第四十七話 閉会のあとで
ヴァルキリートーナメントは終わった。
闘技場の上空に浮かんでいた魔法掲示板から、優勝国を示す文字がゆっくりと消えていく。
優勝、テリア王国。
その文字が消えた後も、会場の熱はまだ残っていた。
観客席では、誰もが先ほどまでの戦いを語り合っている。
ベイル女王とテリア女王の怪物じみた激突。
ソルとロイの静かで鋭い最高戦力同士の戦い。
ロイドが恐怖を記録して勝った試合。
レナが見えない真正面を探して走った試合。
そして、トーマが二人の女王に敗れながらも、自分の名を失わずに戻ってきた試合。
勝敗は決まった。
だが、誰の中にも、まだ戦いは残っていた。
それは傷の痛みとして。
悔しさとして。
誇りとして。
あるいは、名前として。
トーマは控え席に座り、治療を受けながら闘技場を見ていた。
肩と胸が痛む。
ベイル女王の盾に弾かれた時の痛み。
テリア女王の魔力弾に吹き飛ばされた時の痛み。
どちらもまだ体に残っている。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
痛みがある。
だから、ここにいると分かる。
「トーマ」
隣に座っていたノアが、そっと声をかけた。
「痛い?」
「痛い」
「……大丈夫?」
「大丈夫」
トーマは少し笑った。
「痛いけど、大丈夫だ」
ノアは少しだけ安心したように息を吐く。
「そっか」
その横では、ミアが興奮したまま手を振り回していた。
「すごかったな! 女王様たちも、ソルも、ロイドも、レナも、トーマも!」
ユナが静かに言う。
「ミア、腕を振ると治療師さんに当たる」
「おっと!」
レナは包帯を巻かれながら、胸を張っていた。
「私は二回負けた!」
ロイドが眼鏡を押し上げる。
「それは胸を張るところではありません」
「でも二回ともちゃんと戻ってきたぞ!」
「それは胸を張っていいところです」
レナはぱっと顔を輝かせた。
「なら胸を張る!」
「単純ですね」
「褒め言葉か?」
「半分は」
「よし!」
ロイドはため息をついたが、その表情は柔らかかった。
ソルは少し離れた治療席で肩の処置を受けていた。
ロイとの戦いで受けた傷は浅くない。
それでも、彼女は静かに座っている。
トーマが視線を向けると、ソルはそれに気づいた。
「どうした」
「いや……ソルでも、あんなに傷つくんだなって」
「私は無敵ではない」
「そうなのか」
「そうだ」
ソルは少しだけ目を細める。
「だが、負ける気はない」
トーマは笑った。
「ロイも同じこと言いそうだ」
「言うだろうな」
ソルの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その表情を見て、ノアがぽつりと言う。
「ソルさん、嬉しそう」
ソルは一瞬だけ黙った。
「……そう見えるか」
「うん」
ソルは目を逸らす。
「悪くない戦いだった」
それ以上は言わなかった。
けれど、それだけで十分だった。
⸻
闘技場の反対側では、テリア王国の面々が集まっていた。
優勝したはずなのに、アリスは少し不満そうな顔をしている。
「女王様、閉会式の後くらいちゃんと休んでください」
テリア女王は治療師に魔力回復処置を受けながら、平然と答えた。
「休んでおるじゃろう」
「座って喋り続けているのは休んでいるうちに入りません」
「厳しいのう」
「女王様が無茶をするからです」
テリア女王はくつくつと笑った。
「お主もリンとの試合でなかなか無茶をしておったぞ」
アリスの顔が赤くなる。
「あれは試合です!」
「ワシも試合じゃった」
「女王様の場合、試合の規模が違うんです!」
イリスが穏やかに微笑んだ。
「お二人とも、お疲れさまでした」
ロイは隣で短く言う。
「疲れた」
アリスがロイを見る。
「あなたが素直に疲れたって言うの、珍しいわね」
「ソル、強い」
「でしょうね。見てたもの」
「次は勝つ」
「はいはい。次までにちゃんと治しなさい」
ロイは頷いた。
「うん」
