第三十三話 速き犬と重き槌
第一試合。
シェイン王国代表、レナ。
ベイル王国代表、ガーネ。
二人の名が告げられた瞬間、闘技場の空気が一段熱を増した。
レナは軽く跳ねるように入場した。
肩を回し、足首を鳴らし、今にも飛び出しそうな勢いを全身から放っている。
一方のガーネは、重い足取りで闘技場に入ってきた。
背負っているのは、巨大な戦槌。
大斧の修復が間に合わなかったため、大会では戦槌を使うことになったらしい。
だが、それが代用品などと思える者はいなかった。
柄も頭部も異様に大きく、普通の兵士なら持ち上げるだけで腰が悲鳴を上げるような武器。
それをガーネは片手で担いでいた。
観客席がざわめく。
「速さのレナか」
「相手はベイルの重戦士だぞ」
「当たれば終わりだな」
「いや、当たらなければどうということはない」
「当たらないまま勝てるのか?」
その声を聞きながら、レナはにっと笑った。
「言われてるぞ、ガーネ!」
ガーネは短く答える。
「当てる」
「いいな! 分かりやすい!」
「レナは避ける?」
「避ける! でも、避けるだけじゃ勝てないからな!」
「うん」
ガーネは戦槌を地面に下ろした。
ごん、と鈍い音。
その一音だけで、地面が少し震えた。
レナの笑みが少し深くなる。
「重そうだな」
「重い」
「振れるのか?」
「振れる」
「よし!」
レナは木槍を構えた。
大会用に刃を潰した非殺傷槍。
ただし、速度が乗れば十分に相手を戦闘不能にできる。
レナの武器は槍そのものではない。
足だ。
圧倒的な移動速度、踏み込み、切り返し。
彼女は戦場で先陣を切るために生まれたようなヴァルキリーだった。
観客席のシェイン側では、ミアが拳を握っていた。
「レナさん、頑張れー!」
ユナがすぐに言う。
「声、大きすぎ」
「応援だからいいんだ!」
ノアは少し心配そうに見つめている。
「ガーネさん、すごく強そう……」
トーマも頷いた。
「あの一撃を受けたら、俺なら飛ぶな」
ロイドが横で淡々と補足する。
「飛ぶだけで済めば幸運です」
「怖いこと言うな」
ソルは静かに闘技場を見ている。
「レナがいつも通り突っ込めば負ける」
トーマがソルを見る。
「じゃあ、勝つには?」
「いつも通りでないことをする」
その言葉は、レナにも分かっているはずだった。
彼女は地下闘技場の後から、止まる訓練を続けている。
突っ込むだけではない。
待つ。
誘う。
止まる。
相手に考えさせる。
レナにとって、それは走るよりずっと難しい訓練だった。
審判が中央へ立つ。
「第一試合、開始!」
鐘が鳴った。
その瞬間、レナが消えた。
いや、消えたように見えた。
低く、鋭く、地面を蹴る。
観客席から歓声が上がる。
レナは真正面からガーネへ迫った。
いつものレナ。
突撃。
だが、ガーネは動じない。
戦槌をゆっくり持ち上げる。
遅い。
そう見えた。
しかし、次の瞬間。
戦槌が地面を叩いた。
轟音。
衝撃が円形に広がる。
「っ!」
レナの足元が跳ねた。
突撃の軌道が崩れる。
ただの振り下ろしではない。
地面を揺らし、近づく者の足を奪う一撃。
レナは空中で体をひねり、槍を地面に突き立てて軌道を変えた。
そのままガーネの横を抜ける。
「おおっ!」
観客が沸く。
レナは着地と同時に再加速。
背後へ回る。
ガーネは振り向かない。
戦槌を横へ薙いだ。
広い。
武器の長さと重量で、背後すら巻き込む一撃。
レナは低く滑り込むように避けた。
槍の柄でガーネの足首を狙う。
だが、ガーネは足を上げた。
重い足が、レナの槍を踏みつける。
「うわっ!」
槍が動かない。
レナは即座に手を離した。
