第四十五話 静寂の刃、孤独の剣
ソルとロイが闘技場の中央へ進む。
その歩みは、どちらも静かだった。
ソルはまっすぐ歩く。
背筋を伸ばし、剣を腰に下げたまま、目だけをロイへ向けている。
ロイは音もなく歩く。
影が地面を滑るように、余計な気配を残さない。
二人の間に、派手な挑発はなかった。
怒鳴り合いもない。
それなのに、闘技場の空気は、女王対決とは別の意味で張り詰めていた。
ベイル女王とテリア女王の戦いが巨大な山と星の衝突なら、この二人は研ぎ澄まされた刃と刃だった。
少しでも触れれば、どちらかが斬れる。
観客席のトーマは、思わず息を潜めた。
「……静かだな」
ロイドは記録板を持ったまま頷く。
「はい。ですが、静かなだけですでに圧力があります」
レナは包帯の巻かれた腕を抱えながら、いつもの元気を少し抑えていた。
「ソル、いつもより怖いな」
ミアも小声になる。
「ロイさんも、どこ見てるか分からないぞ」
ユナが言う。
「二人とも、相手しか見てない」
ノアは両手を膝の上で握り、静かに見ていた。
「ソルさん、寂しそうにも見える」
トーマは少し驚いてノアを見た。
「寂しそう?」
「うん。でも、楽しそうでもある」
その言葉に、ロイドが少し目を細める。
「当たっているかもしれません」
ソルにとって、ロイはただの敵ではない。
同じ高さに立つ数少ない相手。
全力で剣を向けても、逃げずに受け止める相手。
孤独な強者にとって、ライバルとは時に敵よりも近い存在になる。
⸻
テリア側では、アリスが腕を組んでロイを見ていた。
「ロイ、珍しく集中してるわね」
イリスが穏やかに頷く。
「いつも集中されていますが、今日は少し違いますね」
「まあ、相手がソルだもの」
アリスは少しだけ笑った。
「昔からあの二人、会話しないくせに通じてるのよね。腹立つくらい」
テリア女王は治療を受けながら、面白そうに二人を見ていた。
「強者同士は、言葉を省きがちじゃからのう」
アリスは振り向く。
「女王様もでしょう」
「ワシはちゃんと言葉を尽くすぞ?」
「ベイル女王に『来るがよい』しか言ってませんでしたけど」
「十分じゃろ」
「十分じゃないです」
テリア女王はくつくつと笑った。
一方、ベイル側では、ガーネが静かにロイを見ていた。
先ほど自分が戦った相手。
捕まえ、倒した相手。
しかし、あれでロイの全てを見たとは思っていない。
「ロイ、まだ速くなる」
カノンが頷く。
「ソル相手なら、隠し札を出す」
リンは頬に手を当て、妖しく微笑んだ。
「最高戦力同士の戦い。楽しみですねぇ。私たちでは踏み込めない領域が見られるかもしれません」
ベイル女王は豪快に笑った。
「よいぞ! こういう戦いは血が騒ぐ!」
カノンが淡々と呟く。
「女王陛下、立ち上がると治療師が困ります」
「む、そうか!」
「はい」
「では座って騒ぐ!」
「静かに騒いでください」
リンがくすりと笑った。
「それはなかなか難題ですねぇ」
⸻
少し離れた観覧席では、リトルヴァルキリーたちも静かになっていた。
キリカは腕を組み、珍しく口数が少ない。
「……あの二人、やばい」
メルもふわっとした声のまま、目は真剣だった。
「うん。動く前から、もう戦ってる感じ」
ルチアは背筋を伸ばし、真面目な顔で頷く。
「最高戦力とは、こういうものなのですね」
フィナはにこにこしていたが、瞳は細い。
「どっちが先に相手の奥まで届くかなぁ」
その言葉に、ルチアは少し眉を寄せた。
「フィナ、言い方が少し怖いですわ」
「だって、表面だけじゃ勝てなさそうだもん」
ルチアは言い返そうとして、やめた。
その通りだった。
この試合は、ただ速い方、ただ強い方が勝つ戦いではない。
相手の深いところまで届いた方が勝つ。
そんな気配があった。
⸻
闘技場中央。
ソルとロイは向かい合う。
距離は十歩ほど。
審判が二人の間に立つが、その額には汗が浮かんでいた。
「第三カード群、第三試合。シェイン王国代表、ソル。テリア王国代表、ロイ」
ソルが口を開いた。
「久しぶりだな」
ロイが頷く。
「うん」
「前に戦った時より、軽くなったか?」
