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Reincarnation -Record of memories-  作者: 斗真
プロローグ

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2/48

第二話 白き王城と謎の剣

シェイン王国の王城は、外から見た時よりもさらに広かった。


高い天井。

白い石で磨かれた廊下。

壁に掲げられた青と銀の旗。

窓から差し込む光は、床の上に長く伸びて、まるで城そのものが静かに呼吸しているようだった。


トーマは、その廊下を歩いていた。


右手には、空から落ちてきた時からそばにあった謎の剣。


鞘に収まったままのそれは、重くはない。

むしろ妙に手に馴染んでいた。


だが、それが逆に気味悪かった。


初めて握ったはずなのに、違和感がない。


自分の名前以外、何一つ覚えていないというのに、その剣だけは昔からそこにあったような気がする。


【トーマ】

「……」


トーマは剣を見る。


黒に近い灰色の鞘。

装飾は少ない。

柄には、見たことのない紋様が刻まれている。


文字のようにも見える。

傷跡のようにも見える。


【ノア】

「気になる?」


隣から声がした。


ノアだった。


彼女はトーマの剣をじっと見ている。

好奇心と不安が半分ずつ混ざった目だった。


【トーマ】

「ああ」


トーマは短く答える。


【トーマ】

「これが何なのか分からない。でも……手放す気にはならない」


【ノア】

「大事な物なの?」


【トーマ】

「分からない」


【ノア】

「じゃあ、怖い物?」


トーマは少し考えた。


怖い。


そうかもしれない。


でも、剣そのものが怖いわけではなかった。


怖いのは、この剣を持っている自分自身だ。


なぜ空から落ちてきたのか。

なぜ死ななかったのか。

なぜ、この剣だけが自分のそばにあったのか。


答えのない問いが、胸の中で黒い水のように揺れていた。


【トーマ】

「怖いかどうかも、まだ分からない」


トーマが言うと、ノアは小さく頷いた。


【ノア】

「分からないことばっかりだね」


【トーマ】

「ああ」


【ノア】

「私も、分からないことばっかり」


ノアは自分の手を見つめた。


小さな手。

まだ戦うための手には見えない。


けれど、その内側には、リトルヴァルキリーの枠に収まりきらないほどの魔力が眠っている。


【ノア】

「私、自分の魔力が怖い時があるの」


【トーマ】

「魔力が?」


【ノア】

「うん。みんなはすごいって言ってくれる。でも、私はまだ上手く使えない。ちょっと力を入れただけで、周りを壊しちゃいそうになる」


ノアはそこで、少し笑った。


【ノア】

「だから、トーマのこと……ちょっとだけ分かるかも」


【トーマ】

「俺の?」


【ノア】

「うん。自分の中にあるものが何なのか分からないのって、少し怖い」


トーマはノアを見る。


その言葉は、奇妙なほど胸に落ちた。


記憶のない自分。

制御しきれない力を持つ少女。


二人はまったく違うはずなのに、どこか似ていた。


【トーマ】

「ノアは、それでもヴァルキリーをやってるのか」


【ノア】

「うん。まだ、ちゃんとはできないけど」


【トーマ】

「怖いのに?」


ノアはすぐには答えなかった。


少し歩いてから、小さな声で言った。


【ノア】

「怖いけど……逃げたら、もっと怖くなりそうだから」


その言葉に、トーマは足を止めかけた。


逃げたら、もっと怖くなる。


自分も同じなのかもしれない。


記憶がない。

分からない。

怖い。


それでも、ここで立ち止まったままなら、自分という空白は永遠に空白のままだ。


【トーマ】

「……そうか」


トーマは静かに呟いた。


【トーマ】

「ノアは強いんだな」


【ノア】

「え?」


ノアが目を丸くする。


【トーマ】

「怖くても逃げてない」


【ノア】

「そ、そんなこと……ないよ」


ノアは顔を赤くして俯いた。


その反応を見て、後ろを歩いていたミアがにやりとする。


【ミア】

「ノア、褒められてる!」


【ノア】

「わ、分かってるよ」


【ミア】

「いいなー!私も褒めてほしい!」


【ユナ】

「ミアはさっき試合中に敵の罠に全力で突っ込んだ」


ユナが冷静に言った。


【ミア】

「でも避けた!」


