第六話 審問
僕は足に思い切り力を込めて、地面を蹴ろうとした。
けれど、足が。
動かない。
足の感覚は、残っている。
ただ、まるで凍りついたかのように、僕の足は固まっていた。
程なくして、僕は白い騎馬の一団に囲まれた。
「神託の反応を確認しました。彼で間違いありません」
そう言って、一人の少年が馬から降りる。
歳は、僕と同じくらいだろうか。
「お見事です、セイン。さすがは“あのお方”の弟君ですね」
隣に馬を停めた白い法衣の男が、ねぎらうように声をかける。
けれど、その言葉に一瞬、セインは拳をぎゅっと握りしめたように見えた。
「今は兄のことは関係ありません。直ちに彼を教会に連れ帰りましょう。手遅れになる前に」
そう言って、セインは身動きの取れない僕の前に歩み寄る。
「……手遅れって、僕は病気か何かなのかな?」
僕は平静を装って、精一杯の皮肉を言ったつもりだった。けれど、セインは表情を変えなかった。
ただ、僕の顔の前に右手をかざした瞬間、その指先がほんのわずかに強ばったように見えた。
「口を、閉じろ」
「……っ」
なに、これ。
口が、縫い付けられたように開かない。
舌や喉も、思うように動かせない。
声が、出せない。
「この神託魔法は長く持ちません。彼を早く教会へ」
セインはそう言って、白い法衣を着た男たちを呼び寄せた。
神託、魔法。
今、僕の足を止めているのも。
口を閉ざしたのも。
この少年が、やったのか。
セインは僕の目をみて、穏やかな声で言った。
「揺らぎを抱えた者を、神の慈悲によって正しき道に戻す。これが我々審問官の仕事です」
審問官——。
この少年が。
なるほど、慈悲深い神は、道を外れた僕のことをまだ見捨ててはいないらしい。
僕はそのまま審問官たちに囲まれ、街の教会へ連れて行かれた。
教会に着いた頃には、すでに陽が傾きかけていた。
僕は荷物をすべて取り上げられ、とある一室に閉じ込められた。
石造りの壁に囲まれた、窓のない小さな部屋。
ランプの灯りだけが、薄暗い室内を頼りなく照らしていた。
狭い部屋の中央には、木でできた簡素な机と椅子が置いてあるだけだった。
ほどなくして、重々しい鉄の鍵が回る音が響き、扉が開いた。
現れたのは二人の審問官。
一人は先ほど労いの言葉をかけた男、そしてもう一人は、僕から言葉を奪ったあのセインだ。
部屋に入ると、男は僕の正面の椅子に腰掛け、その隣にセインが座った。
男は手にしていた鞄から書類を取り出すと、机の上へと広げた。そして、静かに口を開いた。
「結論から言う。キミには重大な揺らぎが見える」
揺らぎ。
初めて聞いた言葉だ。
「敬虔なる神の子アイルよ。教会に勤める身でありながら、なぜこのような行いをした?」
僕は固く口をつぐんでいた。
そんな僕を、セインも黙ったままじっと見つめている。
「持ち出された神託自体には、それほど意味はない。なぜなら人々には真意を理解できないからだ」
審問官は淡々と続ける。
「問題は、神託に示されない無駄な行動をとったことにある。神は無駄をお嫌いになる」
無駄。
言われなくてもわかっている。
こんなことをしても、何の意味もないのかもしれない。
でも。
僕は小さく息を吸ってから、はっきりとした声で答えた。
「僕にとってこの行いは、決して無駄ではありませんでした」
男は表情を変えなかった。
「それを決めるのは神であり、キミではない」
そして、男は僕の手を両手で包み込むように優しく握った。その表情は、どこまでも穏やかだった。
「安心なさい。神はキミを見捨てません。我々がキミを正しき神の道に戻して差し上げます」
そう言って、何やら呪文のようなものを唱え始めた。
これも、神託魔法なのだろうか。
けれど、体に違和感はなかった。手足も、口も、自分の意思で動かせそうだ。
僕は、何をされたのだろう。
男が呪文を唱え終えた瞬間、セインの眉がわずかに動いた。
「……おかしい」
「どうしましたか」
「効いていません」
セインの声は静かだった。けれど、その鋭い視線だけは、ずっと僕に向けられていた。
しばらく、密室に沈黙が訪れた。
ランプの火が小さく揺れる。
「彼の動きを止める時、いつもより多くの力を使いました。彼は"神託魔法"が効きにくい存在なのかもしれません」
「そんなことが……」
男は信じられないといった様子だった。
「とにかく、もう一度試してみましょう」
セインの言葉を受けた男は、それから僕に何度も同じことをした。
けれど、僕の身体には、何一つ変わったことは起きなかった。
「新たな神託を、待つ必要がありますね」
男はそう言い残すと、セインとともに部屋を出ていった。
冷たい石の部屋に、また一人取り残された。
僕はただ、小さくゆらめくランプの灯りをぼんやりと見つめていた。
◆
教会の奥にある控室で、セインはアイルから押収した荷物を確認していた。
よく磨き込まれた、演舞用の剣。
使い込まれ、傷だらけになった革の鞄。
その中には、中身の少なくなった水筒と、半分に割れた配給食が入っていた。
「この程度の備えで、一体どこまで行くつもりだったんだ」
そして、セインはその隣に置かれていた「空白の神託」に視線を移した。
彼には分からなかった。
アイルは何がしたかったのか。
なぜ、あの揺らぎを鎮められないのか。
——僕にとってこの行いは、決して無駄ではありませんでした。
なぜか、アイルのあの言葉が頭の奥で離れない。
セインは神託をゆっくりと開いた。
すると、一枚の栞が挟まっていることに気がついた。
すっかり色褪せた花の栞。
けれど、そのページは空白だった。
何も書かれていない。
そう思って閉じようとした、その時だった。
——お見事です、セイン。さすがは“あのお方”の弟君です。
昼間の審問官の言葉が、耳の奥で蘇る。
セインの指が、ほんのわずかに震えた。
その瞬間、白紙の上に黒い染みのようなものが浮かびかけた。
けれどそれは、文字の形を成す前に、すぐに消えた。