ロイは少し首を傾げる。
「速くなった」
「そうか」
「ソルは?」
「重くなった」
「うん。分かる」
短い。
だが、それだけで互いに伝わっている。
ソルは剣に手をかける。
ロイは短剣を両手に持つ。
ソルが言った。
「今日は逃がさない」
ロイが答える。
「今日は捕まらない」
ソルの口元が、わずかに緩んだ。
「昔からそれだな」
「ソルも」
「そうだな」
審判が息を呑み、手を上げる。
「開始!」
鐘が鳴った。
次の瞬間、ロイが消えた。
ガーネ戦でも見せた隠密。
だが、速さが違う。
静かさが違う。
観客席の多くは、ロイがどこへ行ったのか分からなかった。
しかし、ソルは動いた。
剣を抜く。
振り返らずに、背後へ斬る。
金属音。
ロイの短剣がソルの剣に受け止められていた。
「見えた?」
ロイが問う。
ソルは答える。
「見ていない」
「じゃあ?」
「お前なら、そこに来る」
ロイの目が少しだけ細くなる。
次の瞬間、彼女は影に沈む。
ソルは追わない。
その場で半歩、足をずらす。
足元の影から短剣が突き出る。
ソルはそれを踏むようにかわし、剣を低く払う。
影が裂け、ロイが横へ飛ぶ。
着地の瞬間、ロイはもう次の攻撃に移っていた。
右から短剣。
左から影の刃。
背後からもう一つ、影の縫い針のような魔法。
三方向。
ソルは剣を一度だけ回した。
右の短剣を弾く。
左の影を斬る。
背後の縫い針を、剣の柄で叩き落とす。
無駄がない。
一動作で三つを処理した。
観客席が一拍遅れてざわめく。
「何が起きた?」
「今、三回攻撃してなかったか?」
「全部防いだのか?」
トーマは目を見開いていた。
「速すぎる」
ロイドの手も、記録板の上で止まりかけていた。
「記録が追いつきませんね」
レナが珍しく悔しそうに呟く。
「私より速い?」
ソルは走っていない。
ロイもただ足が速いわけではない。
それでも、レナには分かった。
あの二人は、単なる移動速度とは違うところで速い。
判断が速い。
攻撃への移行が速い。
迷いがない。
ユナが言う。
「速いというより、遅れがない」
ミアは目を丸くする。
「すごすぎて、どこ応援したらいいか分からないぞ」
ノアは小さく答える。
「ソルさんを見ればいいと思う」
「そうする!」
⸻
闘技場では、ロイが距離を取った。
ソルは追う。
一歩。
その一歩で距離が詰まる。
ロイは横へ消える。
ソルは剣を振る。
ロイは影から出て、また消える。
ソルはそのたびに斬る。
完全には当たらない。
だが、ロイの回避も完全ではない。
髪が一筋落ちる。
袖が裂ける。
頬に浅い線が入る。
ロイは小さく呟く。
「重い」
ソルは言う。
「逃げ足は軽い」
「褒めてる?」
「かなり」
「そう」
ロイは短剣を構え直す。
その瞬間、彼女の影が広がった。
闘技場の床に、黒い薄膜が走る。
ソルの足元まで。
ロイドが表情を変える。
「影域です」
トーマが聞く。
「何だ、それ」
「ロイが自身の隠密性を最大限に発揮するための戦場形成です。影の中で移動経路と攻撃角度を増やす」
アリスが遠くで叫ぶ。
「気をつけなさい、ソル! そこに入るとロイの道が増えるわよ!」
ソルはその声を聞いていた。
しかし、足を止めない。
影域へ踏み込む。
アリスが頭を抱えた。
「忠告した意味!」
テリア女王が楽しそうに笑う。
「ソルらしいのう」
シェイン側でロイドも少し困ったように言う。
「まあ、ソルなら踏み込みますね」
レナは拳を握る。
「さすがソル!」
ユナが呟く。
「真似したら駄目なやつ」
ソルが影域に入った瞬間、ロイの姿が完全に消えた。
気配も、足音も、影も。
全てが影域に溶ける。
ソルの周囲から、短剣が走った。
一つ。
二つ。
五つ。
ロイが一人ではなく、複数いるように見える。
いや、実際にはロイは一人。
だが、影域の中では攻撃の出現点が増える。
どこからでも刺せる。
どこへでも消えられる。
ソルの肩に浅い傷が入る。
続けて腕。
脇腹。
観客席がざわつく。
ソルが初めて削られた。
ロイの声が影から響く。
「捕まらない」
ソルは静かに目を閉じた。
