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「結論から言うね」とキミは言った。  作者: 陸無ふき
第一章 色のない世界
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第七話 栞

一人取り残された部屋で、僕はしばらく扉を見つめていた。


ランプの油は、いつの間にか切れており、部屋は暗闇に包まれていた。


僕は固い木の椅子から降り、石の床に腰を下ろす。

冷たさが服越しに伝わってくる。


その冷たさのせいか、頭だけは妙にはっきりしていた。


けれど、冴えた頭もこの状況ではどうしようもない。


扉には鍵。

壁は一面頑丈な石。

窓すら、ない。


ここから逃げ出すなんて、考えるまでもなく無理だった。


それに、押収された荷物も心配だ。


空白の神託、そして何より――ルミアの栞。

僕は小さくため息をついた。


しばらく考え込んでいると、遠くから足音が聞こえてきた。


コツコツと、規則正しく石畳を叩く音が、次第にこちらへ向かってくる。


やがて、扉のすぐ向こうで足音が止まった。

こんな時間に誰だろう。


鍵が回る金属音が響き、扉が開く。

廊下の淡い灯りを背にして、そこに立っていたのはセインだった。


その手には、見覚えのある一冊の古い本が握られている。空白の神託だ。


セインは手にしたランプに火を灯し、部屋の中央に置いた。


淡い明かりが、僕たちの影を壁に長く引き延ばす。


セインは僕の正面の床に腰を下ろすと、静かにこう言った。


「キミに確認したいことがある」


「こんな時間に? 審問官様は随分と働きものだね」


「仕事のことじゃない」


一瞬、僕たちの間を重い沈黙が覆った。


「単刀直入に聞く。キミは、この空白のページの中に何を見た?」


「何で、そんなことを聞くの?」


僕の問い返しに、セインは小さく息を吐いた。


「キミは、空白のページに意味を求めたと聞いた」


「僕が何を言っても、教会は『空白は空白だ』と言うんでしょ?」


僕の冷めた言葉に、セインは口を閉ざしたまま、床に置いた神託を開いた。


そこには、あの“きいろの花”の栞が挟まったままだった。


僕の視線は、自然とそこへ吸い寄せられる。


「揺らぎが、大きくなったな」


セインは、僕を見つめたまま呟いた。


「さっきから言ってる揺らぎって、一体なんのこと?」


「神への信仰が揺らぐこと。俺たちはそれを“揺らぎ”と呼ぶ」


「……なんで、そんなことがわかるの?」


「審問官には、揺らぎを見る力が与えられている」


「便利だね」


僕がそう軽く言っても、セインの表情は変わらなかった。


セインは空白の神託を手で掴み、僕の目の前に広げてみせた。


「やはり、この空白には何かあるんだな?」


その拍子に、挟まれていた“きいろの花”の栞がひらりと床に落ちた。


僕は思わず手を伸ばし、栞を拾い上げる。


薄暗い部屋の中で、ランプの光を受け、色褪せた花が淡く浮かび上がって見えた。


同時に、胸の奥にくすぶる哀しみが、静かにゆらめく。


「また、大きくなった」


セインの視線は、僕の手もとに向けられた。


「……その栞は、なんだ?」


僕は答えなかった。


「それを目にした時、キミの揺らぎは大きくなった」


ふと、僕の頭の中に、きいろの花を愛でるルミアの姿が浮かんだ。


「手放せば、キミは揺らぎから救われる」


そう言って、セインが栞へと手を伸ばす。


その瞬間、僕は反射的に栞を胸元へ引き寄せていた。

セインの手が、空中で止まる。


「これは……ルミアがくれたものだ」


名前を口にした瞬間、胸の奥が鋭く痛んだ。


「……ルミア?」


セインは不思議そうに首を傾げた。


話したくなかった。

この審問官に、ルミアのことを話すつもりなんて到底なかった。


でも、このまま黙ってたら、この栞も、ルミアの笑顔も、僕の中に残ったルミアの声も、すべてはただの「揺らぎ」として片づけられる。


全部、なかったことにされてしまう。

そんな気がしたから。


だから僕は、栞を見つめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。


