】
「国によって全然違うな」
トーマが呟く。
ロイドが頷いた。
【ロイド】
「シェインはバランス型。ベイルは武力と突破力。テリアは魔法と結界技術。それぞれの国柄が軍装にも出ます」
【トーマ】
「レッドフラッグスは?」
【ロイド】
「国に属さないため、規格外です」
レナが拳を握る。
【レナ】
「次に来たら、今度こそ私が止める!」
ロイドが釘を刺す。
【ロイド】
「勝手に突撃しないでください」
【レナ】
「命令があれば突撃する!」
【ロイド】
「命令がなければ?」
【レナ】
「待つ!」
【ロイド】
「よろしい」
レナは誇らしげだった。
馬車が止まる。
扉が開き、最初にロイドが降りた。
続いてレナ。
最後にトーマ。
足を地面に下ろした瞬間、視線が突き刺さった。
好奇。
警戒。
敵意。
期待。
昨日の訓練場とは比べ物にならない。
三国の兵たちが、トーマを見ている。
空から落ちた男。
忘却の剣の持ち主。
レッドフラッグスに名指しされた存在。
【ロイド】
「堂々と」
ロイドが小さく言った。
トーマは頷き、背筋を伸ばす。
その時。
広場の反対側から、豪快な笑い声が響いた。
「おお!お前が空から落ちた男か!」
声の主は、一人の大柄な女性だった。
金の髪を後ろで束ね、巨大な盾を軽々と担いでいる。
腰には光を帯びた剣。
その存在感だけで、周囲の兵たちが一歩引いていた。
ベイル女王。
彼女はトーマの前まで大股で歩いてくると、じろじろと彼を見た。
【ベイル】
「ふむ!思ったより細いな!」
【トーマ】
「初対面で言うことか?」
トーマが思わず返す。
ロイドの肩がわずかに動いた。
レナが「おお、返した」と小声で言う。
ベイル女王は一瞬目を丸くし、それからさらに大笑いした。
【ベイル】
「ははは!口は動くようだな!よし!」
【トーマ】
「何がよしなんだ」
【ベイル】
「気に入った!」
ロイドが即座に割って入る。
【ロイド】
「ベイル女王陛下。会議前です。試しに殴るなどはご遠慮ください」
ベイル女王は不満そうに眉を上げた。
【ベイル】
「なぜ分かった?」
【ロイド】
「あなたの行動パターンは記録しています」
【ベイル】
「シェインの眼鏡は相変わらず細かいな!」
【ロイド】
「ロイドです」
【ベイル】
「うむ、ロイド!」
その横に、ゆったりとした足取りでリンが現れた。
大小のチャクラムを腰に下げ、妖艶な笑みを浮かべている。
【リン】
「あなたがトーマくん?」
彼女は距離を詰め、覗き込むようにトーマを見る。
【リン】
「へえ……綺麗な目をしているのね。何も覚えていない目、というのも悪くないわ」
レナがすぐにトーマの前に出た。
【レナ】
「近いぞ!」
リンはくすりと笑う。
【リン】
「あら、番犬さん?」
【レナ】
「番犬じゃない!護衛だ!」
【リン】
「似たようなものじゃない?」
【レナ】
「違う!たぶん!」
ロイドが小さくため息をつく。
【ロイド】
「レナ、そこで迷わないでください」
トーマはリンを見た。
ロイドが言っていた人物。
勝つためには手段を選ばず、誘惑すら戦術に使う妖艶なヴァルキリー。
確かに、ただ立っているだけで相手の調子を崩すような雰囲気がある。
リンはトーマの腰の剣に目を落とした。
【リン】
「それが噂の剣?」
トーマの手が自然と剣に触れる。
リンの目が細くなる。
【リン】
「ふふ。取ったりしないわよ。今は、ね」
【トーマ】
「…今は?」
【リン】
「強くなったあなたと遊ぶ楽しみを、今ここで壊すのはもったいないでしょう?」
レナがさらに警戒を強める。
【レナ】
「やっぱり危ない人だ!」
リンは楽しそうに笑った。
その時、白月宮の入口付近の空気が変わった。
ベイルの豪快さとは違う。
静かで、冷たく、深い魔力の気配。
テリア王国の一行が到着したのだ。
