第三十七話 見えない矢と映らぬ鏡
第二カード群。
ベイル王国 対 テリア王国。
第一試合。
カノン 対 イリス
第二試合。
リン 対 アリス
第三試合。
ガーネ 対 ロイ
第四試合。
ベイル女王 対 テリア女王
最後の文字が浮かんだ瞬間、会場が一気に沸いた。
大トリ。
女王同士の対決が、第二カード群の最後に置かれた。
ベイル女王は巨大な盾を肩に担ぎ、豪快に笑う。
「ほう! 我らを最後にするか!」
テリア女王も口元を上げる。
「楽しみは最後に取っておくものじゃろう?」
「よい! その方が燃える!」
「会場を燃やすでないぞ」
「努力する!」
アリスが遠くから頭を抱えた。
「努力するって言う人は大体信用できないのよ……」
リンが扇ぐように手を振りながら微笑む。
「女王対決の前座が私たちとは、ずいぶん豪華ですねぇ」
アリスはリンを見る。
「あなたと当たるの、普通に嫌なんだけど」
「嬉しいです」
「褒めてない」
「半分くらいは褒めているでしょう?」
「一割よ」
「では一割いただきます」
その隣で、カノンは大型弩を背負い直していた。
ソルとの試合で敗れたばかりだが、表情は落ち着いている。
大きな負傷はない。
ただ、悔しさは残っている。
そして今度の相手は、テリアのイリス。
幻惑魔法と反射結界を使う、防御反撃型のヴァルキリー。
カノンは小さく呟く。
「見えにくい相手」
イリスは穏やかに微笑んだ。
「カノン様ですね。どうぞよろしくお願いします」
「よろしく」
「矢は、痛そうですね」
「当たれば」
「当たらないように頑張ります」
「当てるように頑張る」
二人の会話は淡々としていた。
だが、その静けさがかえって不気味だった。
トーマは観客席から二人を見て、眉を寄せる。
「さっきのソルとカノンとは、また違う空気だな」
ロイドが頷く。
「カノンは中距離封殺型。イリスは幻惑と反射を使う防御反撃型。どちらも、相手に気持ちよく攻めさせないタイプです」
レナが腕を組む。
「つまり、嫌な者同士か!」
「言い方は雑ですが、概ね正しいです」
ミアが首を傾げる。
「どっちが強いんだ?」
ユナが答える。
「相性次第」
ノアはイリスをじっと見ていた。
「イリスさん、見てると少し目が変になる」
トーマも同意する。
イリスはただ立っているだけなのに、輪郭がわずかにずれて見える。
そこにいるはずなのに、少し横にもいるような。
鏡に映った影と本物が重なっているような。
ロイがテリア側の席で短く言った。
「イリスは、見ようとするとずれる」
アリスが頷く。
「そういう戦い方だからね」
リンがくすりと笑う。
「カノンさんとは相性が悪そうですねぇ」
カノンは照準を合わせる戦士。
イリスは照準をずらす戦士。
二人が闘技場中央へ進む。
観客席の熱は女王対決を待つ高揚で膨らんでいたが、今はそれとは別の緊張が広がっていた。
派手な打ち合いではない。
おそらく、静かで厄介な戦いになる。
審判が手を上げる。
「第二カード群、第一試合。ベイル王国代表、カノン。テリア王国代表、イリス」
カノンは大型弩を構えた。
イリスは両手を胸の前で軽く重ねる。
彼女の周囲に、薄い鏡のような結界が三枚浮かんだ。
審判の手が振り下ろされる。
「開始!」
鐘が鳴った。
先に動いたのはカノンだった。
大型弩から魔力矢が放たれる。
速い。
狙いはイリスの胸部。
非殺傷とはいえ、まともに当たれば一撃で戦闘不能になりかねない威力。
イリスは動かない。
矢が彼女に当たる直前、目の前の鏡結界が角度を変えた。
魔力矢は結界に触れ、斜めに反射される。
矢はイリスの横を抜け、闘技場の床へ突き刺さった。
カノンは表情を変えない。
「反射」
二射目。
今度はイリスではなく、彼女の足元。
床に当たった矢が爆ぜ、光の粉を散らす。
視界を奪うための矢。
だが、イリスはゆっくり一歩下がっただけだった。
光の粉の中に、彼女の姿が三つに分かれて見える。
カノンの目が細くなる。
「幻惑」
三つのイリスが同時に微笑む。
「はい。どれが本物でしょう?」
カノンは答えない。
大型弩を下ろし、背中から短い投擲槍を抜いた。
一本、二本、三本。
三つのイリスへ同時に投げる。
幻を見破るのではなく、全部潰す。
「なるほど」
イリスが笑う。
三つのうち二つが槍で貫かれ、霧のように消える。
残った一人は反射結界で槍をそらした。
「本物」
カノンが弩を構え直す。
今度は連射。
魔力矢が連続で放たれる。
一本目は正面。
二本目は上。
三本目はわざと外して、反射先を読むための試射。