「そうだな」
さらに短剣が迫る。
ソルは防ぐ。
だが、全ては防ぎきれない。
浅い傷が増えていく。
それでも、ソルの呼吸は乱れなかった。
「だが、逃げているだけでは勝てない」
影の中からロイの声。
「削る」
「削り切る前に捕まえる」
「できる?」
ソルは目を開いた。
「できる」
その瞬間、ソルの剣に光が宿った。
派手な光ではない。
細く、鋭い、白銀の光。
ソルは剣を地面へ突き立てた。
影域が揺れる。
ロイの攻撃が一瞬止まった。
「……?」
ソルは呟く。
「影は、光があるから生まれる」
剣から白銀の光が広がる。
闇を消すための光ではない。
影の輪郭を浮かび上がらせるための光。
影域の中に、無数の線が浮かび上がる。
ロイの移動した痕跡。
短剣が出る前の歪み。
影が濃くなる瞬間。
全てが、細い線として見え始めた。
ロイが影から飛び出す。
ソルの背後。
だが、ソルはすでに振り向いていた。
剣と短剣がぶつかる。
「見えた?」
ロイが問う。
ソルは静かに答える。
「見えるようにした」
ロイの目が、ほんの少しだけ楽しそうに細くなった。
「さすが」
「まだ来るだろう」
「うん」
ロイは笑った。
本当に小さな笑みだった。
そして、次の瞬間。
影域がさらに濃くなった。
白銀の光で浮かび上がっていた線が、黒に飲み込まれていく。
ソルの目が鋭くなる。
ロイの声が響く。
「ここから、本気」
アリスが息を呑む。
「ロイ……そこまで使うの?」
イリスも珍しく表情を引き締めた。
「影深度を上げていますね」
テリア女王は面白そうに、しかし真剣に見ていた。
「あやつも負けたままでは終われぬか」
ベイル側のガーネがぽつりと言う。
「私の時より、深い」
リンが微笑む。
「やはりソル相手には別格ですねぇ」
カノンが頷く。
「最高戦力」
⸻
影域が深くなる。
ソルの足元すら黒く染まる。
視界が奪われる。
光も、音も、距離感も。
影が全てを柔らかく飲み込む。
その中で、ロイの短剣が走る。
今度は速さではない。
存在の薄さ。
攻撃が来たと認識した瞬間には、もう切られている。
ソルの腕に傷。
頬に傷。
肩に傷。
観客席のノアが息を呑む。
「ソルさんが……」
トーマも拳を握る。
「押されてるのか?」
ロイドは険しい表情で答える。
「ロイの領域が完成しています。このままでは、ソルでも削られます」
レナが叫びそうになり、ユナが袖を掴んだ。
「今は見て」
「でも」
「ソルさんは、たぶんまだ折れてない」
ソルは影の中で剣を構えた。
傷は増えている。
血も流れている。
だが、彼女の目は揺れていなかった。
むしろ、どこか嬉しそうですらあった。
「ロイ」
「うん」
「やっと本気で来たな」
「ソルだから」
その声は、影の中から届く。
ソルは静かに笑った。
「なら、私も少し見せる」
ソルの魔力が変わる。
鋭さだけではない。
深い孤独を押し固めたような、静かな圧。
彼女の周囲に、白銀の光が集まる。
それは刃の形をしていた。
一つ。
二つ。
三つ。
無数ではない。
たった三本の光刃。
だが、その一つ一つが異様に鋭い。
ロイが影の中で動きを止めた。
「それ、嫌い」
ソルは答える。
「私は好きだ」
「ソルらしい」
「お前も嫌いな技ほどよく覚えている」
「うん」
ソルは剣を構えた。
三本の光刃が、彼女の周囲で静かに回る。
「孤剣三標」
ロイの影が揺れた。
次の瞬間、ロイが攻撃を仕掛ける。
正面ではない。
背後でもない。
右斜め下から短剣。
同時に、影の刃が左上から。
さらに足元から縫い針。
三方向。
ソルは動かない。
三本の光刃が、それぞれ勝手に動いた。
いや、勝手ではない。
ソルがロイの攻撃点を読んで、あらかじめ置いていた。
右下の短剣を一刃が弾く。
左上の影刃を二刃が裂く。
足元の縫い針を三刃が地面ごと断つ。
ロイの姿が影から一瞬浮かぶ。
ソルが踏み込む。
近い。
ロイはすぐに消えようとする。
だが、光刃の一つが影の逃げ道を塞いでいた。
ロイの目が見開かれる。
ソルの剣が迫る。
ロイは短剣で受ける。
重い。
短剣が軋む。