【ユナ】

「避けたんじゃなくて、転んで結果的に外れただけ」


【ミア】

「結果が全てだろ!」


【ユナ】

「戦術の教科書が泣く」


ミアとユナのやり取りに、トーマはまた少しだけ笑った。


するとミアが、びしっとトーマを指差す。


【ミア】

「あ、また笑った!」


【トーマ】

「笑ったら悪いのか?」


【ミア】

「いや、いい! 記憶喪失でも笑えるなら大丈夫だ!」


【ユナ】

「その判断は雑すぎる」


ユナが小さくため息をつく。


そんな彼女たちの先頭を、ロイドが無言で歩いていた。


黒い眼鏡の奥から、時折トーマを見る。


警戒している。


だが、敵を見る目ではない。


危険物を慎重に扱う学者のような目だった。


やがて一行は、城の奥にある一室へ通された。


そこは会議室だった。


中央に大きな円卓があり、壁にはシェイン王国の地図と、三国全体を示した地図がかけられている。


地図の上には三つの国名が記されていた。


北東に、シェイン王国。

西に、ベイル王国。

南に、テリア王国。


そして三国の中央には、広大な中立地帯。


そこに、先ほどの演習場がある。


【ロイド】

「座ってください」


ロイドに促され、トーマは椅子に座った。


ノア、ミア、ユナは少し離れた席に並ぶ。


レナは入口の横で立っていた。


背筋を伸ばし、真面目な顔をしている。


ただし、何も言われていないのに番犬のようにそこにいるため、ロイドがまた眉を寄せた。


【ロイド】

「レナ。あなたは外で待機です」


【レナ】

「えっ、私は護衛じゃないのか?」


【ロイド】

「護衛を命じた覚えはありません」


【レナ】

「じゃあ今から命じてくれ」


【ロイド】

「命じません」


【レナ】

「でも謎の男だぞ? もし急に暴れたらどうする!」


その時、レナはトーマを見た。


トーマもレナを見る。


一瞬の沈黙。


レナは真顔のまま言った。


【レナ】

「……暴れそうには見えないな」


【ロイド】

「判断が早いですね」


【レナ】

「目が悪いやつじゃない」


ロイドはこめかみを押さえた。


【ロイド】

「あなたの勘に国の保安を任せたくありません」


【レナ】

「私の勘は当たるぞ!」


【ロイド】

「外で待機」


【レナ】

「はい!」


レナは元気よく返事をして、部屋の外へ出た。


扉が閉まる。


静寂が戻る。


ロイドは円卓の向かいに座り、書類を広げた。


【ロイド】

「では、確認を始めます」


【トーマ】

「確認?」


【ロイド】

「あなたが何者なのか、こちらも把握する必要があります。名前はトーマ。それ以外の記憶はない。間違いありませんね」


【トーマ】

「ああ」


【ロイド】

「出身国は?」


【トーマ】

「分からない」


【ロイド】

「年齢は?」


【トーマ】

「分からない」


【ロイド】

「所属は?」


【トーマ】

「分からない」


【ロイド】

「目的は?」


【トーマ】

「分からない」


【ロイド】

「その剣については?」


トーマは剣を見る。


【トーマ】

「…分からない。ただ、俺のものだという気はする」


ロイドの筆が止まった。


【ロイド】

「なぜそう思うのですか?」


【トーマ】

「感覚だ」


【ロイド】

「感覚」


ロイドの声がわずかに硬くなる。


【ロイド】

「その感覚を、もう少し具体的に説明できますか?」


トーマは眉を寄せた。


言葉にしようとする。


だが、難しかった。


初めて握った物なのに、初めてではない。

知らないはずなのに、知っている。

必要なら振れる。

だが、抜いてはいけない気もする。


矛盾した感覚ばかりがある。


【トーマ】

「……手に馴染む。俺がこれを使っていた気がする。でも、抜くと何かが起きる気もする」


ノアが不安そうに剣を見た。


ユナは黙っている。


ミアは興味津々だったが、ロイドの空気を読んで口を閉じていた。


ロイドはしばらく考え込む。


【ロイド】

「ソルが『今は抜くな』と言っていましたね」


【トーマ】

「ああ」


【ロイド】

「彼女の勘は、レナの勘よりは信用できます」


扉の外から「おい!」という声が聞こえた。


ロイドは無視した。


【ロイド】

「その剣は一時的に預からせてください」


部屋の空気が、少しだけ重くなった。


トーマの手が剣の柄に触れる。


ロイドはその動きを見逃さなかった。


