第三十八話 毒輪と魔法花
第二カード群、第二試合。
ベイル王国代表、リン。
テリア王国代表、アリス。
名前が告げられた瞬間、闘技場の空気が少し華やいだ。
リンは妖艶に微笑みながら歩く。
チャクラムを指で軽く回し、観客席へ余裕たっぷりに手を振る。
対するアリスは、腕を組んだまま歩いていた。
表情は不機嫌。
だが、その周囲には色とりどりの魔法陣が小さく浮かんでいる。
炎。
氷。
雷。
風。
光。
まるで、怒った花畑だった。
リンは中央に立つと、くすりと笑った。
「まあ。ずいぶん綺麗な魔法陣ですねぇ」
アリスは眉をひそめる。
「褒めても何も出ないわよ」
「褒めているだけですのに」
「あなたの場合、褒め言葉にも罠がありそうなのよ」
「ふふ。警戒してくださって嬉しいです」
「嬉しがらないで」
リンは楽しそうだった。
アリスはすでに少し疲れていた。
観客席のトーマは、そのやり取りを見て首を傾げる。
「試合前から、アリスが押されてないか?」
ロイドが冷静に言う。
「精神的には、リンが先手を取っています」
ミアが不思議そうに聞く。
「まだ戦ってないのに?」
ユナが答える。
「言葉も戦い」
レナが腕を組む。
「私はああいうの苦手だな!」
ロイドが即答する。
「でしょうね」
「真正面から来てほしい!」
「リンは真正面から来ない相手です」
ノアは少し心配そうに言う。
「アリスさん、大丈夫かな」
ソルは静かに闘技場を見る。
「アリスは怒りで判断が鈍る時もある。だが、怒った時の火力も高い」
トーマは苦笑する。
「それ、良いのか悪いのか分からないな」
「両方だ」
闘技場中央では、審判が二人を見た。
「第二試合、開始!」
鐘が鳴った。
先に動いたのはアリスだった。
「先に黙らせる!」
右手を振る。
炎の矢が五本、リンへ向かって走る。
リンは軽やかに後ろへ跳び、チャクラムを投げた。
大きなチャクラムが炎の矢を二本裂く。
小さなチャクラムが軌道を変え、残り三本を横から叩き落とした。
「情熱的ですねぇ」
リンは着地と同時に言った。
「やかましい!」
アリスの足元に水の魔法陣。
そこから水流が伸び、リンの足を絡め取ろうとする。
リンはチャクラムを地面に突き刺し、それを支点にして体を持ち上げる。
水流を避けると同時に、空中で体をひねり、小型チャクラムをアリスへ放った。
アリスの前に氷壁が立つ。
チャクラムが氷を削る。
だが、砕き切れない。
「防御も速いですねぇ」
「当たり前でしょ!」
アリスは氷壁を砕き、その破片を風で押し出した。
氷の散弾。
リンは目を細める。
「これは少し痛そう」
チャクラムを二枚回転させ、氷片を弾きながら横へ走る。
動きが滑らかだった。
避けているのではなく、踊っているようにも見える。
しかし、アリスはそれを許さない。
「逃げ道はそこね」
雷の魔法陣がリンの進路に浮かぶ。
リンが踏み込む直前、雷が走った。
「おっと」
リンは寸前で止まる。
だが、止まった場所にはすでに炎の魔法陣。
「読んでたわよ!」
炎が噴き上がる。
観客席が沸いた。
リンの姿が炎に包まれる。
だが、次の瞬間、炎の中からチャクラムが飛び出した。
アリスの頬をかすめる。
「っ!」
リンは炎の外へ転がるように出てきた。
衣服の一部が焦げている。
だが、大きな傷はない。
彼女は焦げた袖を見て、少し悲しそうに言った。
「あら、お気に入りだったのですが」
アリスは頬の血を拭う。
「試合中に服の心配?」
「大事ですよ。戦いにも華は必要ですから」
「本当に余裕ぶるのが上手いわね」
「余裕があるように見えます?」
「見えるわよ」
「では成功です」
リンが微笑む。
アリスは一瞬、目を細めた。
余裕があるように見せているだけ。
今の炎は効いている。
リンの呼吸が少し乱れた。
アリスはそれを見逃さなかった。
「なるほどね」
リンは笑みを崩さない。
「何かお気づきで?」
「あなた、近づかないと決め手が薄いでしょ」
リンの目がほんの少し変わった。
アリスは続ける。
「チャクラムの軌道は厄介。でも魔法で面を取れば防げる。距離を詰めればあなたの土俵。だから私は、近づかせなければいい」
リンは微笑んだ。
「正解です」
「素直に認めるのね」
「見抜かれたことを否定しても、あまり美しくありませんから」
「美しさ基準なのね」
アリスの周囲に、さらに魔法陣が増える。
炎だけではない。
風が流れ、雷が走り、氷の欠片が浮かぶ。
リンを近づかせないための、複合魔法陣。
ロイドが観客席で感心したように言った。
「アリスは対応が早いですね。リンの戦術を早々に見抜き、距離管理へ切り替えました」
トーマが聞く。