ソルが言う。
「捕まえた」
ロイは歯を食いしばる。
「まだ」
影がロイの体を包み、無理やり後ろへ逃がす。
だが、ソルは追った。
逃げるロイを、逃がさない。
影域の中で、白銀の光と黒い影が交錯する。
一秒の間に何度も剣戟が鳴る。
観客席はもう歓声を上げることすら忘れていた。
見えない。
けれど分かる。
今、闘技場の中心で、二人が常人の届かない戦いをしている。
⸻
数十合。
あるいは、それ以上。
やがて、影域が薄れ始めた。
ロイの呼吸がわずかに乱れる。
ソルも無傷ではない。
肩から血が流れ、頬にも傷。
だが、彼女の剣はまだ重い。
ロイは距離を取り、短剣を構える。
「ソル、強い」
ソルは剣を下げない。
「ロイも強い」
「勝つ」
「私もだ」
二人の言葉は短い。
だが、そこには確かな熱があった。
ロイは最後の一手に入る。
影が彼女の足元に集まる。
今度は領域を広げない。
一点に凝縮する。
短剣に黒い影が宿る。
アリスが立ち上がる。
「ロイ、それは……!」
テリア女王が目を細めた。
「決めに行くか」
ロイが低く構える。
姿が消える。
次の瞬間、ソルの目の前に現れた。
速い。
隠密ではない。
真正面。
ロイが真正面から来た。
ソルの目がわずかに見開かれる。
ロイの短剣が、ソルの剣の内側へ滑り込む。
影をまとった刃。
防御をすり抜ける一撃。
ソルは剣では間に合わない。
だから、左手を出した。
素手で、ロイの手首を掴む。
刃がソルの肩に突き刺さる。
深い。
観客席から悲鳴が上がる。
だが、ソルは離さない。
ロイの目が見開かれる。
「掴んだ」
ソルは血を流しながら言う。
「ああ」
「痛い?」
「痛い」
「離す?」
「離さない」
ソルの剣が、ロイの喉元へ向かう。
ロイはもう片方の短剣で防ごうとする。
だが、三本の光刃がその動きを塞ぐ。
逃げ道もない。
ロイは影に沈もうとする。
しかし、ソルが掴んだ手首から白銀の魔力が流れ込み、影化を止める。
「逃がさないと言った」
ソルの剣が、ロイの喉元で止まった。
寸止め。
静寂。
審判が一瞬遅れて手を上げる。
「勝者、シェイン王国代表、ソル!」
次の瞬間、闘技場が大歓声に包まれた。
⸻
ソルは剣を下ろした。
肩から血が流れている。
ロイも膝をついた。
息が荒い。
二人とも限界に近かった。
ソルが手を離す。
ロイは自分の手首を見る。
「捕まった」
ソルは頷く。
「捕まえた」
「悔しい」
「私も痛い」
「ごめん」
「試合だ」
ロイは少しだけ笑った。
「次は抜ける」
ソルも、ほんの少しだけ笑った。
「次も捕まえる」
短い会話。
けれど、その中には長い年月があった。
アリスが駆け寄りかけて、治療班に任せる。
「ロイ!」
ロイは振り返る。
「大丈夫」
「大丈夫に見えないわよ」
「痛いだけ」
「それ大丈夫じゃない!」
テリア女王は静かに笑った。
「よい戦いじゃった」
イリスも頷く。
「はい。美しいというより、研ぎ澄まされていました」
一方、シェイン側ではレナとミアが声を上げる。
「ソルー!」
「勝ったー!」
ロイドは安堵の息を吐いた。
「かなり危険でした」
ユナが頷く。
「最後、刺さってた」
ノアは胸を押さえる。
「でも、ソルさん……嬉しそう」
トーマはソルを見た。
傷だらけで、血を流している。
それでも、ソルはどこか満ち足りた表情をしていた。
「本気で戦える相手だったんだな」
ロイドは静かに言う。
「はい。ソルにとって、ロイはそういう相手なのでしょう」
ベイル側でも、ガーネが短く言った。
「すごい」
カノンが頷く。
「近づくのも、逃げるのも、全部速かった」
リンは微笑む。
「最高戦力同士というのは、見ているだけで毒ですねぇ。自分がまだ遠いと思い知らされます」
ベイル女王は大きく頷いた。
「だからこそ面白い!」
リトルたちも、それぞれ息を吐く。
キリカは悔しそうに拳を握った。
「あんなの、いつか斬れるようになんのかな」
メルはふわりと答える。
「なるんじゃない? キリカちゃんなら」
「簡単に言わないでよ」
「簡単じゃないけど、言うのは簡単だから」
「雑!」