先頭に立つのは、黒と青の衣をまとった小柄な女。
見た目だけなら少女のようにも見える。
だが、その周囲に漂う魔力は、誰よりも濃かった。
空間そのものが彼女の周囲だけわずかに歪んでいるように見える。
テリア女王。
彼女はトーマを見つけると、ゆっくりと歩いてきた。
その横にはアリス。
そして少し後ろに、黒い装束の女性。
ロイ。
ソルの昔からのライバル。
ロイは無言で周囲を見渡し、最後にソルの姿を見つけた。
少しだけ目が動く。
ソルもまた、無言でロイを見る。
二人の間に、見えない刃が交わった。
【テリア】
「久しいのう、シェインの者たち」
テリア女王が言う。
声は軽い。
だが、背後の魔力は重い。
ロイドが礼を取る。
【ロイド】
「お久しぶりです、テリア女王陛下」
ベイル女王は豪快に笑った。
【ベイル】
「相変わらず小さいな、テリア!」
【テリア】
「お主も相変わらず声がでかいのう、ベイル」
【ベイル】
「ははは!」
二人の女王は、昔からのライバルだという。
その空気は険悪というより、長くぶつかり合ってきた者同士の奇妙な親しさがあった。
だが、トーマはそこに集中できなかった。
テリア女王を見た瞬間、腰の剣がかすかに震えたのだ。
そして、頭の奥に声が響く。
――結界。
短い言葉。
誰の声か分からない。
だが、テリア女王の周囲にある魔力を見た瞬間、トーマの中の何かが反応した。
テリア女王の目が、すっと細くなる。
【テリア】
「ほう」
彼女はトーマの前に立った。
【テリア】
「お主が、トーマか」
【トーマ】
「ああ」
【テリア】
「記憶がないと聞いた」
【トーマ】
「名前以外は何も」
【テリア】
「それで、その剣だけは手放せぬか」
トーマは剣に触れたまま答える。
【トーマ】
「そうだ」
テリア女王は少しだけ笑った。
【テリア】
「厄介じゃな。剣に選ばれた者は、だいたい厄介事を連れてくる」
【トーマ】
「俺が望んだわけじゃない」
【テリア】
「じゃろうな。厄介事というのは、だいたい本人の都合など聞かぬ」
その言葉には、不思議な重みがあった。
トーマは彼女を見る。
この女が、セイレンの母。
娘に憎まれている女。
結界のために、娘を傷つけたかもしれない女。
【トーマ】
「あなたは、セイレンを知っているな」
ロイドが一瞬、険しい顔をした。
【ロイド】
「トーマ」
だが、テリア女王は手で制した。
【テリア】
「よい」
彼女はトーマを見上げる。
【テリア】
「知っておる。ワシの娘じゃ」
トーマは眉を寄せた。
【トーマ】
「娘だと思っているのか」
空気が凍った。
アリスが目を見開く。
ロイドが頭を抱えそうな顔をする。
レナが小声で「言った……」と呟く。
ベイル女王は面白そうに笑みを深めた。
テリア女王はしばらく黙っていた。
その瞳の奥に、何かが揺れる。
怒りではなかった。
痛みに近いものだった。
【テリア】
「思っておる」
テリア女王は静かに言った。
【テリア】
「たとえ、あの子がそう思ってくれぬとしてもな」
トーマは言葉を失った。
セイレンの言葉だけを聞けば、テリア女王はただの加害者に見えた。
だが、目の前の彼女は単純な悪人には見えない。
それが余計に難しかった。
【テリア】
「会議で話そう」
テリア女王は言った。
【テリア】
「お主の剣のことも、セイレンのこともな」
その時、白月宮の鐘が鳴った。
三国会議の開始を告げる鐘だった。
会議場は、円形だった。
中央に大きな白い円卓。
その周りに三国の代表席が置かれている。
シェイン側にはロイド、ソル、レナ、そしてトーマ。
ベイル側にはベイル女王、リン、そして重戦士ガーネ。
テリア側にはテリア女王、アリス、ロイ。
ガーネは初めてトーマが見るベイルのヴァルキリーだった。
大斧を背負った寡黙な女性。
リンとは正反対の、まっすぐで重い気配を持っている。