四本目はイリスが避けるであろう方向へ。
カノンは淡々と撃つ。
イリスは結界を動かす。
反射。
屈折。
幻影。
位置ずらし。
矢が真っ直ぐ飛ばない。
当たるはずの矢が、半歩ずれて通り過ぎる。
イリスは一歩も大きく動いていない。
それなのに、カノンの攻撃は届かない。
観客席から、困惑の声が上がる。
「当たらない……」
「カノンの狙いが悪いのか?」
「違う、イリスがずらしてる」
ロイドは真剣な顔で見ていた。
「厄介ですね。視覚だけでなく、距離感もずらされています」
トーマが眉を寄せる。
「距離感?」
「はい。カノンの矢は正確です。しかし、イリスが自分の位置を半歩分ずらして認識させている。結果、正確に狙えば狙うほど外れる」
レナが嫌そうな顔をする。
「それ、私も嫌いだ!」
「あなたはだいたい嫌いでしょう」
「真正面がいい!」
ユナが静かに言う。
「でも、真正面に見えるものが真正面じゃない相手」
ミアが顔をしかめる。
「うわ、やっぱり嫌だな!」
闘技場では、カノンが足元に杭を撃ち込んだ。
ソル戦でも使った封鎖陣。
光の線がイリスの周囲に走る。
逃げ道を制限する。
しかし、イリスは微笑んだまま手を上げた。
鏡結界が床へ向く。
光の線が鏡に映る。
次の瞬間、光の線が二重に見え始めた。
本物の線と、鏡に映った偽物の線。
カノンの作った封鎖陣が、逆にカノン自身の認識を邪魔する。
「自分の陣を見づらくされた」
カノンは呟いた。
イリスは穏やかに言う。
「とても精密な陣ですね。だから、少し映すだけで混乱します」
「嫌な相手」
「ありがとうございます」
イリスは本当に嬉しそうに微笑んだ。
その瞬間、カノンは大型弩を地面へ向けて撃った。
魔力矢が床に突き刺さる。
爆発。
砂煙が舞う。
観客席から声が上がる。
「視界を消した?」
「でも見えなきゃカノンも狙えないだろ!」
トーマは目を凝らす。
砂煙の中で、カノンは動いていた。
視界に頼らない。
彼女は撃ち込んだ杭の位置を覚えている。
自分が作った封鎖陣の正確な配置。
そこから逆算して、イリスが立てる位置を絞る。
大型弩ではなく、短い杭矢。
低く、速く。
砂煙の中へ三連射。
一発目。
鏡結界に当たり、弾かれる音。
二発目。
幻影を貫く、乾いた音。
三発目。
布をかすめる音。
イリスの声が初めてわずかに揺れた。
「……お見事です」
砂煙が晴れる。
イリスの肩の布が裂けていた。
直撃ではない。
だが、かすった。
カノンは無表情のまま言う。
「見えないなら、見ない」
イリスは少し目を細める。
「なるほど。カノン様は、非常に堅実な方ですね」
「派手なのは苦手」
「私は派手に見せるのが得意です」
「相性、悪い」
「ええ。とても」
イリスの周囲に、鏡結界がさらに増える。
三枚。
五枚。
七枚。
彼女の姿が、幾重にも映り始めた。
今度は幻影だけではない。
鏡に反射した本物の像。
魔力で作った偽物。
位置をずらす屈折。
そして、反射結界。
カノンは一瞬で判断する。
長引けば不利。
相手が場を作りきる前に決める。
彼女は大型弩に、今までより太い矢を装填した。
ソル戦で使った重い一射。
ただし、今回は正面に撃つのではない。
カノンは上空へ向けて放った。
魔力矢が高く飛び、闘技場の結界寸前で分裂する。
無数の小さな矢となり、雨のように降り注ぐ。
観客席が沸く。
範囲攻撃。
イリスの位置がずれていても、面で制圧する。
イリスは両手を広げた。
鏡結界が傘のように展開される。
降り注ぐ矢を次々に反射する。
しかし、数が多い。
反射しきれない矢が床に刺さり、爆ぜる。
イリスが一歩、二歩と下がる。
カノンはそこを狙っていた。
矢の雨は攻撃ではなく、移動方向を作るためのもの。
イリスが下がった先には、最初に撃ち込んだ杭がある。
光の線が起動。
イリスの足元を拘束する。
「捕まえた」
カノンが大型弩を構える。
至近ではない。
だが、十分な距離。
イリスは足を拘束され、鏡結界は上空の矢に使っている。
今なら、正面が空いている。
カノンは撃った。
一直線。
イリスの胸部へ。
決まった。
そう見えた。
しかし、イリスは微笑んだ。
「捕まえたのは、どちらでしょう」
カノンの背後に、鏡があった。
いつの間にか。
最初に反射された矢の魔力残滓を使い、背後に小さな反射結界を仕込んでいた。
カノンが放った矢はイリスへ向かう。
だが、イリスの前に現れた鏡結界で反射。
角度を変え、さらに背後の鏡へ。
そして、カノンの背中側から戻ってくる。
