第三十九話 重き戦槌、影を砕く
第三試合。
ベイル王国代表、ガーネ。
テリア王国代表、ロイ。
その組み合わせが告げられると、闘技場の空気は少し冷えた。
先ほどまでのリンとアリスの試合は、華やかだった。
言葉が飛び交い、魔法が咲き、炎と雷が観客席を照らした。
だが、次は違う。
ガーネは重い。
ロイは軽い。
ガーネは見える。
ロイは見えない。
一撃で砕く者と、一撃を入れる隙すら与えない者。
あまりにも性質が違う二人だった。
ガーネは戦槌を担いで、闘技場へ入る。
レナとの試合で受けた傷は治療されているが、完全ではない。
肩には包帯。
膝にも保護具。
しかし歩みに迷いはなかった。
ベイルの重戦士は、痛いから止まるという発想をあまり持っていない。
いや、持ってはいるのだろう。
ただ、それより先に「戦う」が来る。
一方、ロイはいつ入ってきたのか分からなかった。
審判が彼女の名を呼んだ時、すでに闘技場の中央近くに立っていた。
足音もない。
気配も薄い。
まるで影が人の形を取ったようだった。
ガーネはロイを見る。
「見える」
ロイは短く答える。
「今は」
「すぐ消える?」
「うん」
「困る」
「困らせる」
ガーネは少し考えた。
「じゃあ、壊す」
ロイは首を傾げる。
「何を」
「隠れる場所」
その言葉に、ロイの目が少しだけ細くなった。
観客席のトーマは、二人のやり取りを聞いて眉を上げた。
「ガーネ、意外と考えてるな」
ロイドが頷く。
「ガーネは口数が少ないだけで、戦闘判断はかなり的確です。ロイ相手に個人を追うより、地形や影を潰す方が有効と見ています」
レナが悔しそうに笑う。
「私と戦った時もそうだった! ちゃんと捕まえてきたぞ!」
ミアが言う。
「ガーネさん、重いだけじゃないんだな」
ユナが静かに答える。
「重い上に、ちゃんと見る」
ノアはロイを見つめる。
「でも、ロイさんもすごく静か……」
ソルは腕を組んで、ロイから目を離さなかった。
「ロイは、見えている間に倒せる相手ではない」
トーマが聞く。
「ソルなら?」
ソルは少しだけ黙る。
「見えなくても斬る」
「……なるほど」
トーマはそれ以上聞かなかった。
ソルとロイの間には、他の者には見えない長い積み重ねがある。
いずれ戦う二人。
その前に、ロイがどんな戦いを見せるのか。
ソルはそれを確かめるように見ていた。
審判が手を上げる。
「第三試合、開始!」
鐘が鳴った。
瞬間、ロイが消えた。
本当に、そこからいなくなった。
観客席がどよめく。
「消えた?」
「速いだけか?」
「いや、見えない!」
ガーネは動かなかった。
戦槌を両手で持ち、目を閉じた。
そのまま、じっと立つ。
闘技場の砂が風に揺れる。
ロイの姿はない。
気配もない。
ガーネの周囲に、静寂が落ちる。
次の瞬間。
ガーネの背後に短剣が現れた。
ロイ。
首ではない。
肩の関節。
戦槌を振るう力を落とす狙い。
だが、短剣が触れる寸前、ガーネは戦槌を背中側へ回した。
金属音。
短剣が戦槌に弾かれる。
ロイはすぐに姿を消す。
ガーネは目を開けないまま言った。
「そこ」
戦槌を地面へ叩きつける。
轟音。
砂が跳ね、衝撃が円形に広がる。
闘技場の影が揺れた。
その揺れの中から、ロイの姿が一瞬だけ浮かび上がる。
「……」
ロイは着地し、また影へ沈む。
ガーネは目を開けた。
「見えた」
ロイの声がどこからともなく聞こえる。
「少し」
「少しでいい」
ガーネは戦槌を担ぎ直す。
「影、揺らす」
その言葉通り、ガーネは動き出した。
ロイを追わない。
自分の周囲の地面を叩く。
一撃。
二撃。
三撃。
闘技場の砂地が砕け、石片が跳ねる。
衝撃が影を乱す。
ロイの隠れる場所を、物理的に揺らしていく。
トーマは驚いた。
「そんなやり方ありか?」
ロイドが記録しながら言う。
「合理的です。ロイの隠密は影、視線、気配の隙間を利用する。地面ごと揺らされれば、隠れるための安定した影が乱れる」
レナが目を輝かせる。
「つまり、見えないなら全部壊せばいい!」
「かなりベイル的ですが、有効です」
ミアが拳を握る。
「私もそれできそう!」
ユナが即座に言う。
「できない」