彼女はトーマと目が合うと、短く頷いた。
【ガーネ】
「ガーネだ」
【トーマ】
「トーマだ」
【ガーネ】
「空から落ちたと聞いた」
【トーマ】
「ああ」
【ガーネ】
「丈夫だな」
【トーマ】
「たぶん」
【ガーネ】
「いいことだ」
会話はそれで終わった。
トーマは少し戸惑う。
リンが隣で笑った。
【リン】
「ガーネは必要なことしか喋らないの」
【トーマ】
「今のは必要だったのか?」
【リン】
「彼女の中ではね」
ロイドが咳払いをした。
【ロイド】
「始めましょう」
会議の最初の議題は、レッドフラッグスだった。
ロイドが昨日のシェイン襲撃について報告する。
セイレンの空間裂傷。
ルークの西門突破。
ソルとの交戦。
トーマへの接触。
忘却の剣という発言。
報告が進むにつれ、会議場の空気は重くなる。
ベイル女王は腕を組み、いつもの豪快な笑みを消していた。
テリア女王も目を閉じ、静かに聞いている。
【ロイド】
「ルークは、シェイン側に死者を出しませんでした」
ロイドが言う。
【ロイド】
「ですが、それはセイレンが制止したためと見られます。今後、同様の保証はありません」
ベイル女王が低く言った。
【ベイル】
「ルークは戦う時、加減を忘れる」
リンが微笑みを消して続ける。
【リン】
「普段はぽやっとしているのですけどねぇ。戦いとなると、世界の見え方が変わるのでしょう」
ガーネが短く言う。
【ガーネ】
「止めるのは難しい」
ベイル女王は頷いた。
【ベイル】
「我が娘ながら、正面から止めるには骨が折れる!」
【アリス】
「笑うところではないでしょう」
アリスが呆れたように言う。
ベイル女王は肩をすくめた。
【ベイル】
「笑わずにいられるか。あれほど強い娘を持ったのだ。誇らしくもあり、頭も痛い」
テリア女王が静かに言った。
【テリア】
「セイレンも同じじゃ」
アリスが横を見る。
【アリス】
「同じ?」
【テリア】
「強い。賢い。傷ついて。そして、止まらぬ」
テリア女王の声は淡々としていた。
だが、トーマにはそれが無理に抑えた声に聞こえた。
【ロイド】
「セイレンの目的は何ですか」
ロイドが問う。
テリア女王は少し沈黙した。
【テリア】
「ワシを壊すことじゃろうな」
【ロイド】
「テリア王国そのものではなく?」
【テリア】
「それも含むかもしれぬ。じゃが、あの子の憎しみの中心はワシじゃ」
アリスが唇を噛む。
ベイル女王も黙った。
トーマは口を開きかけたが、ロイドの視線を感じて止まった。
今は発言を求められていない。
ロイドとの約束を思い出す。
挑発されても乗らない。
求められた時だけ話す。
テリア女王はそんなトーマを見て、少しだけ目を細めた。
【テリア】
「言いたいことがある顔じゃな」
ロイドが小さくため息をつく。
トーマは彼女を見る。
【トーマ】
「言っていいのか」
【テリア】
「よい」
トーマは一度、息を吸った。
【トーマ】
「セイレンは、自分が娘じゃなく器として扱われたと言っていた」
会議場の空気が硬くなる。
【トーマ】
「それは本当なのか」
アリスが小さく「踏み込んだわね」と呟いた。
テリア女王はトーマから目を逸らさなかった。
【テリア】
「半分は本当じゃ」
トーマの手が膝の上で握られる。
【トーマ】
「半分?」
【テリア】
「ワシはあの子を結界研究に関わらせた。あの子の魔力と血筋が、テリアを守る結界の発展に必要だと考えた。それは事実じゃ」
ノアがここにいなくてよかった、とトーマは思った。
この話は、彼女には重すぎる。
【テリア】
「じゃが、娘と思っていなかったわけではない」
テリア女王の声が、わずかに揺れた。
【テリア】
「その二つを、ワシは分けられると思っておった。母として愛し、王として利用する。その矛盾を、ワシは見ないふりをした」
誰も喋らなかった。
【テリア】
