↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Reincarnation -Record of memories-  作者: 斗真
第三章 戦乙女たちの招待状

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/48

第四十六話 星膜の前で名を呼ぶ

鐘が鳴った。


トーマはすぐには動かなかった。


短棒を握り、テリア女王を見る。


ベイル女王の時は、圧に押されるように体が固まった。


巨大な盾。


光の剣。


前に立つだけで、世界が狭くなるような威圧感。


だが、テリア女王は違う。


小柄な体。

穏やかな笑み。

青白い魔力膜。


見た目だけなら、ベイル女王よりずっと近づきやすく見える。


しかし。


怖い。


トーマの本能がそう告げていた。


ベイル女王は山だった。


登れないほど高く、ぶつかれば砕ける山。


テリア女王は湖だった。


静かで、底が見えず、踏み込んだ瞬間に何もかも沈められそうな湖。


「来ぬのか?」


テリア女王が言った。


その声は柔らかい。


トーマは短棒を構え直す。


「行きます」


「うむ」


テリア女王の周囲に、三枚の魔力膜が浮かぶ。


一枚は正面。

一枚は斜め。

一枚は足元。


トーマは走った。


真正面ではない。


レナのように突っ込むのではない。


ソルのように戦場を変えることもできない。


ロイドのように全てを記録することもできない。


なら、自分ができることをする。


見る。


止まる。


呼吸する。


そして、進む。


トーマは斜めに踏み込んだ。


テリア女王の正面膜を避けるように、短棒を低く構える。


狙いは足元。


膜を割るのではない。


足場を崩す。


テリア女王が小さく笑った。


「考えたのう」


トーマの短棒が地面を叩く。


砂が跳ねる。


しかし、砂はテリア女王へ届く前に、足元の膜に受け止められた。


そして、跳ね返る。


砂が逆にトーマの顔へ向かった。


「っ!」


トーマは腕で顔を庇う。


視界が一瞬消える。


その隙に、テリア女王の指が動いた。


青白い帯が、トーマの足首へ伸びる。


トーマは踏ん張らない。


踏ん張れば絡め取られる。


イリス戦のレナを思い出す。


拘束されたまま力任せに動けば、余計に崩される。


トーマは自分から転がった。


足首を狙った帯が空を切る。


そのまま地面を転がり、距離を取る。


観客席から小さなどよめき。


テリア女王は目を細める。


「ほう。避け方が泥臭い」


トーマは立ち上がる。


「綺麗には戦えません」


「よい。綺麗である必要はない」


テリア女王は指先を揺らす。


「じゃが、泥臭いだけでは届かぬぞ」


魔力膜が増えた。


三枚から、五枚。


トーマの周囲に、ふわりと配置される。


閉じ込める形ではない。


逃げ道を残している。


だが、その逃げ道は不自然だった。


右が空いている。

左が狭い。

後ろには薄い膜。

前には厚い膜。


誘導されている。


トーマでも分かった。


「右に行かせたいんですね」


テリア女王が笑う。


「では、右に行かぬか?」


「行きません」


トーマは左へ踏み込んだ。


狭い方。


逃げづらい方。


テリア女王は楽しげに頷く。


「そう来るか」


左の膜が動く。


薄い膜が斜めに差し込まれ、トーマの短棒の軌道をずらす。


トーマは攻撃を止めた。


短棒を振り切らず、途中で引く。


すると、膜は空を滑った。


テリア女王の目が少し光る。


「止めたな」


「レナに教わりました」


「ほう?」


「走っても、止まる」


トーマは再び踏み込む。


今度は一歩だけ。


短棒を振る。


膜が来る。


止める。


違う方向へ短棒を差し込む。


また膜が来る。


引く。


攻撃になっていない。


だが、トーマは繰り返した。


打つ。

止める。

引く。

ずらす。

また構える。


テリア女王は膜を動かしながら、静かに見ていた。


「お主、ワシを倒す気があるのか?」