次の瞬間、戦槌が上から降ってくる。
レナは後方へ跳ぶ。
槌が地面を砕いた。
もし槍に固執していれば、そこで潰されていた。
ロイドが観客席で頷く。
「良い判断です。武器を捨てる判断が早い」
トーマも息を呑む。
「あれ、前なら持ったまま引っ張ってたか?」
「おそらく」
ソルが答える。
「成長している」
レナは距離を取り、予備の短槍を腰から引き抜いた。
「やっぱり重いな!」
ガーネは槌を担ぐ。
「レナ、速い」
「だろ!」
「でも、軽い」
その言葉に、レナの目が細くなる。
挑発ではない。
ガーネはただ事実を言っている。
レナの攻撃は速い。
だが、ガーネを崩すには軽い。
「なら、重くすればいいんだな!」
レナは笑った。
そして、今度は動かなかった。
観客席がざわつく。
レナが待っている。
あのレナが。
ガーネも少しだけ首を傾げる。
「来ない?」
「待つ!」
「どうして?」
「考えてる!」
ロイドが小さく息を吐いた。
「口に出さなければ、もっとよかったのですが」
トーマが笑う。
「でもレナらしい」
ガーネは少し考えた。
それから、自分から歩き出した。
一歩。
一歩。
地面が鳴る。
近づくほど、圧が増す。
レナは動かない。
槍を構え、じっと待つ。
ミアが観客席でそわそわする。
「レナさん、行かないのか?」
ユナが言う。
「待つ訓練」
「私なら無理だ」
「知ってる」
ガーネが間合いに入る。
戦槌が上がる。
レナはまだ動かない。
振り下ろし。
その瞬間、レナは横へ跳んだ。
ただ避けたのではない。
ガーネが戦槌を振り下ろす瞬間、彼女の足元に槍を投げた。
ガーネの足が、ほんの少しだけ止まる。
そこへレナが回り込む。
狙いは背中。
だが、ガーネは戦槌を持ち上げず、柄を後ろへ突き出した。
「っ!」
レナは槍で受ける。
衝撃。
軽いレナの体が弾かれる。
だが、彼女は空中で笑った。
「見えた!」
その言葉と同時に、レナは地面に着地する前に壁を蹴った。
闘技場の外壁ではない。
ガーネが砕いた地面の大きな石片。
そこを足場にして、斜め上から再突入する。
速い。
しかも、正面でも背後でもない。
真上に近い角度。
ガーネの目がわずかに動く。
戦槌では間に合わない。
レナの短槍が、ガーネの肩を狙う。
当たる。
そう見えた。
だが、ガーネは槌を手放した。
「え」
レナの声。
ガーネは空いた両腕で、レナの槍を挟み込むように受けた。
そして、そのままレナごと地面へ引き落とす。
「うわあっ!」
レナの体が地面へ叩きつけられそうになる。
だが、直前で彼女は槍を捨てた。
手をつき、体を回転させ、ガーネの腕から逃れる。
地面を転がり、距離を取る。
息が上がっていた。
「危なかった……!」
ガーネは戦槌を拾い直す。
「惜しい」
レナは笑った。
「惜しいなら、次は行けるな!」
「次も止める」
「いいな!」
二人は再び向かい合う。
ここまで、どちらも決定打はない。
だが、戦いの内容は濃い。
速度のレナが攻め、重量のガーネが受ける。
しかし、ただそれだけではない。
レナは考えている。
ガーネも読んでいる。
観客席の熱が上がる。
ベイル女王は腕を組んで笑った。
「ガーネ、よいぞ! そのまま潰せ!」
リンが横で言う。
「女王陛下、殺害禁止です」
「分かっておる! 戦闘不能にする程度に潰せ!」
「表現が危ないですねぇ」
カノンは静かに試合を見ていた。
「レナ、速い。でも直線だけじゃない」
リンは頷く。
「シェインも育てていますねぇ」
一方、テリア側ではアリスが感心したように言った。
「レナって、あんなに考える子だった?」
ロイが短く答える。
「前より」
イリスが微笑む。