【ロイド】

「抵抗しますか?」


【トーマ】

「……いや」


トーマは首を振る。


【トーマ】

「預けるべきなんだろうとは思う。でも、手放したくない」


【ロイド】

「危険物である可能性があります」


【トーマ】

「分かってる」


【ロイド】

「ならば」


【トーマ】

「けど、これは俺の手が覚えてる。記憶が何もない俺に残ってる、たぶん唯一のものだ」


トーマの声は荒くなかった。


だが、その言葉には重みがあった。


ロイドは黙る。


ノアが小さくトーマを見つめた。


記憶がない。


何もない。


その中でたった一つだけ残ったものを取り上げられる。


それがどれだけ心細いことなのか、ノアにも少し分かる気がした。


【ノア】

「ロイドさん」


ノアが口を開く。


【ロイド】

「何ですか」


【ノア】

「剣、預けなくてもいい方法はないんですか?」


【ユナ】

「ノア」


ユナが小声で止める。


だが、ノアは続けた。


【ノア】

「危ないなら、誰かが見ていればいいと思います。ソルさんとか、ロイドさんとか」


【ロイド】

「それは監視という意味ですか?」


【ノア】

「うん」


ノアは素直に頷いた。


ロイドは少しだけ眉を上げた。


【ロイド】

「本人の前で堂々と言いますね」


【ノア】

「だって、こっそり見張られるよりいいと思う」


ミアがうんうんと頷く。


【ミア】

「たしかに! こっそりより堂々のほうが気持ちいい!」


【ユナ】

「気持ちよさの問題ではない」


ユナが突っ込む。


ロイドはため息をついた。


【ロイド】

「……一理あります」


そしてトーマを見る。


【ロイド】

「現時点では、その剣をあなたから無理に取り上げることはしません。ただし、条件があります」


【トーマ】

「条件?」


【ロイド】

「城内での抜剣は禁止。訓練場であっても、私、ソル、あるいは王国責任者の許可なく抜くことを禁じます。また、あなたは当面シェイン王国の監視下に置かれます」


【トーマ】

「分かった」


【ロイド】

「もう一つ」


ロイドは眼鏡の奥の目を細めた。


【ロイド】

「あなたが危険だと判断された場合、こちらは即座に拘束します」


【トーマ】

「その時は?」


【ロイド】

「抵抗するなら、戦闘不能にします」


トーマは少しだけ笑った。


【トーマ】

「分かりやすいな」


【ロイド】

「曖昧にする理由がありません」


【トーマ】

「分かった。それでいい」


その返事に、ロイドはわずかに表情を緩めた。


ほんの少しだけ。


【ロイド】

「では次に、この世界について説明します」


ロイドは壁の地図の前に立った。


【ロイド】

「現在、この地域には大きく三つの王国があります。シェイン、ベイル、テリア。それぞれが独自の戦力を持ち、互いに競い合っています」


【トーマ】

「戦争をしているのか?」


【ロイド】

「いいえ。少なくとも今は違います」


ロイドは地図の中央を指した。


【ロイド】

「かつて世界は大きく傷つきました。原因は、神と呼ばれた存在。そしてその戦いに終止符を打ったのが、英雄ゼロとその仲間たちです」


ゼロ。


その名前が出た瞬間、トーマの胸がまたかすかに痛んだ。


ロイドは気づいたようだったが、何も言わずに続ける。


【ロイド】

「ゼロの戦いは、多くの者に影響を与えました。圧倒的な強さ。誰かを守る覚悟。理不尽に抗う力。そうしたものに憧れた者たちが、各地で武を磨き始めました」


【トーマ】

「それがヴァルキリーか」


【ロイド】

「一部はそうです」


ロイドは頷く。


【ロイド】

「ヴァルキリーとは、各国に所属する女性戦闘兵の総称です。高い戦闘能力、魔法適性、指揮能力などを持つ者が選ばれます。子どもの戦闘兵はリトルヴァルキリーと呼ばれます」


トーマはノアたちを見る。


ミアが自慢げに胸を張った。


ユナは静かに頷く。


ノアは少しだけ困ったように笑った。


【トーマ】

「子どもも戦うのか」


トーマの声が低くなる。


その問いに、ロイドは少しだけ沈黙した。


【ロイド】

「それを疑問に思う感覚は、正しいと思います」


意外な答えだった。


【ロイド】

「ですが、現実として、この世界にはまだ危険が多い。魔物、盗賊、復興を妨げる残党、神の戦いの爪痕から生まれた異常地帯。力を持つ子どもを、ただ保護対象として閉じ込めることが必ずしも正解ではありません」