トーマは息を切らしながら答える。


「あります」


「今のは倒す動きではないぞ」


「分かっています」


「では、何をしておる」


トーマは短棒を握り直す。


「あなたの膜を、少しでも知ろうとしています」


テリア女王の笑みが深くなった。


「よい答えじゃ」


⸻


観客席のロイドが記録板に書き込む。


「トーマは勝負を急いでいません。接触ごとに膜の反応を確かめています」


ノアはじっと見ていた。


「テリア女王の膜、私が教わったのと似てる。でも、全然違う」


「基礎は同じでしょう。しかし、練度が桁違いです」


ユナが言う。


「トーマ、見てる」


ミアは拳を握る。


「でも、攻撃当たってないぞ!」


レナが真剣な顔で言った。


「それでいいんだ。最初から全部当てに行くと、変な方向に飛ばされる」


ロイドが少し驚いたようにレナを見る。


「良い分析です」


レナは胸を張った。


「私はイリスと戦ったからな!」


「負けましたが」


「負けたけど学んだ!」


トーマの言っていたこと。


負けても残るものがある。


レナはそれを、今まさに自分の言葉にしていた。


ソルは治療を受けながら、静かに言う。


「トーマは全員の戦いを持っている」


ノアは小さく頷いた。


「うん」


その言葉は、ノアの胸に残った。


トーマ一人が戦っているのではない。


ベイル女王に倒されながら学んだこと。

レナが止まったこと。

ロイドが怖さを書いたこと。

ソルが相手の戦場を変えたこと。

イリスのずらし。

カノンの封鎖。

アリスの制御。

ガーネの重さ。

ロイの影。


全部が、今のトーマの中に少しずつある。


⸻


闘技場。


トーマは三度目の接近を試みた。


テリア女王の膜は、正面から受けるだけではない。


攻撃を斜めに流す。

足元を支える。

相手の踏み込みを柔らかく押し返す。

時には膜を割ったように見せて、その破片を拘束に変える。


厄介。


それしか言えない。


だが、トーマは一つだけ気づいた。


テリア女王は、完全に攻めていない。


こちらが動くのを待っている。


受けて、流して、返す。


なら。


「受けさせない」


トーマは短棒を握り、前へ走る。


テリア女王が正面膜を置く。


トーマは短棒を振った。


だが、当てる直前で手を離した。


短棒が回転しながら膜へ向かう。


テリア女王の膜が短棒を受け、斜め上へ流す。


その瞬間、トーマは短棒を追わず、身を低くして膜の下へ潜り込んだ。


狙いはテリア女王の懐。


テリア女王の眉がわずかに上がる。


「武器を捨てたか」


トーマは拳を握る。


ゼロではない。


素手で戦う英雄ではない。


だが、今は剣がない。


短棒も手放した。


なら、自分の手で届くしかない。


トーマの拳が、テリア女王へ向かう。


その前に、薄い膜が一枚現れた。


トーマは拳を止める。


そして、膜を殴らなかった。


代わりに、手のひらで触れた。


押す。


殴るのではなく、押す。


膜が反応に迷う。


衝撃を流すための膜。


だが、トーマは衝撃を出していない。


ゆっくり押している。


一瞬だけ、膜の動きが鈍った。


トーマはその隙に体を滑り込ませる。


テリア女王の前、あと一歩。


観客席がどよめいた。


「入った!」


ミアが叫ぶ。


ロイドも目を見開く。


「膜の反応条件をずらした……!」


テリア女王は楽しそうに笑った。


「面白い」


トーマの拳が届く。


その寸前。


テリア女王は自分の足元に膜を出した。


攻撃を防ぐ膜ではない。


自分の体を後ろへ滑らせる膜。


トーマの拳は、ほんの少し届かなかった。


空を切る。


だが、完全な空振りではない。


拳の風圧が、テリア女王の髪を揺らした。


テリア女王は後退しながら言う。


「惜しかったのう」


トーマはすぐに踏み込もうとする。


しかし、足元に膜。


滑る。


体勢が崩れる。


テリア女王の指が動き、青白い光帯がトーマの胸へ伸びる。


衝撃。


トーマの体が後ろへ吹き飛ばされた。


地面を転がる。


背中が痛む。


息が詰まる。