「止まることを覚えた速さは、厄介ですね」
テリア女王は小さく笑った。
「シェインも面白くなっておる」
試合は中盤へ入った。
レナは三本目の短槍を構える。
残る予備武器は少ない。
ガーネはほとんど傷を負っていない。
しかし、息は少し荒くなっていた。
レナの速度に対応するため、重い武器を振り続けている。
消耗は確かにある。
ロイドがそれに気づく。
「長期戦に持ち込めれば勝機があります」
トーマが問う。
「ガーネの方が体力ありそうに見えるけど」
「単純な持久力はガーネでしょう。しかし、あの重量の戦槌をレナの速度に合わせて振り続けるのは負担が大きい。レナが焦らなければ、動きは鈍ります」
「焦らなければ、か」
それが一番難しい。
レナは待つ訓練をしている。
だが、彼女の本質は前へ出ることだ。
勝機が見えた時、突っ込みすぎる危険がある。
ソルは静かに言った。
「ここからだ」
闘技場中央。
ガーネが先に動いた。
戦槌を引きずるように構え、低く踏み込む。
それまでの重い一撃とは違う。
速い。
「来た!」
レナは横へ跳ぶ。
だが、ガーネの戦槌は振られなかった。
代わりに、ガーネは戦槌の柄を地面へ突き刺し、それを軸に体を回した。
巨大な体が、予想外の速度で回転する。
蹴り。
レナの横腹を狙う。
「っ!」
レナは槍を盾にする。
衝撃で吹き飛ばされる。
軽い体が砂地を転がった。
観客席から悲鳴が上がる。
「レナ!」
ミアが叫ぶ。
レナはすぐに起き上がろうとする。
だが、ガーネはもう来ていた。
戦槌を両手で握り、横薙ぎに振る。
逃げ場は少ない。
レナは一瞬、前へ出ようとした。
いつもの癖。
相手の攻撃が来るなら、その懐へ入る。
だが、ガーネの戦槌は広い。
前へ行けば巻き込まれる。
「止まれ!」
ロイドの声。
同時に、トーマも叫んだ。
「レナ!」
名前。
レナの足が、寸前で止まった。
彼女は前へ出なかった。
後ろへも逃げなかった。
その場で、低く沈んだ。
戦槌が頭上を通過する。
風圧だけで髪が乱れる。
レナはその下をくぐり抜け、ガーネの足元へ滑り込んだ。
「そこだ!」
槍ではない。
拳でもない。
レナは、自分の体ごとガーネの膝裏へぶつかった。
速さに体重を乗せた低空の体当たり。
軽いレナの一撃。
だが、ガーネは戦槌を振り切った直後で、重心が流れていた。
膝が崩れる。
ガーネの巨体が、わずかに傾いた。
「おおっ!」
観客席が沸く。
レナはそこからさらに動く。
倒し切るためではない。
ガーネの戦槌を持つ手を蹴り上げる。
戦槌が一瞬浮く。
その隙に、レナは最後の短槍を抜き、ガーネの首元へ突きつけた。
寸止め。
審判が手を上げかける。
しかし。
ガーネの空いた手が、レナの腕を掴んでいた。
「え」
レナが気づいた時には遅い。
ガーネは首元に槍を突きつけられたまま、腕一本でレナを持ち上げた。
「捕まえた」
短い声。
レナの目が見開かれる。
次の瞬間、ガーネはレナを地面へ叩きつけるのではなく、場外へ向けて投げた。
「うわああああっ!」
レナの体が宙を飛ぶ。
場外線の向こうへ。
だが、レナは空中で体をひねった。
槍を地面へ投げる。
槍が場内の地面に刺さる。
そこへ、レナは腰に残していた細い補助紐を引っかけた。
体が弧を描いて戻る。
観客席が爆発するように沸いた。
「戻った!」
トーマも思わず叫ぶ。
「すごいな、あれ!」
ロイドも目を見開いていた。
「補助紐……いつの間に」
ユナが静かに言う。
「私が貸した」
ミアが驚く。
「ユナの糸か!」
ユナは小さく頷く。
「試合前に少しだけ。レナさん、ちゃんと使えた」
レナは場内に着地した。