ルチアは真剣な顔でソルとロイを見つめていた。
「私も、あのように前に立てるようにならねば」
フィナがにこにこと言う。
「お姉ちゃんが前に立ったら、私は後ろから逃げ道を全部消すね」
「だから発想が物騒ですわ」
「でも、ロイ様も逃げ道作ってたよ?」
「それは……そうですが」
ルチアは少し悩み、やがて小さく頷いた。
「では、せめて味方の逃げ道は残しなさい」
「はぁい」
⸻
魔法掲示板が光る。
第三カード群、第三試合。
勝者、シェイン王国代表ソル。
現在の結果。
テリア王国 1勝
シェイン王国 2勝
第三カード群は、シェインが一歩リード。
そして、最後の試合。
表示された名前に、闘技場の熱がまた別の色へ変わった。
トーマ 対 テリア女王。
トーマはゆっくり息を吸った。
ベイル女王に負けた。
レナも負けた。
ロイドは恐怖を記録して勝った。
ソルは孤独なライバルを捕まえて勝った。
そして次は、自分の番。
招待状を書いた相手。
「負けても構わぬ」と告げた女王。
先ほどベイル女王をぎりぎりで破った、星膜の使い手。
テリア女王が、ゆっくりと立ち上がる。
まだ治療の途中。
それでも、瞳の奥には楽しげな光が宿っている。
「さて」
彼女はトーマを見た。
「お主の番じゃな、トーマ」
トーマは拳を握る。
ノアが隣で小さく言う。
「トーマ」
「うん」
「負けても、帰ってきて」
トーマは頷いた。
「帰ってくる」
ロイドが静かに言う。
「目標確認を」
トーマは答えた。
「勝つことだけじゃない。名前を失わない。自分で止まる。相手の強さを受け取る」
レナが笑う。
「あと、走れるなら走れ!」
ユナがすぐ言う。
「無理に走らない」
ミアが拳を上げる。
「でも最後は気合いだ!」
ソルは治療を受けながら、短く言った。
「見ている」
その一言が、トーマの背中を押した。
テリア側では、アリスがテリア女王に言う。
「女王様、本当にやるんですか? まださっきの疲労が」
テリア女王は笑う。
「出力は調整する。心配するでない」
イリスが穏やかに言う。
「ですが、無理はなさらず」
ロイも短く言った。
「疲れてる」
「お主まで言うか」
テリア女王は苦笑し、それでも闘技場へ歩き出した。
ベイル女王は大声で笑う。
「トーマ! 今度はあの小さな怪物に挑む番だな!」
テリア女王が振り返る。
「誰が小さな怪物じゃ」
「褒めておる!」
「半分悪口じゃろうが!」
そんな掛け合いに、会場から笑いが起こる。
だが、トーマの胸の中は静かだった。
怖い。
それは確かだ。
でも、逃げたくはない。
トーマは一歩を踏み出す。
闘技場の中央へ。
忘却の剣はない。
あるのは短棒と、仲間の名前と、自分で選んだ足。
テリア女王は、中央で待っていた。
青白い魔力膜を一枚だけ浮かべ、穏やかに笑っている。
「来たな」
「はい」
「ベイルとの試合、見ておったぞ」
「俺も、あなたの試合を見ていました」
「どう思った?」
トーマは正直に答えた。
「勝てる気がしません」
テリア女王は楽しそうに笑う。
「よろしい」
「よろしいんですか」
「自分と相手の距離を見誤らぬのは大事じゃ」
彼女は指を一本立てる。
「じゃが、それだけでは足りぬ」
トーマは短棒を握る。
テリア女王は言った。
「届かぬと知った上で、何を持って一歩踏み出すか。それを見せよ」
審判が中央へ立つ。
「第三カード群、第四試合。シェイン王国特別招待枠、トーマ。テリア王国代表、テリア女王」
観客席が静まる。
ノアが両手を握る。
ロイドが記録板を構える。
レナもミアもユナも、息を呑む。
ソルは傷の治療を受けながら、目だけをトーマへ向けている。
ベイルのヴァルキリーたちも、テリアのヴァルキリーたちも、リトルヴァルキリーたちも。
皆が見ていた。
この大会に招かれた、記憶なき少年の一歩を。
審判の手が上がる。
テリア女王の周囲に、青白い膜が一枚、二枚、三枚と浮かぶ。
トーマは息を吸う。
「俺は、トーマ」
その名を確かめる。
そして構えた。
鐘が鳴る。
トーマ対テリア女王。
招待状の意味を問う戦いが、始まった。