ノアが俯く。


ロイドは続ける。


【ロイド】

「だからこそ、ルールを作った。殺し合いではなく、戦闘不能まで。国を滅ぼすためではなく、力を測るため。ヴァルキリートーナメントは、そのための制度です」


【トーマ】

「三国の頂点を決める大会……だったな」


【ロイド】

「はい。リトルヴァルキリーは集団戦、ヴァルキリーは単騎戦があります。集団戦は広大なフィールドで拠点を奪い合う戦術戦。単騎戦は一対一の決闘です。集団戦は二人一組で行われます」


【トーマ】

「今日やっていたのが、それか」


【ロイド】

「ええ。本来なら、シェイン、ベイル、テリアのリトルヴァルキリーたちが腕を競うはずでした」


ミアが頬を膨らませる。


【ミア】

「いいところだったのに、空からトーマが落ちてきた」


【トーマ】

「すまない」


【ミア】

「いや、面白かったから許す!」


【ユナ】

「ミア、そこは許すところじゃない」


ユナが言う。


トーマは少し困ったように笑った。


ロイドはさらに説明を続ける。


【ロイド】

「シェイン王国には現在六人のヴァルキリーがいます。うち三人がリトルヴァルキリー。ノア、ミア、ユナ」


【ミア】

「はい!」


【ユナ】

「はい」


【ノア】

「……はい」


三者三様の返事。


【ロイド】

「ヴァルキリーは、私、レナ、ソル」


【トーマ】

「レナは速いな」


トーマが言うと、扉の外から即座に声が返ってきた。


【レナ】

「分かるか!? 私は速いぞ!」


【ロイド】

「静かに」


ロイドが冷たく言う。


【レナ】

「はい!」


声が消える。


トーマはロイドを見る。


【トーマ】

「ソルは?」


ロイドの表情が少しだけ真面目になる。


【ロイド】

「シェイン王国の最高戦力です。総合力だけで言えば、私やレナとは比較になりません」


【トーマ】

「そんなに強いのか」


【ロイド】

「ええ。一人で小規模部隊を制圧できるほどには」


トーマは、先ほど見たソルの姿を思い出す。


儚く、美しい人だった。


だが、その静けさの奥に、何か鋭いものがあった。


抜けば空気が裂ける刃のようなものが。


【トーマ】

「他の国にも、そういう強いやつがいるのか」


【ロイド】

「もちろんです」


ロイドは地図の西を指す。


【ロイド】

「ベイル王国。巨大な盾と光の剣を操るベイル女王が治める国です。豪快で力強く、正面突破を得意とします。所属ヴァルキリーには、チャクラム使いのリンなどがいます」


【トーマ】

「リン?」


【ロイド】

「勝つためには手段を選ばない人物です。あなたが会うことがあるなら、注意してください」


【トーマ】

「そんなに危ないのか?」


【ロイド】

「身体的にも精神的にも危険です」


ミアが小声でユナに聞く。


【ミア】

「精神的に危険って何?」


【ユナ】

「大人になったら分かる」


【ミア】

「今知りたい!」


【ユナ】

「知らなくていい」


ロイドは聞こえなかったふりをした。


次に、地図の南を指す。


【ロイド】

「テリア王国。特殊な魔法研究と結界技術に優れた国です。テリア女王は規格外の魔力を持ち、特殊なバリアを用います。好戦的な性格ですが、強すぎて戦ってくれる相手が少ないと聞いています」