「リンはどうする?」
「言葉で崩すか、強引に穴を作るか」
ソルが静かに言った。
「あるいは、両方だ」
リンはチャクラムを手元へ戻した。
「困りましたねぇ。近づけません」
「そのまま困ってなさい」
「では、別の方法で」
リンはゆっくり歩き出した。
真正面から。
アリスは警戒する。
「何のつもり?」
「少しお話を」
「試合中よ」
「ええ。だからこそ」
リンの声が、少し低く甘くなる。
「アリスさん。あなた、テリア女王のことが大好きでしょう?」
アリスの眉が跳ねた。
「は?」
「口ではあれこれ言いながら、すぐ心配する。怒る。止める。世話を焼く」
「今それ関係ある?」
「ありますよ」
リンは一歩ずつ近づく。
そのたびに、アリスの魔法陣がリンを狙う。
だがリンはまだ攻撃しない。
「あなたは優しい。だから、戦いでも相手を見すぎる」
アリスの表情がわずかに変わる。
「何が言いたいの」
「たとえば私が今、痛そうな顔をしたら、あなたは一瞬迷うでしょう?」
アリスは即座に魔法を放った。
雷が走る。
リンは横へ避ける。
「迷わないわよ!」
「本当に?」
「本当に!」
「では、試してみましょうか」
リンがチャクラムを自分の手元で回し、わざと深く踏み込んだ。
アリスが炎の魔法を撃つ。
直撃すれば戦闘不能になり得る威力。
リンは避ける。
そのはずだった。
だが、リンは半歩だけ遅れた。
炎がリンの肩をかすめる。
「っ……!」
リンの顔が苦痛に歪む。
アリスの指が、一瞬止まった。
「え……」
その一瞬。
リンの目が笑った。
小型チャクラムが地面を跳ね、アリスの足元へ。
「しまっ……!」
アリスは後退しようとするが、遅い。
チャクラムが足首の近くを切り、姿勢を崩す。
リンが一気に距離を詰める。
「ほら」
声が近い。
「迷いました」
大きなチャクラムがアリスの肩へ迫る。
アリスは咄嗟に氷壁を張る。
だが近い。
氷壁ごと押し込まれ、アリスの体が後ろへ弾かれた。
観客席がざわめく。
トーマが思わず身を乗り出す。
「今の、わざと食らったのか?」
ロイドは険しい顔で頷く。
「はい。アリスの迷いを引き出すために、自分の負傷を使った」
ミアが顔をしかめる。
「ずるい!」
ユナが静かに言う。
「でも有効」
ノアは胸元を握る。
「アリスさん……」
アリスは地面を転がり、すぐに起き上がった。
肩が痛む。
足も浅く切られている。
リンは肩を押さえながら微笑んでいる。
「やはり優しいですねぇ」
アリスの目が怒りで燃えた。
「あなた……!」
「怒りました?」
「怒ったわよ!」
「それはよかった」
リンはチャクラムを構える。
「怒ったあなたは、きっと綺麗でしょうから」
アリスは歯を食いしばった。
怒りで魔法陣が揺れる。
炎が大きくなる。
だが、そこで彼女は深く息を吸った。
「……駄目ね」
リンの眉がわずかに動く。
アリスは自分の頬を軽く叩いた。
「あなたの調子に乗るところだった」
怒りはある。
だが、それをそのまま投げない。
アリスは魔法陣を組み替える。
炎を小さく。
雷を細く。
氷を薄く。
風を静かに。
派手な攻撃から、精密な制御へ。
リンは目を細めた。
「冷静になられると、少し困りますねぇ」
「困ってなさい」
アリスは手を広げる。
「あなたが相手を迷わせるなら、私は迷っても戦える魔法に変える」
「面白いですねぇ」
「笑ってられるのも今のうちよ」
アリスの周囲に浮いていた魔法陣が、花のように開いた。
炎の花弁。
氷の茎。
雷の蕊。
風の葉。
それは美しい魔法だった。
だが、美しさの奥には、緻密な制御がある。
リンが踏み込む。
その瞬間、風の葉が彼女の動きを読むように揺れた。
炎の花弁が進路を塞ぐ。
リンは避ける。
避けた先に氷の茎が伸びる。
チャクラムで切る。
切った瞬間、雷の蕊が細く走る。
「っ」
リンの腕が痺れる。
チャクラムの回転がわずかに乱れた。
アリスはそこを見逃さない。
「捕まえた」
氷の蔓がリンの足を狙う。
リンは後ろへ跳ぶ。
だが、風が背中を押す。
押された先に、炎。
リンはチャクラムを交差させ、炎を裂く。
しかし、その隙に雷が上から落ちた。
直撃ではない。
近くに落とし、衝撃で体勢を崩す。
「これは……」
リンの笑みが少し薄くなる。
「見た目よりずっと嫌な魔法ですねぇ」
アリスは胸を張った。
「褒め言葉として受け取るわ」
「ええ、褒めています」
今度はリンが距離を取る番だった。
だが、アリスの魔法花は追ってくる。
まるで庭が広がるように、闘技場の一角がアリスの領域へ変わっていく。
リンはチャクラムを投げ、花の魔法陣を破壊しようとする。
だが、一つ壊しても別の花が咲く。