「セイレンは見ておった。子どもは、大人が思うよりもずっとよく見ておる。ワシが何を優先したか。自分がどこに置かれていたか。あの子は全部知っておった」
テリア女王は目を伏せる。
【テリア】
「だから、あの子は去った」
その言葉は、謝罪に聞こえた。
だが、セイレン本人がいない場所での謝罪だった。
トーマは思った。
この人は後悔している。
けれど、後悔しているから許されるわけではない。
セイレンの傷は、セイレンだけのものだ。
【ロイド】
「レッドフラッグスへの対処は、三国共同で行う必要があります」
ロイドが話を戻した。
【ロイド】
「ただし、彼女たちは大会ルールの外にいます。戦闘になれば、こちらにも死者が出る可能性がある」
その言葉に、場が重くなる。
ベイル女王が低く笑った。
【ベイル】
「つまり、遊びでは済まんということだ」
【ロイド】
「最初から遊びではありません」
ロイドが返す。
【ロイド】
「ですが、ヴァルキリートーナメントとは根本的に違います。ルールを前提とした戦術は通用しません」
ソルが口を開いた。
【ソル】
「ルークは、一対一なら危険すぎる」
ベイル女王が頷く。
【ベイル】
「なら我が相手をするか!」
【リン】
「あなたが出ると地形が変わります」
リンがさらりと言った。
【ベイル】
「ははは!褒めるな!」
【リン】
「褒めてはいません」
ロイが初めて口を開いた。
【ロイ】
「セイレンは逃げるのが上手い」
全員の視線が彼女へ向く。
ロイは淡々と続ける。
【ロイ】
「空間を裂いて移動する。追跡は難しい。罠を張るなら、剣を餌にするしかない」
その視線がトーマへ向く。
会議場の空気が、一気に張り詰めた。
レナが即座に立ち上がりかける。
ロイドが手で制した。
【ロイド】
「トーマを囮にする、という意味ですか」
ロイは表情を変えない。
【ロイ】
「可能性の話」
ソルの目が鋭くなる。
【ソル】
「却下だ」
【ロイ】
「早い」
【ソル】
「当然だ」
ロイは少しだけソルを見た。
【ロイ】
「相変わらず」
【ソル】
「お前もな」
二人の間に火花のような沈黙が走る。
テリア女王が軽く手を叩いた。
【テリア】
「そこまでじゃ。今トーマを囮にするのは早い。餌にするには弱すぎる」
トーマは思わず顔をしかめた。
【トーマ】
「本人の前で言うんだな」
テリア女王はにやりと笑う。
【テリア】
「事実じゃろう?」
【トーマ】
「……否定はできない」
【テリア】
「よい。弱さを知っておる者は伸びる」
ベイル女王が豪快に頷く。
【ベイル】
「うむ!強くなれ、トーマ!強くなったら我と戦え!」
ロイドが額を押さえる。
【ロイド】
「会議中です」
【ベイル】
「分かっている!」
【ロイド】
「本当に?」
【ベイル】
「たぶん!」
ユナがいたら「大丈夫じゃない」と言っていただろう、とトーマは思った。
次の議題は、忘却の剣だった。
テリア女王が古い文献の写しを円卓に広げる。
そこには、トーマの剣とよく似た絵が描かれていた。
黒い鞘。
刻まれた紋様。
そして、周囲に書かれた古い文字。
【テリア】
「忘却の剣」
「……世界が覚えていてはならぬものを封じる剣。あるいは、持ち主が耐えられぬ記憶を代わりに抱く剣。文献によって説明は異なる」
トーマは剣を見る。
【トーマ】
「つまり、俺の記憶はこの剣の中にあるのか?」
【テリア】
「可能性はある」
【トーマ】
「どうすれば戻る」
【テリア】
「分からぬ」
テリア女王はあっさりと言った。
トーマは眉を寄せる。
【トーマ】
「分からないのか」
【テリア】
「分からぬものを分かったふりするよりはマシじゃ」
アリスが隣で呟く。
【アリス】
「こういうところだけはまともなのよね」
【テリア】
「聞こえておるぞ、アリス」
【アリス】
「聞こえるように言ったの」