【トーマ】

「女王なのに戦いたがるのか」


【ロイド】

「ベイル女王も似たようなものです」


ロイドは少し疲れたように言った。


【ロイド】

「テリアには、魔法に優れたアリス、そして隠密と単騎戦に優れたロイがいます」


【トーマ】

「ロイ」


【ロイド】

「テリア王国の最高戦力です。ソルとは昔からのライバル関係にあります」


その時、扉が静かに開いた。


部屋に入ってきたのはソルだった。


【ソル】

「私の話か」


ロイドが振り返る。


【ロイド】

「ちょうど説明していました」


ソルは円卓のそばまで来ると、トーマを見た。


【ソル】

「体調は」


【トーマ】

「問題ない。たぶん」


【ソル】

「空から落ちてきて問題ないと言えるなら、かなり丈夫だな」


ソルの声は静かだったが、わずかに冗談めいていた。


ミアが目を丸くする。


【ミア】

「ソルさんが冗談言った」


【ユナ】

「珍しい」


ユナも小さく呟く。


ソルは気にせず、トーマの剣へ視線を移した。


【ソル】

「その剣について、少し調べたい」


トーマの手が剣に触れる。


ロイドが口を挟む。


【ロイド】

「彼には城内での抜剣禁止を条件に、所持を認めました」


【ソル】

「それでいい」


ソルは即答した。


【ソル】

「無理に離さない方がいい」


【ロイド】

「理由は?」


ロイドが問う。


ソルは少しだけ沈黙する。


【ソル】

「その剣は、持ち主を選んでいるように見える」


【ロイド】

「魔剣の類ですか?」


【ソル】

「分からない。ただ、普通の武器ではない」


トーマはソルを見る。


【トーマ】

「俺はこれを知っているのか?」


【ソル】

「それを私に聞かれても困る」


【トーマ】

「そうだな」


【ソル】

「だが、一つだけ言える」


ソルはトーマの真正面に立った。


【ソル】

「その剣を持つなら、強くなれ」


部屋の空気が変わった。


【トーマ】

「強く?」


【ソル】

「力の意味を知らない者が、強すぎる武器を持つのは危うい。自分が何者か分からないなら、なおさらだ」


ソルの言葉は鋭かった。


だが、冷たくはなかった。


【ソル】

「剣に振り回されるな。自分で立て。自分で選べ。そうしなければ、その剣はいずれお前を飲み込むかもしれない」


ノアが息を呑む。


トーマは剣を見た。


飲み込まれる。


その言葉に、不思議な実感があった。


この剣はただの道具ではない。


ならば、持つ自分もただ守られるだけではいられない。


【トーマ】

「強くなれば、何か分かるのか」


トーマが問う。


ソルは目を細める。


【ソル】

「少なくとも、弱いままでは何も選べない」


その言葉は、トーマの胸に深く刺さった。


自分は何も知らない。

何も持っていない。

名前以外、何も。


ならば、これから手に入れるしかない。


記憶も。

力も。

答えも。


【トーマ】

「俺は……どうすればいい」


トーマが言った。


ロイドが答える。


【ロイド】

「まずは身元確認と基礎検査です。魔力値、身体能力、反応速度、剣の適性。それらを確認します」


ミアがぱっと顔を輝かせる。


【ミア】

「訓練場に行くのか!?」


【ロイド】

「検査です」


【ミア】

「でも動くだろ?」


【ロイド】

「動きます」


【ミア】

「じゃあ訓練場だ!」


【ロイド】

「言い方の問題です」


ロイドが淡々と告げる。


ノアは少しだけ不安そうにトーマを見た。


【ノア】

「トーマ、戦うの?」


【トーマ】

「分からない」


トーマは立ち上がった。


【トーマ】

「でも、何もしないわけにはいかない」


ノアはその言葉を聞いて、ほんの少しだけ表情を引き締めた。


【ノア】

「私も、見てていい?」


【ロイド】

「もちろんです。あなたたちは最初の接触者ですから」


ロイドが言う。


【ミア】

「やった!」


ミアが跳ねる。


【ユナ】

「見世物ではない」


【ミア】

「でも気になるだろ!」


【ユナ】

「それはそう」


ユナが珍しく素直に頷いた。


こうして、トーマは王城内の訓練場へ向かうことになった。


白い廊下を抜ける。

石造りの階段を降りる。

城の奥から外へ出ると、そこには広い訓練場があった。


兵たちの声。

剣戟の音。

魔法が空気を焼く匂い。


そこは、王城の中で最も生きた場所だった。


トーマが足を踏み入れた瞬間、訓練場にいた者たちの視線が集まる。


空から落ちてきた男。

記憶喪失。

謎の剣。


噂はすでに城中を駆け回っていた。


「見ろ、あれが……」


「本当に男なのか?」


「ヴァルキリーでもないのに、なぜ剣を持っている?」


「空から落ちて無傷って本当か?」


ざわめきが広がる。