「この栞は、今の僕に残された、たった一つの祝福だよ」


セインは黙って僕の話を聞いていた。


ルミアは花が好きだったこと。

一緒に演舞の練習をしたこと。

味のしない配給の焼き菓子に、喜んでいたこと。


……そして、調律の儀の日、黒い影を伝って、ルミアの声が聞こえたこと。


その後、白い光に包まれたルミアは一瞬のうちに消えたこと。


僕がすべてを話し終えた、その時だった。


セインが突然、両手の拳をぎゅっと握りしめた。

唇は、かすかに震えている。


「……そんな、はずはない」


その声は、僕に向けられたものとは思えなかった。


「今の話は、キミの揺らぎが見せた妄想だ。あれは祝福だったはずだ……」


「……なにか、あったの?」


僕の問いかけに、セインはなにか答えようとしていた。


けれど、うまく言葉にできないように見えた。

しばらくの間、部屋はまた静寂に戻る。


やがて、セインがぽつりと呟いた。


「……俺には、兄がいる」

「兄は、誰もが敬う騎士だ」


セインは、呼吸を整えるように息を吐いた。


「俺たち兄弟には、たった一人、妹がいた」


「妹が、いた?」


セインは少しだけ言葉を詰まらせた。


「……四年前、調律の儀で祝福された」


四年前……ルミアの時と、同じ日。


「宣告に来たのは、兄だった」


「俺は、儀式には立ち会っていない。兄に、そう命じられたからだ」


セインは、唇を噛んだ。


「だから俺は、調律の儀を実際に見たことはない」


一度、そこで言葉が途切れた。


「……見ていない。だから、信じるしかなかった」


「何を?」


「神の言葉を。兄の言葉を」


「兄は言った。ミリアは、妹は笑っていた、と。最高の幸福に包まれ、神のもとへ向かったのだと」


「神のもとへ、向かう。それって」


僕は、それ以上言えなかった。


「ミリアは神に愛され使命を与えられた。だから、なにも心配することはない。そう、兄は言った」


セインの声が、わずかに低く沈んでいく。


「だが、その言葉を聞いた時、なぜか、俺の心の中に激しい怒りが湧いた」


「怒り?」


「ああ。なぜかは分からない。それが何に対しての、誰に向けての怒りだったのかも」


セインは吐き出すように語気を強めた。


「怒りは人を迷わせる。だから消し去るべきものだ」


セインは空白のページに視線を落とした。


「だが、この空白のページを目にした時、なぜかあの時の怒りが、また抑えきれずに湧き上がってきた」 


セインは少し俯いた。


「さっきの話が本当なら、ミリアも——」


けれど、そこで言葉をぶつりと切った。


「……いや。そんなはずはない」


僕は黙っていた。

彼にかけるべき言葉が、どうしても見つからなかったから。


「最後に聞きたいことがある」


セインが顔を上げ、僕をまっすぐに見つめた。


「キミはこの行いには意味があったと言ったな。キミは何がしたいんだ?」


僕は一瞬だけ胸に息を溜めてから、こう答えた。


「ルミアの哀しみの答えを探すためだった。でも、今はそれだけじゃない」


セインは、黙って僕を見ていた。


「神が祝福と呼ぶものを、僕はもう信じられない」


「それが、キミの揺らぎの正体か」


「さあ、どうだろうね。でも、神の祝福の裏には、何かが隠されている。この空白の神託に出会った時、そう思ったんだ」


「……その答えを、探すためか?」


「探すんじゃない。神に直接聞きに行くんだ」


僕は少しだけ、自嘲気味に笑った。


「だって神は、遠回りを嫌うんでしょ?」


セインは一瞬、弾かれたように驚いた表情を見せた。


「……そうか」


それだけ言うと、セインは空白の神託を静かに閉じた。


けれど、すぐには立ち上がらなかった。


何かを深く考え込むように、じっとその白い表紙を見つめ続けていた。


やがてセインは、神託を手に取り、静かに部屋を出ていった。


扉が閉まり、重い鍵の音が響く。

再び、部屋は元の静けさに戻った。


空白の神託は、もう僕の手元にはない。


けれど、“きいろの花”の栞だけは、まだ僕の手の中に、確かに残されていた。

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