「!」
カノンは即座に横へ跳ぶ。
だが、完全には避けられない。
自分の矢が、肩を撃ち抜いた。
非殺傷とはいえ、威力は十分。
カノンの体が崩れる。
イリスは足元の拘束を鏡の刃で切り、静かに歩き出した。
「あなたの矢は、とても正確でした」
カノンは片膝をつきながら、歯を食いしばる。
「だから、返しやすい?」
「はい」
イリスの声は柔らかい。
だが内容は恐ろしい。
正確だから利用される。
堅実だから読まれる。
カノンは大型弩を片手で持ち上げようとする。
肩が動かない。
自分の矢の衝撃で、腕が痺れている。
イリスは近づく。
「降参されますか?」
カノンは答えない。
腰の短杭を抜く。
まだ戦う。
イリスは少しだけ困ったように笑った。
「では、止めます」
彼女の鏡結界が左右に展開される。
カノンの姿が、複数の鏡に映る。
次の瞬間、鏡から反射された光の帯がカノンの腕、足、弩を絡め取った。
拘束。
カノンは動こうとする。
だが、力の向きがずれる。
押せば引かれる。
引けば押される。
自分の力が鏡の中で反転し、拘束を強める。
カノンはしばらく抵抗した。
そして、静かに息を吐いた。
「降参」
審判が手を上げる。
「勝者、テリア王国代表、イリス!」
会場から拍手が上がった。
派手な爆発ではない。
だが、じわじわと広がるような拍手。
見れば見るほど、厄介で精密な試合だった。
カノンは拘束を解かれ、ゆっくり立ち上がる。
イリスが礼をする。
「ありがとうございました」
カノンは肩を押さえながら言った。
「嫌な相手だった」
イリスは微笑む。
「最高の褒め言葉です」
「みんなそう言う」
「そうなのですか?」
「リンも言う」
イリスは少し考えてから言った。
「では、リン様とは気が合うかもしれませんね」
ベイル側でリンが手を振る。
「呼びました?」
カノンは即座に言う。
「呼んでない」
観客席に小さな笑いが起こった。
⸻
控え席で、トーマは深く息を吐いた。
「すごい試合だった」
ロイドが頷く。
「カノンは優秀でした。ソル戦の敗北から、視覚に頼らない戦術へ切り替えていた。ですが、イリスがさらに一枚上手でしたね」
ノアが小さく言う。
「反射って、怖いね」
「うん」
トーマは自分の手を見る。
もし自分がイリスと戦ったら。
狙いがずらされ、攻撃が返され、自分がどこにいるのか分からなくなるかもしれない。
記録喰いとは違う。
でも、自分にとって危険な相手だ。
ユナがぽつりと言う。
「トーマとは相性悪そう」
「俺もそう思った」
ミアが拳を握る。
「でも、全部まとめて殴ればいいんじゃないか?」
ロイドが即座に言う。
「それができるなら苦労しません」
レナが頷く。
「真正面から行きたい相手ほど、真正面にいないんだな!」
「今のは少し良い分析です」
「やった!」
ソルはイリスを見ていた。
「テリアも厄介な駒を出してきた」
ロイドは記録板に書き込む。
「第二カード群、第一試合。テリア王国一勝」
ベイル側ではカノンが治療を受けていた。
ベイル女王が豪快に背中を叩きかけて、リンに止められる。
「女王陛下、肩を撃たれた直後です」
「おお、そうだった!」
カノンは静かに言う。
「叩かれたら倒れるところだった」
「すまん!」
「謝れるのですね」
「当然だ!」
リンはくすりと笑い、立ち上がった。
次は彼女の番。
第二試合。
リン 対 アリス。
アリスはすでに立っていた。
腕を組み、不機嫌そうにリンを見ている。
「やっと来たわね」
リンは優雅に微笑む。
「お待たせしました、アリスさん」
「待ってない」
「照れなくても」
「照れてない!」
「そういうところ、可愛らしいですねぇ」
アリスの額に青筋が浮かぶ。
「試合前から疲れる相手ね……」
リンは楽しげにチャクラムを回した。
「私はとても楽しみですよ」
トーマはそれを見て、ぽつりと言った。
「アリス、大丈夫かな」
ソルが静かに答える。
「精神的には、すでに削られている」
ロイドが頷く。
「リンの戦いは試合前から始まりますから」
ノアが少し不安そうに見る。
「アリスさん、怒ってる……」
ユナが言う。
「怒った方がリンさんの思うつぼかも」
ミアが首を傾げる。
「でもアリスさん、怒ってる方が強そうだぞ」
トーマは苦笑した。
「確かに」
闘技場の熱が、また別の色に変わっていく。
静かな幻惑戦の次は、魔法とチャクラム、そして舌戦の火花。
リン対アリス。
妖艶な毒と、華やかな魔法使い。
第二試合が、にぎやかな嵐を予感させながら始まろうとしていた。