テリア女王は文献を指で叩く。
【テリア】
「ただし、剣の封印が緩む条件はいくつか推測できる」
【トーマ】
「条件?」
【テリア】
「強い魔力反応。命の危機。持ち主の精神的衝撃。そして、剣に関係する人物との接触」
トーマはセイレンを思い出す。
彼女と会った時、剣は反応した。
レッドフラッグスが、剣のことを知っている。
【トーマ】
「セイレンはこの剣をなぜ必要としている?」
テリア女王は少しだけ目を細めた。
【テリア】
「おそらく、あの子も何かを忘れておる」
【トーマ】
「セイレンも?」
【テリア】
「あるいは、忘れさせられておる」
会議場が静まり返る。
【テリア】
「ワシにも心当たりがあるわけではない。じゃが、あの子が忘却の剣を追うなら、単にトーマの過去に興味があるだけではないはずじゃ」
トーマは剣の柄に触れた。
自分の記憶。
セイレンの記憶。
世界が忘れたがっている何か。
それらが、この剣を中心に絡み合っている。
【ロイド】
「提案があります」
ロイドが言った。
【ロイド】
「トーマをシェイン王国の監視下に置いたまま、三国共同で調査を進めます。剣の解析はテリア、戦闘訓練と身辺警護はシェイン、レッドフラッグスに関する情報収集はベイルも含めて共同で行う」
ベイル女王は頷いた。
【ベイル】
「よかろう!」
テリア女王も頷く。
【テリア】
「異論はない」
リンが微笑む。
【リン】
「つまり、トーマくんは三国公認の重要人物になるわけですねぇ」
【ロイド】
「言い方が不穏ですね」
ロイドが睨む。
【リン】
「褒めていますよ?」
【ロイド】
「信用できません」
ロイが静かに言った。
【ロイ】
「監視は必要」
ソルが答える。
【ソル】
「シェインで行う」
【ロイ】
「抜け道は多い」
【ソル】
「なら塞ぐ」
【ロイ】
「セイレンなら裂く」
【ソル】
「その時は私が止める」
ロイは少しだけ目を細めた。
【ロイ】
「止められる?」
ソルの声が低くなる。
【ソル】
「止める」
また、二人の間に空気が張り詰める。
トーマは思った。
この二人、仲が悪いのか。
それとも、良すぎてこうなのか。
判断が難しい。
会議はその後、具体的な連絡体制や警戒区域の確認へ移った。
トーマは途中からほとんど聞いているだけだった。
だが、一つだけ分かったことがある。
自分の問題は、もう自分だけの問題ではない。
三国が動き始めた。
レッドフラッグスも動いている。
忘却の剣は、確実に何かを引き寄せている。
そして、その中心に自分がいる。
会議が終わる頃、陽は傾き始めていた。
白月宮の外へ出ると、湖面が夕陽を映して赤く染まっていた。
トーマは一人で少し離れた場所に立ち、剣を見ていた。
【テリア】
「考え事かの?」
声に振り返ると、テリア女王がいた。
護衛もつけず、一人で歩いてきたらしい。
【トーマ】
「一人でいいのか?」
【テリア】
「ワシと戦いたがる者は少ない。護衛よりワシの方が危ないからの」
【トーマ】
「それは冗談か?」
【テリア】
「半分本気じゃ」
テリア女王はトーマの隣に立ち、湖を見る。
しばらく沈黙が続いた。
先に口を開いたのはトーマだった。
【トーマ】
「セイレンを連れ戻したいのか」
テリア女王は湖面を見たまま答える。
【テリア】
「戻るなら、な」
【トーマ】
「戻らないと思っているのか」
【テリア】
「今のままでは戻らぬ」
【トーマ】
「なら、どうする」
【テリア】
「まずは向き合わねばならぬ。あの子の憎しみと。ワシの過ちと」
テリア女王の声は静かだった。
【テリア】
「じゃが、あの子は今、殺し合いの場所に立っておる。母と娘の話し合いだけでは、もう済まぬ」
トーマは何も言えなかった。
【テリア】
「トーマ」
【トーマ】
「何だ」
【テリア】
「お主は、セイレンの言葉に引っ張られすぎるな」
【トーマ】