トーマはその全てを受けながら、訓練場の中央に立った。


レナが嬉しそうに飛び出してくる。


【レナ】

「よし! 私が相手をしよう!」


【ロイド】

「駄目です」


ロイドが即座に止めた。


【レナ】

「なぜだ!」


【ロイド】

「検査です。あなたが相手をすると、検査ではなく突撃大会になります」


【レナ】

「ちゃんと手加減する!」


【ロイド】

「あなたの手加減は信用できません」


【レナ】

「ひどい!」


ソルが静かに前へ出る。


【ソル】

「最初は木剣でいい」


ロイドが頷く。


【ロイド】

「トーマ。その剣は置かず、そのまま腰に差してください。ただし抜かないこと。代わりに木剣を使います」


【トーマ】

「分かった」


トーマは謎の剣を腰に差したまま、渡された木剣を握った。


瞬間。


空気が、ほんの少し変わった。


本人は気づいていない。


だが、ソルとロイドは気づいた。


木剣を握る姿勢。

重心の置き方。

肩の力の抜け方。

視線の動かし方。


初心者ではない。


少なくとも、剣を握ったことがない者の立ち方ではなかった。


【ソル】

「……構えろ」


ソルが言う。


トーマは木剣を構えた。


その構えは美しくはなかった。


流派の型でもない。

騎士のような正統派でもない。


だが、隙が少ない。


戦うためだけに削られた、無骨な構え。


ソルの目が細くなる。


【ソル】

「ロイド」


【ロイド】

「はい」


【ソル】

「記録しておけ」


【ロイド】

「すでに」


ロイドは書類を持ったまま、トーマを凝視していた。


ミアが小声で言う。


【ミア】

「なんか、強そう」


ユナも頷く。


【ユナ】

「記憶がない人の構えじゃない」


ノアは黙っていた。


トーマの背中を見ていると、胸の奥がまたざわめいた。


遠いどこかで、似た背中を見た気がした。


けれど思い出せない。


【ソル】

「相手は私がする」


ソルが言った。


訓練場がざわめく。


「ソルさんが?」


「最高戦力がいきなり?」


「危なくないか?」


ロイドが一歩前に出る。


【ロイド】

「ソル、本気ですか?」


【ソル】

「本気ではやらない」


【ロイド】

「あなたの場合、その言葉が一番信用できません」


【ソル】

「安心しろ。見るだけだ」


ソルは木剣を取った。


そして、トーマの前に立つ。


二人の距離は十歩。


風が吹く。


トーマは息を吸った。


自分が戦えるのか、分からない。


だが、不思議と体は震えなかった。


ソルが言う。


【ソル】

「来い」


その一言が、合図だった。


トーマの足が動いた。


考えるより先に、体が前へ出る。


速い。


訓練場の空気が鳴った。


ミアが目を見開く。


【ミア】

「はやっ!」


トーマの木剣がソルへ迫る。


だが、ソルは半歩だけ横へずれた。


それだけで、トーマの一撃は空を切る。


次の瞬間、ソルの木剣がトーマの肩を軽く打った。


【トーマ】

「ぐっ……!」


痛みが走る。


だが、トーマは止まらない。


踏み込み直し、体をひねり、逆方向から斬り返す。


ソルはまた避ける。


木剣が交差する。


一撃。

二撃。

三撃。


トーマの攻撃は粗い。


だが、速い。

そして重い。


何より、反応が異様だった。


ソルがわずかに角度を変えただけで、トーマの体がそれに合わせる。


まるで、戦い方を頭ではなく骨で覚えているようだった。


【ソル】

「記憶はないが、体は覚えているか」


ソルが呟く。


トーマは答えない。


答える余裕がない。


目の前の女は強い。


ただ立っているだけで分かる。


どこを狙っても届かない。

どこに踏み込んでも読まれている。


それでも、トーマの体は前に出ようとする。


退くより先に、進む。


守るより先に、斬る。


それは意志なのか。

癖なのか。

それとも、失った記憶の残り香なのか。


【ソル】

「いい」



だが、まだ浅い──────────



次の瞬間、ソルの木剣が消えた。


いや、消えたように見えた。


トーマが反応するより早く、木剣の先が喉元で止まる。


訓練場が静まり返った。


負け。


誰の目にも明らかだった。


トーマは息を切らしながら、喉元の木剣を見る。


ソルは静かに言った。


【ソル】

「お前は戦える」


その言葉に、周囲がざわついた。


【ソル】

「ただし、今のままでは上には行けない」


トーマは木剣を下ろした。


【トーマ】

「上?」


【ソル】

「シェインで認められたいなら、まずこの国の中で立場を得ろ。自分の答えを探したいなら、情報が必要になる。情報を得るには、力と信用が必要だ」


ロイドが続ける。


【ロイド】