「なんでだ!」
「地面を壊す力がない」
「悔しい!」
闘技場では、ロイが再び現れた。
今度はガーネの足元。
低い姿勢から短剣が走る。
狙いは膝。
ガーネは戦槌を振り下ろすには間に合わない。
だから、踏んだ。
重い足で、ロイの短剣ごと踏みつけようとする。
ロイは短剣を引き、体を滑らせるように避ける。
避けながら、もう片方の短剣でガーネの脛を切った。
浅い。
しかし傷は入った。
ガーネは表情を変えない。
「軽い」
ロイは短く答える。
「積む」
「うん」
そう。
ロイの一撃は軽い。
だが、積み重ねれば効く。
肩。
膝。
脛。
手首。
首元。
大きな一撃ではなく、動きを削る小さな傷。
ガーネが一撃で決めたいなら、ロイは百の小傷で止める。
それが彼女の戦いだった。
ガーネは戦槌を構える。
ロイの姿はまた消える。
今度は、ガーネが動かない。
待つ。
レナとの戦いでも見せたが、彼女は見た目に反して待てる。
重い者は、焦って動く必要がない。
来るなら受ける。
逃げるなら潰す。
その静かな圧が、闘技場に広がった。
ロイが現れる。
今度は正面。
短剣ではなく、影をまとった蹴り。
ガーネの顔を狙うように見える。
ガーネは戦槌を上げる。
だが、それは囮だった。
ロイの本命は背後から伸びる影の刃。
ガーネの腰を狙う。
観客席の多くは、それに気づかない。
ソルだけが小さく呟いた。
「背後」
ガーネも気づいた。
いや、見えていたわけではない。
予測していた。
彼女は戦槌を上げたまま、体を横へ倒すように動いた。
重い体が、信じられないほど大胆に傾く。
影の刃が空を切る。
同時に、ガーネは戦槌の柄を地面へ突き刺し、それを軸に体を回した。
レナ戦でも使った回転。
だが今回は蹴りではない。
戦槌の頭を低く回す。
砂地を削りながら、円形に薙ぎ払う。
ロイが影から弾き出された。
「っ」
ロイは空中で体勢を立て直す。
ガーネは追撃する。
戦槌を上へ振り上げる。
遅い。
だが、ロイは空中。
逃げ道が少ない。
ロイは短剣を交差させる。
戦槌が迫る。
直撃すれば終わる。
その瞬間、ロイの体が影に溶けた。
戦槌は空を叩く。
衝撃で空気が震え、闘技場の結界に波紋が走る。
ロイはガーネの背後に現れた。
だが、完全に無傷ではない。
衝撃波だけで肩の布が裂れ、口元にわずかに血が滲んでいた。
「重い」
ロイが言う。
ガーネは振り返る。
「当たってない」
「当たらなくても重い」
「そう」
ガーネは少しだけ頷いた。
「じゃあ、当てる」
ロイは短剣を構え直す。
「当たらない」
二人の視線が交わる。
静かだ。
けれど、火花は確かに散っている。
派手な会話はない。
言葉も少ない。
だが、そのぶん一手一手が重かった。
⸻
試合は長引いた。
ガーネは傷を増やしていた。
肩。
腕。
膝。
脇腹。
ロイの短剣は確実にガーネの動きを削っている。
一方、ロイも無傷ではない。
ガーネの戦槌はほとんど直撃していない。
だが、衝撃波、砕けた石片、地面の揺れ。
それだけでロイの体力を削っていた。
隠れるたびに影を揺らされる。
近づくたびに地形を壊される。
浅く斬るたびに、重い反撃が来る。
ロイは息を整えながら思った。
面倒。
とても面倒。
だが、嫌いではない。
ガーネはまっすぐだ。
嘘がない。
小細工も少ない。
ただ、重く、正確に、こちらを潰しに来る。
ロイはそういう相手を嫌いではなかった。
「次」
ガーネが言う。
「決める」
ロイは短く答える。
「私も」
観客席の緊張が高まる。
ベイル女王も、テリア女王も、黙って見ていた。
ソルは腕を組んだまま、ロイの呼吸を見ている。
トーマは手に汗を握っていた。
「どっちが有利なんだ?」
ロイドは少し考えて答える。
「残り体力ならガーネ。機動力と決定力ならロイ。ただし、ロイは一撃をもらえば終わりです」
「ガーネは?」
「ロイの削りがもう少し積み重なれば、戦槌を振れなくなる可能性があります」
ユナが静かに言う。
「先に届いた方」
「そうですね」
闘技場中央。
ガーネは戦槌を地面に置いた。
いや、置いたのではない。
沈めた。
戦槌の頭が砂地に深く埋まる。
「何を……?」
アリスが眉を寄せる。