けれど、意識はある。


トーマは砂を握りしめた。


「トーマ」


自分の名を呼ぶ。


胸の奥が戻る。


次に。


「ノア。ミア。ユナ。レナ。ロイド。ソル」


観客席でノアが小さく頷く。


「うん」


トーマは立ち上がった。


テリア女王は攻めてこない。


待っている。


「今のは、よかったぞ」


トーマは肩で息をする。


「届きませんでした」


「髪には届いた」


「髪だけです」


「最初はそれでよい」


テリア女王は青白い膜を一枚、指先で回した。


「お主は、自分だけの力で届こうとしたのではない。皆の戦いを拾っておった」


トーマは黙る。


テリア女王は続ける。


「レナの止まる足。ロイドの恐怖の記録。ノアの膜。ソルの戦場を見る目。ベイルの重さ。テリアのずらし。色々混ざっておる」


「……混ざりすぎですか」


「よい」


テリア女王の声は優しかった。


「記憶を失った者が、今見たものを自分の中に残していく。それは悪いことではない」


トーマの胸が少し熱くなる。


自分には過去がない。


名前以外、何もない。


でも、今見たものは残せる。


今出会った人たちは、呼べる。


その積み重ねが、自分を形作るのなら。


トーマは短棒を拾い上げた。


「もう一度」


「うむ。来い」


⸻


テリア女王の膜が増える。


五枚から、八枚。


闘技場の一角が青白く染まる。


星膜術式ほどではない。


ベイル女王戦で見せたような大規模術式ではない。


だが、トーマ相手には十分すぎる。


アリスがテリア側で眉を寄せる。


「女王様、あれでもけっこう意地悪な配置ね」


イリスが頷く。


「逃げ道はありますが、どれも次の拘束につながります」


ロイは短く言う。


「試してる」


「ええ」


アリスは少しだけ笑った。


「勝たせる気はない。でも、潰す気もない。女王様らしいわ」


ベイル側では、ベイル女王が腕を組んで大声で言った。


「トーマ! あの小さな女王は隙を見せておるようで、ほぼ罠だぞ!」


テリア女王がじろりと見る。


「お主、助言するでない」


「よいではないか! 面白くなる!」


リンが笑う。


「ベイル女王陛下は、どちらを応援しているのですか?」


「両方だ!」


カノンが淡々と呟く。


「それは応援としては雑」


ガーネはトーマを見て言った。


「倒れても、立つ」


リンは微笑む。


「ガーネさん、それは助言ですか?」


「うん」


カノンも短く言う。


「見えたら、すぐ撃つ。迷うと遅い」


「カノンさん、それも助言ですねぇ」


「うん」


テリア女王は肩をすくめる。


「まったく、ベイル勢は敵味方の境が薄いのう」


ベイル女王は豪快に笑った。


「強くなるならよい!」


リトルたちも見ていた。


キリカはトーマを睨むように言う。


「男なのに、けっこうやるじゃん」


メルはふわっと笑う。


「キリカちゃん、素直に応援したら?」


「しないし!」


ルチアは真剣な顔で言う。


「トーマ様は、女王陛下の膜をよく見ていますわね」


フィナがにこにこしながら続ける。


「でも、あの膜、見すぎると逆に引っかかるよねぇ」


ルチアは頷いた。


「ええ。だからこそ、自分の軸が必要です」


フィナはシェイン側のノアを見た。


「ノアちゃんも、見てるね」


ノアはその視線に気づかず、ただトーマを見ていた。


⸻


トーマは考える。


八枚の膜。


一枚目は正面。

二枚目は足元。

三枚目は右斜め。

四枚目は背後。

五枚目は上。

六枚目と七枚目は薄く、見えづらい。

八枚目はテリア女王のすぐ前。


全部を破るのは無理。


全部を避けるのも無理。


なら、どれを使う。


ソルは相手の封鎖陣を足場に変えた。


ガーネは影を消すために砂を舞わせた。


イリスは相手の正確な攻撃を返した。


なら、膜も何かに使えるはずだ。


トーマは走った。


テリア女王が目を細める。


「正面か?」


正面に見える。


だが、トーマは途中で左へ。


膜が動く。


トーマは短棒を膜へ当てた。


殴らない。


支点にする。


ベイル女王戦で、盾を支点にして横へ抜けた時のように。


