第三十九話 神の剣
「……兄さん」
セインの口から、掠れた声が漏れた。
「兄さん……?」
僕は思わずセインを見る。
ルミアとリラも同じだった。
けれど、セインは僕たちの方を見なかった。
騎士たちの後ろに立つ、純白の法衣をまとった男だけを見つめている。
あれが、セインの兄。
教皇親衛隊の隊長、ヴァイス。
「あの人が、セインのお兄さん……?」
ルミアが小さく呟いた。セインは答えなかった。その間にも、戦いは続いていた。
さっき騎士を投げ飛ばした大男が、正面から向かってきた騎士の剣を弾く。
そのまま騎士の身体を掴み、隣にいた騎士ごと地面へ投げつけた。
「ぐっ……!」
二人の騎士が石畳の上を転がる。
大男の近くでは、もう一人の男が三人の騎士に囲まれていた。
一人目の剣を受け流し、横から振られた剣をかわす。そのまま騎士の脇腹を斬りつけた。
背後から迫った騎士にも振り返りざまに剣を合わせ、その剣を弾く。
次の瞬間には、その騎士も地面に倒れていた。
「強い……」
普通の騎士じゃ、まるで相手になっていない。
大男も、その隣にいる男も。
何人もの騎士を相手にしながら、少しずつ押し返していた。
それなのに、ヴァイスはまだ動かなかった。
騎士たちの後ろに立ったまま、静かに戦いを見ている。
どうして戦わないんだろう。
そう思った直後。
大男の隣にいた男が、また一人騎士を倒した。残った騎士たちが、一斉に距離を取る。
その時だった。
ヴァイスが動いた。
「……え?」
一瞬、姿を見失った。
次に見えた時には、もう大男のすぐ近くにいる。
「ガルム!」
隣にいた男が声を上げ、大男の前へ飛び出した。
ガルム、ノクスが言っていた名前だ。
そう思った時には、男はすでに剣を構えていた。
けれど、何が起こったのか僕には分からなかった。
気づいた時には、ヴァイスはもう剣を振り抜いていた。
「ぐっ……」
ガルムの前に立った男の身体から血が噴き出す。その場に膝をつき、そのまま石畳へ倒れた。
「……」
さっきまで、何人もの騎士を圧倒していた人がたった一度で。
「ヴァイス兄さん……!」
セインが叫んだ。
「セイン!?」
止めようと腕を伸ばした時には、もう走り出していた。
「待って、セイン! 行っちゃダメだ!」
「セイン!」
ルミアとリラも声を上げる。
けれど、セインは止まらない、一直線に、ヴァイスのもとへ向かっていく。
「兄さん!」
ガルムがセインを見る。
「……兄さんだと?」
ヴァイスもこちらへ顔を向けた。
その視線が、セインを捉える。
「……セイン」
「兄さん!」
セインはそのまま近づいていく。
その時、ヴァイスが剣を持ち上げた。
「セイン!」
まずい、さっきの人が斬られたところを見たばかりだ。
あれを受けたら――。
「馬鹿野郎! 何やってんだ!」
ガルムが横から飛び込んだ。
ガキンッ!
剣と剣がぶつかり、火花が散る。
ガルムはヴァイスの剣を受け止めると、セインを睨んだ。
「死にてえのか!」
けれど、セインは答えない。
ただ、ヴァイスだけを見ている。
「兄さん……」
ガルムはセインを一度見ると、再びヴァイスへ視線を戻した。
「……ハッ」
少しだけ口元を歪める。
「親衛隊長サマでも、弟は斬れねえってか」
ヴァイスは何も答えなかった。
ガルムから距離を取り、静かに剣を構え直す。
その時だった。
「今だ!」
ガルムの仲間の一人が手を伸ばした。
淡い光が生まれ、そのままヴァイスの身体を包み込む。
あれは、セインと同じ神託魔法。
けれど。
光が消えても、ヴァイスは同じ場所に立っていた。
「……効いてない?」
僕は思わず呟いた。
どうして。
ガルムが小さく舌打ちする。
セインも驚いたように兄を見ていた。
けれど、すぐに一歩前へ出る。
「兄さん」
ヴァイスがセインを見る。
「これは……なんなんだ」
セインの声が震えていた。
「どうして騎士が、人を殺してるんだ」
少しの沈黙のあと、ヴァイスが口を開いた。
「神託だからだ」
「……神託?」
「ああ」
セインの拳が強く握られる。
「本当に、神が命じたのか?」
「そうだ」
「じゃあ……」
セインは一度俯いた。
それから、もう一度兄を見る。
「兄さんは、それが正しいと思ってるのか?」
ヴァイスは迷わなかった。
「神に間違いはない」
「……」
セインは何も言わなかった。
握られた拳だけが、かすかに震えている。
「……そうか」
小さく呟く。
けれど、すぐに顔を上げた。
「じゃあ、調律の儀は?」
ヴァイスの表情は変わらない。
「ルミアは帰ってきた」
セインが後ろにいるルミアを見る。
「調律の儀を受けたのに、今ここにいる」
ヴァイスの視線が、ルミアへ向いた。
驚いた様子はなかった。
まるで、最初から彼女のことを知っていたみたいに。
ほんの少しだけ見つめたあと、ヴァイスが口を開く。
「彼女は特別だ」
「……特別?」
「ああ、神に選ばれた存在だ」
ルミアは何も言わず、ヴァイスを見つめ返していた。
神に選ばれた存在、どういう意味だろう。
でも、セインが聞きたいのは、それじゃない。
「じゃあ……」
セインが兄を見る。
「ミリアは?」
ヴァイスは答えない。
「ルミアは帰ってきたんだ」
セインが一歩、兄へ近づく。
「だったら、ミリアも……」
そこで言葉が止まった。
「兄さん」
セインの声が、また震える。
「ミリアは、どうなったんだ?」
少しの沈黙のあと、ヴァイスは静かに答えた。
「ミリアは、最後まで笑顔だった」
セインの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「じゃあ、ミリアは――」
「あの日、ミリアは死んだ。もういない」