テリア女王はそんなロイを見て、少しだけ目を細めた。
「負けてなお次を見ておる。よいことじゃ」
アリスは腕を組む。
「女王様がそういうこと言うと、また何か企画しそうで怖いんですけど」
「ほう。よく分かったのう」
「やっぱり!」
「まだ言っておらぬ」
「言うつもりはあるんですね?」
「少しだけ」
アリスは頭を抱えた。
そこへ、ルチアとフィナがやって来た。
ルチアは緊張した様子で、テリア女王の前に立つ。
「女王陛下、このたびは優勝、おめでとうございます」
フィナもにこにこしながら頭を下げる。
「おめでとうございます、女王様」
テリア女王は二人を見て、満足そうに頷いた。
「うむ。お主らもよく見ておったな」
ルチアは背筋を伸ばす。
「はい。多くを学ばせていただきました」
フィナは笑ったまま言う。
「ベイル女王様、すごかったねぇ。あれを止めるの、私なら足場ごと崩したくなる」
ルチアが慌てて妹を見る。
「フィナ!」
テリア女王は愉快そうに笑った。
「よいよい。発想は悪くない」
「女王陛下、甘やかさないでくださいませ!」
「ただし、味方を巻き込まぬようにの」
フィナは元気よく頷く。
「はぁい」
ルチアはますます不安そうな顔になった。
アリスはそんな姉妹を見て、苦笑する。
「あなたたち、将来が楽しみというか、不安というか」
イリスは柔らかく言う。
「両方ですね」
ロイは短く付け加える。
「強くなる」
フィナはぱっと笑った。
「ロイ様が言うなら、きっとなるね」
ルチアも少しだけ嬉しそうに頬を染めた。
「当然ですわ。私たちはテリア王国のリトルヴァルキリーですもの」
⸻
ベイル側は、もっと賑やかだった。
ベイル女王が笑っている。
負けたはずなのに、誰よりも楽しそうだった。
「ははは! いやあ、負けた負けた! やはりテリアは面白い!」
リンが治療席で微笑む。
「女王陛下、楽しそうですねぇ」
「楽しかったからな!」
カノンは淡々と言う。
「負けたのに」
「負けて楽しい戦いもある!」
ガーネが短く頷く。
「分かる」
リンはガーネを見て笑う。
「あなたは今日、二戦して一勝一敗でしたねぇ」
「うん」
「ロイさんに勝ったのは大きいですよ」
ガーネは少しだけ考えた。
「捕まえた」
「ええ。見事に」
カノンが言う。
「私は二敗」
リンが微笑む。
「私も二敗ですねぇ」
カノンは少しだけリンを見る。
「悔しい?」
「もちろん」
リンは笑みを崩さない。
「ですが、悔しい顔をさらすのは少し美しくありませんから」
キリカが近くで腕を組む。
「悔しいなら悔しいって言えばいいのに」
リンはくすりと笑った。
「まあ。キリカさんは素直ですねぇ」
「素直じゃないし!」
メルがふわっと言う。
「キリカちゃん、さっきからずっと悔しい顔してるよぉ」
「してない!」
「してるよぉ」
「してないってば!」
ベイル女王が大声で笑う。
「よいよい! 悔しがれ! 悔しさは次の力だ!」
キリカはベイル女王を見ると、少しだけ姿勢を正した。
「次は、私たちが勝ちます」
メルもにこにこと続ける。
「勝ちたいねぇ」
「勝つの!」
「うん。じゃあ、キリカちゃんが突っ込みすぎないようにするねぇ」
「今それ言う!?」
カノンが静かに言う。
「突っ込みすぎは負ける」
キリカがカノンを見る。
「カノンさんまで!」
ガーネも短く言う。
「罠、大事」
「ガーネさんまで!」
リンは楽しそうに微笑んだ。
「皆さん、キリカさんのことをよく見ていますねぇ」
メルが笑う。
「仲間想いだからねぇ」
キリカは顔を赤くして、そっぽを向いた。
「うるさい……」
ベイル女王はそんな二人を見て、満足そうに頷く。
「よい目だ。次のリトルたちも楽しみだな!」
⸻
やがて、各国の控え席の境目が曖昧になっていった。
試合が終われば、敵ではない。
もちろん悔しさは残っている。
だが、今は互いの健闘を認め合う時間だった。
リンがロイドのもとへ歩いてくる。
「ロイドさん」
ロイドは記録板から顔を上げた。
「リンさん。怪我は?」