膜は硬い。


しかし、少し弾性がある。


トーマはその反発を利用して、右へ跳んだ。


テリア女王が微かに笑う。


「ふむ」


右の膜が待っている。


トーマは空中で体をひねり、短棒を右の膜へ突く。


また支点。


今度は下へ。


足元の膜へ落ちる。


足を取られる前に、短棒で膜を叩いて跳ねる。


観客席が沸いた。


ロイドが驚いた声を出す。


「膜を足場にしている……」


ソルが静かに言う。


「見たか」


トーマの動きにはソルのカノン戦が混じっていた。


封鎖を足場へ。


障害を道へ。


トーマは八枚の膜を、避けるべき壁ではなく、跳ねるための足場として使い始めていた。


もちろん完璧ではない。


一枚の反発を読み違え、肩を打つ。


足元の膜に滑らされ、膝が崩れる。


それでも、トーマは止まらない。


いや、止まる。


止まって、また跳ぶ。


レナの止まる足。


ソルの戦場を変える感覚。


ノアの膜の記憶。


全部を、ぎこちなく繋げている。


テリア女王の目が、本気で楽しそうに光った。


「不格好じゃが、面白い!」


トーマは返事をする余裕がない。


膜から膜へ。


跳ぶ。


滑る。


止まる。


押す。


また跳ぶ。


そして、ついにテリア女王の懐へ迫る。


八枚目。


最後の膜。


トーマは短棒を振り上げた。


テリア女王はその膜を厚くする。


受ければ終わり。


流される。


押し返される。


なら。


トーマは短棒を、手放した。


テリア女王の目が動く。


だが、今度は違った。


手放した短棒は膜へ向かう。


テリア女王の膜が短棒を流そうとする。


その瞬間、短棒に結ばれていた細い糸が光った。


ユナが目を見開く。


「あれ……」


トーマが訓練中、ユナから借りていた魔力糸。


名前を刻む練習に使っていた糸。


トーマはそれを短棒に巻いていた。


短棒が膜に流される。


だが、糸が引かれる。


流された力が、トーマの体を引っ張る。


トーマは自分からその力に乗った。


膜が短棒を流す力を利用して、自分自身をテリア女王の反対側へ引き込む。


テリア女王の反応が、一瞬だけ遅れた。


「これは……!」


トーマは膜の横をすり抜けた。


拳を握る。


狙いは、テリア女王。


ではない。


彼女の足元の影。


拳ではなく、足。


トーマはテリア女王の足元へ踏み込み、砂を強く蹴り上げた。


レナが叫ぶ。


「砂だ!」


イリス戦でレナがやったこと。


幻影を見分けるためではない。


膜の形を浮かび上がらせるため。


砂が青白い膜に当たり、輪郭を描く。


テリア女王の周囲に隠されていた薄い膜が、砂を受けて一瞬だけ可視化された。


六枚目と七枚目。


見えづらかった膜。


それが見えた。


トーマはその間の隙間へ、拳を伸ばす。


今度こそ。


ほんの少し。


指先が、テリア女王の袖に触れた。


静寂。


観客席が息を呑む。


トーマ自身も目を見開く。


届いた。


本当に、少しだけ。


袖。


たったそれだけ。


だが。


届いた。


テリア女王は自分の袖を見る。


そこに、トーマの指が触れている。


彼女はゆっくりと笑った。


「……よく届いた」


次の瞬間、トーマの体が青白い光に包まれた。


隠していた膜ではない。


テリア女王の足元から展開された、支える膜。


それが逆に働き、トーマの体を柔らかく、しかし確実に上へ弾いた。


空中。


逃げ場なし。


テリア女王は指先を向ける。


魔力弾。


非殺傷。


だが十分な威力。


トーマは空中で短棒を戻そうと糸を引く。


間に合わない。


魔力弾が胸に直撃した。


「がっ……!」


トーマの体が吹き飛ばされる。


闘技場の床を転がる。


一度。

二度。

三度。


止まった時、彼はうつ伏せに倒れていた。


ノアが立ち上がる。


「トーマ!」


審判が近づく。


「トーマ選手、続行可能か確認を」


トーマは動かない。


一瞬、闘技場が静まり返った。


黒い羽根。


視界の端に、またそれがよぎった気がした。


忘れればいい。


声は小さい。