「どういう意味だ」
【テリア】
「あの子は真実を持っているかもしれぬ。じゃが、真実をそのまま渡すとは限らぬ。傷ついた者は、時に自分の痛みに合わせて世界を切り取る」
トーマはセイレンの紅い瞳を思い出した。
あの憎しみは本物だった。
でも、本物だからこそ危うい。
【トーマ】
「それでも、俺は知りたい」
【テリア】
「うむ」
テリア女王は頷いた。
【テリア】
「なら強くなれ。知る力と、耐える力を持て。記憶とは、戻れば救いになるとは限らぬ」
その言葉が、胸に沈む。
思い出すな。
剣の声。
世界が、自分を忘れたがっている。
それでも。
【トーマ】
「俺は思い出す」
トーマは言った。
【トーマ】
「たとえ、それが悪い記憶でも」
テリア女王は小さく笑った。
【テリア】
「よい目じゃ」
その時、遠くからレナの声が響いた。
【レナ】
「トーマー! ロイドが探してるぞー!」
ロイドの声も聞こえる。
【ロイド】
「呼び捨てで大声を出さないでください」
【レナ】
「分かった! トーマ様ー!」
【ロイド】
「そういう意味ではありません!」
テリア女王がくすりと笑った。
【テリア】
「シェインは賑やかじゃな」
【トーマ】
「だいぶ」
トーマも少し笑う。
だが、その笑みはすぐに消えた。
湖の向こう。
夕陽で赤く染まる森の奥に、一瞬だけ紅い旗が見えた気がした。
トーマは目を凝らす。
何もない。
風に揺れる木々だけ。
けれど、腰の剣が微かに震えた。
テリア女王も同じ方向を見る。
【テリア】
「……見られておるな」
【トーマ】
「セイレンか?」
【テリア】
「おそらくの」
トーマは拳を握る。
追いかけたい衝動が胸を叩く。
だが、動かなかった。
今の自分が行っても届かない。
弱いまま真実に触れれば壊れる。
セイレンの言葉が蘇る。
【テリア】
「行かぬのか?」
テリア女王が問う。
【トーマ】
「行かない」
トーマは答えた。
【トーマ】
「今はまだ」
テリア女王は満足そうに目を細めた。
【テリア】
「少し賢くなったのう」
【トーマ】
「少しか」
【テリア】
「少しじゃ」
トーマは息を吐いた。
遠くの森には、もう何も見えない。
だが、確かに感じた。
セイレンは見ている。
ルークも、きっと近くにいる。
レッドフラッグスは、まだ去っていない。
森の奥。
紅い旗が木々の間で静かに揺れていた。
セイレンは白月宮を見下ろす丘に立っている。
隣ではルークが木の実を手に取り、じっと見つめていた。
【ルーク】
「食べられる?」
【セイレン】
「毒よ」
【ルーク】
「そっか」
ルークは木の実を投げ捨てた。
セイレンは白月宮から出てくる三国の一行を見ていた。
【セイレン】
「三国が手を組んだわ」
【ルーク】
「うん」
【セイレン】
「トーマはまだこちらへ来ない」
【ルーク】
「うん」
【セイレン】
「少しは学んだみたいね」
ルークはぼんやりとトーマの方を見る。
【ルーク】
「弱い」
【セイレン】
「ええ」
【ルーク】
「でも、逃げてない」
セイレンは少し黙った。
【セイレン】
「そうね」
風が吹く。
紅い旗が揺れる。
【セイレン】
「あの剣が目覚めるには、まだ足りない」
【ルーク】
「何が?」
【セイレン】
「痛み。強さ。記憶に耐えるだけの器」
ルークは少し考えた。
【ルーク】
「鍛える?」
【セイレン】
「結果的にはそうなるわね」
【ルーク】
「優しい?」
セイレンはルークを睨む。
【セイレン】
「違うわ」
【ルーク】
「そっか」
ルークはそれ以上追及しなかった。
セイレンは白月宮から離れていくトーマを見つめる。
【セイレン】
「早く上がってきなさい、トーマ」
その声は風に溶けた。
【セイレン】
「あなたの記憶は、あなた一人のものじゃない」
その言葉に応えるように、遠くで忘却の剣が一度だけ淡く光った。