「それを聞くなら、まずご自分の心配をなさった方がよいのでは?」
「私は問題ありません」
「そう言う人ほど問題がありますねぇ」
ロイドは少し困ったように眼鏡を押し上げる。
リンは微笑む。
「アリスさんとの試合、見事でした。怖いと書いて立ち上がるとは、少しずるいくらい美しかったです」
ロイドの表情が固まる。
「その言い方は、反応に困ります」
「困らせていますので」
「やはりあなたは嫌な人です」
「褒め言葉として受け取ります」
その横にアリスもやって来た。
「リン、ロイドを困らせないの」
「まあ。アリスさんが助けに?」
「違うわよ。ただ、見てると面倒が増えそうだから止めに来ただけ」
ロイドはアリスへ小さく頭を下げる。
「先ほどはありがとうございました」
「負けた相手にお礼言われるのも変な気分ね」
「良い試合でした」
アリスは少し顔を赤くして、目を逸らした。
「……次は勝つから」
「はい。私も負けません」
リンは二人を見て楽しそうに笑う。
「知性派のお二人は、仲良くなれそうですねぇ」
アリスとロイドが同時に言った。
「なってません」
「まだです」
少し間が空く。
アリスがロイドを見る。
「まだ?」
ロイドは真顔で答える。
「可能性は否定しません」
アリスはさらに顔を赤くした。
「そういう真面目な返し、やりづらいわね!」
リンは肩を震わせて笑った。
⸻
少し離れた場所では、レナとガーネが向かい合っていた。
レナは勢いよく言う。
「ガーネ! 次は勝つぞ!」
ガーネは頷く。
「うん」
「もっと止まって、もっと走る!」
「矛盾」
「矛盾してないぞ! 止まってから走るんだ!」
ガーネは少し考えた。
「分かる」
レナは嬉しそうに笑う。
「分かるか!」
「うん。強くなる」
「お前ももっと重くなるのか?」
「なる」
「それは困る!」
ガーネは少しだけ口元を緩めた。
「困らせる」
その近くで、カノンとイリスが静かに話している。
「次は、反射されない位置から撃つ」
カノンが言う。
イリスは穏やかに微笑む。
「では私は、そこも反射できるようにします」
「嫌」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「はい。分かっています」
カノンは少しだけ目を細める。
「でも、勉強になった」
イリスは頷く。
「私もです。あなたの矢は、とても正確でした」
「正確だから返された」
「はい」
「次は、少し外す」
イリスは微笑みを深めた。
「それは怖いですね」
その会話を聞いていたユナが、ぽつりと言う。
「正確に外す」
ミアが首を傾げる。
「外すのに正確なのか?」
ユナは頷く。
「たぶん、強い」
⸻
ソルとロイは、闘技場の端で向かい合っていた。
二人とも治療を終えたばかりで、まだ包帯が残っている。
だが、空気は穏やかだった。
ソルが言う。
「肩は?」
ロイは答える。
「痛い」
「私もだ」
「刺した」
「掴んだ」
「次は抜ける」
「次も捕まえる」
二人はそれだけ言って、しばらく黙った。
会話になっているのか分からない。
けれど、二人には通じていた。
アリスが少し離れた場所からそれを見て、ため息をつく。
「本当に言葉が少ないわね、あの二人」
ロイドが横から言う。
「しかし、情報量は多いようです」
「あなたには分かるの?」
「一部だけなら」
「すごいわね」
「いえ、観察の結果です」
アリスは少しだけロイドを見た。
ロイドの横顔には、どこかテリア女王に似た静けさがある。
認識を固定し、記録を積み上げるような目。
アリスは一瞬、何かを言いかけた。
しかし、言わなかった。
まだ、言う時ではない。
ロイドはその沈黙に気づいたが、問い返さなかった。
⸻
リトルヴァルキリーたちも、いつの間にか一つの輪になっていた。
ミアが勢いよく言う。
「今度は私たちも試合したいな!」
キリカが鼻を鳴らす。
「やるなら負けないけど?」
「私も負けないぞ!」
「突っ込んでくるだけなら、罠で転ばせるし」
