表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「結論から言うね」とキミは言った。  作者: 陸無ふき
第一章 色のない世界
9/17

第九話 神は遠回りを嫌うらしい

どれくらい時間がたったのかな。


窓もないこの部屋では、外の様子もわからない。

僕は部屋の隅に腰を下ろして、冷たい床を見つめていた。


突然、扉の鍵が回る音がした。

入ってきたのは、一人の神官だった。


神官は、部屋に入るなり、僕に椅子に座るよう手で促した。


僕は言われるまま、部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろす。


「また、さっきの続きですか?」


「いいえ。この度は、新たな神のお言葉を伝えにきました」


「新たな、神の言葉?」


「ええ、そうです」


そう言って神官は、深く息をついた。


「敬虔なる神の子アイルよ。キミの揺らぎは、我々には鎮めることができませんでした」


そのまま、穏やかな声で続ける。


「しかし、神はキミを見捨ててはいません」


「どういう、ことでしょう?」


神官は、にこりと微笑んだ。


「喜びなさい。神はキミのために、特別に調律の儀を催してくださることになりました」


「調律の……儀?」


「そうです。キミは最高の幸福に包まれて、祝福されるのです」


「僕が、祝福される?」


一瞬で、全身の血の気が引いていくのが分かった。

頭の芯が、凍りついたように冷たくなっていく。


「キミは神に深く愛されたのですよ」


そう言って神官は、白い首飾りを取り出した。

それを見た瞬間、息が止まった。


覚えている。

ルミアも、同じものをつけていた。


調律の儀に選ばれた証だと、あの時、ルミアはそう言っていた。


今度は、僕が。

神に、殺される。


神官が、首飾りを僕の首にかけようと手を伸ばす。


「……嫌、だ」


僕の喉から、勝手に声が漏れた。

身体も、勝手に動いていた。


僕は反射的に身をのけぞらせると、椅子から転がり落ちた。


そして、尻餅をついたまま後ずさる。


けれど、すぐに背中が石の壁にぶつかった。

逃げ場はなかった。


神官は一瞬だけ驚いた顔をした。


それから、すぐにまた笑った。

あの、穏やかな笑顔で。


「……その顔は、やめて」


けれど、神官は、まるで聞こえていないかのように、優しく頷いた。


「大丈夫ですよ。調律の儀は最高の祝福ですから」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。

ああ、そうだった。


あの日、僕もルミアに同じことを言った。

僕の身体から、力が抜ける。


力なく、石壁にもたれかかる僕の首に、首飾りがかけられた。


冷たい感触が肌に伝わる。


その瞬間。

どこかから、声が聞こえた。


——いやだ。

——神様、これは本当に祝福なのですか。


誰の声だ。

僕でも、ルミアでもない。


——寒いよ。


また別の、かすれた声が重なる。


——兄さん……。


今度は、小さな女の子の声だった。


僕の背中を、冷たい汗が湿らせていく。


耳で聞こえたんじゃない。

でも確かに、聞こえた。


これは、誰かの、最後の叫びだった。


僕は、震える指で必死に首飾りを外そうとした。


けれど、指が絡まる。

固くて、うまく外れない。


そんな僕を見下ろしながら、神官はあの穏やかな顔のまま告げた。


「儀式は夕刻の鐘とともに執り行われます。キミはそれまで、精一杯の感謝を神に捧げなさい」


そう言い残し、神官は部屋を後にした。

扉が閉まり、また僕は一人になる。


僕の指は、首飾りから離れなかった。


ルミアが、あの時言っていたのはこのことだったんだ。


僕は、なにも知らずに。

何も考えずに。


ルミアの言葉を信じようとせずに、言ったんだ。


大丈夫だよ。調律の儀は最高の祝福だから。


視界が、だんだん揺らいできた。

僕の膝に、溢れた涙がこぼれ落ちる。


「——ごめんね。ルミア」


届くはずのない僕の声は、石造りの密室に消えていった。