ロイも警戒する。
ガーネは柄を握り、ゆっくり力を込めた。
地面が軋む。
戦槌を引き上げるのではない。
地面ごと持ち上げるように。
次の瞬間、ガーネは戦槌を振り上げた。
大量の砂と石片が、一気に空へ撒き上げられる。
闘技場の一角が、砂嵐に包まれた。
「視界を潰した!?」
ミアが叫ぶ。
ロイドは目を細める。
「違います。影を消したのです」
砂が舞い、光が乱反射する。
地面の影が薄くなる。
ロイが隠れるための濃い影が、極端に減った。
ガーネはその中で目を閉じる。
見ない。
視界に頼らない。
砂の中で、音と気配だけを拾う。
ロイはその意図を理解した。
「……やる」
ロイは影に沈もうとする。
だが、影が薄い。
完全には隠れられない。
ならば、速さで抜く。
ロイは低く走った。
砂嵐の中、短剣を構える。
狙いはガーネの右手首。
戦槌を握る力を落とす。
そこを切れば、勝てる。
ロイが近づく。
ガーネはまだ目を閉じている。
一歩。
二歩。
三歩。
届く。
ロイの短剣が、ガーネの手首へ走る。
その瞬間、ガーネが目を開けた。
「そこ」
戦槌では間に合わない。
だからガーネは、戦槌を手放した。
ロイの短剣が手首をかすめる。
血が散る。
だが、同時にガーネの左手がロイの腕を掴んだ。
「っ」
ロイの目が見開かれる。
捕まった。
ガーネの握力。
逃げようとした瞬間、腕が軋む。
ロイは短剣を逆手に持ち替え、ガーネの肘を狙う。
しかし、ガーネはそのままロイの体を引き寄せた。
そして。
頭突き。
鈍い音が響く。
ロイの意識が一瞬飛ぶ。
観客席がどよめく。
「頭突き!?」
「ベイルらしい!」
「いや、痛そう!」
ロイの体がぐらつく。
だが、完全には倒れない。
彼女は歯を食いしばり、もう片方の短剣をガーネの首元へ突きつけようとする。
ガーネは動いた。
ロイの腕を掴んだまま、体を回し、場外へ投げる。
レナの時と同じ。
しかし、ロイは空中で影へ沈む。
消える。
場外へ出る寸前、闘技場内の薄い影から現れた。
「戻った……!」
トーマが叫ぶ。
だが、ガーネも読んでいた。
彼女は戦槌を拾っていない。
その代わり、地面に残った戦槌の柄を蹴った。
戦槌が砂地を滑り、ロイが現れた影の方へ向かう。
ロイは着地直後。
避けるには遅い。
戦槌の柄がロイの足を払った。
ロイの体が崩れる。
ガーネは走った。
重い体で、全力で。
ロイが体勢を戻す前に、ガーネは彼女の前へ立った。
拳を握る。
戦槌ではない。
素手。
ガーネの拳が、ロイの胸元で寸止めされた。
風圧でロイの髪が揺れる。
審判が手を上げた。
「勝者、ベイル王国代表、ガーネ!」
一瞬の静寂。
そして、歓声。
ガーネが勝った。
隠密のロイを、重さと地形破壊、そして最後の読みで捕らえた。
ベイル側から大きな拍手が起こる。
ベイル女王は大笑いした。
「よくやった、ガーネ!」
リンも微笑む。
「見事でしたねぇ。頭突きは少々ベイルすぎましたが」
カノンが淡々と言う。
「効いたなら正解」
イリスは感心したように言う。
「影を消すために砂を舞わせるとは、発想が豪快ですね」
アリスが腕を組む。
「テリアではあまり出ない発想ね」
ロイはしばらく膝をついていた。
ガーネは手を差し出す。
「立てる?」
ロイはその手を見る。
少し迷ってから、掴んだ。
「立てる」
ガーネはロイを引き上げる。
ロイは口元の血を拭い、短く言った。
「強かった」
ガーネも答える。
「ロイ、見えなかった」
「捕まえた」
「うん」
「次は捕まらない」
「次も捕まえる」
二人はそれだけ言い合った。
それは、互いを認めるには十分すぎる言葉だった。
⸻
テリア側の控え席に戻ったロイを、アリスが迎えた。
「大丈夫?」
「うん」
「頭突き、すごい音したけど」
「痛い」
「でしょうね」
ロイは少しだけ額を押さえる。
アリスは治療班を呼びながらため息をついた。
「あなたが痛いって言うの、珍しいわね」
「痛いものは痛い」
「そう」
アリスは少しだけ笑った。
「負けたの、悔しい?」
ロイは沈黙した。
しばらくして、短く答える。
「悔しい」
アリスは頷いた。
「ならよし」
「よし?」