「あなたは身元不明です。自由に三国を歩かせることはできません。しかし、シェイン王国の管理下で訓練を受け、実績を積むなら話は変わります」


トーマは二人を見る。


【トーマ】

「つまり、俺も戦えということか」


ロイドは言った。


【ロイド】

「戦う意思があるなら、です」


ノアが小さく手を握る。


ミアは期待に目を輝かせている。


ユナは静かにトーマの答えを待っていた。


レナは扉のそばで尻尾があれば振っていそうな顔をしている。


ソルは、ただ見ていた。


トーマは自分の腰の剣に触れる。


何者でもない自分。

何も覚えていない自分。

けれど、体は戦いを覚えていた。


ならば。


【トーマ】

「俺は、知りたい」


トーマは言った。


【トーマ】

「自分が何者なのか。この剣が何なのか。ゼロという英雄と俺の関係。それを知るために必要なら、戦う」


ソルの目がわずかに揺れる。


ロイドは静かに頷いた。


【ロイド】

「では、あなたを仮所属扱いとします」


【トーマ】

「仮所属?」


【ロイド】

「シェイン王国預かりの戦闘候補者、という立場です。正式なヴァルキリーではありません。そもそもヴァルキリーは女性兵の制度ですから」


ミアが手を上げる。


【ミア】

「じゃあトーマは何になるんだ?」


【ロイド】

「現時点では、保護対象兼訓練生です」


【レナ】

「長い!」

「トーマでいいだろ!」


【ロイド】

「制度上の話です」


ユナが少し考え込む。


【ユナ】

「でも、トーマが大会に出るなら、ヴァルキリーとは別枠が必要になる」


ロイドは頷く。


【ロイド】

「そこは今後の課題です。三国会議にかける必要があります」


【トーマ】

「俺は大会に出るのか?」


トーマが聞く。


ロイドは答える。


【ロイド】

「あなたが望むなら、いずれ」


ソルが言った。


【ソル】

「三国の頂点を目指せ」


その言葉に、トーマは目を細める。


【トーマ】

「頂点……」


【ソル】

「ゼロに憧れた者たちが集まる場所だ。お前の過去が英雄の影に繋がるなら、強者の集まる場所にこそ手がかりがある」


ゼロ。


また、その名。


トーマは静かに息を吐いた。


記憶の奥で、何かが軋む。


黒い背中。

白い光。

誰かの声。


────まだ、来るな。


一瞬だけ、そんな声が聞こえた気がした。


【トーマ】

「……っ」


トーマは頭を押さえる。


ノアが駆け寄った。


【ノア】

「トーマ!?」


【トーマ】

「大丈夫だ」


【ノア】

「でも」


【トーマ】

「本当に、大丈夫だ」


頭痛はすぐに消えた。


だが、胸の奥に残った声の感触は消えない。


まだ、来るな。


それは誰の声だったのか。


自分に向けられたものなのか。


それとも、自分が誰かに言った言葉なのか。


何も分からない。


けれど、一つだけ決まった。


【トーマ】

「俺は強くなる」


トーマは言った。


訓練場にいた者たちが、その声を聞いた。


【トーマ】

「この国で。三国で。俺が何者なのかを知るために」


ソルが小さく頷く。


【ソル】

「なら、明日から訓練だ」


【トーマ】

「明日から?」


ミアが叫ぶ。


【ミア】

「今日じゃないのか!?」


ロイドが冷たく返す。


【ロイド】

「空から落ちてきた人間を初日から酷使する気ですか」


【ミア】

「たしかに!」


レナが大きく頷く。


【レナ】

「休息は大事だ!」


【ロイド】

「あなたが言うと説得力がありません」


ノアはほっと息をついた。


だが、その横でユナだけは、トーマの腰の剣を見ていた。


さっき、トーマが頭を押さえた瞬間。


ほんの一瞬だけ、剣の柄に刻まれた紋様が光ったように見えた。


見間違いかもしれない。


けれど、ユナは見逃さなかった。


【ユナ】

「……あの剣」


誰にも聞こえないほど小さく、ユナは呟いた。


【ユナ】

「本当に、ただの剣じゃない」




その頃。


シェイン王国から遠く離れた南の地。


テリア王国の奥深く、青白い魔法灯に照らされた研究室で、一人の女が顔を上げた。


テリア女王。


彼女の前には、幾重にも重ねられた魔法陣が浮かんでいる。


その中央の一つが、微かに震えていた。


【テリア】

「……空間反応?」


女王は目を細める。


【テリア】

「ふむ。おかしいのう。中央演習場付近に、妙な穴が開いたようじゃ」


彼女は指先で魔法陣をなぞる。


光が揺れ、遠く離れた演習場の映像がぼんやりと映る。


落下跡。

焼けていない地面。

残留する異質な魔力。


そして、剣のような形をした黒い反応。


テリア女王の口元が、わずかに吊り上がった。


【テリア】

「これは……面白い」


彼女は椅子から立ち上がる。


【テリア】