地下闘技場ほど強くない。


それでも、確かに胸の奥を撫でた。


痛い。


苦しい。


もう立たなくてもいい。


負けても構わない。


そうだ。


負けてもいい。


でも。


何も得ずに終わるのは違う。


トーマは指を動かした。


砂を掴む。


「……トーマ」


名前を呼ぶ。


消えていない。


「ノア」


声が掠れる。


「ミア。ユナ。レナ。ロイド。ソル」


観客席の皆が息を呑む。


トーマはさらに続けた。


「アリス。イリス。ロイ」


テリア側の三人が目を見開く。


「リン。ガーネ。カノン。ベイル女王」


ベイル側が静かになる。


「テリア女王」


テリア女王の笑みが、静かに消えた。


トーマは震えながら膝を立てる。


「キリカ。メル。ルチア。フィナ」


リトルたちが息を呑む。


キリカが小さく呟いた。


「……あたしたちまで?」


メルは目を丸くする。


「名前、覚えてたんだねぇ」


ルチアは胸元に手を当てる。


「トーマ様……」


フィナはにこにこしていなかった。


ただ、真剣に彼を見ていた。


トーマは立ち上がった。


ふらついている。


短棒はまだ糸の先にある。


体は限界に近い。


でも、彼は立っている。


「俺は、見た」


息を切らしながら、トーマは言う。


「全部は分からない。でも、みんなの戦いを見た。名前も、覚えた」


黒い羽根は消えていた。


トーマはテリア女王を見る。


「だから、俺はまだ、俺です」


闘技場に静寂が落ちる。


テリア女王はしばらくトーマを見ていた。


そして、小さく息を吐く。


「……合格じゃ」


審判が戸惑う。


「テリア女王?」


テリア女王は手を上げた。


「まだ試合は終わらぬ。じゃが、ワシが見たかったものは見えた」


トーマは短棒を引き戻し、構える。


「俺は、まだ動けます」


「そうじゃな」


テリア女王の目が優しく細まる。


「では最後に、お主が自分で止まれるかを見る」


その言葉に、トーマの胸が鳴った。


自分で止まる。


ベイル女王戦で選んだこと。


今も、それを求められている。


テリア女王は魔力膜を全て消した。


そして、右手に小さな青白い星を作る。


ベイル女王を倒した内部衝撃ほどではない。


しかし、喰らえば確実に動けなくなる。


「次を受ければ、お主は倒れる」


テリア女王は言った。


「避けられる可能性は、わずかにある。届く可能性は、さらにわずかにある」


トーマは息を整える。


「はい」


「続けるか、止まるか。選べ」


観客席が静まる。


誰も叫ばない。


ノアも、ミアも、ユナも、レナも、ロイドも、ソルも。


皆が、トーマの選択を待っていた。


トーマは自分の体を確かめる。


足は震えている。


腕も痺れている。


胸は痛む。


視界も少し霞んでいる。


でも、動けないわけではない。


一歩なら踏み込める。


もしかしたら、もう一度だけ届くかもしれない。


だが。


その一歩の先で、自分は自分のままでいられるか。


黒い羽根が、また囁くかもしれない。


忘却の剣はない。


でも、心が崩れれば同じだ。


トーマは目を閉じる。


ノアの声を思い出す。


負けても、帰ってきて。


ロイドの声。


目標確認を。


レナの声。


次は勝つぞ。


ソルの声。


見ている。


ベイル女王の声。


負けを選べる者は強い。


テリア女王の声。


負けても構わぬ。だが、名を失うな。


トーマは目を開けた。


短棒を下ろす。


「降参します」


その声は、大きくはなかった。


だが、闘技場に確かに響いた。


「これ以上は、俺が俺のまま戻れる保証がありません」


テリア女王は青白い星を消した。


そして、満足そうに頷く。


「よい判断じゃ」


審判が手を上げる。


「勝者、テリア王国代表、テリア女王!」


歓声が上がった。


だが、それは勝者だけへ向けられたものではなかった。


トーマにも、大きな拍手が送られていた。


彼は負けた。


ベイル女王に続いて、また女王に負けた。


だが、彼は名前を呼んだ。


自分の名だけではない。