だが、膝をつく。
先ほどの蹴りと投げで、かなりのダメージを受けている。
息が荒い。
ガーネも膝をついていた。
レナの体当たりで片膝を崩され、まだ立ち切れていない。
二人とも限界に近づいている。
ガーネが戦槌を拾おうとする。
レナが槍を構える。
最後のぶつかり合い。
誰もがそう感じた。
レナは深く息を吸った。
「レナ」
自分の名前を言った。
そして。
「止まる。見る。走る」
訓練で何度も言われた言葉。
彼女なりに覚えた戦い方。
ガーネは戦槌を持ち上げる。
「ガーネ」
彼女も自分の名を言った。
「受ける。止める。返す」
二人は笑った。
短く。
戦槌が振られる。
レナが走る。
真正面。
しかし、ただの直線ではない。
一歩目で右。
二歩目で左。
三歩目で沈む。
四歩目で跳ぶ。
ガーネの戦槌が地面を砕く。
レナはその衝撃に乗った。
吹き飛ばされるのではなく、跳ね上がる。
空中から、槍を投げる。
狙いはガーネではない。
ガーネの戦槌の柄。
槍が柄に絡み、軌道をずらす。
戦槌がわずかに横へ流れる。
レナはその隙に着地し、素手でガーネの懐へ入った。
「届いた!」
拳がガーネの腹部に入る。
軽い。
しかし、速度が乗っている。
ガーネの体が揺れる。
だが、倒れない。
「軽い」
ガーネが言う。
レナは笑った。
「知ってる!」
そして、もう一歩踏み込んだ。
拳ではなく、肩。
全身の勢いを込めた二段目の体当たり。
ガーネの重心が、ついに後ろへ崩れた。
場外線へ向かう。
しかし、ガーネも最後に動いた。
レナの服を掴む。
「一緒」
「うわっ、やっぱり!」
二人の体が、同時に場外へ転がった。
砂煙。
観客席が静まる。
審判が駆け寄る。
レナとガーネは、場外線の外で倒れていた。
どちらが先に出たのか。
一瞬、誰にも分からなかった。
魔法判定陣が光る。
場外に出た瞬間の記録が浮かび上がる。
ほんのわずか。
本当に、紙一枚ほどの差。
先に場外へ出たのは。
レナの足だった。
審判が手を上げる。
「勝者、ベイル王国代表、ガーネ!」
会場が大きく沸いた。
ベイル側から歓声が上がる。
シェイン側からは、悔しさ混じりの拍手。
レナはしばらく空を見上げていた。
「……負けたか」
隣でガーネも仰向けになっている。
「うん」
「惜しかったな」
「うん」
「次は勝つ」
「私も」
レナは少し笑った。
「じゃあ次も面白そうだな!」
ガーネもほんの少しだけ笑った。
「うん」
二人は同時に起き上がろうとして、同時に失敗した。
審判と治療班が慌てて駆け寄る。
観客席では、ミアが悔しそうに拳を握っていた。
「あとちょっとだったのに!」
ユナは静かに言う。
「でも、すごかった」
ノアも頷いた。
「うん。レナさん、止まれてた」
トーマは深く息を吐いた。
「負けたけど……強かった」
ソルが頷く。
「よい敗北だ」
ロイドは記録板に書き込む。
「レナ、敗北。しかし、戦術的成長は明確。次に繋がる内容です」
レナが運ばれながら叫ぶ。
「ロイド! ちゃんと書いたか! 私はかなり頑張ったぞ!」
ロイドは少しだけ口元を緩めた。
「はい。かなり頑張りました」
レナは満足そうに親指を立てた。
その姿に、会場からまた拍手が起こる。
第一試合。
勝利はベイル王国。
だが、レナは確かに示した。
速さだけではない。
止まることも、考えることも、受け取ることも。
彼女は変わり始めている。
トーマはその姿を見ながら、胸の中で呟いた。
負けても、終わりじゃない。
負けても、名前は残る。
それを、最初にレナが見せてくれた。
次は第二試合。
ロイド対リン。
頭脳と妖艶が、静かに火花を散らし始めていた。