「ゼロたちが残した厄介事か。それとも、まったく別の災いか」


魔法陣の光が、彼女の瞳に映る。


【テリア】

「どちらにせよ、退屈はせずに済みそうじゃな」


同じ頃。


ベイル王国の闘技場。


巨大な盾を片手で担いだベイル女王が、部下から報告を受けていた。


【ベイル】

「シェインの演習場に、空から男が落ちた?」


「はい。詳細は不明ですが、試合は中止。男はシェイン王城に運ばれたとのことです」


ベイル女王は豪快に笑った。


【ベイル】

「はっ! 今度は空から戦士が降ってくる時代か!」


そばにいたリンが、細い指でチャクラムを回しながら微笑む。


【リン】

「面白そうですねぇ。その男、強いんですか?」


【ベイル】

「知らん」


ベイル女王は笑ったまま言った。


【ベイル】

「だが、空から落ちて生きてるなら、弱くはないだろう」


リンの目が妖しく細まる。


【リン】

「ふふ。なら一度、遊んでみたいものです」


そしてまた、遠いどこか。


誰もいない荒野に、一筋の黒い亀裂が走った。


そこから、かすかに声が漏れる。


「……見つけた」


それは風に消えるほど小さな声だった。


だが、その声には確かな意思があった。


「剣は、まだ目覚めていない」


亀裂はすぐに閉じた。


荒野には、何も残らない。


ただ、空だけが不自然に暗かった。




シェイン王国の夜。


トーマは与えられた部屋で一人、窓の外を見ていた。


城下町の灯りが、遠くで星のように揺れている。


机の上には、謎の剣。


抜いてはいけないと言われた剣。


トーマはそれを見つめる。


【トーマ】

「俺は……誰なんだ」


答えはない。


だが、剣の柄に刻まれた紋様が、ほんの一瞬だけ淡く光った。


そして、トーマの耳に声が届いた。


今度ははっきりと。


──思い出すな。


トーマは息を呑んだ。


部屋の中には誰もいない。


窓の外にも、廊下にも、人の気配はない。


それでも声は確かに聞こえた。


【トーマ】

「誰だ……?」


トーマは剣に手を伸ばす。


その瞬間。


扉が叩かれた。


【ノア】

「トーマ、起きてる?」


ノアの声だった。


トーマは剣から手を離す。


光は消えた。


声も消えた。


【トーマ】

「……起きてる」


扉を開けると、ノアが立っていた。


手には小さな包みを持っている。


【ノア】

「これ、夕食の時あんまり食べてなかったから。パンとスープ、持ってきた」


【トーマ】

「いいのか?」


【ノア】

「うん。たぶん」


【トーマ】

「たぶん?」


【ノア】

「ミアが厨房からもらってきた。ユナが怒ってた」


トーマは思わず笑った。


ノアも少し笑う。


だが、すぐに心配そうな顔になった。


【ノア】

「大丈夫?」


【トーマ】

「何が?」


【ノア】

「なんだか、苦しそうな顔してたから」


トーマは一瞬迷った。


声のことを言うべきか。


剣が光ったことを言うべきか。


だが、ノアの目を見て、少しだけ話すことにした。


【トーマ】

「声が聞こえた」


【ノア】

「声?」


【トーマ】

「ああ。思い出すな、と」


ノアの顔が強張る。


【ノア】

「それって……」


【トーマ】

「分からない」


トーマは首を振る。


【トーマ】

「でも、俺の中に何かある。誰かがそれを隠そうとしているのかもしれない」


ノアは黙っていた。


そして、小さな声で言った。


【ノア】

「思い出したら、怖いことなのかな」


【トーマ】

「かもしれない」


【ノア】

「それでも、思い出したい?」


トーマは窓の外を見た。


シェイン王国の灯り。

訓練場。

ノアたち。

ソルの言葉。

ロイドの冷静な目。

レナの騒がしい声。


今日一日で、自分の世界は少しだけ形を持ち始めた。


【トーマ】

「怖くても、知らないままではいられない」


トーマは言った。


ノアはしばらく彼を見つめたあと、そっと頷いた。


【ノア】

「じゃあ、私も手伝う」


【トーマ】

「ノアが?」


【ノア】

「うん。私も、自分のことを知りたいから」


その言葉に、トーマは静かに頷いた。


【トーマ】

「ありがとう」


ノアはまた少し顔を赤くした。


【ノア】

「……うん」


二人の間に、まだ名前のない約束が生まれた。


記憶を失った少年と、力の意味を知らない少女。


二人はまだ知らない。


その約束が、やがて三国を巻き込み、隠された真実へと続いていくことを。


そして、トーマの剣が。


彼自身にさえ隠された過去が。


この世界にとって、救いとなるのか。


それとも、新たな災いとなるのか。


まだ誰にも分からなかった。

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