この大会で出会い、戦い、見て、覚えた者たちの名前を。


それは、記憶なき少年が今ここで作った記録だった。


⸻


ノアが駆け出した。


今度はロイドも止めなかった。


「トーマ!」


トーマは振り返ろうとして、少しふらつく。


ノアが支える。


「帰ってきた?」


トーマは息を吐き、笑った。


「帰ってきた」


「名前、言える?」


「トーマ」


「うん」


「ノア」


「うん」


「ミア、ユナ、レナ、ロイド、ソル」


ミアが大きく手を振る。


「いるぞ!」


ユナが頷く。


「いる」


レナも笑う。


「負け仲間、また増えたな!」


ロイドは眼鏡を押し上げながら言う。


「それは誇る分類ではありませんが、今回は良い敗北です」


ソルは治療席から静かに言った。


「届いたな」


トーマは少し驚いてソルを見る。


「袖だけだけど」


「届いた」


その短い言葉が、トーマには嬉しかった。


テリア女王が近づいてくる。


アリスが慌てて止めようとする。


「女王様、あなたも休んでください」


「少しだけじゃ」


「その少しだけを信用できないんです」


「辛辣じゃのう」


テリア女王は苦笑しながらも、トーマの前に立った。


「トーマ」


「はい」


「お主は今日、よく負けた」


トーマは少し笑う。


「褒め言葉ですか?」


「かなりの」


ベイル女王が遠くから大笑いする。


「我の時よりよい顔をして負けたな!」


テリア女王が振り返る。


「お主もいちいち声が大きいのう!」


「褒めておる!」


「分かっておるわ!」


会場に笑いが起こる。


テリア女王は改めてトーマを見る。


「お主は過去を失っておる。忘却の剣も、記録喰いも、お主から何かを奪おうとするじゃろう」


トーマは黙って聞く。


「じゃが、今日お主は新しい記録を作った。戦った者の名を呼び、見たものを残した」


彼女は小さく頷く。


「それは、剣に奪われた記憶とは違う。お主が自分で拾ったものじゃ」


トーマの胸に、その言葉が落ちる。


自分で拾ったもの。


それは、誰かに与えられた過去ではない。


思い出せない記憶でもない。


今ここで、自分が受け取ったもの。


ノアが小さく笑った。


「トーマの記録だね」


ロイドも頷く。


「はい。消されていない記録です」


ユナが言う。


「名前、増えた」


ミアが拳を上げる。


「いっぱい増えたな!」


レナも笑う。


「次はもっと増えるぞ!」


トーマは皆を見る。


本当に、増えた。


名前が。


声が。


戦いが。


負けた痛みさえ、今は自分の中に残っている。


「俺は」


トーマは静かに言った。


「これを忘れたくない」


ノアが頷く。


「忘れないように、また書こう」


「うん」


「私も書く」


「ありがとう」


⸻


魔法掲示板が最終結果を表示する。


第三カード群。


テリア王国 2勝

シェイン王国 2勝


ロイドとソルが勝利。

イリスとテリア女王が勝利。


第三カード群は引き分け。


会場には、大きな拍手が広がった。


三国対抗戦の全カード群が終了した。


第一カード群。


シェイン対ベイル、二勝二敗。


第二カード群。


テリア対ベイル、テリア三勝、ベイル一勝。


第三カード群。


テリア対シェイン、二勝二敗。


総合得点が魔法掲示板に集計されていく。


シェイン王国。

四勝。


ベイル王国。

三勝。


テリア王国。

五勝。


表示された瞬間、会場が沸いた。


優勝、テリア王国。


テリア女王は胸を張った。


「ふふん、当然じゃな」


アリスがすぐに言う。


「女王様、最後の方かなり危なかったですけど」


「勝ちは勝ちじゃ」


イリスが穏やかに微笑む。


「皆さま、お疲れさまでした」


ロイは短く言う。


「次は勝つ」


アリスがロイを見る。


「まだソルのこと考えてるでしょ」


「うん」


テリア女王は笑った。


「よいよい。悔しさは次の火種じゃ」


ベイル女王は豪快に笑う。


「今回はテリアに持っていかれたか!」


リンが微笑む。


「私たちは少々負けが込みましたねぇ」