魔力消費は大きいはず。
しかし、アリスは止まらない。
ロイがテリア側の席で短く言った。
「アリス、本気」
イリスが微笑む。
「綺麗ですね」
ロイは頷く。
「うん」
テリア女王も満足そうに見ていた。
「よい魔法じゃ。怒りを形にせず、制御に変えた」
アリスは攻め続ける。
リンは避け続ける。
だが、リンもただ追い詰められているわけではない。
彼女はアリスの魔法花の配置を見ていた。
どの花が攻撃。
どの茎が拘束。
どの雷が誘導。
どこに隙があるか。
そして、見つけた。
「そこですねぇ」
リンが小型チャクラムを低く投げる。
狙いはアリスではない。
魔法花の根元。
アリスが気づく。
「まずっ……!」
チャクラムが根元を裂く。
魔法陣の連結が一瞬乱れた。
その瞬間、リンが駆ける。
今までより低く、速く。
チャクラム二枚を手に、アリスへ最短距離で迫る。
アリスは魔法を再構築しようとする。
しかし間に合わない。
リンが目前へ。
「近づきました」
アリスは歯を食いしばる。
「そうね」
リンのチャクラムがアリスの首元へ迫る。
だが、アリスは逃げなかった。
右手をリンへ向ける。
「だから何?」
リンの足元に、砕かれた魔法花の残骸が光った。
リンの目が見開かれる。
「残骸まで……?」
「魔法陣は壊れても、魔力は残るのよ」
アリスは叫んだ。
「咲き直しなさい!」
砕けた炎、氷、雷、風の残滓が一気に弾けた。
花が爆ぜる。
リンの体が光に包まれる。
直撃。
いや、リンは寸前でチャクラムを盾にした。
それでも衝撃は強い。
リンの体が後ろへ吹き飛ぶ。
アリスも反動で膝をつく。
闘技場に煙が広がった。
観客席が静まり返る。
煙の中、先に立ったのはアリスだった。
肩で息をしている。
魔力消費が激しい。
足の傷も痛む。
それでも立っている。
煙の向こうで、リンも起き上がった。
チャクラムは片方がひび割れている。
衣服もかなり焦げ、髪も乱れていた。
それでも、リンは笑った。
「痛いですねぇ……」
アリスは息を切らしながら言う。
「降参する?」
「したくはないのですが」
リンは一歩踏み出した。
足が揺れる。
もう一歩。
そこで膝が落ちた。
彼女はチャクラムを地面に突き立て、何とか倒れずにいる。
審判が近づく。
「リン選手、続行可能か?」
リンは少しだけ黙る。
アリスは魔法陣を構え直した。
だが、その手も震えている。
リンはアリスを見た。
そして、ふっと笑った。
「降参します」
観客席がどよめいた。
審判が手を上げる。
「勝者、テリア王国代表、アリス!」
歓声が上がった。
テリア側から大きな拍手。
アリスは一瞬呆然とした後、息を吐いた。
「……勝った」
リンは座り込んだまま微笑む。
「ええ。お見事です」
アリスはリンを見る。
「あなた、まだ何か企んでたでしょ」
「少しだけ」
「やっぱり!」
「でも、今の私では届きませんでした」
リンは素直に言った。
「あなたの魔法、綺麗でしたよ。怒りっぽいのに、とても繊細で」
アリスの顔が赤くなる。
「怒りっぽいは余計よ!」
「ふふ。そういうところも含めて、魅力的です」
「だからそういうこと言うな!」
リンは楽しそうに笑った。
二人は治療班に支えられながら退場する。
観客席では、トーマが大きく息を吐いていた。
「アリス、すごかったな」
ノアが頷く。
「魔法、綺麗だった」
ミアは興奮している。
「花が爆発したぞ! すごい!」
ユナが静かに言う。
「怒ってたけど、ちゃんと制御してた」
ロイドも頷いた。
「リンの心理戦に一度は揺らされましたが、そこから立て直した。良い勝利です」
ソルが静かに言う。
「テリアが二連勝か」
掲示板には、第二カード群の途中経過が表示されていた。
ベイル王国 0勝
テリア王国 2勝
次は第三試合。
ガーネ 対 ロイ。
重量と隠密。
見える重さと、見えない刃。
トーマは二人を見た。
ガーネは静かに戦槌を担いでいる。
ロイは、いつの間にか闘技場の入口に立っている。
レナが身を乗り出す。
「ガーネ、また出るのか!」
ロイドが言う。
「第一試合でレナと戦いましたが、治療を挟んで出場可能と判断されたのでしょう」
トーマは少し顔をしかめた。
「相手はロイか……」
ソルの視線が、ロイへ向かう。
その目は静かだったが、どこか鋭い。
ロイはその視線に気づいたのか、ちらりとソルを見た。
短い視線の交差。
言葉はない。
だが、互いに何かを確認しているようだった。
次の試合は、派手な正面衝突ではない。
一撃を当てたい重戦士と、そもそも姿を掴ませない隠密。
ガーネ対ロイ。
闘技場に、静かな緊張が降りていった。