それから、どれだけ時間が経ったのかわからない。

扉の向こうから、足音が聞こえてくる。


直感で、これが僕の最期を告げるものだと分かった。


それは、僕の部屋の前で止まった。


ゆっくりと、部屋の扉が開く。

そこに立っていたのは、セインだった。


「行くぞ」


「もう、時間か……」


僕はゆっくり腰を上げた。


その時、セインの視線が僕の首元で止まった。


「……それは」


「さっき、かけられた。外そうとしたけど、外れなくて」


セインの表情がわずかに強ばった。


次の瞬間、セインは僕の前に膝をつき、腰の短剣を抜いた。


「動くな」


「えっ、なにをして——」


短剣の先が、首飾りの留め具に触れる。


小さな音がして、白い首飾りが床に落ちた。

からん、と乾いた音が部屋に響く。


セインはそれを拾い、自分の懐に押し込んだ。


「行くぞ」


「今の、何?」


「説明はあとだ」


セインは僕の腕を掴み、強引に部屋の外へ引き出した。


「な、なにもそんなに急がなくても。本当に神は遠回りを嫌うんだね」


「黙ってついてこい」


その時、廊下の奥から、人の声が聞こえた。


「あんな揺らぎのある少年を祝福してくださるとは」


「ああ、神はなんて慈悲深いんだ」


セインは足を止めた。


僕の腕を引いたまま、壁際の影に身を寄せる。


数人の神官が、灯りを持って廊下を横切っていった。


白い法衣。

演舞用の剣。


そのどれもが、ルミアの消えた広場を思い出させる。

僕は息を殺した。


「……行くぞ」


神官たちの足音が遠ざかったのを確認して、セインは走り出した。


まもなく廊下の奥に、木製の扉が見えた。


「あれが教会の裏口だ。あそこから出る」


「出るって、どこに行くの?」


セインは答えなかった。


扉の前まで来ると、セインは周囲を一度だけ見渡した。


誰もいない。


けれど、教会の奥の方からは、儀式の準備を急ぐ声がかすかに聞こえていた。


セインが扉を開きながら言った。


「キミのような揺らぎの大きい者が、神に祝福されるはずがない」


扉の向こう側は、薄暗い路地裏だった。


冷たい外気が、部屋に閉じ込められていた息苦しさを押し流す。


「この路地を左に進めば厩舎がある。馬に乗って一気に逃げるぞ」


「逃げるって、どういうこと?」

「君は僕を調律の儀に呼びにきたんじゃないの?」


「キミが調律されれば、何も分からなくなる」


「何もって?」


「空白の神託のことだ」


セインはそれだけ言って、路地へ足を踏み出した。

路地には誰もいなかった。


「見張りは、いない?」


セインは迷いなく言った。


「いない」

「調律の儀から逃げる者など、誰も想定していない」


「部屋には、鍵がかかっていたけど?」


「あれは、キミを逃がさないための鍵じゃない。揺らぎを外へ漏らさないためのものだ」


「本当にそんな力があるの?」


「知らない。昔から、揺らぎの大きい者にはあの鍵を使う。そう決まっている」


セインはそれ以上、何も言わなかった。


薄暗い路地を抜けると、目の前に厩舎が見えてきた。

何頭かの馬が、柵から顔を出している。


「僕、馬になんて乗ったことないよ?」


「安心しろ。誰もキミの馬術には期待していない」


セインの口もとが、わずかに緩んだように見えた。


「そういえば、空白の神託は!?」


「すでに馬に積んである。もちろんキミの荷物もだ」


セインはそう言って厩舎に駆け寄り、まもなく一頭の馬に乗ってやってきた。


「急ぐぞ。後ろに乗れ」


僕はセインの後ろに飛び乗った。


セインが手綱を握り、馬に指示を飛ばす。


それを合図に、夕暮れの街に向けて馬は一気に駆け出した。


「なんで僕を逃したの?」


セインは少し黙ってから答えた。


「神は遠回りを嫌うからだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ルミアが選ばれたのは本当の祝福か、それとも制裁か気になりますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