「罠があっても走る!」
「だから転ぶって言ってんの!」
メルがふわっと間に入る。
「じゃあ、走る前にユナちゃんが止める?」
ユナは静かに頷く。
「止める」
ミアが振り向く。
「ユナ、止めるな!」
「罠なら止める」
ノアはその様子を見て小さく笑った。
ルチアが胸を張る。
「訓練であっても、戦いには品格が必要ですわ」
フィナが隣で言う。
「でも、お姉ちゃんも本気になるとけっこう突っ込むよね」
「フィナ!」
「私は後ろから撃つから平気だよ」
「平気ではありません。私の位置を確認してから撃ちなさい」
「見てるよ?」
「見ているだけで撃たないでくださいまし!」
キリカがにやりと笑う。
「テリアの姉妹も大変そうね」
ルチアはすぐに言い返す。
「あなた方も似たようなものでしょう」
キリカはメルを見る。
メルはにこにこ手を振った。
キリカは顔をしかめる。
「……否定しづらい」
ノアはその輪の中で、静かに皆の名前を見ていた。
ミア。
ユナ。
キリカ。
メル。
ルチア。
フィナ。
自分とは違う国の、同じリトルヴァルキリーたち。
大会の前なら、こんなふうに話すことはなかったかもしれない。
ノアは胸元に手を当てた。
「名前、増えたね」
ユナがその声に気づく。
「ノア?」
「ううん。なんでもない」
けれど、ノアの中にも何かが残っていた。
トーマだけではない。
この大会で名前を増やしたのは、きっと自分たちも同じだった。
⸻
夕暮れが近づいていた。
闘技場の熱はようやく少しずつ冷め、観客たちも帰路につき始める。
三国の旗が風に揺れている。
シェイン。
ベイル。
テリア。
勝敗はついた。
けれど、誰も完全な敗者ではなかった。
トーマは闘技場の端に立ち、中央の砂地を見つめていた。
自分が倒れた場所。
立ち上がった場所。
名前を呼んだ場所。
降参した場所。
その全部が、まだ目に残っている。
ノアが隣に来た。
「ここにいたんだ」
「ああ」
「何を見てたの?」
「今日のこと」
ノアは隣に並ぶ。
「忘れたくない?」
「うん」
トーマは静かに頷いた。
「ベイル女王の盾も、テリア女王の膜も、ロイドが怖いって書いたことも、レナが止まったことも、ソルがロイを捕まえたことも」
少し間を置く。
「それから、皆の名前も」
ノアは優しく言う。
「書こう」
トーマはノアを見る。
「書く?」
「うん。忘れないように。トーマの記録帳に」
トーマは少し考えた。
記録帳。
自分が自分を確認するためのもの。
名前を失わないために、これまでも少しずつ書いてきた。
でも、今日書くものは少し違う気がした。
ただ確認するためだけではない。
自分の中に増えたものを、刻むために。
「そうだな」
トーマは頷いた。
「書こう」
ノアは小さく笑った。
「私も一緒に書く」
「ありがとう」
二人は並んで歩き出した。
夕暮れの光が、闘技場の砂を赤く染めている。
その光景の中で、トーマはふと足を止めた。
風が吹く。
砂地の端で、何か黒いものが揺れた気がした。
「……?」
トーマは目を凝らす。
だが、そこには何もない。
ただ、夕暮れの影が伸びているだけだった。
ノアが振り返る。
「トーマ?」
「いや」
トーマは首を振った。
「何でもない」
そう言いながらも、胸の奥に小さな冷たさが残った。
黒い羽根を見た気がした。
けれど、確かめる前に、それは消えていた。
トーマは自分の手を見た。
まだ痛む。
まだ震えている。
でも、名前は言える。
「トーマ」
小さく呟く。
ノアが隣で言った。
「ノア」
トーマは笑った。
「ミア。ユナ。レナ。ロイド。ソル」
ノアも続ける。
「キリカ。メル。ルチア。フィナ」
トーマは少し驚いてノアを見る。
ノアは照れたように笑った。
「私も覚えた」
トーマの胸が温かくなる。
「そっか」
「うん」
二人は再び歩き出した。
大会は終わった。
けれど、物語は終わらない。
むしろ、ここから始まるのかもしれない。
失った過去ではなく。
今、刻み始めた名前たちの物語が。