「悔しいなら、次があるってことよ」
ロイはその言葉を考えるように目を伏せた。
そして、遠くのソルを見た。
ソルもロイを見ていた。
ロイは小さく言う。
「ソルとは、負けない」
アリスはその横顔を見て、少しだけ目を細めた。
「ええ。そこは勝ちなさい」
ロイは頷いた。
⸻
観客席のトーマは、試合の余韻に息を吐いた。
「ガーネ、二戦目なのに勝ったな」
ロイドが記録板を見ながら頷く。
「レナ戦の疲労はありましたが、ロイへの対策が的確でした。ベイル王国らしい豪快さと、冷静な判断が両立していましたね」
レナは悔しそうに笑う。
「私も負けたけど、ロイにも勝つなんて、やっぱりガーネ強いな!」
ユナが言う。
「レナさんもかなり削ってた」
「そうか?」
「うん。ガーネさん、膝を少し気にしてた」
レナは少し嬉しそうにした。
「なら私の負けも少し役に立ったな!」
トーマはその言葉に静かに頷いた。
「負けても残るものがあるんだな」
ノアが彼を見る。
「うん」
ソルはロイを見つめたままだった。
トーマが声をかける。
「ソル」
「何だ」
「ロイが負けたの、意外だったか?」
ソルは少し黙った。
「いや」
「そうなのか?」
「ガーネは強い。ロイは油断していなかったが、捕まった」
「ソルなら?」
ソルは静かに言う。
「捕まらない」
その声には、誇りではなく確信があった。
トーマは苦笑した。
「ロイも同じこと思ってそうだな」
「だろうな」
ソルの目に、わずかな熱が宿る。
いずれ来るソル対ロイ。
その戦いが、少しずつ近づいている。
⸻
魔法掲示板に、第二カード群の途中経過が表示される。
ベイル王国 1勝
テリア王国 2勝
次の試合でテリアが勝てば、このカード群はテリアの勝利。
ベイルが勝てば、二勝二敗の引き分け。
そして、最後の試合は。
ベイル女王 対 テリア女王
闘技場の空気が一変した。
観客席がざわめく。
さっきまでの試合も見応えがあった。
だが、この試合は別格だった。
三国の歴史の中で、何度も語られてきた二人のライバル。
巨大な盾と光の剣を持つ、豪快なるベイル女王。
規格外の魔力と特殊なバリアを操る、好戦的な研究者テリア女王。
どちらが強いのか。
多くの者が、一度は考えたことがある問い。
その答えが、今、闘技場で示されようとしていた。
ベイル女王はゆっくり立ち上がった。
巨大な盾を背負い、光の剣を握る。
「待たせたな、テリア!」
声が闘技場中に響いた。
テリア女王も立ち上がる。
小さな体。
だが、その周囲に青白い魔力膜が幾重にも展開されていく。
「お主は相変わらず声が大きいのう」
「これでも抑えておる!」
「どこがじゃ」
アリスが遠くで呟く。
「本当に会場壊れないでしょうね……」
リンが治療席から微笑む。
「壊れる前提で結界を張っているのでは?」
ロイドは真剣な顔で闘技場の結界を見た。
「実際、通常の三倍以上の補強が入っています」
トーマが少し青ざめる。
「そんなに?」
「女王戦ですので」
レナは目を輝かせている。
「楽しみだ!」
ユナが静かに言う。
「近くにいたら終わり」
ノアは不安と期待が混ざった目でテリア女王を見た。
あの人は、ノアの力を測ろうとした人。
でも今は、少し違って見える。
トーマの過去を調べ、招待状を書き、負けても構わぬと言った人。
そのテリア女王が、これから本気に近い戦いを見せる。
ソルも腕を組んだ。
「見る価値がある」
ロイドが頷く。
「はい。女王級同士の戦闘は、我々にとっても貴重な資料です」
トーマは二人の女王を見た。
一人は山。
一人は星を包む膜。
そんなふうに見えた。
審判が中央へ立つ。
だが、その表情には緊張があった。
無理もない。
これから目の前で始まるのは、二人の女王による怪物同士の試合なのだ。
ベイル女王が盾を構える。
テリア女王が魔力膜を展開する。
二人は笑っていた。
まるで、ずっとこの瞬間を待っていた子どものように。
「行くぞ、テリア!」
「来るがよい、ベイル!」
鐘が鳴る直前、闘技場全体の結界が青白く輝いた。
会場中が息を呑む。
第二カード群、最終試合。
ベイル女王対テリア女王。
三国の女王対決が、ついに始まろうとしていた。