カノンは淡々と言う。


「次、勝つ」


ガーネも短く頷く。


「うん」


ベイル女王は満足そうに頷いた。


「よい! 負けて燃えるなら、それでよい!」


シェイン側では、ロイドが結果を見つめる。


「総合では二位ですね」


レナが叫ぶ。


「私は二回負けた!」


ミアが言う。


「でもレナは強かったぞ!」


ユナが頷く。


「内容はよかった」


ソルは静かに言う。


「次は優勝を狙えばいい」


ノアはトーマを見る。


「トーマも、次?」


トーマは少し考えた。


「次があるなら」


テリア女王がその言葉を聞いて、にやりと笑った。


「あるかもしれぬぞ?」


アリスが嫌そうな顔をする。


「女王様、また変な企画考えてません?」


「変とは失礼な」


「否定できるんですか?」


「できぬ」


「ほら!」


会場にまた笑いが広がる。


⸻


リトルヴァルキリーたちも、それぞれ結果を見ていた。


キリカは腕を組み、悔しそうに言う。


「ベイル、三位じゃん」


メルはふわっと笑った。


「でも、ガーネさんもベイル女王様もすごかったよぉ」


「それでも悔しいの!」


「うん。じゃあ私たちは勝とうねぇ」


キリカはメルを見る。


「当たり前でしょ」


メルはにこにこする。


「じゃあ次の訓練、ちゃんと私の補助待ってね」


「待つ!」


「ほんと?」


「……たぶん!」


メルは楽しそうに笑った。


ルチアは優勝表示を見て、誇らしげに胸を張っていた。


「テリア王国の勝利ですわ」


フィナもぱちぱちと拍手する。


「やったね、お姉ちゃん」


「ええ。ですが、私たちが勝ったわけではありません。次は私たちも、結果で示さねば」


フィナはにこにこ言う。


「じゃあ私、後ろからいっぱい崩すね」


「味方を巻き込まない範囲でお願いします」


「努力する」


ルチアは少し青ざめた。


「その言い方、ベイル女王陛下みたいですわ」


フィナは笑った。


「えへへ」


少し離れたところで、ミアがキリカへ向けて拳を突き上げた。


「次は私たちも戦うぞ!」


キリカがにやりと笑う。


「その時は罠にかけてやるから覚悟しなさいよ」


ユナがミアの袖を掴む。


「罠には気をつける」


ノアはルチアとフィナを見た。


ルチアが礼儀正しく会釈する。


フィナはにこっと手を振る。


ノアも小さく手を振り返した。


次の世代の火種もまた、静かに灯っていた。


⸻


閉会式。


三国の代表が並ぶ。


負傷者は多い。


疲労もある。


それでも、誰の顔にも奇妙な満足感があった。


勝った者も。

負けた者も。

届いた者も。

届かなかった者も。


それぞれが、何かを持ち帰る。


テリア女王が中央へ立った。


「此度のヴァルキリートーナメント、優勝はテリア王国じゃ」


歓声。


テリア女王は片手を上げ、続ける。


「じゃが、勝利だけが戦いの価値ではない」


その視線が、トーマへ向かう。


「負けてなお名を失わぬ者。恐怖を記録して立つ者。止まることを覚えた者。相手を捕まえた者。敵の力を受け取った者。皆、この場に何かを残した」


会場が静かになる。


「戦乙女とは、勝つためだけに戦うのではない。守るため、知るため、受け取るため、そして次へ繋ぐために戦う」


トーマは黙って聞いていた。


その言葉は、自分の胸の奥を叩いていた。


テリア女王は笑う。


「故に、此度の大会は成功じゃ。勝者も敗者も、よう戦った」


大きな拍手が起こる。


テリア女王は最後に、少しだけ声を落とした。


だが、不思議とトーマには聞こえた。


「そしてトーマ。お主は、よう帰ってきた」


トーマは目を伏せる。


胸が熱い。


ノアが隣で微笑む。


「おかえり、トーマ」


トーマは小さく答えた。


「ただいま」


こうして、三国対抗ヴァルキリートーナメントは幕を閉じた。


だが、それは終わりではない。


トーマの記録は、ここからまた増えていく。


忘却に奪われた過去ではなく。


今、彼が自分の足で拾っていく未来として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。